1994

テーマ4:人生に戦略って必要ですか?

1994年。スキー場には広瀬香美の「ロマンスの神様」が流れていた。リゾートバイトで知り合った、もこみちさんがスキー場のホテルに異動になったのでみんなで遊びに行ったり、上田君を含むサークルのみんなでスキーに行ったりしたけど、私はロマンスどころではなかった。
就職活動。突然、訪れた氷河期に世の中全体が探り探りといった感じだった。

私は何にも考えていなかった。飲んだくれていたキリギリスに突然、冬が訪れた。どっちがよかったのかは未だにわからない。大学1年の時点で氷河期ということがわかっていれば、アリとして4年間過ごして、もうちょっとだけ自分の納得のいくところに就職できた気もするし、それだと
自分の枠からはみ出ることのない、つまらない人生だったかもしれない。
星回り的に一番よかったのは「就職活動なんてしない」だったかもなと思ってみたり。私はねずみ年。干支というのは侮れない。ねずみは、やっぱり始まりの干支だ。あの頃はITはまだまだ黎明期で、同年代にIT社長とかのいる時代だし、自分でITを勉強して何かやったらよかったということ。例えば、あの頃のホームページは今みると笑っちゃうくらいシンプルで、ただあの頃から新しい技術が出る度に勉強する、という工程をきちんと積み重ねていれば結構いいとこまでいけてたかもな、と思ったり。これは黎明期に当たっていたからこそ思うことで、こういうことを星回りと呼ぶのだと思う。
逆に、ねずみには追うべき背中がない。正確には、背中はあるのだが、これは前の時代であり追いたくても間には必ず深い溝がある。ジュリアナ東京が閉店したのがこの年の夏の終わり。行ったことはないけど、バブルの象徴的な場所。私はどちらかというと新しいものより古いものが好きだ。古いもの、滅びゆくものにたまらなく哀愁を感じてしまう。例えば、私は、ひょうきん族ではなく最後までドリフ派だった。だけどこれもふたご座だからかな、と思ったり。星座には3つの分類があり、ふたご座はミュータブル・サインという「変わり目」の星座である。ねずみ年とふたご座は変わり目という運勢が重複している。同じねずみ年でも、みんながみんな感傷的というわけでもない。時代というのは、昨日までが旧時代で明日から新時代と線を引けるほど単純なものではない。古い時代と新しい時代は複雑に重なり合っている。だから、人によって新時代の受け入れ方は少しずつ違う。
私の場合、就職活動に関しては、感傷などどいう美しいものではなく、単純に、発展途上のものより完成品や成功者に憧れていた。やりたいことが特にある訳ではなく、ただ華やかな会社に入りたかっただけ。だが、私には、景気のいい明るくてお気楽なOL生活は待っていなかった。三菱商事が女子一般職の採用をやめると言ったのがこの頃。一般職=いわゆる事務職=言われたことを言われた通りにやればいい仕事。それでどうするのかといえば、人材派遣会社というものが日本に普及し始めたのも、ちょうどこの頃である。言われたことを言われたとおりにやるだけの奴は使い捨てればいい、という発想だったのだろうか。果たしてそれは歴史的に正解だったのか?

春。安達祐実主演ドラマ「家なき子」が流行っていた。主題歌は中島みゆきの「空と君のあいだに」。有名なセリフは「同情するならカネをくれ!」だが、私たちの状況としては「説教するなら仕事をくれ!」だった。それにしてもひどい時代に突入したものだ。需給バランスが変わっただけ、売り手市場から買い手市場になっただけなのに、優劣と勘違いして、上から見下した失礼なことを言ってくる人も結構いたなーと今しみじみ思う。

「あなたは学生時代、何をしましたか?」
「彼氏が欲しくて参加できる飲み会には全部、参加してました。飲み代のためにあとはバイトの日々です。」
いっそのこと、開き直ってそう返した方が、1人くらいおもしろいと思ってくれた人がいたかもな。あ、だけど「彼氏をつくる」という結果が伴っていない。
人生に必要なのは戦略?何も考えずにここまで生きてきてしまった。
何だったらよかったんだろう? 留学とかボランティアとか?

