*初夏の魔法使い*
〜2〜
とまぁ、別に。そんだけ。
何もたいしたことじゃない。
その後は、遅延も運休もなく、お互い珍しく平和な日々。
ただちょっと。
「・・・やぁ」
「ん」
いつもまっすぐに伸びてたあいつの手が胸までの高さになったとか。
歯が見えるまで笑ってた口元がほんのちょっと弧を描くようになったとか。
そーゆー感じ?
たいしたことじゃない。
けどなぁ。
(ンだよ、気に入らないコトあったなら言えばいーじゃねぇの)
だいたい、怒るなら、野郎に唇奪われたコッチだろ!
ほんと、理解不能、あの馬鹿セレブ。
・・・まぁ別に、オレ、それほどあいつのコトよく知ってるわけでもねーけど・・・
──そんな風に思った?
──武蔵野、も?
“も”って。
誰かあいつにそう言ったヤツ、いたんかな。
誰?
接続先、とか?
メトロの有楽町。
・・・は関係ねーだろな。つーかこんな話したら引くわきっと。
・・・りんかい。
・・・ってのもいたな・・・いつの間にか埼京とつるんでやがったあの。
ふーん。りんかい、ねぇ。
ふん。
──そんな風に思った?
あのときのアイツの顔がぐるぐるとアタマの中で回ってる。
・・・あーなんか疲れた。あー運休したい。
「運休させてくれよー、どうせ工事すんならー」
京葉線との乗り入れ駅で、架線工事の通知。
とは言え、一部折り返し運転で、休めるワケでもない。
打ち合わせ打ち合わせ、と、久しぶりに自分から京葉のもとに向かった。
「あ・・・やぁ」
“やぁ”じゃねーから!
んな捨てネコみたいな目ェすんなっ!
「何?」
「工事、今日打ち合わせって」
「・・・!?・・・あ・・・悪い」
「・・・?・・・忘れてた、ってか?」
「ゴメン、大丈夫だよ、時間あるから」
あーもうカンベンしろよー。
「いい加減にしろ、怒るぞテメー」
「・・・え?」
「めんどくせーんだよ、はっきり言え」
「・・・何、を?」
「そのハラの中に思ってることだよっ!」
「・・・・・・」
「言え」
「・・・・・・武蔵野、が」
いつもの笑顔は影を潜め。
京葉は、オレの目をしっかり見据えて、搾り出すような声で話し始めた。
「武蔵野・・・ボクのこと・・・誰とでも・・・あんな・・・スるようなのって・・・思ってる・・・って」
「あーそうだ」
「!?」
「あの状況じゃ、そう言われてもしゃーないだろ馬鹿京葉。場慣れしたみたいに余裕かましやがって、ムカつく」
「・・・むさ・・・」
「で?」
「えっ?」
「返事は!つーか反論は!」
「あ、あの」
「そうなのか、オレが言ったとおりなのか?」
「違うっ!」
こんなに必死になって怒る京葉を初めて見た。
「違うよ!そんなことない!誰とでもなんて!ボクは絶対そんなこと──」
「分かった」
「──え」
「オマエがそういうなら信じる。以上」
「──」
「カンタンだな」
「・・・・・・」
ほんと、カンタン。
オレはウソがうまくない。ごまかしだって底見え見え。ンなこと分かってる。
京葉は、最初からウソつくアタマなんて持ってない。ウソみたいなありえないことも、コイツの中ではみんな本当。
そんな不器用な者同士、ハラ探ったってしゃーないだろう。
他の奴らなんてぶっちゃけどーでもいい。
だから
「──っ──う・・・く・・・っ・・・」
「って・・・え?・・・」
しばらくポカン、とオレを見つめていた京葉の顔が、くにゃっと歪んだかと思うと・・・
ぽろぽろぽろぽろぽろ
その両目から、堰を切ったように大粒の涙が流れ出した。
零れた、とかいうレベルじゃない。まるで滝みたいに。
「・・・京、葉?」
「・・・う、む・・・ッ・・・むさっ・・・し・・・のうっ・・・うっうっ・・・うーっ」
ええええええ────!?
オレっスか────!?
「ちょっとカンベン・・・つーか仕事中だぞ京葉っ!しっかりしろよー!」
まさか、この自分がこんなセリフを言う日が来るとは。
夢にも思わなかった。
「と、とりあえず、とりあえず落ち着け、な?な?」
「・・・んっ・・・ゴメっ・・・・・・・・・ン・・・」
なんでンな羞恥プレイ同然で、しかも野郎と修羅場ねばならんのか。
そういや、こういう光景、よく南浦和あたりで見る。
今までは死ねばいいのにくらいに思ってたけど。次からはもっと温かい目で見てやろう…
ぐいっ★
「──!?──武蔵、野?」
ようやく泣き止んだ馬鹿京葉の口から次に出たのは、戸惑いの声だった。
まーそれもしゃーないか。
今、オレはヤツの手を握って、ぐいぐいと駅舎に向かって引っぱり歩いてるんだから。
「あの、えと」
「──現在直通運転中、さっさとコイ!」
我ながら、意味わかんねー言い訳だ。
「武蔵野」
「文句あっか」
「ドッチかというと、接続運転中?」
「ソコか!お前のツッコミはソコなのか!?」
「ふふっ」
「もう笑ってやがる…お前、まじウゼー」
「…だって、魔法…」
「は?」
自分より少しだけ温かくて柔らかい手にぎゅっと力がこもる。
「武蔵野の魔法だよ、ボクの涙止めたの。どこで覚えたの?こんなすごい魔法…」
「──次、もっぺん何かウザいこと言ったらこのまま線路に投げ落とす!」
まっすぐ前を見たままそう宣言すると、互いの肩がぶつかるまで力任せに腕を引いた。