1997

テーマ7:本当は、どんな相手から何を学びたいですか?

1997年。映画「ターミネーター」の世界でスカイネットが自我に目覚める年。現実の世界でも、いろいろなことがあった。

「先に生まれた」と書いて先生と読む。1995年頃からの数年間、先に生まれたことが何の意味も持たない時代だったなと、つくづく思う。パソコンや携帯電話の登場。新しいものを、いっせいのせで取り入れる場合、先入観もなく頭が柔らかい若者の方が、よっぽど覚えが早かったりする。IT社長も誕生していくし、新しいものは先にやったもの勝ち。
安室ちゃんに続いて、あゆ、倖田來未が登場するが、男ウケしそうなフリフリな衣装やセーラー服を着せていたアイドル時代と違い、周りのオトナたちは何がウケるのかよくわからず、ただ彼女たちに乗っかっているだけのように見えた。カリスマ店員時代。渋谷109とか。私がバイトしていた1993年はまだボディコン時代の名残があったけど安室ちゃんの登場で様変わりした。制服も、セーラー服よりミニスカートにカーディガンをはおるみたいなスタイルがカワイイとされていた。靴下はルーズソックス。眉毛も細かった。ギャルたちは、おじさんが欲得のためだけにつくったものなどには反応しない。パワフルな時代だった。

世間を震撼とさせた酒鬼薔薇事件が起きたのがこの年。犯人がまだ14歳で、当時の少年法が適用されてしまうことが衝撃だった。彼が嫌いだったのが「学校、先生、義務教育」といった言葉だったそうな。その後の刑事ドラマなどでも、たびたびテーマになる「なぜ、人を殺してはいけないのか」。彼の周りの大人は彼にそれを教えることはできなかった。専門家や小説家などは、だいたい2つの意見に分かれる。「彼らは私たちとは、まったく違う生き物で、そんなことをわざわざ教えなければいけないとは考えもしなかった」という考え方と「誰しも状況によっては、そうなりうる、逆を言えば、正しく導けば更生させることもできるはずだ」という考え方。私は基本的には後者だけど、どんな状況でも、その人が踏み外さない最低レベルというのはある、最低レベルは人によって違う、という意味では前者。2024年現在は詐欺や強盗が横行している。他人を、血の通った人間ではなく自分の欲望を満たすための道具としか思っていないなら、彼と発想は、それほど変わらないし、訳のわからない時代になってきている。世界のあちこちで戦争も起きているし。もっと、今までの教科書とは違う抑止力を考えなければいけない時代なのかもしれない。

さて、私の話。
1月。スキー場。こちらも1億総初心者時代だった。スノーボードの話。頂上付近に、みんな座り込んでいた。それから何年か後に、その渋滞がなくなったことに、しみじみしたものだった。
私は夏子と例のアウトドアショップの若者たちとスキー場にやって来た。ボーイッシュ作戦のため。高橋さんも当然、新しいスポーツ、スノーボードに興じていたので、練習するためにやって来た。スノーボードができれば一緒に行かれる。うまくなれば、かっこいいかも。

「あ、この間のお姉さん、来てくれたんですね。また会えてうれしいです」

クリスマスパーティの時に会った若者が、頬を染めながら私に挨拶してくれた。そう。クリスマスパーティの時の私は、奇跡的に「キレイなお姉さん」風に仕上がっていた。

「スノーボードをやってみたくて。よろしくね」

キレイなお姉さん風に返事をする私。その日のスノーボードの講師はその若者だった。まずは板の履き方とスケーティングの練習から。スキーより運びやすいし手軽だよねーとか言いながら。その後、若者と一緒にリフトに乗る。だけど、キレイなお姉さんもボーイッシュ作戦もそこまでだった。リフトは頂上の降り場に到着。

