1995

テーマ5:キャラってリセットできますか?

1995年。いろいろ大変な年だった。1月には阪神淡路大震災があったし、3月には地下鉄サリン事件があった。この2つは大事件すぎて、今さら私が語るまでもない。この物語的に注目したいのは
「Tomorrow never knows」ミスチル(桜井さんが崖の上で歌っているPVでおなじみ)と
「TOMORROW」岡本真夜
ミスチルの方がリリースされたのは1994年。「明日のことなんて、わからない」なんて言っていられるうちは平和なのかもしれない。(←ただし、私はこういうアンニュイな歌が好きではある)人は事件が起きて初めて、今日と同じ明日が来ることの、ありがたさがわかるのだ。岡本真夜の方は1995年リリース。震災を意識して書いたわけではない(震災の前につくられた)曲らしいが、人々を勇気づけて大ヒット。大文字だし。
明日は来る。アスファルトに咲く花のように強く生きていくのだ。

2月。私は卒業旅行に行った。行き先はトルコ・ギリシャ・イタリア。トルコだけはツアーで、ギリシャとイタリアは自由旅行。当時はまだネットもないし、海外旅行者のバイブルと言えば「地球の歩き方」。今(2024年)でも「地球の歩き方」は本屋で見かけるが、ネットで調べたらダイヤモンド・ビッグ社から学研に譲渡されたらしい。
私にとってはかなりの冒険だった。でも1年生の時のクラスの女友達と5人で行ったので心細くはなかった。私たちは料金を安くあげるために悪名高き?「アエロフロート」で行った。トランジットでモスクワに1泊もした。(戦争が起こり、モスクワを経由できないのはそれから30年近くあとの話)行きのモスクワ ー アンカラ便は私たち以外、日本人はいなかった。なぜか自由席状態でみんな勝手に座りたいところに座っているので、仕方なく空いている席に座った。トルコは「THE異国」だった。なんかすごい所にきちゃったなーって感じ。イスラム教のモスクとか。でもトルコ人はイスラム教といってもテキトーな人が多いらしく、ツアーガイドの人も「日本に行ってチャーシュー麺食べました。おいしかった」とか言ってた(イスラム教では豚肉を食べることは禁じられている)。アンカラからカッパドキア、コンヤ、パムッカレ、エフェソス遺跡などを回った。入口で解散し、出口で集合なのだが、
ガイドさん「じゃあ、集合は日の沈む頃で」
とか、なんとも雄大。まあ、一応、自由行動のかたちはとってるけど、みんな同じ方向に進むだけだし。というか、横道にそれたら遭難しそうなくらい、周りには他に何もない。今はあの頃よりは開けてるのかな?ツアーの最後はイスタンブールで、ツアーの人たちはそこから日本に帰ったけど、私たちはギリシャに移動。
その後、イタリア。イタリアはローマ、シエナ、フィレンツェ、ベニス、ミラノを回った。
ローマではジプシーの子供たちにコートのポケットの中身をすられたが、手袋とかチョコとか、しょうもないものしか入っていなくて、「要らねえ」と返された。貴重品はショルダーバッグを肩からかけ、その上からコートを着ていた。ミラノではレストランで食べた手長エビのパスタが、エビのダシがきいてて、パスタもリングイネか何か、スパゲッティよりは幅広なやつでパスタとソースがよく絡んでいて、その時点での人生おいしいものランキング暫定1位に輝いた。その頃はそんなにおいしいものを食べてなかったからというのはあるが。うちはほとんど外食をしない家庭だったし、友達とのご飯も、みんなお金がないから安い店だったし。他にもいろいろおいしいものがたくさんあってイタリアに目覚める。オードリーの若林が「パスタ」って言えない頃より、前の時代。日本で「イタ飯(メシ)」ブームはあったけど、和食に例えると「スシ、テンプラ」くらいの理解度だったと思う。素材もよくなかったり。

3月。今まで先輩たちを見送ってきたが、ついに自分の番である。引退試合、卒業式、その後の飲み会、追いコン(追い出しコンパの略。イタ飯並みのセンスの言葉)と、飲み会好きにはイベント盛り沢山。去年の夏合宿以来またサークルからは遠ざかっていたが、自分たちの卒業イベントともなると、4年生もみんな来るだろうし、話は別。

