*まっすぐに*
「だーかーら!なんでお前はそういう言い方しかできねーんだよ宇都宮っ!」
「言い方?何が悪いの?僕が言ったのは全部ほんとのことじゃない」
「お前みたいな言い方してたら、私鉄の奴らも立つ瀬ねーだろ!」
「へぇ?私鉄の肩を持つの高崎?JRとしての誇りはどうしたの?」
「それとこれとは別だっ!」
僕の私鉄への態度があんまりだ、と、高崎と言い合いになったのは夕べの終電直後。
あいつがあんまり東武たちをかばうので、何だかこちらも引けなくなった。
まぁ、半分はカッカする彼を観察して楽しんでいたんだけど。
「言葉の暴力って知ってるか?もちょっと相手の立場に立ってモノ言えつってるだけだろ!」
「…なんでそんなことしなくちゃいけないの?」
「はぁ!?」
「相手の立場に立ったって、その相手になれるはずもないのに。それで相手をさも理解しているように思うなんてむしろ傲慢なんじゃないの?いや、偽善、かな」
「…オマエってやつは…」
「キミだって、僕のことなんて分かってないくせに…っと」
「!?──お─わっ!」
突然の足払いをくらった高崎は見事にソファに倒れこみ、僕は馬乗りになって戸惑いと恐れを浮かべたその表情を覗き込んだ。
「ふふっ、油断大敵♪」
「いってー…このやろ…」
「で?僕の言い方が言葉の暴力だって?」
高崎が振り上げた拳を片手でしっかり押さえると、もう片方の手を喉仏に当てた。
「本当の暴力、って、知ってる?高崎?」
「──!?」
「例えば、こうやって、キミの首に僕の体重をかける…キミより重い僕の体重」
「おい…や、め」
「空気をね、ゆっくり遮断するの。息ができないよ…どう?殴られるより怖くない?」
「…っ…」
「高崎」
締め上げる力は緩めず、そのまま体をかがめて唇を頬から首筋に滑らせた。
「…ヤ、メ…」
「高崎、興奮しない?こーゆーの」
「…い…いーかげんに」
「んー?」
「……シローっ!」
ガツン★
最後の言葉とともに、渾身の力を込めた高崎の拳はさすがに避けられなかった。
「あいったー、何するんだよ」
「そらこっちのセリフだ変態野郎!」
ようやく開放された高崎がぜいぜいと息を乱しながら涙目で僕を睨む。
ああ、たまらないねー、その表情。
もっとも僕も、切れた唇が痛くて涙が出そうだけど。
「ひどーい、暴力はんたーい」
「いい加減にしろ!マジぶっ殺すぞッ!」
「ふぅん、どうやって?」
「!」
「やってみなよ」
じんじんする口元を押さえながら、ずい、と詰め寄ると、同じ高さにあるヤツの目に怒りではなく諦めの色が浮かんだ。
「…もういい…バカらし……俺は行く」
「なーんだ、もうおしまい?じゃあこのパンチのお返し、考えとくからね♪」
「知るか!お前なんかもー知らん!」
バタン!とドアが壊れんばかりの勢いで閉められた。
不機嫌な大音をたてて遠ざかっていく足音を聞きながら、あー、ちょっとやりすぎたかなー、とほんの少しだけ反省。
ほんと、生真面目で単純でオモシロいヤツだ。
せっかくだから首筋にキスマークでも残しておけば良かったな…・
あれは、僕のだ、ってね。
「知るか!」って言った?高崎。ほんと可愛いねぇ。
そんなことできるはずもないのに。
あいつは僕の架線なしじゃ走れるはずもないのに。知らんぷりしていられる訳もないのに。
安心するね。そうして高崎を間違いなく縛れているという事実に。
あいつはどこにも行けない。
たとえ、僕にどんなに嫌気がさそうとも。
ぷつ…っ
「え」
そして今日。
赤く腫れた唇を舐めながら、誰もいない階段の踊り場でぼんやりと窓の外を見ていた。
台風が近づいているとかでかなりの風。でも特に運行に支障がでるほどではない。
そう油断していたら、いきなり異変を感知した。
「…止まった?…」
どうやらラインが完全に止まってしまったようだ。
何だろう。人身事故ではない。架線だ。架線に何か──
「宇都宮―っ!」
遠くからそう叫ばれて振り返ると、高崎が一直線に階段を駆け上ってくるのが見えた。
「…高崎」
「探したぜー、いつものトコいねーんだもん」
「……」
「はぁー、苦し」
高崎はようやく僕のところまで上ってくると、膝に手をつき、深呼吸して息を整えた。
「あのなー、強風で、上野駅手前の架線に不着物。で、送電一時ストップ」
「…ああ」
「んで、振り替えのこととかあるから来いって、京浜東北が」
「…そう」
「良かったー、姿見えねえから、何かあったかと思って一瞬焦ったー」
「……」
「じゃ、行こうぜ、ほら」
ぐいっ、と僕の袖を引っ張る手。
いつもと同じ気安さ。
いつもと同じ温かさ。
何、これ?
