*VISITOR at MIDNIGHT*
「泊まるよ」
「……」
「ね、山陽?」
真夜中の訪問者──上越は、ドアを開けた部屋の主の腕をすり抜け、もう中に入り込んでいた。
「泊めて」じゃなくて「泊まるよ」あたりが上越らしい。
風呂上がりから直行してきたのか、まだ雫の落ちる黒髪を肩にかけたバスタオルで拭きながら、ゆるりとしたズボンひとつ、といった姿。
こんな格好で上官専用通路を歩いて来たのか。
東海道が見たらどんだけ大騒ぎになるか想像はつくだろうに。
やれやれ、と山陽は笑いながら肩を竦める。
「こんばんは、の挨拶もナシかよ…なんかあったか?遅延も事故も聞いてねーけど」
「ギリギリ、なーんもかもギリギリ」
上越は投げ出すようにそう言うと、ベッドの端に腰掛けた。
「…危なかったよ…今日は一日中車両がギシギシ悲鳴上げてさ…おかげで終電の後に緊急点検だよ、ついさっきまでね」
「そらご苦労だったなー」
「ったく、何でボクばっかこんな旧型車両で苦労しなきゃなんないのさ!点検、点検で、イラッとくる」
「お前ばっかじゃねーさ、うちだって未だに0系現役だぜ?」
「あれは一種のイベントじゃないか。うちとは違う」
「んで?東海道の紅茶を激甘にしたり、山形のボールペンのフタをのりでくっつけたり、上官室のイス一個一個に懐かしのブーブークッション仕掛けて回ったりしてもまだ気ィ晴れなかったってか?」
「うん」
「あのなぁ…ま、いーけど」
山陽は笑いながら上越の体を乗り越えるようにしてベッドの中に戻った。
先ほどまで読みかけていた書類を再び手にとると、上越が当たり前のように隣に滑り込んできてシーツに身を沈める。
「ふーっ、冷たくて気持ちイイー♪」
「いくら暑いからって、ンな格好で風邪ひかねぇか?Tシャツ貸してやろうか?」
「着込むの嫌いだもん。ほんとは全部脱いじゃいたいくらい」
「…あー、それはやめてね、イタイから、オレが色々イタイから」
「はーい」
「…寝てる間にこっそり脱いで翌朝ビックリ!…ってのものナシな」
「ちぇっ」
「…舌打ちした?オマエ今舌打ちしたよな?」
そんな冗談(?)を言い合いながらも、上越はぐいぐいとベッドの中央に侵入してくる。
正直、いくら大きめのセミダブルベッドでも、180センチ超えの男2人で寝るのはキツい。
が、この鼓動まで伝わる窮屈さを求めて、この男はここに来ているのだ。
それを知っているから、さらりとした黒髪を撫でるように自分の方へと引き寄せた。
「ま、元気出せよ。何か飲むか?」
「…今はいい」
「しっかしお前も懲りずにオレんとこ来るよなー。いっぺん山形ンとこでも行ってみたらどーだ?いいぞー、アイツ、一緒にいるだけで癒されるぞー」
「…やだ…静か過ぎるのは…なんか苦手」
「それ暗にオレがやかましいって言ってんだよな?」
「いいじゃん、仲良くしよーよ、“お古”仲間同士でさ♪」
「イヤな言い方すんな」
「ゴメンねぇ」
「…ったく」
もちろん、上越がここにやって来る理由は“お古”車両を押し付けられている仲間意識、などではない。
かと言って、JR東日本のたくさんの仲間たちのところに行かない理由を突き詰める気もさらさらなかった。
たまに東京に留まる自分のところにいることに、彼の答えのすべてが在ると思うから。
だから「東北は?」という問いかけがタブーなのは暗黙の了解。同期のあの男への上越の感情というのは、複雑という単語では表しきれないほど難しいのだ。
「ねぇ、いつまで東京(こっち)にいるの?」
「明日はもう新大阪に戻る、朝イチのミーティングが終わったら」
「ふぅん」
「今度帰ったらしばらくは東京には来れないかもなー、九州の件で忙しいからなー」
「…それ、何?仕事?こんな時間まで?山陽なのに?」
「最後の一言余計だっつーの。ミーティングの追加資料がさっき届いたんだよ、さすがに目を通しておかねぇとな。某東海地方の高速鉄道にどつかれるのはゴメンだ」
ようやく最後まで目を通し終えた退屈な書類から解放され、サイドテーブルに放り出す。
入れ替わりに目に飛び込んだのは、枕代わりに自分の膝に頬杖をついた、上越の顔だった。