(去年の夏合宿、何だっけ?そうだ。純粋キャンペーンで笑いをとったんだった。今回もそれでいってみる?)←私の事前脳内作戦会議。

引退試合後の飲み会。同学年の女友達と、後輩に囲まれている。
(さあみんな、私をいじってくれていいのよ。おもしろくしちゃって)←私の心の声
後輩男子が(私ではなく)女友達に
「先輩、憧れてました。お話、してみたかったです。近くで見ても、やっぱり、おキレイです」
女友達「やだ~、何言ってるの?」
私(何これ?)

卒業式。みんな袴を着ている。
後輩男女「先輩、一緒に写真撮ってくださ~い!」(私ではなく、女友達に)
私(・・・)
そう。4年生ともなると、いじられている場合ではない。憧れられているのだ。初代「きれいなお姉さん」水野真紀の頃。

(タイム!集合!作戦会議!)←トイレに駆け込む。再び脳内会議。

夏合宿の時は、OBが夏休みをとって遊びに来ていたので、飲み会はほとんど先輩か同学年の子たちだった。あの頃とは全然、状況が違う。作戦失敗!

卒業式後の飲み会。引退試合の時よりは状況が見えてきている。4年生女子と同じ席は、最近ではあまり会えなくなっていた彼女たち目当ての子とか落ち着いた感じの後輩が多い。隣のテーブルは4年生男子と後輩たち。隣はいつも通りの大騒ぎ。とりあえずそっちに移ってみる。ゲームをやっているようだが、夏合宿の頃よりもう少し体を張る感じの、今でいう「熱々おでん」みたいな
感じのゲーム。
私の隣の席の男の子「やべぇ。おもしろすぎる!」
後輩がほとんどなので私がゲームに強制的に参加させられることはない。気は使われている。隣の子はゲームに夢中で一緒に話すという感じではない。その中で、ひときわ輝いていたのが同じ4年生の女友達、美幸。同学年の男の子たちと仲のいい、お母さんタイプでサバサバした女の子。熱々おでんゲームでめちゃめちゃ盛り上がっている。
(私もゲームに参加するべき?いや、でも。。)←葛藤している
1995年当時、まだそっちに入っていく勇気はない。勇気というより覚悟かもしれない。まだ、3枚目に徹する覚悟はなかった。女芸人。山田邦子とか野沢直子とか、いるにはいたけど、まだまだ少数派。結局、きれいなお姉さん側、熱々おでん側どちらにも入れず、1人ポツンとしていた。熱々おでん側の美幸は「先輩、サイコーっす!」「また、一緒に飲みたいっす」と、後輩たちに慕われていた。いいなー、やっぱりあっちを目指すべき?
1992のところで「人気があるのは、あざとカワイイ、天然、童顔」みたいなことを書いたが、それは先輩/同学年編で、後輩に人気があるのは、やっぱり「明るい、元気、おもしろい」といった陽なキャラ。きれいなお姉さんは、みんな好きだが、「人気」となるとまたちょっと違う。
(ダメだ。私は陽な要素1個も持ってない。。後輩どうしたらいいかわからない。どうすればいいのーーー??)
その日は結局そのまま終わった。相変わらず中途半端な私。
2024年の今思えば、きれいなお姉さん側のテーブルで話している時、私が天然でボケた時、「ん?」っていう、どう処理していいかわからない、みたいな空気が後輩に流れたのだが、そこで「いじれよ!児嶋だよ!」って言えたらよかったんだろうな。こちらが欲しがっている姿勢を見せないと後輩はこない。お笑いでも後輩にいじられると怒るタイプもいるみたいだし。児嶋感を出せたらよかった。そう考えると児嶋って、すごい。
だけど、これこそが新時代だったのだと思う。新時代のキーワードは「等身大」。篠原涼子が1994年7月に、小室哲哉プロデュース「恋しさとせつなさと心強さと」をリリースして大ヒット。彼女は今でこそキレイなお姉さんの代表格だが、東京パフォーマンスドールでデビューした頃は何にでも体当たりで取り組んでいた。

