「山陽…これ」
「おっ!?おいおいおい!何だ何だァ?!花が喋ってんぞ?」
「ふざけるな…お前も少しは持て、ホラ」
東海道が、両手を精一杯伸ばして、抱えきれないほどの花束を抱き現れたのは、0系上り最終運行を終えたばかりの新大阪駅ホーム。
いや、抱えいている、という表現は生ぬるい。
まさに花が歩いていると言っても過言ではない──
「いや、すごいねぇ!つーか、まだ0ちゃんこれから下りあるじゃん?お別れセレモニーには早いっしょ?」
「これは一般乗客からの花束だ…断るわけには行かないからな、すべて預かってきた」
「そういうとこ、お前らしい」
くくくっと笑みを漏らしながら、とりあえず呼吸をさまたげない程度まで花束をどかすと、ひときわ艶やかな花の向こうで、汗びっしょりの東海道がフーッと大きく息をついた。
「ご苦労さん、んじゃ、オレ半分持つわ」
「それで、どこに運べばいい?」
「え?お前、これ全部ココに置いていくつもりか?!」
「…?…当たり前だろう、これはすべて山陽新幹線、つまり西日本に贈られた花なのだから」
「何言っちゃってんのぉ!今日の0系にもらった花ってことはぁ、そりゃお前、東海道新幹線にってくれたも同然だろうが!」
「え?いや、しかし…」
「確かに、0系はリサイクルでオレんとこで最後を迎えるかもしんねーけど、みんなの頭にゃ、あいつは新幹線の象徴、つまり、お前とダブってるってこと。分かる?」
「…そう、か」
「そうそう、だからさ…お前が東京に持ってけよ」
「全部は無理だ」
「じゃあ、今抱えてる分だけ。持てる分だけ、な?秋田や長野もきっと喜ぶって」
「うむ…そうする、か」
そうして大の男2人で花を抱えたまま、少し離れた20番ホームを振り返った。
間もなく、あのホームから0系が最後の運行を迎える。
すでに営業運転は終わった。これはセレモニー的な「さよなら運転」だから、こだま号ではなく、ひかり号として。
正直、11月末の営業運転終了時は、まだこのセレモニーの準備があったからバタバタしていて感慨にふけることもできなかった。
でも、今日は違う。
本当に最後だ。
これから。
ホームで式典が催されて、出発の合図が鳴って。
そうして──
「…これから、堂々とあいつに会えるのは、博物館の中だけになんのかぁ…」
「名残惜しいか?」
「そらーもう。早々にリサイクルに出したお前さんと違って、オレっちは最後まで0ちゃんの面倒見たもんねー」
「人聞きの悪いことを言うな!あれは…」
「ハイハイ分かってるって。世界有数の利用数を誇る東海道新幹線だもんなー。“常に最新鋭の輸送手段を確保し、安全・正確・高頻度・高速をモットーに走り続けねばばらない!”…だろ?」
「本当に分かっているのか?」
「ありゃ?疑うの?」
「……そうではない」
「お、珍しく素直」
「……」
そんな軽口に噛み付くこともせず、東海道はただ静かに0系の入線しているホームを見つめている。
らしくねぇなぁ、と山陽は苦笑いした。
こいつがこんなだと調子が狂う。
自分まで、何かこう──胸が苦しくなってくるではないか。
「きっと東北たちが大事にしてくれるさ、な?」
息苦しさを拭い去るように努めて明るい声を出し、自分より少し低い場所にある東海道の肩に手を置いた。
その重責にそぐわぬ薄い肩に。
「オレも研修で何度か行ったけど、新しい鉄道博物館は素晴らしいよ。あそこに飾りゃあ、お客さんも大喜びだよ、なっ?」
「そうだな…これも西日本が無償で東日本に車体を譲ってくれたおかげだ」
「走り終えたあいつはもう西だけの新幹線じゃない、みんなの新幹線なんだからさ…当然っしょ?」
「…そうか」
「そのうち大宮でさー、開業当時そのまんまのあいつに会えるぜ」
「そうだ、な」
ただ、ひとつの違いは。
と、2人は同時に思った。
もうあの車体が風を切って走る瞬間が二度と来ないことだけだ。
「思えば昔は大変だったよなー、騒音だ電波障害だってすぐに怒鳴り込まれてよー」
「お前などまだマシだ。私がまだ1人で走っていた頃など、振動が酷くて日が暮れるとよく頭が痛くなったものだ」
「最高速度だって500系のざっと2/3だしさー」
「あれと一緒にしてやるな」
「でも、ビュッフェは気に入ってた。食堂車も。アレなくなったのは勿体なかったなー」
「ああまぁ…そうだな…仕方なかろう」
「まぁ、な。時代だ」
「そう、時代だ」
「禁煙も?」
「禁煙も」
「辛かったくせに」
「お前こそ」
「…ぷ…」
「…ふ…」
こうして話していても、思い出はつきない。
どんなに新しい車両がやってきても、どんなにカッコイイ車両がやってきても、いつだって特別だった。あの丸顔の古株新幹線。
オレの──いや
「──俺たちの0系」
ボソリ、と東海道が言葉を落とした。
「…東海道?…」
「すべてが、あれから始まったのだ」
「…うん…だな」
「それも、もう終わりだ」
「…おい、ンな言い方…」
すんなよ、と言いかけて、言葉を呑んだ。
「──!?──東海道──」
「…なんだ?」
“なんだ?”って──
なんだじゃないだろう。
花の向こうで微笑むお前の瞳からこぼれる涙を。
両頬を途切れなく伝う涙を。
一体どうしたらいいんだろう。
「…こんな気持ちになるなんて思わなかった」
東海道が、照れくさそうに泣き笑いを見せる。
「笑って見送れると思っていたのに」
「…大丈夫だよ、東海道」
「そうか?」
「ああ。お前、ちゃんと笑ってる」
そうだな。
いいんだよな。
もう。
誰にもわからなくていい。
この東海道の涙の意味を。
その重さを。
理解できるのはきっと世界でただ2人きり。
「山陽、あれはな」
「うん」
「あれはな、“夢”だったんだ──みんなの」
「…うん」
「──あのときから──多くの人々が──いなくなってしまったな」
「…ああ」
「俺が生まれたとき、見送ってくれた人々も」
「…ああ」
「お前が生まれたとき、万歳をしてくれた人々も」
「…そうだな」
「我々の足が九州にのびたときに涙を流して喜んでくれた人々も」
「でも、ほら」
うん、と手を伸ばし、花を撫でる。
そしてその向こうにいる相棒の髪を撫でる。
「その花をくれた人たちが」
「…ああ」
「オレたちと一緒に走り続けた人たちがまだまだいるさ」
「…そうだな」
「その後に生まれた人も、もっとその後に生まれた人も、ずっとこれから先に生まれた人も──」
「山陽」
「何?」
「…泣くな、みっともない」
「…そっか、ハハ」
山陽は用意しておいた2枚のハンカチを──自分と、そして東海道の分を手渡して。
しっかり目を顔を合わせて──にっこり笑った。
東海道も、笑った。
今日、確実にひとつの歴史が終わって2人の何かが終わるけれど、怖くはない。
何が起きようと何が始まろうと何が終わろうと何が変わろうと。
これから2人にもし別れるときが来てもそれはきっと新しくつながるための出発点だって信じられる。
走り続けられる。この身体がある限り。永遠に。
「おい山陽…」
「何よ」
「…こんなところで肩など組むな、業務中だぞ」
「いいじゃん、誰も何も言わねーよ、今日は」
「……」
「行こうぜ、皆が待ってる」
「…ああ」
「派手に見送ってやろうぜ」
「いいだろう」
そして東海道新幹線と山陽新幹線は、片方の腕にこぼれんばかりの花を、もう片方の腕には相手の肩を抱いて、ともにホームへと足を向けた。
なぁしってるか
あれはな
“ゆめ”
だったんだよ