雪の日のお迎え



花のように舞っていた雪が降り続けた夜、窓の外を眺めながら、香穂子と電話で話していた。
出かける約束をしていた明日には、この雪が止むだろうか・・・積もっているだろうかと。
久しぶりに降る雪に、誰も踏みしめていない雪道を真っ先に歩きたいのだと、君は嬉しさで興奮していたな。

携帯電話の向こう側から感じる、吐息と鼓動。窓に張り付き笑顔を浮かべる確かな存在が見えるから、すぐ傍にいるように思えてつい頬が緩んでしまうんだ。雪降る夜は身体の芯から凍らす筈なのに、温かささえ感じたのは、携帯を切っても耳に残る君の優しい声のお陰かも知れない。


夜が明けた街は澄んだ青空と、全てが柔らかい雪の絨毯に包まれる白い世界へと変わっていた。俺が迎えに行くから・・・そう約束していたのに、香穂子は朝も早いうちから、待ちきれずに俺を家まで迎えにやって来た。
だが予定よりも早く目覚め、既に支度を終えていたのは、どこかで浮き立つ予感を感じていたからだと思う。




「蓮くんほら見てみて、雪を被った街路樹がキラキラしてるよ〜綺麗だね。葉っぱの洋服が無くて寒そうだったけど、今度は白い雪のコートを着ているの.。もう寒くないかな、ふわふわで温かそうだね」
「白いコートを着ている香穂子と同じだな。触れる雪は冷たいのに、こうして君と一緒に眺めると温かそうに思えてくる。雪の柔らかさがそう感じさせるのか、それとも白い色のせいなのか・・・不思議だな。いや、俺自身が温かいからそう思えるんだろうな、君が隣にいてくれるから。香穂子、寒くはないか?」
「雪に埋もれても良いように足下はブーツを履いているし、ふかふかの耳当てもしているから温かいの。ねぇ蓮くん、聞こえた? 新しい雪を踏むと、キュッキュッって鳴くんだよ。私たちとお話ししているみたいだよね」


お気に入りの白いコートを着た香穂子は、雪うさぎのように白くてふわふわだ。片足をちょこんと上げて、茶色いブーツの足下を俺に披露すると、ピンク色の手袋をはめた手を耳に当てる。寒くないようにと耳に付けている、同じ色の耳当てが温かそうだ。まるで雪の中で俺に微笑む、君の笑顔のように。

真面目に言ったら君は笑うかも知れないが。もしも冷たい雪が、君のような色なら温かいのだろうな。吹き抜けた北風を避けるようにマフラーへ顔を埋めると、香穂子が心配そうに振り仰ぐ。


「あ、大変! 蓮くんの耳が赤くなってるよ! 風が吹き抜けると痛くて千切れそうになるよね・・・とても冷たそう。大丈夫? ピンク色だけど、私の耳当て使う?」
「いや、俺は平気だから君が使ってくれ・・・さすがに照れ臭いから。耳はマフラーやコートで覆えないから、こればかりは仕方ないな」
「音色を聴く大切な耳だから、ヴァイオリンを弾く手と同じくらい大切にして欲しいなって思うの。手は繋げば温かくなるし、身体は抱き締めあえばポカポカになるよね。だけど耳はそうも行かないし、どうしたらいいかな・・・そうだ! ねぇ蓮くん、ちょっと屈んでくれる?」
「・・・こうか?」
「うん、そんな感じ! 私の手を、はぁ〜って温めてと・・・」


身を屈めると、つま先立ちをした香穂子が両手を伸ばしてくる。ふわりと耳に感じたのは、手袋の柔らかさと微かに残る吐息の温もり。思わず驚いてぴくりと肩を揺らす俺に、きょとんと目を見開いた君が小さく微笑んだ。


汗ばむ程に熱さを感じるのは、雪うさぎの君を追いかけていたからだろうか?
いや、それだけじゃない。ふいに脚をとられ転びそうになる君を、何度も腕の中へ抱きとめていたから・・・。
雪の白い光りを浴びて輝く君の笑顔と優しさに、何度も捕らわれ心が揺さぶられるんだ。