「あなたのセールスポイントは何ですか?」
セールスポイント:特になし。

夏。人よりは遅かったが、超氷河期ではなかったので、どうにか1つ内定をもらった。マジメな人が多そうな、いわゆる専門商社。IT系企業の子会社。「簿記を勉強しています」で、どうにか潜り込めた。私は経済学部で、簿記の勉強は最近始めたんだけど。級を持ってるかきかれなくてよかった。入社するまでに真実にしておこう。
私の前後の学年は、突然、氷河期がきてしまったので、今さら「何か」と言われても時間がないし、選ばなければ内定は1つくらいならもらえたので、いったん就職してみてダメなら転職しようと考えている人が多かった。「突然言われてもねぇ」を言い訳にできたから、あとの時代の人よりメンタル的には楽だったかもしれない。だけど、そうか。私は学生時代、何もしてないのか。

何かしなきゃ。

今でこそ理屈っぽいが、就職活動までは本当に何も考えずに生きていた。
もっと戦略的に生きなければ。

飲み会の前にもっと自分磨きにお金を使うべきだったのだろうか?今まで特にふれていなかったが私はホテルの配膳という結婚式などで料理を出すバイトをしていたので、実は結構、稼いでいた。飲み会に行かなければお金は別のことに使える。飲み代のためにシフトをたくさん入れていた。バイトに行かなければ時間も別のことに使える。何という悪循環。彼氏をつくるための飲み会のせいで彼氏ができなかった?大黒摩季の「あなただけ見つめてる」の歌詞の「夢見る夢無し女」というやつだ。素晴らしいワードセンス。私のここまでの大学生活の問題点を見事に一言で表してくれた。「夢無し女」は就職活動でも選ばれない時代になった。

自分磨きかどうかはともかく、「何かしなきゃ症候群」に取りつかれ、とりあえず海外旅行に行くことにした。生まれて初めての海外旅行。あの頃は夢のような円高だった。
パスポートもとった。行き先はシンガポール。マーライオンがマーライオンに会いに行った。
夏子と高校時代の友達と3人。ツアーではないが、お楽しみクーポンがいろいろついてる一般的なパッケージ。ラッフルズホテルのバーでシンガポールスリングというカクテルを飲もうというクーポンとか、また別のホテルでアフタヌーンティーを楽しもうというクーポンとか。あとはセントーサ島に行ったりホーカーズという屋台を楽しんだり。
マリーナベイサンズはまだなかった。余談だけど、昔を振り返る系のドラマでたまに、ないはずの建物が映りこんでて笑うことがある。スカイツリーとか。ちなみに2023年現在の私のシンガポールのイメージは、私は海外部でずっときているのだが、シンガポールはだいたい東南アジア進出の拠点だったり、欧米企業にいたっては日本に代わってアジア全体を統括する拠点を置いてたりでシンガポールといえば上昇志向の強い人が集まる街という感じ。六本木ヒルズのような。

サークルのみんな(男女両方)のおみやげに、Duty Freeで小さい香水が何個かセットになってるやつを買った。女子は当然、喜んでくれたが、意外や意外、男子もすっごい喜んでくれた。まだ男性が香水をつけることはそれほど多くない時代。
「えー、どれにする?」
「俺、これ」
「えー、俺もこれ」
「いや、これは俺にふさわしい。お前はこっちじゃない?」
「なんでだよwww」
みたいな感じで盛り上がり、その後、当然
「どうだった?」
「どこを回った?」
「食べ物おいしかった??」
等々、ああ、会話が弾むってこういうことか、としみじみ思った。あなたは何をしましたか?私はシンガポールに行きました。

そんなある日、サークルの同学年の男の子に久しぶりに会った。大泉君とでも名付けておこうか。人たらしキャラ。かわいい彼女がいる。彼女は同じサークルの後輩。
「よお、久しぶり」
「久しぶり~、元気?」
「元気かと言われると、、実は彼女にフラれた」

「え???・・・・」

「・・・・」

「何て返せばいいのか。。」
「夏合宿行こうよ、みんなで。他の女子も誘ってよ」
「さみしいのか。。」
「上田も来るよ」
「そうくるか。。」(でも、彼女も来るんじゃなかろうか??)