「え、え、どうすればいいの?こわ。キャー」

派手に転ぶ私。私、運動神経ないんだった。忘れてた。みんなの邪魔にならないよう、リフトの降り場付近から引っ張り出される。
若者「大丈夫ですから、怖がらないでください」
だが結局、スノーボードは私には無理だった。転びまくって疲れて、
私「あ、ちょうどいい所に背もたれがある。休もう」
若者たち「久美ちゃん、それ、ジャンプ用のコブです!!」
またしても、みんなに引っ張り出されたり。
そんなこんなで、1泊2日、奮闘したが、スノーボードは挫折した。
私「なまじスキーをやっちゃってるからかしらね。両足が固定されているということがまず恐怖だし。傾斜に対して背中を向ける時があるのも意味がわからない。ストックもないし。ブレーキがかけづらい。転んだら危険よね。ひっくり返って頭を打つかもしれないし」←弱い犬ほど、よく吠えるってやつ
若者「はあ・・・」(かなりイラッとしている)

笑いは一切なし。このコミュニティは、芸能界で例えるならLDH(エグザイルのところ)に近いノリだった。硬派な感じ。社長さんと何人かの社員は、客商売だし年上だし、一応、私たちには笑顔だけど、バイトの子に対しては体育会系だった。体育会系だけど、年齢よりはスキーにせよスノボにせよ、うまい方がリスペクトされるという実力社会のノリだった。だけど、私にとってよかったのは、当然、彼ら目当ての女子も何人も来ていたのだが、彼女たちもE-girlsみたいにみんなシュッとしていた。カワイイからとか童顔だからという理由で優遇されることもなく、みんな気がきく子ばかりだった。ある意味、大学の頃のサークルより平等である。E-girls、2024年現在は解散してしまっているけど、石井杏奈がSnowManの番組のダンス企画で活躍しているし、天然ぽいAmiですら、私の大好きなバス旅の番組に太川チームで出てた時、「気がきくなー」と思ったのを覚えている。ちなみに上で出てきた若者は、「レオン」のジャン・レノ風にストイックに毎日を生きていた。「レオン」は若き日のナタリー・ポートマンが出ている映画。

社長さん「スキーもやってるから、また来てね」
私「そうします。。スキーなら。。」(私、頑張る。E-girlsになってみせる!そうすれば彼氏できるかも?)←1997年の時点でE-girlsはまだいないけど。シュッとしたお姉さんという意味。
スキーは大学生の頃、友達に、何とか滑れるようにはしてもらっている。夏子もスキーの方がいいと言っていた。

さて、会社の方は。辞表は受理されたが、正社員というのは、すぐには辞めさせてもらえない。最終出勤日は4/15。1月に行われる社員旅行も強制参加。
高橋さんに、辞める前に何かすべきなのだろうか?占いを見たら高橋さんの星座の方に「ストーカーみたいな人につきまとわれそう。注意!」と書いてあった。

私「誰がストーカーだよ。。」

「ストーカー」という言葉が使われ始めたのは1996年頃から。自分を赤名リカだと勘違いした人たちが多数、あらわれた結果かもしれない。熱烈なアタックや相手の行動の把握や先回りといったものは、ある程度、好意を持っている相手なら有効かもしれないが、それ以外は、された方にとっては恐怖でしかない。
社員旅行は熱海。行くまではユーウツだったが、ほとんど同期と一緒にいたし、部屋も同期と美顔・豊胸先輩と同じ部屋で、他の先輩とは違う部屋だったので、それなりに楽しかった。高橋さんには結局、何もしなかった。占いにストーカー扱いされたので、二言三言、言葉を交わす程度。(その頃は占い師になるとは思っていなかった。)

2月。夏子とアウトドアショップの人たちとスキー場へ。今回はスノーボードじゃなくてスキー。スキーにした途端、メンバーは、おじさんと女子ばっかりだった。これと言ってロマンスもなかった。
坂井ちゃんから借りた「たまごっち」を遅ればせながら楽しむ日々。「たまごっち」が発売されたのは1996年の11月。流行りもの好きの坂井ちゃんは発売してすぐくらいに何個か入手してて、ようやく、飽きてきたものを借りることができた。

