用意された朝食

休日の朝は、ベッドの上でのんびり過ごすの。いつもならすぐに起きなくちゃいけないけど、こうした時間も私たちにとっては必要なものだから、蓮と二人で決めたんだよ。

目覚めた時に時計を見て、まだ眠っていらるねって思いながらお布団に包まるのが大好き。ちょっぴり得をした気分だし、それにもう少しだけくっついていられるでしょう? シーツの卵はとっても幸せなんだもん。


一度目のおはようは温かい彼の腕に包まれながら、微笑を浮かべた唇で小鳥のキスを送りあう。
でもね、たっぷり一晩中愛しあった翌朝は注意しなくちゃ。離れがくてお互いに抱き締めているうちに、残っていた小さな灯はあっという間に大きく育ち、私と蓮を飲み込んでしまうから。


動けなくなるから駄目ってお願いしたのに・・・。


頬や唇を何度も啄ばみ、優しくあやすキスがくすