*REAL*
「…なんだって…すまないが、もう一度言ってくれないか、上越?」
「だからさ…山陽が…九州のヤツをぶん殴ったって…」
「在来線をか!?まさか!そんな報告は一切受けていないぞ!」
「ああ、そのー、噂っつーか、今朝アッチから着いた夜行あたりから伝わったハナシで…」
「…そんなことは…」
怒る、とか、戸惑う、とか以前に呆然とした。
「だって…山陽だぞ」
我ながら間の抜けた意見だ、とは思う。
が、これはまったく本音だ。
あの山陽が。
何があってもさらりと笑顔で交わすあの男。
いつだって「なんとかなるでしょ」と、楽天的なムードを醸し出すあの男が。
これから新幹線の乗り入れが始まるJR九州の、それも在来線を殴りつけるだなんて。
「山陽!山陽はどうした!」
「たぶん…上の階に」
「くっ」
苛立ちながらドアにかけた手を、素早く山形が抑える。
「ちょっと待つべ、東海道」
「いやしかし──」
「東海道、今、秋田が情報収集に行ってる。彼、こういうの得意だからさ。もうちょっと状況が分かってから話を聞いた方がいいんじゃない?」
「う、む」
「落ち着け、お前が焦ってもどうにもならん」
「…む、そうだ、な」
上越や東北にもなだめられ、ようやく息をついてソファに体を沈めた。
確かに。もし本当だとしても、理由、が。何か理由があるはずだ。
あの男が、無用な暴力を振るうはずが無い。そんな姿、想像すらできない。
確かに何度も喧嘩をしたことはあるが──思えば手を出したのはいつも自分のように思う。
コッチがキレてぶん殴って──向こうが腹を立てて取っ組み合いになって──それでも最後は苦笑いで終わる。
そんなあいつが──
「お待たせ、事情分かったよ」
秋田がいつになく真剣な面持ちで、部屋に戻って来た。
「で、仔細は?」
「うん、殴ったっていうのは単なるウワサだった」
「…ああ」
やっぱり。取り越し苦労だった。一気に肩の力が抜ける。
「でもね、かなり派手に怒鳴り散らしてきたんだって」
「!?」
「へぇえ、山陽のダンナにしては珍しいんじゃない?」
「胸ぐら掴んで、すごい剣幕で、今にも殴りそうだった、っていうのが本当のトコみたい」
「一体、原因は何なんだ?」
「原因は、東海道の──」
「私!?」
色々な事態を想定して心の準備をしていたつもりだったが。
いきなり己の名を告げられ、まとまりかけていた思考が再びぐちゃっと音を立てて崩れた。
「東海道のね、その、悪口っていうか、中傷めいたことを、大声で喋ってたのがいて、そこに山陽がたまたま出くわして──」
“なめた口きいてんじゃねーぞこのガキ!”
“東海道と接続も並走もしたことねーくせに!あいつのコト何も知らねーくせに!いい加減なコトぬかしてんじゃねぇ!”
“次、同じコト言ってやがったら、叩き壊す!分かったな!”
「以上、報告終了」
「……」
事実は、受け止められる。
あの“つばめ”の支配下ならそんな輩もいるだろう。
しかしどうしても──烈火の如く怒る山陽、というものが想像できなかった。
「…あの男がそんなに真剣に怒るところなど私は一度も…」
「見た事ある、一度だけ」
ぼそり、と声を上げたのは、東北だった。
嘘だろう。この物静かな男が山陽と揉め事を起こすなんて──
「東北?まさか喧嘩を!?」
「違う、そうではなくて──もう10年以上も前の話だ──あの、三島駅の──」
「あ」
すぐにピンときた。思い出したくもない。
新幹線の安全神話が崩れ去ったあの日。あの人身事故。
「あのとき──山陽は1人で部屋にいた──たまたま声をかけた──そのときのヤツの怒りようときたら──」
“東海道が、開業からここまで、それだけ苦労して高速鉄道の基盤を作り上げたと思う?なぁ!?”
“速さ、乗り心地、そして安全性!──それを築き上げたのは全部あいつだ!なのに!”
“バカにすんな!駆け込みなんぞであいつの努力を水の泡にしやがって!”
「──正直、驚いた──」
「…そう、か…」
あのとき、自分はどうしていただろう。
事故処理、対外的措置、マスコミ対策…気が狂うような忙しさ…その他はあまり覚えていない。
もしかしたら、どこかに閉じこもっていたのかもしれない。
そばにはきっと、山形がいてくれたと思う。
──山陽、は?
“元気出せよ、いつかは起こることなんだからさ”
やはりそう言って微笑んでいた記憶しかない。
そしておそらく自分はそんなヤツに怒鳴り返しただろう。お前に何が分かる、とか。プライドがないのかお前は、とか。
何故だ。
何故、山陽はその怒りを見せてはくれなかったのだ。
「きっとね、彼特有の気遣いだよ、ね」
東海道の心を読んだように、秋田がそっと言葉を挟んだ。
「でも、本当は分かっているでしょ、東海道も」
「…何をだ」
「山陽は、キミのためなら、いつだって本気で怒る。怒れる」
「……」
「それが、山陽。違う?」
「……」
東海道は、返事の代わりに黙って立ち上がると、ゆっくりとドアを開け、階段の先を見上げた。
「…ここか」
「おー、東海道ー、お疲れ」
結局、山陽を見つけたのは屋上だった。
ここからはホームが良く見える。
今日も、さまざまな行き先の新幹線には、多くの乗客が乗り降りしている。
「山陽」
「何?…って…あちゃー、その顔だと…もしや九州の件?」
「そうだ」
「早耳だなぁ…まぁ、場所が小倉だったから…マズイとは思ったけど」
そう苦笑して頭をかく山陽は、やはりいつもの山陽で。
ほっとしたような、どこか寂しいような。
複雑な気持ちを抱きながら、並んで鉄柵にもたれた。
「…?…東海道ちゃん?…なんでそんな静かなの?…あ、もしかして、さっそくJR九州からクレーム上がった、とか?」
「…いや」
「そっか…でも、悪かった。オレ、大人げなさ過ぎた。ほんとゴメンな。ヘタすりゃ、お前だけでなく他のみんなにも迷惑かかるのに」
違う。そうじゃない。
俺が見たいのは、そんな弱った顔のお前じゃない。
俺が見たいのは──
「…馬鹿者!」
「は?」
「何だその様は!もし自分が間違ったことをしていないという自信があるなら、もっと堂々としていろ!軽々しく頭を下げるな!たとえこの私にでも!」
「えっ──えっと」
「いいな、山陽。貴様は何も恥ずべきことはしてない。クレームなど来ても、何百倍にもして叩き返してくれるわ!」
「うん…頼もしいねー、さすが高速鉄道の重鎮♪」
「次はうっかり、つばめでも殴ってコイ!」
「いやいやいやいや!どこのうっかりさんでもそりゃしねーべ!…てかお前、そんなキャラだったっけ?」
「責任はきっと西日本が取る!」
「ひでぇー」
いつか、本気で怒るお前の顔が見てみたい。
──というのは、それこそ俺らしくないのだろうな。
だから今はいつもの、その底抜けに陽気な笑顔で我慢しておこう。