19.革命に目覚める(久美子)
2003年といえば、まず挙げられるのが「冬のソナタ」のブームであろう。韓国で放映されたのは2002年だが、日本ではNHKのBS2で放映されたのが最初。私は海外部だったので周りが注目するのが早かった。あと、私が個人的に挙げたいドラマは「白い巨塔」。これは唐沢寿明版。この時期に「白い巨塔」のリメイクというのも、今思えば、なかなかオツだったと思う。それをこれから紐解いていきたいが、中には年下の美少年をペットにするキャリアウーマンも現れた。(「君はペット」小雪と松潤主演)
去年の11月、例の同じ派遣先で、異例の人事が私の周りをざわつかせた。ヨーロッパの子会社の担当に国内の部署の人が抜擢されたのである。それまで海外駐在は海外部を経るのが通例で海外部→海外駐在→管理職というのがエリートコースだった。そして今年、私が違和感を感じたのは新入社員の女の子。あれ?今までと人事の好み変わった? 6月、株主総会後。海外部の解散が下々(しもじも)に告げられた。海外業務は各事業部に引き継がれる。この会社はデジタル化の波が押し寄せると、衰退しかねない産業だったのだ。下々(しもじも)が知っているのはこれだけ。去っていく本部長の挨拶は今でも覚えている。「私は、数字は理解できても、人の心は理解できなかった」ついえた野心。「白い巨塔」の財前と重なる。この風景も実は私の周りだけではなかったのかもしれない。黒船の来航が徳川の世を終わらせたように。私が幕末に目覚めたのはその時。一緒にお昼を食べていた、非常にクレバーな女性社員と一連の動きについて話していた時、「坂本さんは坂本龍馬みたいなこと言うのね」と言われたのがきっかけ。(ちなみに私の名字が坂本という設定なのも。。)
肩書きがなくなった夫と、果たして添い遂げられるのか?原因はそれだけではないだろうが、熟年離婚も増えてきた時期だった。そんな奥様方が冬ソナに、はまったのであろう。失われし青春。人生に本当に大切なのは安定なのだろうか?経済的な安定なんて、いつ崩れるかわからない。それならば、生きたいように生きるべきだったのではないだろうか?好きな人と添い遂げるべきだったのではないだろうか?(まあもっとも、冬ソナに、はまった人は、冬ソナにはまることで、そのフラストレーションを解消できたオトナな人がほとんどと思うし、あとは単純にヨン様のビジュアルに惹かれたとかそういうことだとは思うが)
ステレオタイプな生き方というものが、なくなった時期。2003年のヒット曲と言えば「世界に一つだけの花」。
私の実家でも革命が起こった。母親の方が父親より強くなったのである。父親は営業の才はあったと思う。だから独立起業したのだが、経営者としては、さっぱりだった。興味に偏りがありすぎる。母親が妻じゃなかったら、私たちは路頭に迷っていたであろう。母親は学生の頃、簿記を勉強し、上京してきてからは経理で働いていたのだが、彼女に、まあまあ会計のセンスがあったのだ。だから、結婚して専業主婦をしていたが、父親が独立起業してからは母親が経理を担当していた。父親は母親が自分の仕事を手伝うようになってからも家事は一切、手伝わない。縦のものを横にもしない。外食やコンビニ弁当も嫌いで、手作りのものを食べたがった。
子供の頃から思春期にかけて、父親に「母親みたいになれ、お前は気がきかない」と、さんざん言われてきたが、母親は、ちっとも幸せそうには見えなかった。景気が悪くなってからは、そういうことは成功してから言ってくれと本当に言いたかった。バブル期にちょっとうまくいったからって続かなければ意味はない。家事の一つも手伝えば、違う発想が浮かんだんじゃないのかな??