「・・・か、香穂子!?」
「これでどうかな。ちょっとの間だけど、少しは寒さが凌げるって思うの」
「・・・ありがとう、香穂子。冷たく凍っていた耳が、君の温もりで溶けてゆくようだ・・・心の中まで温かい」
「良かった! じゃぁ蓮くんの耳がまた冷たくなったら、お散歩の途中で温めてあげるね。今日の私は、蓮くんだけのフカフカな耳当てなの」


瞳を緩めると、受けとめた香穂子の笑みも一層甘く深まったように見えた。耳朶を包む指先にきゅっと力が籠もり、心まで掴まれた甘い痺れが駆け巡る。そっと手袋が離れても、心臓が耳にあるのではと思えるほどに・・・熱い。
だが香穂子も同じように頬を染め、もじもじと照れ臭そうに組んだ両手を弄っていた。

どうしたのだろうかと見つめていると、上目遣いで振り仰ぐ視線にドキリと鼓動が跳ね上がる。ふいに振り仰いだ君が俺の中へ飛び込むように。


「あの・・・ね。いつもよりぎゅっと強く手を握ってくれるのは、私が雪で転ばないようにかな? それとも・・・えっと、うぅん、何でもないの。危なっかしくてごめんね」
「すまない、痛かっただろうか? その・・・元気に駆け回る君から目が離せないのもある。だがそれいじょうに、この手を離したくなかったんだ。真っ白な君が雪の中へ隠れてしまう気がするから、この手から溶けてしまわないように繋いでいたいと思ったんだ。・・・嫌、だっただろうか?」
「ありがとう、蓮くん。嫌じゃないよ、凄く嬉しい。蓮くんが守ってくれるから、つい甘えて駆け回っちゃったの。でも怪我をしたら、せっかくのデートが台無しだから気をつけるね」


ふわりと浮かんだ微笑が、俺の心を包んで温めてくれる。指先の一本一本から再び互いに絡め合う指先が、手袋越しでも柔らかさの感触を伝えてくれた。転んでは危ないから、ゆっくりと慎重に歩いていこう・・・しっかりと手を繋ぎ合って。ゆっくりと歩けば、今まで見えなかった物が見えてくる・・・そう俺に教えてくれたのは君だから。


だが柔らかく踏みしめる雪の感触が楽しいのか、踏み荒らされていない新雪を求め、繋いだ手を引くように軽やかな足取りで駆け回る。一歩一歩しっかり踏みしめながらも、途中で興味を惹く物を捕らえれば、くるりと方向転換だ。
後ろを振り返ればほら、どこまでも続く二人分の足跡が道を作っているだろう? 

君と俺の船は雪の積もった白い海を、あちらからこちらへと、くねくね曲がり泳ぐんだ。
綺麗に雪を被った植え込みや、玄関先に作られた雪だるまなど・・・いろいろなものの前で立ち止まっては二人で眺める。雪を踏みしめるのは楽しいな、君が見つけた物を俺にも教えてくれないか?


「蓮くん私ね、雪の日って大好き」
「俺も、好きだ・・・寒さが嬉しいとさえ思えてくる。香穂子のお陰だな、ありがとう」


二つの微笑みが重ねれば、繋いでいない方の手を伸ばした君が背伸びをして、俺の耳を包み込んだ。
温かい?とそう言いながら、愛らしく小首を傾けて。




サクサクサク・・・・静かな空気に響き合う二つの音と、浮かび上がる白い吐息の風船たち。

いつもの街にいても、見知らぬ角を一つ曲がれば、そこから新しい旅が始まり、世界は広がるんだ。
マフラーに埋もれる香穂子の笑顔が、白い絨毯の光を浴び、いつにも増して輝いてるから俺の心を捕らえて離さない。どんな時も好奇心や夢見る心を大切に持ち続けたい・・・君と共に、そう思えてくる。


二人で温め合いながら、雪を駆けるうさぎになろう・・・繋いだこの手は離さないから。