3月。純粋にスキーを楽しんでいる夏子とは裏腹に「また、おじさんばっかりだったら、行く意味ないなー、やっぱりスノボをやるしかないかなー」と、よこしまなことを考えながら、スキーに参加した私の前に現れたのが、ガンちゃんだった。ガンちゃんは、社長さんの彼女の幼なじみで、彼女の紹介でやってきた。社長さんの彼女がそもそも若いので、ガンちゃんも私より年下。彼のイメージは、まさにLDHにおけるガンちゃん的な感じなので、この名前をつけてみた。ちょっと怖くてストイックな人の多いコミュニティの中のソフトなキャラ。実は、クリスマスパーティの時にも、誰かの友達でカッコいい人がいて、本当はその人と会いたくて何回かスノボ/スキーに参加したのだが、すれ違ってしまい、再びその人に会えることはなかった。私にとってカッコいい人は、だいたい、コアメンバーではなく、誰かの友達で、たまにしか来ない。ガンちゃんは、当時の若者にしては珍しく、スキーを極めると言っていた。その頃、カービングという技術が出てきて、スキーの理論が従来と変わりつつあった。うまい人には、カッコよく滑る理論がいろいろあるのだ。運動神経ゼロ、理系感覚ゼロの私にはサッパリわからなかったのだが。ガンちゃんはアルバイトで来てて、10:00~15:00(お昼休憩あり)くらいまで初心者クラスの私たちの面倒を見て、朝とか夕方を自分の練習にあてるという日々だった。レオン(上のスノボの若者)と違って、とにかく優しい。「好きかも」くらいで、スキーシーズンは終わった。

4月。会社を去った。型通りな最後。これといったエピソードもなく。会社を辞めるのなんて、あっけないものである。
最後の、あすなろ会。
女の先輩「さびしくなるわー、ほんとにもう来てくれないの?私は坂本さん大好きなのに」
私「でも私、高橋さんの彼女じゃないし。。」 心の声(会社を辞めたら何の関係もない他人だし。。)
高橋「坂本は子供だからなー」

高橋さんと出会ったのは新入社員の頃だし、下も入ってこなかったので、高橋さんは何かというと私を子供扱いしていた。だけど、最近の私は若者たちと関わる日々で、オバサン扱いされないように気をつけていたので、高橋さんのその言葉はとても寒く感じられた。

温度差ありすぎて風邪ひくわ!(当時、フット後藤のギャグはまだない)

私が、高橋さんの彼女じゃないから、あすなろ会に行かないのは子供の理屈?というより、高橋さんの彼女が、あすなろ会みたいなものに参加するような社交性のあるタイプではないのではなかろうか?真実は確かめてないけど、、その理屈の延長で、高橋さんは結婚は私としてしまうんじゃなかろうか、私もそれを受け入れてしまうのではなかろうか、という危惧があった。高橋さんの彼女は子供が欲しくなかったり、高橋さんの親と、うまくやれなそうなアンニュイなイメージ。オトナだからケンカまではしないだろうけど、女の先輩やお姑さんが手放しで、かわいがるようなタイプではなさそう。高橋さんの実家は地方の名家だし、彼は長男だし、 その点は保守的だった気がする。まだまだ「嫁は若い方がいい」という偏見のある時代。私と結婚しておきながら彼女と付き合うんじゃないの?ダイアナ元妃のとこみたいに。(ダイアナ元妃が事故で亡くなったのは、その年の8月の終わりだった)何より、それを受け入れてしまいそうな自分が怖くて、高橋さん関連はバッサリ切ることにした。彼は去る者を追うタイプではなかった。まあいいや。私にはガンちゃんがいる。

