夢じゃない証に

星がみたいとそう香穂子と話していた数日後、プラネタリウムを眺めながら食事が出来るカフェを見つけたのだと、嬉しそうに雑誌を広げてきた。場所は俺たちが暮らす街から少し遠いけど、日帰りで何とか行ける観光地。
プラネタリウムだけなら近くにあるのに、わざわざ遠くまで行かなくても・・・そう思うが興味をそそられるのは確かで。彼女も一度興味を示して目に付いたら、もう心奪われ他の事は考えられなくなってしまったらしい。

最新の投影機を使っているから星の数が凄いのだとか、実際には難しいけどオーロラを眺めながらご飯が食べられたら素敵だよねと。目を輝かせて雑誌を指さしながら熱心に語る香穂子の瞳にも、煌めく星が灯っているように見える。日が暮れたら本物の星も見えるよと言うけれど、そんな遅くまではいられないのが残念だ。


せっかく知らない街へ脚を伸ばすのだから、周辺の散策も兼ねようと思い立ち、二人だけの日帰り小旅行となった。「行きたいところはあるか?」と香穂子の希望を聞きながら、いつもは何気なくふらりと出かける事が多いのだが、限られた時間でとあってはそうもいかない。

出発する時間や巡る場所を、二人で相談しながら決めて調べてゆく・・・計画を立てるだけでも、こんなにも楽しいのは香穂子がいるからだろうな。遠足みたいでワクワクするねと笑顔をみせながら、あれもこれもパンフレットを片手にはしゃぐ君が愛しくて。毎日が休日なら良いのにと思わずにはいられない。





二人で過ごす休日は俺たちにとって毎日のご褒美でもあり、俺たちがありのままの姿でいられる大切な時間。約束より少し早めの時間に来たにも関わらず、お互いが既にいる事に顔を見合わせ小さく笑い合い・・・待ち遠しさに心逸らせながら迎えた当日。朝から出かけた一日が、あっという間に終わろうとしていた。


日が暮れかけてオレンジ色が広がる綺麗な夕陽。豊かな自然・・・溢れる緑に降り注ぐコントラストが、息をのむほど幻想的だ。長閑でこぢんまりとした駅舎には、電車が行ってしまった後らしく人の姿もまばらで静けさに包まれている。一本逃しても次がすぐに来るという使い慣れた環境とは違い、電車は一時間に数本程度だ。時計と時刻表を見比べれば、次に乗ろうとしている電車が来るまでだいぶ時間が余っていた。


さて、どうするか・・・。隣に佇む香穂子も、俺と同じように時刻表を見上げている。


「すまない、電車が行ってしまったばかりのようだな。どうする? どこかで時間を潰すか?」
「このままのんびりホームで待っていようよ、蓮くん私は平気だよ。他で時間を潰して、万が一数少ない電車を乗り過ごしたら大変だもの。せっかく遠い場所まで来たんだもん、何もしないでゆったりとした時間と景色を楽しむのも、小さな旅の醍醐味だと思うの」
「そうだな、香穂子と過ごした一日を振り返るのには、良い時間だな」
「でしょう? でもね、まだ私たちのデートは終わりじゃないの。家に着くまでが・・・うぅん、お休みなさいって夜に眠るまでが二人の一日なんだよ」
「・・・・まだ一緒にいられるな、眠った後も夢の中で」


拳を握りしめながら、真っ直ぐ俺を見つめて主張する瞳は真剣そのものだ。この地を離れて家路に着けば、もう一日が終わって慌ただしい日常に引き戻される・・・そう寂しさに沈み欠けていた俺を、一筋の光で照らしてくれる。言葉と一緒に微笑みで返せばそわそわと視線を泳がせ口ごもり、夕日を受けるオレンジ色の頬にうっすら赤みが差したように見えた。

自然に緩む頬が止められないのは、照れているのだと分かるから。じゃぁ行こうかと視線で改札の向こうへと誘い、切符を買って小さな改札を通り抜け、まだ人気の無いホームのベンチに並んで腰を下ろす。