追いコン。そんな感じでいろいろあったけど、最後となると感慨深い。大騒ぎというよりは、いろいろな人としみじみ話をして終わった。オールナイトをしたのだが、その後、更にお昼くらいまで美幸とモスバーガーでしゃべった。高校を卒業した時のテーマ曲は完全に尾崎豊だったけど(支配からの卒業~)大学に入って、どうにかユーミンになった。彼氏はできなかったけど。(あなた("たち"を付けたい)は、私の青春そのもの~)

4月。新社会人になった。一番、下っ端に戻ったので、「後輩どうしたらいいかわからない」問題は、当分考えなくてよくなった。せっかく、後輩に新しい時代の風を感じていたのに、昭和に逆戻りした。
美幸は「会社の人と飲みに行ったんだけど~、ビックリしちゃった。話にオチがないの!」
と言っていた。話にオチがあるのが普通か、ないのが普通かは議論の分かれるところだが。
私が入社した会社はIT系商社だが、IT系といっても令和の子たちにはかなり説明が必要。当時はまだオフコンの時代。オフコンというのは、黒い画面に緑色の文字の、今だとプログラマーくらいしか使わないような画面のやつ。そこにGUI(グラフィカルユーザインターフェース)とビットマップという今のパソコンを登場させて一時代を築いたのがスティーブ・ジョブズとビル・ゲイツである。ウィンドウズ95が登場して、日本でもメジャーになった。
プリンターもまだ今のようなレーザープリンターではなくドットプリンターで、複写式の伝票を使っていた。契約書とかで見かける、カーボンで上に書いたものが下に写るやつがミシン目でつながってて、印刷した後、1枚1枚、切り離す。多いのは売上伝票-納品書-請求書の3枚つづり。私は子会社で、親会社がオフコンのプログラムをつくっているお客さんに、そういう複写式の伝票とか、インクリボン(当時はトナーではない)とか、社名入りの封筒とか、そういうものを売る営業事務をしていた。あとはプリンターやコピー機を売る(リースだったかも)部署もあったし、ワープロもまだ、ワードとかのソフトではなく、ワードプロセッサーだった。富士通オアシスとか。富士通が、自分たちのワープロのためのブラインドタッチ「親指シフト」なるものをつくっていたが、完全なる覚え損だった。
だけど、1994の就職活動のところを読んでくださっている方は、「あれ?経理じゃなかったの?簿記とか言ってなかった?」と思われるだろう。まさにその通りなのである。これは後から知ったことなのだが、取り違え事件が発生していた。私は坂本だが、新入社員にはもう1人、坂井がいて、坂本と坂井がいた。常務が配属発表の時、その坂本と坂井を言い間違えたのだ。親会社の社長がいたりする公式な場面での失態だったので、それがそのまま採用されてしまった。その時は、簿記はあくまで就職するための手段にすぎず就職できれば何でもいいや、と思っていたのであんまり気にならなかった。そのことが気になり始めたのは、しばらくしてから。私も坂井ちゃんも、私は経理の先輩、坂井ちゃんは私の部署の仕事の方が合っていた気がする。赤ちゃん取り違え事件の子供たちって、こういう気分なのかな。それとも、取り違えられてこの部署に配属されるところまでが、私の運命の筋書きだったのだろうか?転職は基本的には経験のある仕事しかできない。新卒のこの時期が人生をかなり左右するというのに。2時間サスペンスだったら殺害動機になるやつ。
私は「あのじいさんが私から未来を奪ったのよ!」
とかなんとか、崖で告白しないといけない。常務は、若い頃はやり手だったんだろうけど、私が知っている常務といえば、居眠りしてるか、痰を切る音がうるさいか。痰に関しては、あまりにもひどすぎて、遂に、係長がみんなのために朝こっそり「痰はトイレで」という紙を常務の机の上に置いておいたという。。
まったくもって昭和だった。まだ「お茶当番」があった。毎朝、男性の皆様にお茶を入れてさしあげるのだ。みんなマイカップを持っていて、どれが誰のか覚えなければいけない。常務は魚へんの漢字がいっぱい書いてある湯のみ、とか。更に、お茶当番以外にも、たまにコーヒータイムがあり、フィルターで落とすとか実にめんどくさかった。あきらめてコーヒー淹れながら坂井ちゃんと給湯室でしゃべってると「コーヒーが落ちるまでは席に戻って電話をとれ」とか「何とかさんはコーヒーが苦手だから紅茶ね」とか、いろいろくだらなすぎた。コーヒーなんて、飲みたい時に自分で飲めばいい。逆に、私がすんごい忙しくてパニックになっている時に、書類の、ど真ん中にコーヒーを置いていった奴がいて、コーヒーひっくり返し事件も2回くらいやらかした。台帳にぶっかけたので、しなしなになったのを1枚1枚干して乾かしたが、コーヒーなだけに乾いた後も茶色はとれず、古文書みたいになっていた。
電話も3コール以内にとらないと怒られた。私が忙しい時に坂井ちゃんがヒマで、代わりに電話をとりまくってくれてたら、先輩には「ねえ坂本さん、さっきから坂井さんばっかり電話とってるんだけど。あなたもとりなさいよ」と怒られたり。
私は気がきかなくて、直属の先輩からは

