全開笑顔にもう降参




無邪気な君を飲み物に例えたら、透明な炭酸水のようだと思う。くるくると表情の変わる君は、少し目を離すと興味を惹かれた対象に向かい、瞳を輝かせながら駆け出してしまうんだ。そうかと思えば急に立ち止まり、じっと静かに語りかけてくる存在の前でじっと佇むことがある。突然方向転換したり立ち止まると、気付かないうちにはぐれてしまうだろう? 

今ではだいぶ慣れたしお互いに落ち着いたが、それこそ付き合い始めた当初は、香穂子とはぐれないよう追いかけるのは至難の業だったと思う。もちろん今でも、弾ける炭酸のような真っ直ぐの勢いは変わらない。だがどんなに振り回されても楽しいと思うのは、君と共に過ごす時間は何にも変えがたい宝物だから。目に写す花や緑、街や空の景色一つ一つ瞳を輝かせ感動する、純粋な笑顔が大好きだから、ずっと傍で見ていたいと思うんだ。

足元に咲く花から遠く空に羽ばたく鳥まで、彼女の目に映る景色は豊かで広い。君と同じ視線で景色を見ることが出来たら、きっと世界が大きく広がるのだろうな。学院中を駆け回るうちに鍛えた脚力はすばしっこくて、するすると器用に人混みをくぐり抜けられたら勝ち目はないし、見失ってしまいそうだ。見知らぬ土地で迷子になるのは君か俺か・・・考えただけでも心配で胸が潰れそうなのだと、天真爛漫な笑顔で振り仰ぐ君は知らないだろうな。


「ふぅっ、気持いい! 喉が渇いた時には、口の中でしゅわっと弾けるサイダーが、とっても美味しいって思うの。スッキリしたいときとか、時々無性に炭酸が飲みたくなるときがあるよね。蓮くんが、私にぴったりの飲み物を買ってくるって出かけたから、何かなとすごくわくわくしていたの。走った後の炭酸水は、最高に気持良くてぴったりだよ、蓮くんありがとう」
「サイダーを君にと、思いついた理由は少し違うが、喜んでくれて嬉しい。だがすまなかったな。どこか店に入って休もうと言っていたの混雑していて、練習をしていた海辺の公園まで戻ることになってしまった」
「気にしないで、蓮くん。だって今日は休日だし、ちょうど午後のティータイムな時間だったし、仕方がないと思うの。それにね、ヴァイオリンの練習後に、綺麗な海を目の前に眺めながら呑む炭酸は最高に美味しいよ。それにね・・・ほら見て? 透明なペットボトルをかざすとね、私までしゅわしゅわ浮かぶ気泡に包まれるから、海の底にいる気分になれるの」


空と海とが溶け合う青を正面に広く見渡せる特等席は、臨海公園の中で俺たちのお気に入りの場所だ。二人かけのベンチに並んで座るこの距離が心地良いのは、香穂子の温もりや柔らかさを、ずっと傍に感じていられるからだろうな。座る距離を詰めてぴったり寄り添いながら、ほら見て?と差し出したのは、先程俺が近くの自販機で買い求めたサイダーのペットボトル。

元気良い君が何か素敵なものを見つけたときのように、キャップを捻り空けたばかりの炭酸たちが真っ直ぐ空へと昇ってゆく。無色透明な液体だったはずなのに、目の前にかざされたボトルは海と空の色を写し、綺麗な青色に染まっている・・・なるほど、海の底をたゆらう魚の気分だ。


「ねぇ蓮くん、どうして私にぴったりな飲み物で、サイダーを選んだの? 蓮くんは普段飲まないでしょう? 熱いから喉をスッキリさせたい想いが伝わったのかな」
「その・・・元気良い香穂子が、透明なサイダーに踊る炭酸みたいだと思ったんだ」
「しゅわしゅわ弾ける、このサイダーが私?」


きょとんと不思議そうに小首を傾げると、握り締めるペットボトルをじっと見つめながら考え込んでいる。小さな気泡を次々に踊らせる炭酸水と自分がどう似ているのだろうかと、考えた末にどうやら答えに行き着いたようだ。寄せられた眉がしゅんと悲しそうに落ちると、炭酸は弾けるって事だよね・・・サイダーの炭酸はたくさん弾け飛ぶもんねと。ボトルを握り締めたまま、泣きそうに小さく呟き俯いてしまう。


目に映るいろいろな楽しいことを、身振り手振りで一生懸命俺に伝えてくれていたのに、いつの間にか静かになっていたんだな。そう不思議に思いながら名前を呼びかけ隣を見ると、気付けばさっきまで並んでいた筈の香穂子がいない・・・。慌てて周囲を見わたせば、鮮やかな花屋の前に立ち止まり、小さなテーブルーブーケを熱心に眺めている事などしょっちゅうだ。危なくて目が離せないから、どこかに行かないようにと、握り締める手に自然と力が入るのは仕方ないだろう。

最初は視線で追いかけていたが、休日の人混みに呑まれて見失う事が数回。はぐれないように手を繋いでいたのに、いつの間にかすり抜けてしまったり、駆け出す君に引っ張られたり・・・。本当ならば俺がもっとしっかり、君をエスコートできれば良いのだが・・・。心に浮かぶ反省やもどかしさが、もう何度溜息に変わっただろうか。

だがすまない・・・その、答えを当ててくれたのは嬉しいが、諫めるつもりはなかったんだ。君はそのままでいて欲しいと思う、炭酸みたく弾ける君が好きなんだ。だからどうか、顔を上げて笑顔を見せてくれないか? 