「私ね、こんなに緑に囲まれたのは久しぶり!自然が多いから空気が美味しいよね、何だか心のお洗濯も出来たみたい。綺麗な空気と自然の中でヴァイオリンを弾いたら、楽器も私たちも気持ち良いだろうな〜。えっと・・・あのね、今日は我が儘言って遠くまでお出かけしてごめんなさい。でも凄く楽しかった、蓮くんありがとう」
「どうして謝るんだ? 礼を言うのは俺の方だ、今まで見たどのプラネタリウムよりも最高の星空が見れたのだから。ありがとう香穂子、いい気分転換が出来た。またこうして、二人で出かけたいな」
「うん! またお出かけしようね。頭の上の丸いドームスクリーンにオーロラが広がった時には、ご飯食べるの忘れて見とれちゃったの。いつか本物が見てみたいな〜」


いっぱい歩き回ったよね〜とふいに俺を振り仰ぐと、香穂子は両手を絡めて腕を伸ばし思いっきり伸びをし始めた。瞳を閉じて大きく深呼吸した表情は見ている俺が幸せになれるほど満ち足りていて、楽器も持ってくれば良かったねと無邪気に頬を綻ばせている。鞄に入れて空気を持ち帰れないかなと、人差し指を顎に当てて眉を寄せているけれど。俺も周りを包む空気ごと、君を閉じ込めて持ち帰れたらと思うんだ。





隣の香穂子を見つめながら思わず目を細めてしまうのは、地平線に沈もうとしている大きな夕陽を正面にしているからなのか。それとも微笑む君が愛しすぎて、胸が甘く締め付けられるからなのだろうか。


同じ太陽な筈のに夕暮れ時のオレンジ色は、朝日の眩しさと違って切なさが込み上げるのは何故だろう?
腕に伝わる温もりに我に返れば、ふと込み上げた心の痛みに眉を寄せ耐える俺を、香穂子が腕に手を添えながら、心配そうに脇から覗き込んでいた。


「蓮くん・・・どうしたの? どこか痛いの?」
「いや・・・何でも無いんだ、すまない。朝早くから予定が詰まっていたから、香穂子も疲れただろう? 帰りの電車の中で座ったら、君はぐっすり眠ってしまいそうだな」
「えっ・・・えっと! 頑張って起きるんだけど、隣に蓮くんがいてくれると安心するっていうか。肩や腕が温かくて気持ち良くて、つい眠くなっちゃうの・・・帰りも寝たらごめんね。重かったら、揺すって起こしてね」
「君に貸せる肩があるのは嬉しい、ゆっくり休んでくれ。香穂子の言うように、この辺りでのんびり深呼吸するのも大切だなと思ってたんだ。しかし静かだな、前の電車が行ったばかり言うのもあるが、いつも暮らしている街ではあまりない光景だ。その・・・心細くはないか?」
「どうして?寂しくないよ。今はね、それが嬉しいとさえ思うの。上手く言えないけど、綺麗だよね。知らない街で私たちの他に誰もいなくても寂しくないのは、きっと蓮くんが一緒だからだと思うの」


ふわりと浮かべる微笑みに夕陽の切なさはいつしか、君がくれた温かな優しさ色へと変わる。
優しさ、労り、励ましがいろんな色に輝いて、俺を満ち足りた穏やかな気持ちへと導きながら。


限られた時間を大切にしたい、一刻一秒も無駄にはしたくない。あれもこれもとつい欲張りたくなるのは今日のような一日だけでなく、この先に・・・と心のどこかでそう思うから。詰め込んだ分だけ後からやってくる寂しさ味わいたくなくて、気ばかりが焦ってしまうのだろう。確かにゆとりが足りないな、これでは本当に大切にしているのかどうかと唇を噛みしめたくなる。

このまま深みに引きずられそうな想いを断ち切りろうと、突然立ち上がった俺を,、香穂子はどうしたのかと不思議そうに見上げていた。


「・・・次の電車の時間を確認してくる。そうだ、喉が渇かないか? 何か飲み物も買ってくるから、少し待っていてくれないだろうか」
「え!? う、うん・・・ありがとう。じゃぁここで待っているね、行ってらっしゃい〜!」