夕べのことがまるでなかったみたいじゃない。
あんなひどいこと言って。
ひどいことして。
それが何もなかったみたいじゃない。
「…?…どーした宇都宮?…もしかして、架線以外にどっかヤラれたか?」
僕の歩みが遅いことに、苛立ちよりも気遣いの言葉がかけられる。
「…別に」
「あーそっか、パンチの仕返し狙ってやがんなー。でも休戦、休戦。架線復活するまで、な?」
そう言ってやっぱり僕の袖を離さない高崎の息はまだ荒い。
そんな息が上がるほど、一生懸命走ってきたの?
僕なんかのために、それだけ急いで走ってきたっていうの?
馬鹿なキミ。
今、こうやって一緒にいても、僕はキミに何をするか分からないんだよ。
自分でも持て余してしまうくらい、わけの分からない。そんな僕。
それでもキミは僕を──
「…好きなのかな…」
正直、声に出したつもりはなかった。
いや、出したとしても、聞こえるはずなんてないんだ。
ここは廊下で、強い風がバリバリと窓ガラスを震わせているし、絶えず車両の出入りする音、アナウンス、乗客たちの喧騒…が遠慮なく飛び込んでくるから。
僕の微かな呟きなんて、空気のように紛れてしまうと信じてた。
なのに
「仕方ねーじゃん」
そうはっきりと返されて、胸がドクン、と大きく弾んだ。
「…高崎、キミ、今、何て言った?」
「…お前は何か言ったのかよ」
「僕は…何も」
「じゃあ、オレも一緒、何も」
「…僕はキミが時々すごく分からないよ」
「へー、いっつも単純、単純って馬鹿にしてくれるくせにか」
「……」
「オレには、お前がこの世の謎だけどな」
「だろうね」
「でも、ま」
「……」
「全部分かんなきゃダメ、ってことねーだろ」
高崎の言葉は夕べのパンチなんかよりよっぽどキツくて、喉の奥から込み上げてくる熱いものを必死に押さえた。
これこそとんでもなく“言葉の暴力”じゃない、ねぇ。
早く倍返ししてやらなくちゃ。2発のパンチ分。
どんな演出を用意するか──運行再開までには考えよう。
「…どれくらいで復旧するかな?」
「そんなかかんねーだろ。遅延回復、きばってこうぜ」
「そうだね、キミが遅れると僕が困る」
「お前が遅れるとコッチが困る」
追いついて、肩を並べて、ようやく落ち着いてきた高崎の息遣いを肌で感じながら。
──ああ、なんだ。
縛られちゃってるのは、もしかしたらボクの方なんじゃないのか。
その考えは、大変不本意なものだったけれど、不愉快なものじゃなかった。
不思議なことにね。
あの、息を切らせながらも僕に向かってまっすぐに駆け上がって来た迷いのないキミの瞳を想えば。