*世界で一番そばにいる*

 

 

 

「あ、銀座」
「銀座、来た」
「やぁ、みんなおそろいで…ごきげんよう」

珍しく風呂上りの湿った髪のままでやってきた銀座線を、南北線や東西線たちが少し離れた位置から出迎えた。

「なぁ…大丈夫なの、銀座」
「久々の人身だろ、大変だったな」

口々にそう言って心配そうに自分を覗き込む同僚たちに、銀座はいつも通り上品な微笑みを返した。

「ああ、ありがとう。もう大丈夫だよ。ミルクバスが気に入って少し長湯しちゃったけどね。すぐに通常運転に戻すよ。じゃあ」

そう告げて再び廊下へ向かって歩き出すメトロ大先輩の背中を、皆は多大な尊敬と少しの畏怖を胸に見送った。

「…すげーな、まるでなんもなかったみたい」
「動じてないよねぇ、僕には真似できないなぁ」
「JRでもああはいかないぜ」
「やっぱ銀座くらいになると、さぁ、ホラ、経験してっから、アレ」
「アレ?」
「戦争」
「ああ」

それは戦後生まれの現代っ子メトロたちにとっては、単なる歴史。
知識の中にしか存在しない、まるで架空の出来事だった。

「戦争だと、人なんか死にまくったんだろうなぁ」
「ちょっとー、やめてよ南北」
「地下鉄にもさー、爆弾から逃げてきた人がいっぱい避難してたって聞いたぜ」
「うわー、ぜってー幽霊とか出そう」
「ちょっと!マジでやめてって!自分たちの職場を心霊スポットにしてどうすんのさ!」
「ははっ、ビビってんだろー、千代田」

ギャーギャーと大騒ぎする仲間を尻目に、頭からスポーツ新聞を被って昼寝を決め込んでいた丸の内が、長身をゆらりと動かした。
皆は未だ怪談話に盛り上がっていたから、スポーツ新聞がテーブルに放り出されてその姿がいつの間にか消えていることに気付いた者は1人もいなかった。

 

 

「ぎんざ〜♪」

のしっ、と。
まるで怪獣が襲ってきた勢いで、丸の内が銀座の背後から肩にしがみついた。

「…何やってるの?丸の内?」
「え?…!?…イタイ痛い痛い!何でココ廊下なのにそんな笑顔でシャーペン持ってんの銀座?!やめてその芯をカチカチってオレの手にエンリョなく突き刺すのやめてって!ねぇ!」

ようやく離れた丸の内に肩越しの微笑を振りまくと、「何か用?」といつもの淡々とした声が響いた。

「んー、用ってゆーか」
「うん?」
「銀座と、一緒にいたくなった」
「とかって。さっきみたいなコトしたら、他のメトロがドン引きじゃない」
「いーじゃん、オレたち仲良し♪同じ第三軌条式♪」
「ふふ…そう言われるとね」

丸の内は、一歩先を歩く銀座の腕をしっかり掴むと、その掌を自分の掌で包み込んだ。

「…丸の内?」
「だーかーら、オレたち仲良し♪」
「…仕方ないひとだなぁ」
「えっへっへ」

銀座の手は、温かな湯船に浸かってことが信じられないほど冷えきっていた。

ぎゅっと力を込めて握りながら、丸の内は先ほどの後輩たちの無神経な会話を苦々しく思い出す。

 

バカだあいつら。
ほんと馬鹿。

慣れるわけないじゃないか。

人の“死”になんて。

だってオレたちは、命を運ぶのが仕事なのに。
そのためにオレたちは作られて、今だってこうして走り続けているのに。

平和という名の下に。

 

「…丸の内」
「ん?何、銀座?」
「そんなにきつく握ったら」
「あ、悪ィ、痛かった?」
「キミの方が痛いでしょ?」
「平気」

──世界中の誰よりも慣れてるからね。

「…そういうことは、誰彼なくカンタンに言っちゃいけないよ」
「言わない、言うのは、銀座だけだ」
「……本当にキミはねぇ」

と、それでも幾分軽やかになった足音に満足しながら、結局丸の内はそのまま銀座を彼の路線まで見送った。

 

他の誰も入ってこられない、彼だけの路線へ。

 

 


END

 2008/7/24