ただ、我が家の革命は極端すぎた。儒教国家からいきなり共産党独裁国家になったみたいな感じ。うちの母親はイエスマン好き。全部、自分の思い通りにしないと気が済まない。それが、うちの母親の本性なのだ。
おっと、途中からリアルの方の私が出ている。要するに父親と母親のバランスや関係というのは、あくまで父親と母親のものであり、「母親みたいになれ」というのが根本的に間違っていたのだ。母親が耐えられた理由はただ一つ。なんだかんだ言って父親のことが好きだったのだ。私には父親のような人は合わない。父親のような人は好きになれない。逆エディプスコンプレックスとでも名付けてみようか。頭ではわかっているのだが、いざ、対人関係となると身体に染み付いたものというのは、そうそう消えない。親子は仲が良くて当然、と思っているタイプを、うらやましく思ってみたり。 「アナと雪の女王」が公開されるのは、それから10年後。うちの親は、悪い親ではなかったかもしれない。でも、私が望む、たった1つの言葉だけは、くれなかった。それが「Let it go(ありのまま)」。ありのままの私を受け入れようとはしてくれなかった。こうすべきああすべき、女だから、ばっかり。これも我が家に限ったことではないのかもしれない。時代は変わりつつあるようでいて、1周まわって戻っているようにもみえる。
だが、私が小学校5~6年生の時の親友の女の子が、ありのままの私を愛してくれた。だから生きてこられた気がする。透のモデルに近いのは、この子かもしれない。何でもできる子で、みんなから一目置かれている子だった。その子が私を選んでくれた。人生ってそんなに悪くない。彼女が男の子だったらよかったのに。彼女とずっと一緒にいられたらまた違っていたのだろうが、私は勘違いしている親に私立の女子校にいかされる。花男の牧野つくし(どちらかと言うとマンガ(原作)の方。ドラマのほのぼのした感じではなく)のように。
20.料理の家庭教師(久美子)
9月。いい潮時なので派遣の仕事は辞めることにする。妊娠したからである。
新婚当時のようにならないように、透からは、せっかくパソコンを買ったんだからプチ起業をしてみたら、と勧められた。その前に、私が、イタリアに一緒に留学していた友達に言われた言葉を話したのが、 きっかけだった。「どうして勉強には家庭教師があるのに、料理には家庭教師がないんだろう?」 確かに。 お隣さんからタケノコもらったけど、これどうすればいいの?とか、恋をして、クッキーを彼にあげようと思い立ったものの、まったく膨らまない、とか、彼が病気でお見舞いに行きたいけど、お粥なんてつくったことない、とか、不器用な私にはニーズが山のように浮かぶ。
で、オチを先に言ってしまうと、これをリアルな私が何年間か続けた結果、今までの流れにつながる結論が出る。それは料理本にせよ料理教室にせよ、商品としてお金をとるためには、ある程度、凝った料理にしないといけないということ。それと、料理教室では、あらかじめ茹でておいたタケノコを使ってタケノコご飯をつくったりするが、生徒が本当に習いたいのはタケノコの下処理の部分なのだ。母親と仲の悪かった私は料理本や料理教室に頼るしかなかったので、必要以上に料理に難しいイメージ、苦手意識を持ってしまっていた。また、専業主婦はヒマだったのであろう。働く主婦が増えた結果、そういうものはニーズが減った。ありあわせで、ちゃちゃっとつくれる方が本当の料理上手なのだ。料理の家庭教師自体はすごく楽しくて、これは絶対、世の中にあった方がいいと思った。ただ、お客さんの住んでいるところもバラバラ、ニーズもバラバラ、女性1人のところに男性を行かせるわけにはいかない等、情報力が必要とされるビジネスなので会社が大きくないと無理だなと思った。ただ、キッチン用品や材料を販売したり等、収入源はいろいろ期待できるので、どこか大手がやったらいいと思う。(興味があれば相談乗ります。)ちなみに、その料理教室を宣伝する目的でつくったのが「恋するレシピ」というサイト。ここでは1991年~の恋愛ドラマトレンドの歴史とそこからイメージされるレシピを紹介した。私はドラマ大好き。ツイッターのドラマ仲間さんも増えて、今は楽しくやっている。この文章はその続きのような感じ。