夢の花



庭先のテラスにある寝椅子に横たわりながら、夜風を浴びての夕涼みのひととき。暑中見舞いも残暑見舞いに・・・八月も、もう終わりやね。暦では秋言うとうけど、名ばかりで残暑が厳しい日が続いとる。しかし雲の色や風向き、空の高さは秋の気配。確かに暑いのは昼間だけで、朝晩は涼しなったな。日暮れの時間も早ようなった。


菩提樹寮の庭に茂る緑の枝先も、ひっそりと夕暮れを知らせとう。白い化粧刷毛に似て、ほんのり紅を差したような花が咲いとるやろ。それが合歓の花や。濡れた梅雨明けから夏の終わりにかけて咲くんやけど、昼間は萎んで夕方になると咲き始めるんよ。夕方になると羽根みたいな葉が合わさって、眠っているように見えるから・・・らしいで。

日が落ちた夕暮れから夜にかけて、目立つことを避けるように、ひっそり咲くから夢の花。夜に咲く花なんて、ずいぶんと叙情的だと思わん? まるで今腕の中におる、あんたみたいや・・・なんてな。


「・・・んっ、すぅ〜・・・」
「小日向ちゃん?」
「なんや、起きたのかと思ったやん。ふふっ・・・小日向ちゃんは眠っていても可愛えぇなぁ」


腕の中にいる小さな眠りの花へと囁きかければ、無意識にも優しい微笑みがふわりと浮かんだ。くるくると動き輝く大きな瞳は、羽根みたいな葉が合わさるように閉じられ、白い頬にはほんのり浮かぶ花の赤み。


団扇を片手に涼んでいる土岐の所へやってきた小日向と、ついさっきまで語っていたのが合歓の花だった。「なぁ、しっとう? ここの庭には夕暮れ時に、夢の花が咲くんやで」と、二人だけの秘密を話すように内緒の指先を立てながら。艶のある微笑みに照れるよりも好奇心が勝ったらしく、きらきらと瞳を輝かせて真っ直ぐ振り仰ぐ笑顔。

示した庭先の木へ駆け寄ったものの、その時はまだ花を閉じていたら花の姿を見ることもなくて、残念そうやったなぁ。
本当に、あんたは素直やな。心が思うとおりの表情をくるくると描く・・・だから見ていて飽きないし、一緒にいても気が休まるんだと思う。


「あんたも紅を差した合歓の花みたいやね。今なら見たがってた夢の花が咲いとうよ。起きんのなら、あんたの白い肌へ赤い花を咲かせてしまおか」


腕を枕にすやすやと眠るあどけない寝顔は、心ごと全てを委ねてくれる証とわかっとうけど・・・もうちょっと警戒せなあかんで。
あんたを食べようとしている狼さんが、ここにおるとも知らんで、気持ち良さそうに寝とるわ。まぁ。風邪を引かせないようにこうして温めているのは、俺の意志なんやけど。だからこそ悪戯をしないようにと、なけなしの理性で耐えているのに、薄い夏の制服越しに触れ合う体温と、寝返りで擦り寄る無邪気な可愛さには敵いそうもない。


ふと気付けばいつの間にか、庭先のテラスは夕暮れのオレンジ色に包まれ、影の濃さも増している。吹き抜けた風に夜の凛とした涼しさを感じて、枕にしている腕を動かさないように、もう片方の手でゆっくり仰ぐ団扇の風を止めた。 いつもより少し窮屈なのは、この場所を気に入ったもう一人が同じ寝椅子にいるから、だがこの狭さも心地良いと感じてしまう。

会話の途中でいつのまにか眠ってしまったのも、夏の暑さにやれて疲れたんやろな。


「小日向ちゃん、ちょっとだけ堪忍な」


ちょっとだけやと自分に言い聞かせて、顔を寄せれば触れ合えそうに近い頬を包み込む。しっとり吸い付く肌の柔らかさと瑞々しい弾力に、柄にもなく思わず鼓動が飛び跳ねる。あかん、俺そうとうあんたに惚れてるわ・・・そう苦笑しながらも、頬を寄せたくなる衝動は抑えることが出来なくて。枕にした腕を支えにしながら横向きに半身を起こし、頭の横に手をついて覆い被さった。