「どした?やっぱ何か飲むか?」
「ねぇ…そんな書類なんかより…もっと楽しいことしない?」
「へぇ、どんな?」
「ヤらしいこととか」
「……」
「シない?ボクと」
「……」
「ボクのこと、抱いてみない?」
「……」
「ねぇ山陽」
「……」
「イヤ?男だから?それともボクだから?」
「……」
「東海道にはナイショにしとく」
「…そーじゃねーの」
「いたっ!」
山陽のゲンコツが、ゴツンと音を立てて上越の頭を直撃した。ため息とともに。
「別にお前がイヤなんかじゃねーし、ヤろうと思えばヤれる、でもな」
「……」
「そんなことしても何も埋まんねーぞ」
「……」
「分かってんだろ」
「…山陽…」
「困らせんな」
「……」
「自分大事にしろって、いっつも言ってんだろが」
「…ん…」
「よっし、イイコだ。ご褒美にとっときの酒を分け与えよう」
すげー美味い極上のドイツワイン、甘くて軽い、寝酒にぴったりなんだ、と起き出した山陽は、すぐに琥珀色の液体に光る小さなグラスを2個手にして戻って来た。
「ほら、これ飲んでもう寝よーぜ、明日も早い」
「…ありがと」
片方のグラスを上越に手渡すと、自分の分をぐいっと一気に。
「んー、うまいー!あーこれでぐっすり眠れるわー」
上越のグラスが空になったのを見届けると、自分のと一緒にサイドテーブルに片して再び体を横たえた。
電気を消すと同時に、あたたかな重みが腕周りに被さる。
「……悪い、山陽」
「バーカ、今更」
「こういうの、東海道にバレたら…困るよね」
「あいつ、知ってる」
「え…?」
「別に隠してねーし。あいつだって早々鈍ってわけでもねーんだぜ。もっとも、オレたち2人で夜中に密談して、世界征服でも企んでるように思われてるみたいだけどなー」
「ぷっ」
「あいつらしいっしょ?」
「ふふっ、うん、まったく」
「東海道だけじゃない。みんな、ちゃんとお前のこと、見てるから」
「──!?」
「ちゃんと見て、お前のこと信じてんだから、な」
「…そうかな」
「すぐにいじけんのが、お前の悪いクセ」
「…東海道ほどじゃないよ」
「東海道みてぇに表に出さないのが、もっと悪いクセ」
「……」
「みんなちゃんとお前のこと考えてんだから、安心しろ」
「…うん」
「あんま手間かけさせんなよ、坊や」
山陽は、ようやく打ち解けたように笑みをこぼした上越の額に、軽く唇を落とした。
「ほい、出血大サービス。さ、寝よ」
「はーい」
「明日は上越地方は全般に晴れ、だとさ、良かったな」
「知ってる。中国四国は雨と風、だよねぇ、お気の毒」
「…とことんイヤなやつ」
「あーあ、山陽上官もいなくなっちゃうし、明日は在来線のコたちをからかってみようかなー」
「イジメ過ぎて遅延させんなよ。んじゃなー、おやすみ」
「ねぇ山陽」
「んー?」
「また来るよ」
「……」
「おやすみ」
さっき「悪い」とか謝った殊勝な姿はもうどこへやら。
そして「来ていい?」じゃなくて「来るよ」あたりが誠に上越らしい。
どうやらこれからも、東京に泊まるたびにこの困った訪問者を受け入れなければならない日々が続きそうだ。
諦め半分、面白半分でそう覚悟すると、山陽は笑いをかみ殺しながら瞼を閉じた。
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そして、新大阪。
「山陽、ちょっといいか?上越のことなんだが」
「上越のこと?どしたの急に?東京で何かあったの東海道ちゃん?」
「うむ、実はヤツから折り入ってと、ある相談を受けてな──内密に」
「…いまだかつてない嫌な予感がするけど…一応聞く…何だって?」
「コホン、その…ヤツが言うには…(ひそひそ)“山陽は魅力的な相手に裸で迫られても勃たないようだ、男性機能に問題があるのではないか”と」
「───!!??」
「そうなのか?山陽、何故上越ではなく私に言ってくれなかった?大丈夫、心配するな、我々の技術に不可能はない、きっと良い治療方法があ──」
「あんのくっそガキぃいいいいいい!!!」
すべての予定がぶっ飛んで、その日の夜から再び東京泊まりだったことは言うまでもない。