4/16。無職初日。イタリアに行くのは9月で、辞めるの早すぎという意見もあったが、体調をととのえたいとか高橋さんとこれ以上、泥沼になりたくないとかいろいろあった。とは言え、やっぱり早すぎた。解放感はあったけど、特にやることもなくヒマな日々。自由と孤独。これは1996年リリース、今井美樹「PRIDE」の歌詞。自由というのは孤独なものなのか、と身をもって感じた。無職、どこにも属していない。私は同学年の友達の中では会社を辞めたのが早い方で、平日に行くとどこも本当にすいていて、自分はアウトサイダーなんだな、というのをしみじみ感じた。だけど、時代を追うごとにアウトサイダー人口はどんどん増えていった。私はその後の人生で、派遣をやっては契約を切られ、という日々を繰り返していたが、ちょっとバイトしようにも、フリーター人口が増えすぎて、シフトを週5日入れられないとダメ、という時代があった。お店も、今はお年寄りが多いし、働き方も多様化していて、平日に行ってもあんまりすいてなかったりする。(インバウンドもいるし)
結局、私は、大学生の頃にやっていた配膳のバイトに復帰させてもらった。だけど、ここにも不景気の波が押し寄せていて、前は10人でやっていたようなことを7人くらいでやらされ、毎日クタクタになった。後は語学教室に通う日々。時代だなーと思うのは、私のバイト先にも、日本語教師を目指して勉強している男の子がいた。(「PRIDE」はフジテレビドラマ「ドク」の主題歌でもある)かっこいい子で、仲良くなりたくて、仕事終わりに話しかけようとすると、反対側からゲイのおじさんが話しかけてきて、取り合いになった。彼は両方に、そつのない笑顔で交わしていたが、どっちにも興味なさそうだった。

ガンちゃんとは会えずじまいだった。アウトドアショップは夏季は主にスキューバダイビングをやっていたのだが、私は耳抜きができない体質なのでドクターストップがかかった。絶対禁止と相対禁止があって、相対禁止ではあったが、運動神経がないのでまず無理であろうという結論になった。
社長さん「夏になれば、ボディボードもあるから、落ち込まないでよ」

そんな訳で夏。(そこまでは語学教室とバイトの日々で特にエピソードもなく。。)ドラマ「ビーチボーイズ」(主演:反町隆史、竹野内豊、若き日の広末涼子も出演していた)が放送されていたが、私の夏も「海」な夏だった。イケメンも一応いたし。ボディボード教室に参加するべく、海にやってきた。夏子はスキューバ組なので別行動。カワイイ水着も買ってみた。ボディボード講師は1996の冬辺りに紹介したバーテン君。生徒は私以外は若い女の子たち。男の子も1人くらい、いたかな。バーテン君は女好きでソフトな性格だった。彼もコアメンバーより後に加わったバイトの子。夏子とは最初いい感じだったが、彼が軽薄すぎるので、その後、特に発展することはなかった。私は結構、仲良しだった。ガンちゃんの情報を得たいとかヨコシマな目的だけど。この回は特にバーテン君が私に、まとわりついてきた。というより盾にされていた。なぜなら彼がふった元カノがボディボード教室に参加していたから。私とバーテン君はそんな関係。

まずは陸の上で板の乗り方からレクチャー。その後、海の中へ。私は子供の頃、スイミングスクールに通っていたので、泳ぎは人並みにできる。海も好き。
バーテン君「波を見ることが大切です」
私「まるで人生のようね。。」
バーテン君「ちゃちゃを入れないww」
若い女の子たちはマジメにきいている。すぐに哲学に結び付けるのは私の悪いクセ?体力がないので、海の奥の方に行くのも一苦労。その日は結構な凪(なぎ)だった。

私「波、来ないね」
バーテン君「そんな日もありますよ」

まったく波が来ない。本当に私の人生のよう。。晴れ女なんだけどね。空は穏やかに晴れ渡り、みんなで何分もプカプカ海に浮いていた。

私「なんか、気持ち悪くなってきた。。」
バーテン君「波酔いかな」
私「あーちょっと無理かも。。私、休憩してくる」
そう言って、みんなの元を離れ、1人で海岸の方に戻り始めた、その時、
ざっぱーん!
波が来て、みんなスーッとボディボードで私の横を通り過ぎて行った。。
若者たち「楽しい~!」

