*BALANCE*

 

 

「オレが山形のコト、ちょっと嫌いかもー、つったらどうする?」
「……」

 

徐々に雨脚が強くなって来た、週末の昼下がり。
ゴロゴロ、とたまに響く雷鳴をバックに、山陽と山形は2人、コーヒーを片手に休憩室にいた。

 

2人は仲が良いね、とよく皆に言われる。
東海道たちと違ってコーヒー党であるところとか、もしかしたら気質が正反対であることとか、そういうものが一種独特の居心地の良さを作っているのかもしれない。

実際、山陽と山形が談笑したり、肩を並べてにホームを見下ろしている光景は良く見られたし、当の本人たちも否定などしたことはなかった。

この日も、間もなく遅延や運休の嵐が押し寄せるのを予想し、今のうちにと、あたたかなコーヒーを心から堪能していたところだった。

 

「やばいよなー、まっすぐコッチ向かってる」
「…んだな」
「まずオレだなー。んで東海道」
「…んだな」
「東日本からはそれりゃいいけど」
「…天気図から察して、望みはうすいべ」
「東海道ちゃん、凹むなー。そしたらまた、お前の膝があいつの涙で濡れるっつーわけだよ、なぁ」
「……」

山形は困ったように微笑むと、小さく頷いて同意を示した。
それは、ちょっとした自信を示す仕草にも思えた。

 

東海道を、あの日本最速涙腺を持つ(殺されるから言わない)高速鉄道の堅物アタマを、唯一慰められるのが、山形。
山形が来るまで、一体どうしてやり過ごしていたのかもう思い出せないくらいだ、と、山陽は思った。

とにかく、もう十数年も、東海道の涙のお守りは山形の仕事。

改めてそのことを思った瞬間、ふと、自分の胸の内に冷たい氷の塊のようなものが膨らんで行くのを感じた。
おかしいな、こんなに温かい飲み物を啜っているというのに。

──疲れているのだろうか。

ここのところ、新幹線本州乗り入れについての、JR九州陣との打ち合わせが連日続いている。
何しろ東海道が──JR東海の態度がアレだから。

まさに板挟み状態で、自分らしくもなく、使う必要のないところにも神経を使い果たしていた。
まぁ、それ以上に将来が不安なのだが。

 

──だから──

 

いつものように冗談めかすことすら忘れて──つい口に出してしまった。

 

「オレが山形のコト、ちょっと嫌いかもー、つったらどうする?」
「……」
「……」

 

まさに降って湧いたような質問だったに違いない。
なのに、受け止める側の山形は至極冷静で──いや、冷静であろうとしてくれたのかもしれない。

手元のカップの湯気をしばらく凝視していたかと思うと、窓際に立つ山陽に顔を向けてぼそりと言った。

「…直す」
「は?」
「悪いどこ、嫌われてるどこ教えてけれ山陽。すぐ直す」
「…やまがた…」

そう言って真摯な視線を向ける山形に、心の氷塊が一気に溶け去った。

「…かなわねーな」

 

きっとこういうとこ。一生叶わない。この男には。
そして何やってんだか、オレ。

 

「ごめん!嘘!嘘!」
「……」
「マジになんなよ」

そんな無茶な。
きっと自分はこの上なく真面目な顔をしていたに違いないのに。

「なぁ」
「…んなら、いい。えがった」
「山形………ゴメン」
「気にせんでええよ」

静かにそしてはっきりと赦されて、何だか山陽が泣き出したい気持ちになった。

「山形ちゃん」
「!?」

さすがの山形も、驚いたようにカップを置く。
山陽の長身がゆっくりと自分の前に移動し、膝の上にずしっと鎮座したからだ。

「…山陽?」
「オレ、ちょっと凹んでんの。東海道みたく癒してー♪」
「…東海道を、なして膝に乗っけたことはねぇ」
「あららららー、ヤバイ、あいつには内緒なー、山形」
「……」

くすくす笑いながら首にしがみつく、自分よりガタイのいい茶髪の男。
それでも山形は黙って相手の好きにさせていた。

「…ええ香りだな」
「おっ、気づいた?ほのか〜な香りだからコーヒーに負けて気づかれないかと思った。これ、初夏の新作コロン」
「りんごの花みてぇな気持ち良い香りだ」
「その例えが分かんねーよ」
「今度、一差し東京に持ってくんべ」
「サンキュ。じゃあ、オレもこのコロン、おすそ分けする、後で」