「坂本さんて、よく言えば、芸術家タイプよね~」と言われた。

私(悪く言えば何だよ??)
怒られても「すみません」という気分にはならなかった。私はこんなことをさせられるために、夢のない自分を反省していたのだろうか?

そんな4月-6月期に流行っていたドラマといえば、酒井法子主演「星の金貨」。主題歌は酒井法子の「碧いうさぎ」。私の歴代、好きだったドラマベスト5には入るのだが、最近の日テレはどうも再放送力が弱いので、語り継がれるというほどにはなっていない(のりピーがいろいろあったというのはあるが)。もっと語り継がれてもいいと思う。このドラマのすごいところは、当時まだそれほどメジャーではなかった大沢たかおと竹野内豊が抜擢されたこと。スタッフが相当、発掘力があったのだろう。お昼休みによく話題になったが、大沢たかお演じる秀一先生派と、竹野内豊演じる拓巳先生派に分かれていた。私は断然、拓巳先生派。その頃は「ヤンチャで遊んでいるが本当はさみしがり屋で、自分だけには優しい/心を開いている」という設定に弱かった。秀一先生派で覚えているのは「美顔・豊胸先輩」。私たちの2個上、入社3年目で、もともとキレイで男の人にも人気があったが、文字通り、美顔と豊胸にエネルギーを注いでいた。坂井ちゃんも美顔・豊胸を勧められたらしいが、私は勧められなかった。素質がないと思われたのだろうか?「美顔・豊胸先輩」が好きだったのは秀一先生とKinKi Kids(当時はまだCDデビューしていない)の光一君(家なき子2に出ていた。金田一少年もドラマ化されたし、KinKiの知名度はこの頃から高かった)。そう、「星の金貨」の頃の大沢たかおは、役のイメージではあるが、光一君と同じカテゴリーだった。今言っても通じないかもしれないけど。いわゆる「やさしい王子様」タイプ。「美顔・豊胸先輩」は美しいものが好きなのだ。(小坂明子の「あなた」のイメージ。真っ赤なバラと白いパンジー、子犬の横にいて欲しいタイプ)
更に7月-9月期に流行っていたのが、豊川悦司・常盤貴子主演のTBSドラマ「愛していると言ってくれ」。主題歌はドリカムの「LOVE LOVE LOVE」
この2つのドラマ、耳のきこえない主人公、というテーマがかぶっている。AIに「どっちが真似したんですか?」ときいてみたら、「おっしゃる意味がよくわかりません」と言われた後、「何か象徴的な出来事があってテーマがかぶることはよくあります」と諭された。似ているから真似だと思うのは人間の愚かさらしい。AIによると1995年は障害者基本法が改正された年だそうだ。そうは言っても、それが正解かどうかは当事者しか知るよしもないが。「1995年には手話が広まりました」とも言われたけど、手話が広まったのは法改正されたからではなくドラマが流行ったからよね。新しもの好きの坂井ちゃんも手話を習うと騒いでいた。因果関係が入り乱れている。象徴的な年だからドラマができたのか、ドラマやその後の話題も含めて象徴的なのか。
それにしてもウィンドウズ95が発売されてから30年くらいしか経っていないのに、AIとこんな会話ができる日がくるとは。逆に30年近く経っても、やはり「silent」というドラマが流行ることになる。キャストや演出など流行った理由はいろいろあるだろうが、技術がどんなに発達しても、「思いが伝わらないもどかしさ」というテーマは、耳がきこえる/きこえないに関わらず、人間である限り永遠不変のものらしい。