バーテン君「今、いい波、来てたんすけどね。。」
私「どうせね。波に乗り遅れるのよ、私はいつも。。」

そうは言っても、その日が終わる頃には波に乗れるようにはなった。カッコよくはないんだろうけど、楽しい。ボディボード最高!だけど、サーファーは尊敬する。立つとか私には絶対、無理。
夜は夏子たちスキューバ組と合流。夕食後、軽く飲んだり。
「ガンちゃーん、久しぶりー⤴」
「と、レオンも、いたんだ。。⤵」(矢印は私の声のトーン)
夏子「そりゃ、いるでしょ。むしろ、外様は私たち。。」
話題になっていたのは、キス魔のお姉さん。すごくキレイな人で、酔うと誰彼かまわずキスをする。(本当に相手を選んでいないかは怪しいが。。)
客のおじさん「いいなー、俺もキスされたい」
社長さん「俺も」
レオン「彼女に怒られますよ!」
ガンちゃん「でも、いいっすよねー、俺もお姉さんにいろいろ教えてもらいたい」
私「!!」
そう、突然、思い出した苦い経験、サークルの頃の「後輩どうすればいいかわからない問題」、忘れてた。そうだ、年下と付き合うには、いろいろ教えてあげなきゃいけないんじゃん。どうしよう、私、何も経験値がない。。私も、もう25歳。しまった。もこみちさんでも高橋さんでも、1回くらいしとくべきだった??とりあえずこの問題は持ち帰ることにした。留学も近いし、いったん保留。特に何もなく、その夜は終わった。

次の日。とりあえずみんな波に乗れるようになったので、楽しみながら練習ということになった。更に上級者は回転したりするんだろうけど、私は楽しめれば十分。参加することに意義があるだけだし。(ガンちゃんに会うため)
「わーい、楽しい~!」
波に乗りまくる私。そこへ、ボディボード班を冷やかしに来たレオンがあらわれ、私の腕をつかんで、みんなの方へ引っ張っていった。
「何すんのよ!」
レオンいわく、そこは、この界隈で一番、サーフィンだかボディボードがうまい人の場所(縄張りみたいなこと)なのだそうだ。どおりで、周りに人がいないと思った。あの時代のあの地方だけかもしれないが、特に知り合いでもないのに、みんな何となく顔見知りになり、更に何となく、アイツの方が技術的に上、みたいなヒエラルキーができ、うまい順にいい場所を譲られていたという少年マンガみたいな話。あの時代っぽい気もする。渋谷とか池袋とか、いろいろあったし。私はちっとも気づかずに、ヒラヒラの水着でへらへら、トップの場所で楽しんでいたらしい。幸い、その日はトップは不在だった。
「えー、なんかやだー、海はみんなの場所じゃん」
縦社会に対して、あまり従順じゃない私。まあもちろん、私の理屈も然りで、海水浴の人たちで混んでいる時に、彼らが縄張りを主張することはないのだが、レオンは彼らと顔見知りなので、私がレオンの仲間である以上、そこにはいて欲しくないという理屈。だけど悔しい。
「じゃあ、私が一番うまければ、あの場所を使えるの?」
レオン「まあ、そうですね」
いいなあ、憧れる。運動神経よかったらなー。すっごくうまくなって、あの場所を使う世界線。もちろん、ヒラヒラの水着で。キムタクの、やる気がなさそうに見えて実はすごいうまいパラパラみたいなイメージ。少年マンガの世界を少しだけ体感した。入口にすぎないけど。

キムタクと言えば、ガンちゃんもロン毛で、タオルを三角巾みたいに頭につけていた。私はロン毛三角巾フェチだった。あと、バイト代で買ったG-SHOCKを見せびらかしていた。ガンちゃんはそういう子供っぽい感じが先輩たちにかわいがられるタイプ。G-SHOCK流行ってた。
当時、私が若者たちとカラオケに行く時用に覚えた曲がEvery Little Thingの「For the moment」。「Time goes by」は、もうちょっと後の曲。モッチーかわいかった。
それと、この年のヒット曲といえば、KinKi Kidsの「硝子の少年」であろう。KinKiの2人はロールプレイングゲームの主人公っぽい。仲間が慕い寄ってくる感じ。デビューするべくしてデビューした、ひつじ年の男の子たち。ひつじは前の時代を食う干支。
ガラスと言えば「ガラスの十代」とか、壊れやすいものの代名詞として使われていたが、あれから約30年。ガラスも進化し、今では強いガラスもあり、スマホや建築に使われている。