さらりと流れる髪がヴェールとなれな、そこは二人だけの世界。そっと触れる優しいキスを届ければ、眠っていても分かるのか無意識に微笑み、口元が小さく動き言葉を紡ぐ。


「んっ・・・ん〜。」
「目が覚めたん? おはようさんやで。と言っても、今は夕方やけどな。小日向ちゃん、寒うない?」
「はい、すごく温かくて幸せです〜ふわふわする。あの、ここは・・・」
「ちょっと狭いけど、堪忍な。俺の指定席、菩提樹寮のテラスにある寝椅子や。小日向ちゃん、俺とここに座って話していたら、いつの間にか眠ってしもたんよ」
「・・・っ! ・・・ほ、蓬生、さん!? これって腕枕ですか! どうして私・・・っ」
「ふいに黙ったと思うたら、コツンと甘えて寄りかかる・・・あっという間に眠りの海や。ふふっ・・・小日向ちゃん、眠っていても俺を誘うなんて、悪い子やね」


眠りと目覚めを彷徨う蕩けた瞳がゆっくり焦点を結ぶと、目の前に抱き締められた俺の顔を見上げながら、不思議そうにぱちくりと瞬きをする。どうしてここにいるんだろう?、そう小首を傾げる動きがぴたりと止まり、あっという間に真っ赤な茹で蛸に染まった。首筋や耳までも赤く染めて、羞恥に耐えながらじっと動けずに。抱き締めた小さな身体は火を噴き出しそうに、熱い。


悪戯に鼻先を触れ合わせながら艶っぽく囁けば、呪文が溶けたようにじたばたと腕の中から身動ぎ始めた。あぁほら、慌てて起きたら椅子ごとひっくり返ってしまうやん。跳ね起きる上半身をやんわりと腕の中へ引き戻し、ぽんぽんと優しくあやしながら微笑みを注ぐ。真っ赤に瞳を潤ませながら睨むあんたも、可愛いなんて言ったら、もっと拗ねてしまうやろか。


「真っ赤になって心配せんでも、あんたに何もしとらんよ。悪戯せんでええ子にしとうから、安心してこのまま大人しくしとき。炎天下中で練習して、疲れたんやろ。さっきより顔色もようなったわ」
「蓬生さん、もしかして心配してくれたんですか? ありがとうございます。言われてみれば、目が覚めたら身体がすっきり軽くなったような気がします。でも休むのなら、隣の寝椅子に一人で寝る方法もあったのかな・・・なんて」
「夏も終わりに近付いて、日が暮れると涼しくなってきた。このままあんたを、隣の寝椅子で一人寝かせるのもえぇけど、大事なときに風邪引かせたらそれこそ一大事や。かと言って寝ているあんたを、一瞬でも一人にさせとうは無かった。風邪ひかんように温めるには、こうして抱き締めるのが一番やで」


にっこり微笑めば、腕の中できゅっと身を固くしながら、それでも真っ直ぐ決意を込めた眼差しが振り仰ぐ。恥ずかしいからそろそろ離してもらえないか? もう寒くないし熱いからと上目遣いでおねだりをしてくる。目が覚めたのなら抱き締めたあんたを解放してもえぇけど、可愛くおねだりされたら「もっとこのままで・・・」と言われているように聞こえてしまう。ふふっ、そない必死やと逆に悪い癖が出てしまいそうや。