5月。新都知事になった青島幸男が東京臨海副都心で開催される予定だった世界都市博覧会の中止を決定する。「初めに」に書いた、「東京の風水を考える」というテーマをあまり掘り下げられていないが、この出来事は私の中では割と象徴的。東京が、海に手を出そうとすると呪いが起きる。公式な理由は、計画された後、開催までにバブルが弾けたからとか被災地にインフラを回すため、と言われている。東京オリンピックも普通に開催されていたら、観客は船で移動できるようになる、とか言われてたし、湾岸の開発ももっと進んでいたであろう。

6月。既に会社には嫌気がさしていて、英会話を習い始めた。英語以外にもいろいろな言語を教えている学校で、いずれ英語以外の言語も習ってみようと思ってそこにした。
英会話教室でも、また就職活動と同じモラハラ(←当時その言葉はまだないが)を受けることになる。授業の最初に先生が毎週、
「What did you do last weekend?(あなたは週末、何をしましたか?)」ときくのだ。
「Nothing(何も)」と言ってやりたかった。

仕事で疲れて寝てました。まったく。何かしなきゃいけませんかね?

何かしなきゃと思って英会話は始めたものの、仕事とか職場の飲み会とかが忙しく、また大学生の頃のように、こなすだけの日々になっていた。グループレッスンだと、みんなの時間を使って延々と自分の週末の話をしゃべり出す、空気の読めない奴がいたりする。どうしてみんな、そんなに話すことがあるのだろう?
興味深い出来事と言えば、イギリス人の女の先生のクラスで、その日のテーマは「血液型と性格」だった。私はB型。B型と言えばマイペースだが、先生に言わせれば、それは英語では「independent(独立している)」らしい。「そうじゃなくて、もうちょっと悪い意味」とみんなで反論したのだが、「マイペース」がイギリス人にはどうしても伝わらない。先生に言わせれば「マイペースの何がいけないのか。自分を持ってるってことでしょ。素晴らしいじゃないか」なのだ。そっか。私は素晴らしいのか。

私は素晴らしい芸術家タイプ。

芸術家と言えば、会社には華道部があって、その頃の私は仕事で疲れているとは言っても、何でもやってみたかったので、入部することにした。その頃の先生は、とにかく人を型にはめたがる先生だった。
ある日、枝が脇役、バラが主役みたいな考え方がどうにもイヤになって、主役と脇役を入れ替えて作品をつくったら、頭がおかしい人を見るような顔をされて、全部抜かれた。
ちなみに草月流だったので、それから10年以上経ってから、草月流つながりで有名な金髪のオネエの先生と出会うことになる。先生なら、そんな自分をわかってくれそうな気がして教室に通うことにしたのだ。金髪の先生と出会ってからも、それ(主役と脇役の入れ替え)をやった。会社の時は単純に反抗期だったが、その時は先生の気を引きたくてやった。そっちの教室には先生の気を引きたくて奇をてらう、めんどくさい奴がたまにいた。先生は、「またか(また奇をてらう奴かの意味)」という顔をし、「ふーん。で、あなたがそのことによって表現したいのは、何なの?」と言われた。先生は「やるなら徹底的にやりなさい。中途半端はダメ」と、いつも言っていた。わかってくれたことが、うれしかったし、自分が中途半端だということに気づかされたのだが、それはまだ10年以上先の話。その頃は、型にはめられることに、うんざりしていた。