てなわけで、夏合宿。例年、4年生の女子というのは、あまり夏合宿には参加しないのだが、うちの学年は付き合いがいいのか、何人か一緒に来てくれた。大泉君は誘った割には、私たちよりも1年生や2年生の女子とじゃれていた。大泉君はユーミンの「Hello my friend」に乗せて一気飲みをさせられていた。うちのサークルは野球をやっていた先輩が多かったせいか、選手の登場曲みたいな感じでそれぞれに一気飲みさせられる時の曲というのがあった。ほんと、若者ってくだらない。

「かなしくて~、かなしくて~」
「かなしくて~、かなしくて~」

ずっとそこだけw

一方、彼女(3年生)の方はサークル内で新しい彼氏(2年生)をつくっていた。年下の誠実そうな彼氏。若者サークルというのはだいたい元カレだの今カレだのが渋滞している。私の周りはすいてたけど。彼女は3年生だしリア充オーラ全開でサークルを仕切っていた。彼氏は大泉君とのバランスで配役するとすれば岡田将生のイメージ。あそこまでイケメンではないけど、爽やかは爽やかで「なんかすいません」と大泉君を意識しながらも彼女の横に恥じらいもなく寄り添っている(ように見えた)。

ファーストファミリーか?欧米か??(当時、タカトシのネタは、まだない)

カルチャーショックだった。その頃の私は、男と女というのは松山千春の「恋」の歌詞の「男はいつも待たせるだけで、女はいつも待ちくたびれて~」みたいな感じだと思っていた。それまでの私の周りって「男同士の付き合い」とか「亭主元気で留守がいい」とか「男子厨房に入らず」とか、普段は、男は男、女は女で各自のコミュニティに属しているイメージ。男には男の付き合いがあるし、夢があるのだ。そういう人の彼女は物わかりのいいオトナなイメージ。だけどそれって儒教的な考え方??これがつまり一般職と総合職ってこと??女も狩りに参加すべきなの?男が厨房に入ってきたの?でもそうだ。女も夢を語らなければいけない時代になってきたのだ。
彼女が大泉君と別れた理由はおそらくその辺りだと思う。いつも一緒にいたいのだ。大泉君は彼女を、ほったらかすタイプ。仲間の前で照れくさかったっていうのもあると思うんだけど。そのことでケンカになったりしてたような。久しぶりに会った彼女は、吹っ切れたような清々しい笑顔を見せていた。大泉君と付き合ってた頃は泣かされてたイメージ。「泣かしたこともある~」って何だっけ?「いとしのエリー」か。冷たくしてもなお寄り添う気持ちは、なかった模様。むしろ新しかったのは彼氏の方?「僕は泣かしましぇーん」的な?その頃も、いつも一緒にいるカップルがいなかったわけではない。林家ペーパー子とか。私が目からウロコだったのは、彼女が、自分を泣かせる奴となんて、さっさと別れたことかもしれない。だけど誠実な方って当て馬の方なんじゃないの?退屈しないの?いや、そもそも、その白黒二分法が古いのだろう。

岩田ちゃん(2年生)は岩田ちゃんのままだった。相変わらず、どんくさい。変わらないって、うらやましい。自己肯定感は高いんだろうな。いいご両親といい友達に囲まれて暮らしてそう。
「ああ、僕は僕のままで~」と言えば、この年の6月にリリースされたミスチルの「innocent world」の歌詞。自称桜井さん似の男の子がサークルにいた。桜井さんは日本人にはよくいる顔のイケメンだから、自称桜井は結構、見かけた。その自称桜井は2年生だが、入部してきた時、私に似ている男の子が入ってきた、と私と同学年の女子たちが騒ぎ、その子のあだ名は「くみお」だった。私は桜井さんには似てないけど。1年生が入ってきて、「くみお」に彼女ができていたのだが、その彼女も私に似ていると言われていた。つまり「くみお」と彼女も似ているということ。何だかとっちらかったエピソードだが、私がここで話題にしたいのは、似たものカップルというのは世の中には結構多いということ。自分に似ている人を好きになるってことは、自分のことも好きってことよね。そういう平和な自己肯定感の高い感じには憧れた。私にはあり得ないから。