そんなこんなで9月。(たまたま)ダイアナ元妃の葬儀の日、私たちはイタリアへ旅立った。それにしても、ダイアナという希望の灯を失ったのと同じ年に、「ハリーポッター」シリーズ原作、第1作目が世に出たのは偶然なのだろうか?新たな希望の灯。イギリスにそんなに詳しいわけではないけど、当時の英会話の先生はイギリス人だったから、しみじみしたのを覚えている。

さて、イタリアの話。最初の1ヶ月目はシエナの学校で寮生活だった。午前中は料理、午後はイタリア語の勉強。日本人女性13人の集団生活。気は使ったが、部屋は個室だし、毎日、やることが多く、あっという間に過ぎていった。授業の他にもチーズ工場やハチミツづくりなどを見学したし、遠足にも行った。イタリアは南北に長いので、地方によって料理も様々で、いろいろな地方の先生たちから順番に教わった。パスタはいろんなかたちがあったし、手打ちパスタやラビオリ、ニョッキもつくった。あと、いわしのスパゲティも。ピエトロの絶望スパゲティみたいなんだけど、もう少し本場っぽい味。ティラミスも手作り。ピザ体験もあったけど、ピザは本格的に習うためには南に行かないといけない。トマトやキノコ、野菜も日本とちょっと違う。ルッコラやイタリアンパセリも日本のスーパーでは、まだほとんど見かけない時代。もちろん肉料理や魚料理も。私はトリッパの煮込が好きだった。トリッパというのは牛の胃袋のこと。私は、料理自体がそんなに得意じゃないまま参加したが、調理師の免許を持っているプロの人もいて、彼女たちは私よりも向上心が高かったり、いろいろな人がいて楽しかった。見るものすべてが新鮮だった。何より、まだ世界が今ほど暑くない頃、トスカーナ地方の秋というのは気候が素晴らしく、日差しは明るいが空気は澄み渡っていて、湿気がないというのは、こんなに情緒に影響を及ぼすものなのかと思った。学校は自然に囲まれていて、ほのかにハーブの香りがしたりして、生きているだけで幸せな日々。

2ヶ月目はホームステイ。いろいろな家庭があって、それぞれに合った家庭を選ぶことになるが、私はフィレンツェのサッカー少年のいる家庭にした。サッカーに興味があったから。フランチェスコ16歳。パパとママと、あと猫と犬が1匹いて、犬より猫の方が偉そうだった。パパも太ってるし、猫も太ってる。ご飯がおいしい証拠?「クミコもそうなるわよ」と言われた。
こちらも、やることがいっぱいあって、あっという間に過ぎていった。本当はママから家庭料理を習う企画なんだけど、私は日数の半分以上、外に遊びに行ってしまった。だってせっかくフィレンツェにいるのに。ママも「その通り」と言ってくれた。ドゥオモ、ウフィッツィ美術館、ピッティ宮殿etc.フィレンツェは見るものが尽きない。だけど、本当の醍醐味は、観光客があんまり行かないような場所で、素敵な教会やお店を見つけたことだろう。フランチェスコのサッカーも見に行ったし、セリエAも見に行った。応援するのはもちろんフィオレンティーナ。ロナウドがインテル・ミラノにいて活躍しまくっていた頃。サッカー通訳をやれたらいいな、と思って、サッカー雑誌を買ってイタリア語を勉強した。イタリア語の前にサッカーを勉強しないといけなかったけど。各チームのフォーメーションと戦術が解説されている雑誌で、今、ツイッター(X)でサッカーを見ながら、ああだこうだ言っているのは、この時の受け売り。あの頃のイタリア選手は最高。バッジオとか、デルピエロとか、ちょっと不良っぽい感じでカッコよかった。チームプレーにもよさはあるんだろうけど、私はやっぱりファンタジスタが好き。