肩越しで振り返れば、ひらひら手を振って見送る笑顔の君がいて。すぐ戻るからと口元緩めて返事をすれば、笑顔が更に深いものになる。気づかれないように強く握りしめていた自分の両手が、沸き上がる温かさに溶けたのか、いつの間にか柔らかく緩んでいたのに気がついた。






駅舎の中にある時刻表で電車の時間を確認し、帰宅できるおよその予定時間を計算するするついでに、自販機で飲み物を買う。温かい缶入りの紅茶と無糖のコーヒーを手にして誰もいないホームに戻れば、ベンチに座って俺を待つ香穂子の姿がポツンと一人だけ。


足早に歩み寄ると俺が正面に立っても気がつかないくらい、何やら俯き熱心に手の中をじっと見つめていた。
頬をほんのり赤く染めたり時には一人で笑ったりと、くるくる表情を変えながら。手の中にあるのは君と出かけた時に使えたらいいと、最近俺が買ったシルバーボディーのコンパクトなデジタルカメラ。席を外していた間に預かって貰っていたのだが、暇を潰そうと小さな画面を開いたものの、いつの間にか夢中なっているようだ。



そう言えばファインダー越しに、随分たくさん君を見つめた気がする。シャッターを押した後でカメラを離し、はにかんだように照れる表情の変わり目が幾度無く心を揺さぶり、その度にいろんな君を捕らえたくなった。写真を撮るのは楽しくても取られるとなると照れくさいもので、おそらく香穂子も同じように、戸惑う俺が見たくて何度もシャッターチャンスを伺っていたに違いない。

香穂子がカメラを持って俺を撮したりしながら、互いの視線で交互に相手を切り取り納めて・・・時には通りがかりの人にシャッターを押して貰い二人で一緒に写ったり。


君と過ごす時間を遠い夢の出来事にはしたく無くて・・・少しでも鮮やかな記憶に留めておきたいと願っていた。
この中に閉じ込めてあったんだな、二人だけの時間が。


「香穂子、待たせたな。温かい紅茶で良かっただろうか? 隣へ置いておくぞ」
「蓮くんありがとう! あ、ごめんね、デジカメ借りちゃってる」
「いや、気にせず自由に使ってくれ。朝は操作に戸惑っていたのに、もうすっかり慣れたようだな」


パッと顔を上げて照れくさそうに頬を染める香穂子の隣・・・俺が座る方とは反対側のベンチの上に、買ってきた缶の紅茶を置くと、コツンと響き渡る小さな音が静けさに吸い込まれてゆく。
まだ微かに温もりが残っていた、先程まで座っていたベンチへ腰を下ろし、首を巡らせ隣の手元を覗き込んだ。


「何をしていたんだ? 随分熱心に眺めていたようだが」
「撮った画像を最初から一枚一枚順番に再生していたの。楽しかったな〜ってその場面を振り返りながら。私も蓮くんもね、時間が経つにつれてだんだん表情が変わっていくのに気がついたんだよ。自分を見るのは恥ずかしいんだけど、別々に撮っているのに私たち同じ顔しているんだもん。それが嬉しくて、つい顔が緩んじゃった」
「デジカメの画面を覗いていた時には、気がつかなかったな。君を捕らえるのに夢中で、精一杯だったから」
「あっ、じゃぁ蓮くんも一緒に見てみようよ! もうびっくりするぐらい、恥ずかくなるんだから」


ベンチに座る身体を寄りかかるように傾けながら、ほら見て?とデジカメの画面を俺の方へと向けてくる。
小さな画面を二人で覗く為に互いの髪を絡めるほど頭を寄せ合って、ふと隣を見れば吐息がかかる近さに俺を撮す香穂子の大きな瞳がある。


オレンジ色の夕陽とうっすら染まる頬の赤が、瞳から心へと振り注ぎ色を変えてゆく。手を重ねて彼女が持っていたデジカメを受け取り再生ボタンを操作すれば、俺と君だけの思い出上映会の始まりだ。一番最初に現れたのは、朝に初めてこの駅へ到着した記念に撮して欲しいとせがまれてシャッターを切った、駅舎をバックに眩しい笑顔の君がいた。


