初めに

この物語は、作者がこんな人生を送りたかったというコンセプトの時代・歴史小説である。サブタイトルをつけるなら「私の朝ドラ」。私が主役の朝ドラという意味である。(もっとも、朝ドラというのは大河になるほどの大業は成し遂げていない、という意味で朝の時間帯に放映できる内容ではない。詳しくは本文で)

1998年。「8時だJ」が放映されていた年から、この物語は始まる。タッキーが引退し嵐が活動休止宣言をし、わたし的には1つの時代が終わった観が強かった2018年末。当時の若者たちも立派な大人である。私は彼らより一回り近く年上だが、いつも若者たちに憧れていた。キラキラした時代だった。でも私はいつも周りより歳をとりすぎていた。今振り返ると、そういう時代だった。

私は占い師という他人の人生に影響を与えてしまう仕事をしている。時代には波がある。人生には分岐点がある。そこを間違うと、あとからとり返すのは結構大変だ。あの時、何を選択すればよかったのか、みたいなことを自分の人生で検証してみたいと思った。現実の私は、どちらかというと負け犬だ。でも負けることでしか得られない教訓もある。だから占い師になって相談者様と一緒に分岐点を検証するお手伝いをしてもよいのではないかと思った。私には教訓がある。でも私はもう若くない。もっと早く教訓を得られていればと思うからこそである。

今、時代はSNSが普及し、リアリティばかりが求められている。悩んでいる人はナマな事実を拾い集め、自分でその中から使えそうな教訓を削り出し、つなぎ合わせなければならない。だから、今回、私はただ事実を突きつけるだけではなく何か私なりの解決策を提示したいと思っていた。ちょうどその時、進化した人類が出現し、進化した人類の立場から現在の「ヒト」を見るという小説を読んだ。彼らから見ると「ヒト」は争いを繰り返す愚かな生き物だが、「ヒト」の中にもいい人はいる、みたいな話。そこにヒントを得た。

私が一番後悔しているのは、自分が、もっと自分のことを好きになってあげればよかったということ。
「私」のことを大好きな素敵な男の子という架空の存在を自分の過去に存在させ、その子の視点で自分の問題をみてみると、これが案外うまくいった。伝えたいことが伝えられそう。ナマな私の人生だけではおもしろくないだろうというのも、もちろんある。もう既にこの段落だけで論理が破綻している。自分を好きになるべきって言ってみたり、自分のことになんて誰も興味ないなんて言ってみたり。でも卑下と謙虚も紙一重なのだ。このようにコンプレックスの塊なので心理描写多めで、読む人に何かしらの哲学のかけらを伝えられればと思う。

最後に、、自分のことはもちろん相当美化しています。背景やエピソードは現実をちょっとお借りしましたので、その頃、私の周りにいらっしゃった人で、「これって私?/俺?」と思われる人もいらっしゃるかもしれませんが、人物はすべて私が作り出したフィクションですので、そこはご理解いただければと思います。

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