たわいない会話とともに、山形の大きな手が、そっと山陽の背中に回された。
ポンポン、と温かい掌が背中を叩く。あやすように。

「あー、すげー、癒されるー」
「……」
「でも、オマエはさー、なんか損かもな」
「?」
「他人癒してばっかでさー」
「…大丈夫だ」
「ん?」
「今、癒されてる」
「今?」
「そう、山陽といると元気になる」
「──」
「元気に、なァ──だから」

 

自分にないものを持っている山陽に憧れる。

 

例えば、自由、とか。

 

鉄道なのに、いつだって飛んでいるようにすら見える。
海だって越えられる。

決して他の者にはない、自由な翼を持つ。そんな山陽に。

 

「なぁ…もしかしたら、ないものねだりかな、オレたち」
「…んだな」

くくっ、と山形の肩に額を預けて笑う。
山形の口元がそっと弧を描くのを肌で感じる。

「なぁ、マジ悪かったよ、気分害させて。あとで何かうまいもん奢るわ」
「だから気にせんでええって」
「気にさせてくれって」

 

「あ、こんなとこにいた、山形──っとおっとぉ!」
「お」
「あ」

いきなりドアを開けて入ってきた上越が、目の前の光景に一瞬固まった。
まぁ、そりゃそうか…

「これはこれは──まさかの山陽×山形?!いや、山形×山陽か?」
「なんだよー、イイトコだったのにー、邪魔すんな上越」
「ああそう、それはごめんねぇ」

本気でない抗議に、本気でない謝罪が返って来る。

「…何かあったんか?上越?」
「うん、そろそろ西から遅延情報来てるから…東海道のご機嫌がコレでさぁ」

上越が、アタマの上でツノのように指を立てて見せた。

「で、秋田から山形探してきてって言われて」
「あ……」
「出たよ……」

山陽と山形は顔を見合わせ、そして互いの目で微笑んだ。

「さ、行くか、お姫さまが待ってる」
「ああ」

山陽はトン、と膝から降り立ち、手を貸して山形を立ち上がらせた。

「にしても、面倒くさがりの上越が探しに来るとはなー」
「あ、それはね、東海道に“出てけー!”って言われたから」
「って、お前ソレ既にあいつを怒らせてんじゃねえかよ!」
「あっはは、まぁソレはそれ、コレはこれ」
「こいつ!」

 

山形の腕を取ったまま、ぐいっと上越の首の腕を回す。
じたばた苦しげにもがく上越を無視って。

3人で肩を並べて、東海道のもとに──仲間のもとに向かった。

 

「おっ待たー、秋田―」
「…ん…」
「あー、良かったぁ、山陽。山形も帰ってきたぁ」
「上越、東海道にはきちんと謝ったのか?」
「ええっと…ねぇ東北、一緒に謝ってよー」
「…却下」
「山陽せんぱーい、さくらんぼの茎の結びかた、早くおしえてくださーい」
「ああ、そうだったな、よーし、見てろ、長野。あ、東海道ぉ、今日こそオマエも一緒に、ハイ、あーん♪」
「…くだらん…それよりも我々の目の前には立ち向かわねばならん事態が…」
「東海道、苛々すんな、アメなめっか?」
「ええい喋るな!山形!」

 

 

よく、余計なものが増えすぎるとバランスが悪くなるっていうけれど。
オレたちに限ってそんなことはない。

 

 

だって、オレたちはきっと──全員が互いに必要な者ばかり。

 

 

 

そして。

 

「どしたの東海道ちゃん?んな怖い顔して?」
「…山形の膝の上に乗っかってイチャついてたそうだな」
「げ!!!……あ、あんのぉ、上越…ッ」
「“りんごの花のような香り”がするそうじゃないか?」
「え?えっとー、えっとー、その」
「一体、貴様たちは陰でコソコソと何やっとるんだ───ッ!!!」
「わーん!助けてー!やーまーがーたー!」
「……(えー)」

 

…山形上官、しばらく別方面でも忙しくなりそうです。

 

 

 

 


END

 2008/6/11