そんな訳で、こちらも楽しい日々だったけど、フランチェスコは多分、反抗期だったんだと思う。夕食はだいたい家族揃って食べてたんだけど、いつもママとケンカしていた。だけど、話は半分くらいしかわからないし、「ちょっとー、私がはるばる日本から来てるというのに、やめてよー」と思って邪魔してやった日々だった。例えばこんな感じ。

ママ(もちろんイタリア語)「昨日は夜遅くまで、どこを、ほっつき歩いてたの?」
フランチェスコ「うるせえな。関係ねえだろ」(←とか何とか、そんな感じの会話をしてたんだと思う。わかんないけど)
私「わたしは、きょう、ジェラートをたべました」←ブラビのビビアンみたいな感じ。文脈無視のカタコトイタリア語。
ママ(私に→)「そう、よかったわね」(フランチェスコに→)「関係なくはないでしょ。あなたはまだ16歳なのよ。勉強もあるし、将来のことを考えないと。友達も選ばないと」
フランチェスコ「友達のことを悪く言うなよ」(←多分、そんな感じ。16(sedici)と、友達(amici)という単語がききとれたような)
私「イチゴあじ。おいしかた」
吹き出すフランチェスコ「おいしかたじゃなくて、おいしかった、ね。どこの店?」
私「その店はドゥオモのちかくの店です」
フランチェスコ「ああ、あそこね。あそこはチョコレート味もおいしいから、今度、試してみて。」
私「ためす?何?」
フランチェスコ「トライ、チャレンジ」
私「ああ。わかりました。私は試します」
「通じない」って最強。案外、フランチェスコの情操教育にもよかったんじゃないの?と勝手に思っている。

ママは典型的なイタリア人で、中国人と感覚が似ている。相手にお腹いっぱい食べさせないと恥ずかしいと思っている。なので、私が最初に(頭で考えるのではなく)身につけたイタリア語は
「Basta!」(もう要らない。十分です)だった。あと、せっかく、着物とか天ぷらとか日本文化を勉強していったのに1つもきかれなかった。ある日、私がママに
「ママは、なんで私がイタリアに来たのか、きかないの?」ときいたら
「イタリアは世界で1番なんだから、世界中から勉強に来るのは当然よね」と言われた。
さすが。それが嫌味にきこえないのがすごい。大ローマ帝国にルネッサンス芸術。イタリアは学ぶべきものがたくさんあるもんね。
あと、バスの中で、子供が口をあんぐり開けて、私の顔をじーっと見ていて、母親に「やめなさい」と言われていた。彼は「平たい顔族」を見たのが初めてだったのだろう。私は平たい顔族の中でも、まずまず平たい方。イタリア人の彫りの深さと比べたら、つくりかけにしか見えなかったのかもしれない。(「テルマエ・ロマエ」が大人気になるのはもうちょっと先の話)
パパはパン工場に勤めていて、10月はクリスマス用のパネットーネづくりが始まっていて忙しかった。私もパン工場を見せてもらった。パネットーネも、もらった。
それともう1つ。実はこの時、タロットカードも購入している。タロットは、諸説あるが、ルネッサンス期のイタリアが発祥ではないかと言われている。何となく買ったんだけど、それから20年くらい後、私は占い師になっている。この時に既にタロットの神様に呼ばれた?とはいえ、私が今使っているのはウェイト版というバージョンで、その時、買ったのはマルセイユ版ぽい絵柄。ウェイト版の方が使いやすかったので、そっちを使っている。