私が入社した会社は、そんなに大きな会社ではなかった。50~60人くらい。同期は6人だけ。女3人、男3人。同期仲は普通。同期の他の女性2人は、何となく私を真ん中にしてくれるかたちだったが、自分がセンターのアイドルグループなんて、たいして売れない。そうは言っても、若いし付き合いもよかったので、おじさん達には、かわいがられた。女の先輩たちはツンケンした人が多かったし。
歳の近い男の先輩たちには
「坂本、彼氏いないの?じゃあ、たかピーどう?」
と言われた。高(たか)ピーというのは入社5年目の営業職の先輩、高橋さん(高橋一生のイメージ)。雰囲気は悪くないが、よく言えばピーターパン症候群。要するに子供っぽい。キャンプ、釣り、車と多趣味で彼女をつくっているヒマがない。つくっても趣味を優先して彼女をほったらかす。ただ、同性ウケは非常に良い。後輩たちにも慕われていた。「たかピー」は、あくまで親しみを込めた呼び名。
私(悪くないかも)
高橋さんの好みのタイプは、今でいうと吉田羊みたいな感じ。オトナの女性。遊んで帰ってきても、優しく「お帰り」って言ってくれそうな。やっぱり私も「キレイなお姉さん」を目指すしかない。
サークルの友達は、お互いに会社の人を紹介し合ったりして出会いのチャンスを広げていたが、私はそれはなかった。どうせ、かわいい友達に持っていかれるだけだし。それに、「マーライオン」の過去を知られてはならない、絶対に。これも2時間サスペンスだと殺害動機になるやつ。サークルはかわいい子が多すぎた。私は美人ではないけど、普通よ、普通。残念キャラではないはず。共学の中学→高校→大学→会社と進んでいれば、キャラのリセットチャンスは3回ある。私の場合、女子校→大学→会社と進んだので、チャンスは1回しかない。高橋さんの好みのタイプが「お茶目な子」とかだったらよかったんだろうけど。せっかく4年生の夏合宿の時に「自分の持ち味」みたいなものを、うっすらつかみかけたのに、目の前の男性の「好みのタイプ」に引きずられてしまった。

「キレイなお姉さん」を目指した結果、高橋さんも、まんざらでもなさそうだった。年齢的に、漠然と結婚を意識していたところに私が現れたというところか。仲のいい(社外の)先輩とよく飲みに行っていたのだが、そこに私も誘われるようになった。生まれて初めて、好きな人の「あすなろ会」に入れてもらえた。向こうも男女2人で、
「ずっと誰かつれてきなよ、って言ってて、やっとつれてきた。坂本さんが初めてだよ」
「2人、お似合いじゃん、付き合っちゃえば」
とよく言われた。だけど、今、思えば、芸術家とピーターパンが果たしてお似合いなのかどうか。

10月、アニメ「エヴァンゲリオン」が放送を開始する。私がその存在を知ったのは、ずっと後だけど。中田敦彦や長澤まさみが熱弁しているのをみてDVDでみたらおもしろかったので、リアルタイムで楽しめたらよかったなと思った。せっかくその時代に生まれていたのに。アニメ史は語れるほど詳しくないが、エヴァが1つの転機であることは間違いないであろう。東京の風水的には、パソコンも含め、秋葉原の風景が変わり始める年である。秋葉原はもともと電気街ではあったが。
(ちなみに1994や上の脳内会議の場面で、つい、手を顔の前で組んでメガネをキラーンと光らせている碇ゲンドウやゼーレを思い浮かべてしまうが、時代考証的には誤り。まだ存在していない。ここからは是非、思い浮かべてお楽しみください。ここで言っているのは作品としての話で、アニメ内の時系列の話ではない。ただし、ネットで調べたところ、厳密には漫画(コミカライズ版)がアニメに先駆けて存在していたらしい。)