さて、私自身の夏合宿のエピソードといえば、夏合宿の前に誓ったことがある。それは
=テニスも飲み会も、テニスそのものを、飲み会そのものを、「純粋に」楽しむ=
ということ。何かというと、前に北澤君に「坂本はスタンドプレーが多い」と言われたことがある。要するに、異性の目ばかり気にしてテニスも飲み会も純粋に楽しんでいないという訳だ。
私「だって、彼氏が欲しいんだもん!!」
また、大黒摩季の「あなただけ見つめてる」が頭を流れる。「あなた~がそう喜ぶ~から~」「車も詳しくなったし~」「お料理もガンバルから~」確かに私ってそういうとこある。あくまで「あなたが喜ぶから」なのだ。「自分がない」とも言える。この歌詞は彼女がそういう友達を救いたくて書いたらしい。北澤君も、純粋に私のためを思って言ってくれていたのだ。この曲は1993年リリース、「SLAM DUNK」のエンディングテーマだが、バスケとは何の関係もない歌詞。てか、まあまあ怖い。就職活動が失敗に終わってみて、自分が人生を楽しんでいないことに気づいた。異性の目が気になるのは若さではあるのだが、それだけになってしまうとつまらない。スタンドプレーばかりでは試合にも勝てない。まずは目の前にあるものをそのまま受け入れてみよう。「彼氏が欲しい」フィルタを通さずに。大切なのは「自分が楽しいか」なのだ。純粋に世界を楽しむ、まさにinnocent world?ちょっと違うか。(2番の歌詞)時には風に身を任せるのもいいじゃない。マーライオンでもいいじゃない。

そんな夏合宿のある夜。学生の飲み会にありがちなゲームをやろうということになった。最近で言うと「人狼ゲーム」的な。
私の心の声(みんなに注目されたいからといってわざと失敗しちゃダメ。ゲームというのはゲーム自体を楽しむものであり、ゲームといえども真剣にやるのよ、真剣に。人狼ゲームか。名探偵並みの駆け引きと推理が大事。)
気づくと私は、真剣にゲームをして真剣に失敗し、みんな、大爆笑していた。(笑いというのは説明するとつまらないので、詳細はあえて説明しないが。)
別な夜。その時はみんなでエピソードトークをしていた。みんなが「あるあるー」的な話を重ねていくやつ。
私の心の声(みんなに注目されたいからといってわざと過激なことを言って流れを止めちゃダメ。みんな会話のトスを楽しんでるだけなんだから。真剣に「あるある」の例を話すのよ。「あるあるー」が大事なんだから)
そして真剣にエピソードトークをした結果、大爆笑。オチてしまった。これはこれで悪い終わり方ではないやつ。
みんな「あー笑ったー」「笑いすぎてお腹痛い。。」

私ってもしかして、天然??

何とも皮肉な話である。ウケようと思っていた時は、まったくウケなかったというのに。笑いのとり方としては狩野英孝に近い。自分がおもしろいと思ってやったことは、まったくウケないが、一生懸命やっているとミラクルが起きる。自力で笑いをとることはできない。いじってくれる人が必要。だけど、ほんのちょっぴり「笑い」みたいなことがわかった。大切なのは「間」とか、あとは、全力で失敗している姿がおもしろかったのだと思う。逆に、「わざと」はおもしろくないということも理解できてきた。わざとで笑いをとれるのは、もっと高度なテクニックなのだ。私はまだまだ笑いでは一般職。結構ウケたので、残念キャラ脱出も期待したが、そんなに簡単にイメージは変わらない。残念キャラの久美子が珍しくおもしろかっただけの4年生の夏合宿。だけど「純粋」キャンペーンのおかげで学ぶものは多かった。あくまで純粋キャンペーン。まだまだ純粋にはなれない私。

秋。上田君に彼女ができた。相手は岩田ちゃんと仲良しのサエコちゃん。サエコちゃんも岩田ちゃんと同じで、ゆーっくりした感じの子。岩田ちゃんとサエコちゃんはもう1人、みんなのアイドルタイプの友達と仲良し3人組でいつも行動していて、その3人組には前から興味があった。それは「どんくさい」といった、私がコンプレックスに感じていたことを「かわいい」という武器に変えていたから。
例えばテニスの練習中、ラリーがうまくいかないと、相手の先輩(今思えば上田君かも)に
サエコ(山口もえみたいなしゃべり方)「もっと打ち返しやすい球を打ってくださーい」
と言っていた。カルチャーショックだったのを覚えている。私だと「私が相手だから、つまんないのかな」とか余計なことを考えて、遠慮して、何となくつまらないまま終わってしまう。だけど、サークルの子たちも素人にすぎないから、疲れてくると、だんだん雑になってきたり全部、私が悪いというわけでもない。サエコちゃんの場合は、素直に「できない」「うまくなりたい」と言っているだけなのだ。自分が下手とか余計なことは考えない。別に悪い雰囲気にもならず、
周り「ほら、言われてるぞ。しっかりやれ!」
みたいな感じで笑いを誘ったりして、練習も満喫してたし、得な性格だなーと思ったのを覚えている。