デートよりも遠足気分が全開だよねと、自分の姿に顔を真っ赤に染めながら呟くのが可笑しくて。
笑いを堪えるのを僅かに揺れる肩を感じたのか、どうせお子様ですよと更に拗ねて口を尖らせてしまう。
すまなかったとそう謝る俺の頬が緩んでいるから、笑ったのではないと言っても説得力が無いけれど。
拗ねる君も無邪気な君も、まるごと全てが愛しさが募って仕方がないんだ。


どうやらデジカメもそんな俺たちの想いまで、余すとこなく写し取ってくれたらしい。


初めはどことなくぎこちなくて緊張していたけれど、俺も香穂子も次第に柔らかくうち解けていく表情がそこにあった。俺が撮した君、君が撮した俺・・・一枚一枚画像を並べて送っていくと分かる。
本当だ、時間の経過と共に俺たちの表情が少しずつ変わっているんだな。


自分で自分の顔は見えないが、君と一緒にいる時の俺はこんな表情をしていたのか。
改めて見ると照れ臭さが込み上げるのに、好きな相手と眺めるのならば尚更だ。すぐに目を反らし画面を閉じたくなるけれど、こんな俺も君も目に焼き付けておきたいとそう思う。
そわそわと落ち着かないのは俺だけでないと、触れる温もりで感じるから。


溶け合う空気を示すように同じ微笑みや笑顔の俺たちが教えてくれる・・・写真に写る視線の向こうには、見つめ合い視線の絡まる俺や君がいるのだと。二つのものが一つになって、時間を共有していた証だ。
画像が最後になるにつれて溢れる幸せも高まってゆき、互いにカメラの両端を持って支えながら、寄り添う側の空いた手は膝の上でしっかり結び繋がれていた。


「フィルムで写真を撮っていた頃には、すぐに見返す事は出来なかったが、デジカメは便利だな。こうしてすぐに共通の記憶を再現する事ができる。鮮やかに心へも焼き付くから、夢じゃないんだと実感できるんだ」
「二人でたくさん撮ったから、まるで映画の上映会みたいだよね。主演は蓮くんと私だよ」
「そうだな、一日の中で物語が詰まっているのだから。では最後の締めくくりにもう一枚、写真に納めないか」


再生していた画像を一旦閉じ、屈んでいた身体を起こした。どこで撮るのと小首を傾ける香穂子に緩めた瞳を向け、この場所で・・・そう囁きながら肩を抱き寄せ腕の中に閉じ込める。シャッターボタンを構えながらレンズの先を自分たちへと向け、画面に納まるようにと優しい香りのする髪に愛撫をしつつ頬をすり寄せた。


触れ合う頬がどちらともなく熱い。
早くシャッターボタンを押したいのに、このままでいたい自分がいる。
頬の熱さが増した香穂子が腕の中で小さく身動ぎだすのを、どうか反らさないで欲しいと言葉の変わりに、抱きしめる腕の力を強め更に閉じ込めた。


「あの、えっと・・・蓮くん? まだ、かな?」
「・・・すまない。では撮るぞ」
「うん! にっこり笑おうね〜」


息を詰めるように、カメラのレンズを見つめて数秒後。薄暗い夕闇に包まれる中で、構えたデジカメのフラッシュが鮮やかに光を放った。保存した画像を出すべくボタンを操作をしていると、待ちきれない香穂子が俺の膝をポンポン叩きながら、早く見せてと身を乗り出しせがんでくる。

少し待ってくれと微笑みで宥め、小さな画面を俺たちの真ん中へ差し出した。




撮した画面を再生したら、同じ一つのものを見つめていた俺たちは、どんなふうに写っているのだろうか?
ただこれだけは分かるんだ。君と俺のフィルムストーリーのラスト飾る、今日最高の一枚になるに違いない。
今の俺たちを、時間と想いごとそのまま閉じ込めたのだから。





俺と君で作るたくさんの素敵な思い出をもっとたくさん作ってゆこう、一緒に重ねた時の証を。
ひとりの時も温かさに満たされるように。
そしていつの日かテーブルに並べて、二人で懐かしく語れる日がくるように。