11月下旬。日本に帰ってみると木村拓哉、松たか子主演「ラブ・ジェネレーション」が流行っていて、完全に波に乗り遅れた。リカっぽいんだけど、リカじゃない、最後は今度こそ、ハッピーエンド?って感じで、毎週、「どうなるのー??」ってドキドキしながら見たかった。あとでビデオで見たけど。
あと、GLAYの「HOWEVER」とSPEEDの「WHITE LOVE」も、私がイタリアに行っている間に流行っていて、ちょっとした浦島太郎感だった。たった2ヶ月ちょっとだというのに。
GLAYと言えば、私にとって衝撃だったのは、1996年発売「BELOVED」も、そうだけど、2人称が「あなた」だったこと。それまでの2人称はだいたい「君(きみ)」。「君」でも、まだいい方で下手すりゃ「お前」だった。「あなた」って、女性をすごく大切にしている感じ。GLAYのTAKUROって、そんな感じだもんね。大切にしてくれそう、と思ったのを覚えている。服装もジャケットとか、ちゃんとしてる。実はパート1の方の藤井透が語る1人称を「僕」にするか「俺」にするかで迷ったんだけど、何となく、このGLAYの「あなた」っぽいテイストで「僕」にしてみた。でも、GLAYの1人称は俺だったらどうしよう。。厳密に検証してないけど。。今見たら、「誘惑」は「オマエ」だった。まあそうよね、世界観は曲によって違うだろうし。だけど、なんでカタカナ?ちょっと照れくさかったのかな。「お前」とか言っちゃった、テヘ、みたいな。「Winter, again」も「あなた」。私の好きな曲。

山一證券が経営破綻して、社会に衝撃を与えた。これも時間が経って、いろいろな話がでてくるけど、直後によく言われたのは、大手企業は潰れないという神話が崩れた、みたいなこと。社員7500人が失職。世の中、どうなるかわからない。やっぱり、やりたいことをやってよかった。会社にしがみついていても仕方ないと思ったのを覚えている。

12月。アウトドアショップのクリスマスパーティ再び。なぜか私は帰国子女ぶりたいらしく、キス魔のお姉さんのマネをして、いろんな人にハグしていた。もちろん相手は選んでいる。我ながらイタイ。夏子にとっては運命の日だった。私たちの目の前に、夏子の将来のダンナ様になる人が現れた。

時差ボケというのは、なかなか治らず結構ツライ。日本とイタリアの時差は8時間。行った直後はサマータイムで7時間で、途中で冬時間になった。時差ボケでボーッとしてたら、母親にキレられた。
「働くか、結婚するか、どっちかにしなさい!」
ごもっともなんだけど、言い方キツイのよね、うちの母親。前の会社の同期の男の子にも、会社を辞めるって言った時、
「イタリアに行ったくらいで、どうにかなると思うなよ」
と言われた。まったくその通り。イタリア語がしゃべれると言っても、カタコトの日常会話レベル。仕事にはならない。だけど、会社にウンザリしている友達からは
「すごいよー」「勇気あるよー」「イタリア楽しそう、話きかせて」とチヤホヤされていたので、自分を非凡な何かだと勘違いしていた。

マスコミ、受けてみるか。

という訳で、パート1に出てくる出版社を受けてみた。バイトだったけど頑張って気に入られて社員になれないかなーという野望があった。面接で私を採用してくれたのは渡辺さんだけど、後からきいた話だと、彼女はバイトから契約社員になったばかりで、一番、普通でマジメそうな人を選ぼうと思っていたそうだ。一応、「イタリアに行きました」というエピソードもおもしろかったからとは言ってたけど。マスコミは実はそんなもの。裏方は結構、地味だったりする。地味な状況でもコツコツやれる人が、案外、重宝される。その頃の私は、まったくわかっていなかった。でも、これはマスコミあるある?というより、その頃の採用担当で誰よりもマトモだったのが渡辺さんだったのかもしれない。面接で夢を語らせておいて、出る杭を打つ組織のいかに多いことか。。渡辺さんの(コツコツやって欲しいという)期待に応えられたらよかったんだけど、私は、マスコミに入れたことが嬉しくて、大学のサークルの時に一度、反省したはずなのに、また悪目立ちと空回りを始める。

安室ちゃんは「CAN YOU CELEBRATE?」で紅白のトリを飾り、産休に入っていた。自分より若い子が結婚とか、すごく落ち込んだ。友達にも結婚話が出始めていた。私の唯一の宝物、友達が、みんな誰かの奥さんになっていく。私はどうするべきなんだろう。楽しい時間は永遠には続かない。

目次へ

TOPページへ