そのサエコちゃんに上田君が釣られていた。サエコちゃんは1本釣りの名手で、1年生の時も違うかっこいい子と付き合っていた。アイドルタイプはモテるといっても網なので、自分の好きな魚が引っかかっているとは限らない。サエコちゃんは、待つのではなく、マグロとかカツオとか狙った獲物を自分で釣り上げている。「東京ラブストーリー」のリカのようだが、リカと違って引き際を心得ている。誰かリカに引き算を教えてあげるべきだったのかもしれない。人間関係は押せばいいというものではない。
上田君は兄弟も男だし女慣れしていないという側面がある。(ちなみに彼は後輩を相手にするようになってから、デリカシーのなさがだいぶ治まって、人気もそれなりにあった)サエコちゃんは服装や髪形などが、とにかくオシャレで、いつも颯爽としている。だけど、しゃべり方はゆっくりしてるしテニスもうまくない。いわゆるギャップ萌えというやつであろう。
上田君が選んだのがサエコちゃんだったことにより、ショックよりも後悔の方が大きかった。もし上田君が選んだのが、何でも器用にこなすキレイな子とか、顔がかわいくて自分は動かずにいろいろ手に入れているような子だったらショックの方が大きかったと思う。自分とは、かけ離れているから。だけど、「頑張ってるのにどんくさい」が萌えポイントだったのか。上田君は岩田ちゃんのこともお気に入りだし、私とタイプ的にそんなにかけ離れていない気がした。ただし、私がわざとウケようとしたりマーライオンになったり、余計なことをしなければの話。

戦略ミスじゃん!!(←脳内会議中。机をバンバン叩いている。)

どんくさくてよかったのかー。頑張ればよかったんだ。頑張り方を間違えた。この間の夏合宿の時みたいに、純粋に目の前のことを頑張ればよかったんだ。だけど、若者というのは斜に構えたいもの。純粋とか素直というのは、簡単なようで簡単じゃない。
「あまちゃん」のアキにとっての夏ばっぱのように、海に突き落としてくれる人が必要。「あまちゃん」が放映されるのは2013年だが、ここで解説すると、アキの「おばあちゃんはなんで潜るの?」という問いに対し、夏ばっぱは「哲学か?」と問い返す、というのが海に突き落とす前のやりとり。その後、ドーンと突き落とすのがクドカン脚本らしい。このシーンは名シーンとして人気で「考える前に動け」という内容のセリフがその後に続くのだが、「何すんだ、このババア」と、アキは思った、からの夏ばっぱ「考える暇、なかったべ。飛び込む前にあれこれ考えたって、どうせその通りにはなんねえ」こそが私には刺さった。カッコ悪くても、海で溺れそうになっている時は、もがくしかない。泳げるようになるのが先。他人の目を気にするのは、せめて泳げるようになってからにしよう。
サエコちゃんに、どす黒い嫉妬心みたいなものは、まったく感じなかった。スポーツで強いチームに負けた時みたいな感じ。自分の至らなさに気づかせてもらってありがとう的な。

冬。私は車の免許をとるために教習所に通った。私にはどうも運転適性がないらしく、人よりかなり多く通った。教官にマジギレされたこともある。「殺す気かー!」って。適性検査は「もらい事故タイプ」。「もらい事故タイプ」って何よ、と思った。状況判断が遅いってことか。あとは「他人の目を気にして自分をよく見せようとする」か。人生そのものについて言われている気がした。
免許はどうにかとれた。まあ、「もらい事故タイプ」は「安全運転度」は高いわけで。マジギレされたのは大きな交差点での右折だけど、何度も落とされたので、どこをどう気をつけるべきか、さすがにわかってきた。右折は、やることが多いのよ、ウィンカー出したりとか。

