*気持ちをありがとう*

 

 

「東海道、東海道ちょっと待って!」

東京駅のコンコース。
人ごみを掻き分け、急ぎ足で闊歩する東海道(弟)の背中に書類を抱えた京浜東北が駆け寄って来た。

「…何?」
「これ、この報告書のことなんだけど」
「…今じゃなきゃダメかよ」
「うんちょっと急ぎで」

そう食い下がられると仕方がない。
ようやく足を止めた東海道だったが、その様子はどこか落ち着きがないように思える。

「あ、東海道…もしかして」
「?」
「お兄さん?」
「──!?」

図星だった。
東海地方の大雨の影響で、自分を差し置き真っ先に止まってしまった兄、東海道新幹線。
慰め役の山形も悪天候で大わらわだし、諫め役の山陽はそれこそ東海道の運休のあおりを喰らって行き着く暇もない。

きっと膝を抱えて沈みまくっている兄を何とかしなければ、と、まさに上官専用室へ向かうところだったのだが──

「大変だよね、東海道上官。元気づけに行くの?」
「…お前、そ…」

高速鉄道は、JRの頂点に君臨する、いわゆる“高みの存在”。
その中枢とも言うべき東海道新幹線が──実は足腰だけではなくメンタル面までだだ弱、などと本当のコトが知れたら──高速鉄道全体の威厳もクソもなくなってしまう。
そう思って焦る東海道とは裏腹に、京浜東北は至極落ち着いた態度で手元の紙をペラペラとめくった。

「なんて顔してるの、東海道」
「…それ、は」
「あのねぇ、ボクが何年このポジションにいると思っているの?」

それは暗に“上官との付き合いの長いボクなら、いろんな事情を知っていて当然でしょう?”と言っているように聞こえた。

「それともボクがそういうことを在来線の間で騒ぎ立てるとでも思ってるの?」
「いや、それはない!」
「それは良かった。あ、これ、この表の部分なんだけど、少し分かりづらくて…」

そして京浜東北が指差した数値の部分について東海道がいくつか質問に答えると、ようやく眼鏡の奥の瞳に安堵の笑みが浮かんだ。

「ああ、分かったよ、すっきりした。ありがとう。これで東北上官のところに提出できる」
「悪かったな、手間取らせて」
「いや、いいんだ。あの上官相手だとね、こちらが完璧に用意するにこしたことないから」

出した時と同じようにてきぱきと書類を片付ける京浜東北の動作にしばし目を奪われていた東海道だったが、すぐに己の使命を思い出した。
──そうだ!まだ自分がかろうじて走れるうちに!あの兄のところへ!

「じゃあな」
「うん…ねぇ東海道…余計なお世話っての承知で言うけど」

駆け出そうとする自分の焦燥と正反対の静かな笑顔に再び引き止められるように振り返った。

「大丈夫?」
「…大丈夫って、何がだ」
「キミだって東から西を延々と走り続けてこの悪天候で、正直、かなり負担でしょう?」

その上、お兄さんの面倒を見て…などという無粋なことを口に出す京浜東北ではなかったが、その気持ちはいやというほど伝わった。

「…それで?」
「うん、心配してるんだ。だから気をつけて」
「…サンキュ」
「もし運休になったら、とりあえずコッチに顔出して」
「縁起でもないこと言うなよ」
「縁起じゃなくて気象学的かつ科学的な見解で喋ってるの」
「オレはまだ行ける」

しかめっ面で宣言するように言い放つその顔は、本当に東海道上官そっくりだな…と京浜東北は思った。

「分かってる…でも、もしも、そうなったら、ね」
「…もしも、か」
「そう、もしもそうなったら…そうだな、今度はボクがキミを慰めてあげようか」
「はぁ!?」
「うん、そうしよう。じゃあそういうことで」

いってらっしゃい、と一方的に会話を終了され、急ぐことも忘れてしばし唖然。

「何だよ、慰めるってどーすんだよ」
「そうだねぇ、うーん、じゃあチェスでも一緒に」
「アレいっつもオレぼこぼこに負けてんだろが!余計凹むわっ!」
「じゃあ、一緒に来期の運行計画について話を…」
「…お前の“慰める”の基準が分からん…」

東海道は、困惑したようにため息を落とした。

「だいたい、お前、オレを慰めてるどこじゃないんじゃねぇ?この雨だ。きっと埼京がグダグダになって止まるわ、山手が混雑に引っぱられて遅延するわ、宇都宮が水没するわ、高崎が落雷でやられるわ…慰めなくちゃならない連中がいっぱい……」

と、突然、東海道が言葉を切ったので、京浜東北が「どうかした?」と怪訝な顔で尋ねた。

「……じゃあ、お前は?」
「え」
「慰めてばっかで、まとめてばっかで。お前はどうすんだ?」
「……」

京浜東北のことは?お前自身のことは?

──一体誰が慰めてやるっていうんだ?

面と向かってそう尋ねると、ほんの少し、ほんの少しだけ寂し気な、陰った微笑みが返って来た。

「…もう行ったら?東海道上官が待っているんじゃない?」
「あ?ああ、そうだな…それじゃ本当に行くわ」
「それがいいよ、お兄さんにはキミが必要だ」

その言葉に押し出されるように、今度こそ兄の元へ向かって駆け出した。
肩越しに目をやると、背後にブルーの制服がだんだんと小さくなって行く。

そして京浜東北は、軽やかに視界から消えて行く長身に小さく手を振りながら呟いた。

「…もう慰めてもらったよ、東海道…思いがけずね」

 

“お前自身のことは?”
“一体誰が慰めてやるっていうんだ?”

 

「その気持ちをありがとう」

 

誰にも知られぬ感謝を胸に、京浜東北は書類の束とともに反対の道へとゆっくり歩き出した。

 

 

 

 

 


END

 2008/9/13 このお話のタイトルは、今のふたつの心そのまま。