中田少年が「エヴァ」を楽しんでいるであろう頃、私はカラオケで、先輩が歌う、H jungle with t「WOW WAR TONIGHT」をきいていた。私の会社にも、ダウンタウンを崇拝している先輩(男)がいて、いつもダウンタウンの話をしていた。ダウンタウンは絶大な人気があった。
私が当時、部長やら課長やらに鬼リピさせられていたのは、1994年リリース、藤谷美和子・大内義昭「愛が生まれた日」。今でもスナックでは耳にタコができるほど歌われているらしいが、当時はまだ新しかった。あと、1993年リリース、NOAの「今を抱きしめて」っていうデュエット曲もあったんだけど、こっちは令和の子たちは知らないかも。一応、YOSHIKIがつくった曲なんだけど。おじさんよりは若い先輩や同期と一緒に歌っていた。最後のハモリの部分を練習したり。NOAは、ドラマで共演した仙道敦子と吉田栄作のユニット。
とにかく、絵に描いたような昭和のOLの毎日(1995は平成だけど)。おじさん多め。カラオケはボックスじゃなくてスナックの時もあり。私の十八番は岩崎宏美の「聖母(マドンナ)たちのララバイ」。高橋さんは吉幾三の「酒よ」。それはそれで楽しかった。村社会のノリ。だけど就職活動で苦労した意味って?
ここで1つ触れておきたいのは、夕方のドラマ再放送の洗脳力というやつ。私が子供の頃~学生時代は石原軍団全盛期。「太陽にほえろ!」とか「西部警察」とか。ヤンチャだが、ボスには従順な縦社会のイメージ。だから社会も何となくそんなものだろうと思っていた。殉職とか。。うちの部長も渋くてかっこよかった。任侠系で、パチンコ屋で隣の人に営業して仕事をとってきてしまうという(隣でパチンコを打っていたのが実はどっかの社長だったという話)。営業は結果がすべて。女性には優しくて、ボーナスの時期にはよく鰻をごちそうしてくれた。高橋さんは、その軍団だと爽やかな方。見た目は爽やかだが、男気はある。私はそんな彼の奥さんでよかった。その頃はそういう生き方しか自分には、ないと思っていた。父母もそんな感じだし。母親は友和・百恵が大好きだった。(友和さんは石原軍団ではないが)
美人じゃなくても男性にモテる方法が1つあることを学んでいた。それは、お母さん。学生時代、お母さんっぽい子には彼氏がいた。私、高橋さんのお母さんになる!いや、お母さんじゃないけど。高橋さんの子供っぽさを包み込むオトナの女になる。

聖母(マドンナ)たちのララバイの歌詞「小さな子供の昔に帰って、熱い胸に甘えて~」(私も豊胸した方がいい?)

せっかくサエコちゃんや大泉君の元カノに新しい時代の風を感じていたのに、昭和に逆戻りしていた。
それから5年後の2000年に「相棒」の初回が放送される。連ドラは7年後の2002年スタート。杉下右京は石原軍団とは真逆。1匹狼で、権力には屈しない。最近の子供たちは知らず知らずのうちに個人主義やクリーンでクレバーな正義感を刷り込まれている。だけど社会を斜め上から見ている感はある。(組織というものを知る前から右京さんを見ているわけだから)
「斜め上」という言葉は、ダウンタウンのまっちゃんが作り出したと言われている(諸説あり)。その、まっちゃんが文春を訴えるのは、それから30年近く先。
私は1995年という新しい時代を村社会で無駄にしてしまった、という意味で、後々、1995年を斜め上から見なかったことを後悔した。

今となっては。「斜め上」って何だろう、と思う。
1995年時点での斜め上は、個人主義、既存の組織に属さない、新しいものに興味を持つということだった。そういう人たちがIT社長になっていた。
だけど、斜め上も、数が増えれば斜め上でもなんでもなくなる。ITそのものが斜め上というわけでもない。ITが新しかったから斜め上なだけで、今は農業の方がよっぽど斜め上かもしれない。そのことに気づくのにもだいぶ時間はかかった。ITに囚われていた時期がしばらく続いた。
まっちゃんは、どうなんだろう?女好きだとは思うけど、センスのない口説き方はしない気はする。周りには、後輩を従えてる姿が怖く写ってしまうことがあるのかな。
人気が出て真似する人が増えると、どうしても、興味のない人にはモブにしか見えないという皮肉はあるのかもしれない。まっちゃんは「遺書」によると、誰もついてこない「斜め上」は目指してないとは言っているらしいが。それはすごくわかる。村社会の高橋さんもベタ中のベタだったから。

1995年末、せっかく相川七瀬が「夢見る少女じゃいられない」などという歌を歌ってくれていたのに、私はまた夢見る女に逆戻りしていた。高橋さんと結婚するのだと思っていた。大学時代に一度、自分の持ち味みたいなものを、つかみかけたはずだったのに。

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