「私ばかりがポカポカ温まっても、蓬生さんが寒いでしょう? 枕にしている腕も、疲れちゃいますよ・・・蓬生さんだってヴァイオリンを弾く大切な腕なんですからね。だんだん熱くくなって汗かいてきちゃったし・・・私はもう大丈夫だから、ね?」
「小日向ちゃんは軽いし、これくら俺は平気や。それとも、熱くなったのなら今度は俺が脱がしたろか」
「もう〜っ、蓬生さんのエッチ! もう知らないっ。私が何か出来ることはないかなって、真剣に悩んだのに」
「あぁすまん、堪忍や。なら、俺に腕枕してくれへん? 」
「へっ、腕枕!? あの、今ここで・・・ですか?」
「腕枕は女性だけの特権や、なんて思うてない? 残念や、男も大好きな人に甘えたいものなんやで。ちょっとの間だけでいいから」


少しでも身動げば狭い寝椅子から落ちてしまうから、背中を抱き寄せ鼻先を触れ合わせながらも、これ以上驚かせてないように。苦しくせめぎ合う理性と欲を宥めながら、慎重に。驚きに目を見開き、揺れる瞳に艶めく微笑みを注ぐと、甘い媚薬で呪文をかけるように吐息で囁く。

呼吸も瞬きも忘れて真っ直ぐ俺を映すと、たちまち瞳は潤みだす。白い肌に赤みが差した夢の花が咲くように、腕の中で熱を灯しながら真っ赤に染まる顔が、愛おしい。夕暮れから咲く花が、ここにもあるで・・・俺だけのとびきり可愛い花が。あぁそういえば、「星は夜空の花で、街の灯りは地上にの星」って、誰か偉い作家が言っとったわ。


「なぁ小日向ちゃん。俺らも二人だけの夢の花を、咲かせてみよか? 夢の中と言わず、朝まで・・・」
「えっ・・・あのっ、ここじゃ駄目ですっ。窓の向こうは、ラウンジなのにっ」
「ふふっ・・・なんてな、冗談や。ほら、そんなに頬を真っ赤に染めて怒らんといて」
「もうっ、からかわないで下さいっ。さっきから蓬生さんに、ドキドキされっぱなしです。本気にしちゃうじゃないですか・・・」
「寝顔や温もりを感じていたら、あんたが夢の花に思えたんよ。ほら、ちょうど庭先に、さっき話した赤い花が咲き始めたやろ。癒されたんは俺の方なんやで・・・ほんま、癒されたわ。このままずっと、あんたといてたい。手放しとうない」


本気だと言ったら、俺の願いを叶えてくれるん? そう言いかけた言葉を、ぐっと飲み込み柔らかな微笑みに変えた。しなやかな髪に指先を宥めてながら、穏やかな呼吸を導くようにゆっくりと何度も撫で梳いてゆく。一瞬見せた本気を隠し忘れさせるように、ぷぅと頬を膨らませて拗ねたご機嫌が、直るように心を届けて。


「あの、蓬生さん?」
「ん?どないしたん、小日向ちゃん」
「ちょっとだけなら、良いですよ・・・その、腕枕。いつもやってくれるから、たまには私からありがとうを伝えたいな」
「・・・そない色っぽい誘い文句、可愛い顔でいうもんやないで。本気にしてまうやないの・・・どうなっても、しらんよ」


なぁ、しっとう? 昔話に、こういうのがあるんや。夫が不機嫌なときに合歓の花を酒に入れて飲ませると、たちまちご機嫌になるんやて。ふふっ・・・本当やろか、今度試してみよか。可愛く拗ねた小日向ちゃんの顔が、笑顔に変わるかもしれんな。

怒りん坊が怒らん坊になる花やね。僅かに身体を起こし、庭先にほんのり染める花に視線を送れば、触れ合う肌を震わせながら、くすくす微笑む笑顔の花が咲く。


合歓の花は、合い歓ぶとく意味で、花言葉は歓喜。仲よう円満に通じるように、庭に植えられる木なんよ。
でも・・・そうやな。あんたが心の底から、夢の花になりたいと思うまでは、我慢したるわ。