夕餉の香り

日々の食事を囲む落ち着いた木目のテーブルには、白い皿に盛られたカレーライスが湯気を立てながら、食欲をそそる香りを漂わせている。添えられた小ぶりのガラスボウルには、彩りも鮮やかなグリーンサラダ。

程良い距離のテーブルに向かい合って座ると、手を伸ばせば互いに届き、身を伸ばせば食べさえ合う事だって出来る。君と食事を囲めば、笑顔と会話が自然に弾んでしまうんだ。


中身の無くなりかけた月森のグラスを見た香穂子が、大き目なガラス製のウォーターピッチャーを手に取り椅子から立ち上がった。テーブルを回って月森の傍らに回ると、彼のグラスにミネラルフォーターを注いでいく。煌く流れと浮き立つ光りの水泡を・・・香穂子の手元を、月森は頬と瞳を緩めて見つめていた。

ありがとう・・・そう言って見上げた香穂子に柔らかく微笑むと、受け止める瞳も咲き始めた花のように綻ぶ。
小走りで向かい側にある自分の席へと戻る彼女を見届けてから、月森は再び食事の手を動かし始めた。



スプーンですくって口に運ぶと、後を引くスパイスの辛さが広がり、まろやかな甘さと一緒に体の中から熱く温めてくれる。香穂子の作ったカレーが一番好きだと俺が言うと、美味しさの隠し味は、混ぜ合わせた数種類のスパイスと、俺の大好きなヨーグルトなのだと。香穂子は少し照れくさそうに、けれども自慢げに笑みを浮かべた。きっと最大の調味料は、君の愛情なのだろう。


皿に盛られたカレーのルウを、考え事をしながらスプーンでくるくるかき混ぜていた香穂子が、ふと手を止めて俺をじっと見つめてくる。口元に運ぼうとしていたスプーンを皿に戻し置いて、どうしたんだ?と微笑みかけた。


「香穂子、その・・・もしかして俺の顔に、何か付いているのか?」
「付いてるよ〜。美味しそうに緩んだ、蓮のほっぺが! 見てる私まで幸せになっちゃう」
「・・・っつ、香穂子っ!」
「な〜んてね、でも本当だよ。ふふっ・・・蓮ってば照れてる〜。ねぇねぇ、今思ったんだけど、カレーって私たちみたいだって思わない?」
「奇遇だな、俺も似たような事を考えていた。香穂子の作るカレーは、君のようだと思ったんだ」


本当!?と嬉しそうに目を輝かせながらテーブルに身を乗り出す香穂子に、あぁ・・とそう返事と笑みを向ける。
再びスプーンを口元に運ぶと、熱く込み上げる辛さを和らげるように、ふわりと甘く優しい味が広がった。
まるで俺に向ける君の笑顔と、心に染み広がる優しさのように。


俺の家や香穂子の家、店などそれぞれのカレーの味があるように、俺と君だけにしかない味がある。
湧き上がる熱さと、蕩けるような甘さ。食べれば、もっと・・・と次を求めたくなる。

そう、このカレーは君自身。同じなんだ、心と身体に感じるものが。

君の音色が心地良いと思う時の甘さや、明るい笑顔に湧き上がる活力。
そして君が好きだと想い焦がれて込み上げる熱さや包み込む温かさ・・・。
君の作ったカレーが好きというのは、つまり君が好き。


「カレーって作って直ぐに食べても美味しいけれど、一日経つとコクや深さが増して、もっと美味しくなるでしょう? 冷めても温めなおせば、何度でも違う味が美味しく食べられる。それがね、出会ってから今までの一緒に過ごす毎日に似てるなって思ったの。大好きだって言う想いが、積み重なっていく感じに」

「確かに似ている。君と喧嘩してしまってもすぐ仲直りする・・・そんなところも似ていると思わないか? 熱さと辛さを例えるなら、その後の俺たちだ。例え些細なものでも喧嘩の後は互いに温め合い、更に想いと絆を深める・・・たっぷり朝まで。君への愛しい想いは、一日ごとに積み重なって熱く深まるばかりだ」
「そ、そうだね・・・。ちょっとの喧嘩でも私たち、い〜っぱい仲直り、するもんね・・・」
「香穂子、顔が赤いぞ・・・」
「か、カレーが凄く辛いから、熱いのっ!」


真っ赤になって頬を膨らませ、スプーンをぎゅっと握り締めた香穂子は慌てたようにそう言うと、ミネラルウォーターの入ったグラスを手に取り、一気に飲み干し始める。

恥ずかしさを強気で誤魔化してはいるが、一体どちらの熱さなのやら・・・。
俺は香穂子を見つめたまま、込み上げる愛しさに瞳を緩めて小さく微笑んだ。


成る程、だから俺は、このカレーが君のようだと思ったんだな。
ならば君も食べながら、俺のようだと思ってくれたのだろうか。

じゃがいもや玉ねぎといった具は、いわば俺たち自身。
スパイスは大好きな気持や思いやり・・・お互いに想う気持ちがいっぱい詰まっているんだ。
どれかがたった一つ欠けても、カレーも俺たちも出来上がらない。
ならば俺たちがもっと溶け合うようにと、祈りを込めて皿にあるルーの部分を軽くスプーンでかき混ぜた。


蓮のイジワル・・・と拗ねる香穂子の言葉が心に直接響いて、ふと顔をあげると、ほんのり頬を染めたまま、拗ねて唇をすぼめる香穂子と視線が絡む。
すまなかった・・・と。月森が琥珀の瞳を緩めて宥めるように微笑めば、香穂子もくすぐったそうな笑みを返す。私こそごめんねと、真っ直ぐ見つめて小さく肩を竦めながら。


「優しさ、愛しさ、情熱・・・いろいろな想いが一つに溶け合わせて、俺と君とで一つになろう。熱さと温かさ、満ち足りた幸せをもたらすこのカレーのように」
「これからの私たちもじっくり熟成して、深いコクと味わいを出さなきゃ。一口食べたら心も身体もポカポカになるくらいの、熱い恋のスパイスをたっぷり効かせてね」


お互いにスプーンで皿にあるカレーをすくうと、グラスを持つように目線まで高く掲げあう。
甘く見詰め合う瞳で乾杯と・・・そう語りかけ、差し出しあったスプーンをカチンと音を立てて触れ合わせた。

俺のスプーンの行き先は、香穂子の口元。僅かに腰を浮かせて身を乗り出す彼女が、大きな口を開けてパクリと食いついた。そして今度は満面の笑みで頬を綻ばす香穂子が、俺の口元へとカレーの乗った先程のスプーンを運んでくる。あ〜んと言いながら、一緒に大きく口を開けて。


自分の皿から食べるより君の手から食べさせてもらった方が、美味しさも身体に感じる熱さも倍以上だ。
それは口から感じる君自身・・・大好きだという想いも大きくなったから。
今日よりも明日・・・明日よりも明後日と。
日々を重ねる事に味を深めるこのカレーのように、俺たちも想いを深めていこう。