「そっか、そうだよね・・・私ってば蓮くんとデートするのが嬉しすぎて、たくさんはしゃいじゃった。いつも見慣れている景色なのに、蓮くんと一緒に歩くだけで素敵な輝きを増すんだもの。空の青さや道端に咲く、小さな花の優しさや強さにも気付けたの。見つけた煌めきが全部音楽になるから、一つ一つを集めたくて・・・でも蓮くんは疲れたよね、ごめんね。炭酸がきつすぎると、飲んだときに喉が痛くなったり、お腹が膨れて大変! きっと今の蓮くんがちょっぴり疲れているのは私が振り回したからなのかな?」
「違うんだ、誤解しないでくれ・・・その、さっきも言っただろう? 好きな物を飲む幸せな笑顔には癒される。一度心に決めたらやり遂げる、真っ直ぐな行動力や、封を開けたての強い炭酸水の刺激だろうか。しゅわっと勢い良く弾ける小さな気泡たちは、グラスの中で楽しげに踊り、飲んだ者を目覚めさせるほどの元気良さで刺激してくる」
「・・・本当?」
「つまり、その・・・サイダーの君が、俺は好きだと言いたかったんだ」


俺の手の中にも、香穂子と同じサイダーのペットボトルが握られている。まだ封を開けていないが、熱さを耐えながらぎゅっと握り締めれば、今にも溢れ出しそうな勢いを湛えているように思えた。このペットボトルが俺だとしたら、中に詰まる炭酸は君への想いだろうか。吹き出した熱さが顔に集中しているから、今の俺は恐らく照れたときの君のように、真っ赤な顔をしているのだろうな。
君が好きだよ、俺の心へそう沸き上がった小さな炭酸を届けたかったのに・・・言葉というのは難しいな。


香穂子・・・そう優しく心から大切な名前を呼びかけると、俯く顔がゆっくりと視線が登り始める。髪の毛のヴェールに覆われた中から、太陽のように輝く光がそっと覗く。俺が真摯に語る言葉を聞いてくれた香穂子の頬が、ほんのり桃色に染まり始め、悲しげに潤みかけた瞳が優しい微笑みに変わった。俺を包むのは、雨雲が晴れた隙間から、太陽の光が差し込んだような・・・渇いた喉にソーダを飲んだような幸せと爽やかさ。

心のままに真っ直ぐに、君へと向かうのは俺も一緒。
君と一緒にソーダの炭酸になり、青空や海を漂えたら、どんなにか気持が良いだろう。


「オレンジ色のソーダも迷ったが、無色透明を選んだのは、真っ直ぐな純粋さと親しみやすさだろうか。何と混ぜ合わせても調和するサイダーのように、君はアンサンブルも人の繋がりも溶け合い調和する。奏でるヴァイオリンの光に自然と人が集うように、長年愛されるサイダーが君に似ていると思ったんだ」
「ありがとう、蓮くん。私こそ良く話を聞かないうちに、勝手に怒ったりに沈んだりしてごめんね。しまいには元気がなくなってしおれちゃうんだもの、蓮くんを振り回してばかりの炭酸水だなって、少し反省したの」
「香穂子・・・」
「でもね、凄く嬉しかったよ。だって蓮くんも一緒に私が大好きな四ッ屋サイダーを飲んでくれるんだもの。好きな物を分かち合えるって嬉しいよね。それにね、私というソーダの栓を開けるのは、いつだって蓮くんなの。蓮くんの笑顔や優しさだったり、スキンシップだったり・・・音色と共に届けてくれる真っ直ぐな想いなんだよ。蓮くんがいるから炭酸水になれる、私らしく振る舞えるのかな」


ほらこんなふうにね、そう悪戯な瞳で振り仰ぐと、蓋の閉まっている透明なペットボトルを軽く数度振り、俺の目の前に掲げてくる。炭酸を振ったら空けたときに吹き出してしまうだろう? 

透明なボトルの中では、飲みかけのソーダが、今かまだかと吹き出すのを待っている・・・この炭酸は大好きな想いの結晶なのだと、緊張に固まる俺に、無邪気な笑みを満面に浮かべる香穂子は、今の自分の気持ちなのだと嬉しそうに伝えてくれた。俺がいつも君の心にいて、温度を高めたり落ち着かせる大切な存在なのだと。

俺の心に満ちるソーダ水も、君という色に溶け合い、想いの数だけたくさん強く炭酸が弾けてゆく。理性というボトルの蓋をいともたやすく開けてしまい、吹き出すきっかけを作るのはいつも君。ぐっと身を乗り出した瞳が悪戯に煌めくと、ペットボトルの蓋に手をかけて、勢いよく蓋を捻り空けた。


「・・・・っ、香穂子!」
「きゃ〜っ、炭酸が飛び出した〜! キラキラの噴水みたい〜」


地中から吹き出す間欠泉のように、勢いよくボトルから吹き出したソーダの炭酸が、海から注ぐ陽の光を受けて輝いていた。お互いに構えていたのが幸いして、慌ててベンチから飛び去ったから、互いの服を濡らさずに済んだのが幸いだが。本当に君は炭酸水だな。それでも気にとめずに楽しいね綺麗だねと、ボトルを上下に振り回す楽しげな君に、呼吸も鼓動も一瞬止まった。

ポケットから取り出したハンカチを差し出したが、もう少しこのままでいようかと思ったのは、楽しさや嬉しさ全開の笑顔が、目の前に広がる海や太陽よりも愛しいと思ったから。

駄目だ、溢れてしまう・・・一度溢れたらもう止まらないんだ。弾ける心の炭酸ののままに君を抱きしめ、この腕の中に閉じ込めずにはいられない。ボトルから溢れるソーダの炭酸も、胸に熱く沸く君への想いも。