教習所には大きなテレビがあって、送迎バスが着くのがちょうど朝ドラの時間だったので、毎日、ユーミンの「春よ、来い」が流れていた。その時の朝ドラはタイトルは曲と同じ「春よ、来い」で、脚本:橋田壽賀子、主演:安田成美なのだが、安田成美が途中で降板するという事件が起きた。それこそ30年近く経っているので、ネットで検索すればいろいろ出てくるが、単純にミスマッチな気もする。安田成美を指名したのは橋田先生らしいけど、橋田先生の自伝的な内容に安田成美だと、さすがに華がありすぎな気が。「インタビューウィズヴァンパイア」のトムクルーズみたいな例もあるけど、あれは彼の方が志願して役作りをしたわけで。。最終的に橋田先生が成功者であることに制作陣の意識がいきすぎてしまったのでは?と思う。安田成美の華は、いかにも橋田先生の後半生の成功者のオーラ。それが彼女の持ち味。だけど視聴者が見たいのは橋田先生の苦労時代よね。その前半生を橋田先生お得意の長ゼリフで伝える役に適していたのは安田成美だったのかという話。逆に、安田成美のイメージそのまま、苦労知らずのお嬢さんのサクセスストーリーなら、そんなドラマ、誰が見たい?と思ってしまう。コメディだとしても、コメディにしていい時代とよくない時代はある。意外と橋田先生は、自分を客観視できていなかったのかも。「渡る世間」とか作品は好きだから、もったいない。企画そのものに違和感を覚える。

一方、安田成美といえば、友達と私は、この年の4月~6月に放送されていた「この愛に生きて」というフジのドラマに、はまっていた。脚本は野沢尚。主題歌は橘いずみ「永遠のパズル」(←久しぶりにYoutubeで見たらおもしろかった。セリフっぽいとことか。「わかってる、でもできない!」)豊川悦司が世の中に知られ始めた頃の作品。あの役は安田成美のハマリ役だった気がする。彼女じゃなければ、あの感じは出なかったような。全体的には不倫とかドロドロしてるんだけど、結局は子供を殺されてしまった母親のかなしい話だから、みんな心に刺さったんじゃないのかな。(子役がまたカワイイのだ)もっとお色気系の女優さんとかだったら「子供を殺されてしまった」が構成要素の1つとして隅に追いやられてしまい、そうなってしまうとチープな話になってしまったような。彼女の清潔感と、悪く言えば世間知らずな感じだからよかったのよね。(あと、主題歌の独特すぎる感じも、私たちはこれから何を見せられるんだろうって感じでよかったのかも。今思えば)今もう1回みる方法がないし情報もあまりないから確認する方法がないけど。動画配信して欲しい。
野沢尚さんて自殺しちゃったのよね。野沢作品好きだったのに。脚本家にもいろいろいるという話。でも元を正せばNHKが原因じゃない?という気もして、ちょっと並べてみた。安易に描こうとしてはいけない時代というのはある。演者や脚本家ばかりに背負わせて、スタッフにそこまでの覚悟はあるのだろうかと、このことに限らず、大河ドラマとか、いつも思う。殿様商売だと自分を客観視できないのかな。

「春よ~、まだ見ぬ春」いい歌。それぞれが、それぞれの「まだ見ぬ春」に思いを馳せられる「春よ、来い」
一方、「夏が来る~」は、こちらもこの年の4月にリリースされた大黒摩季の曲だが、並べて見ると、なんで夏なんだろ?幸せがやってくる、っていうのはだいたい春に例える場合が多いんだけど。
「何が足りない、どこが良くない、どんなに努力し続けても、選ばれるのはああ結局、何もできないお嬢様」
「夏が来る」の歌詞。それこそ安田成美は「結局お嬢様」役が合いそう。頑張り屋さんだけど空回りする友達がよく感情移入して歌ってた。私は、選ばれるお嬢様でもなければ、この曲に感情移入できるほど頑張ってもいなかった。頑張ってもいないくせに、飲み屋で「結局、選ばれるのはお嬢様なんすよ」と、くだを巻いていた。
だけど、この白黒二分法も両極端。摩季姐さんは酉年か。両極が際立つ頃には、もう次の時代がきている。就職活動と後輩たちの恋愛模様に、時代の変わり目というものをダイレクトに感じた1994年だった。

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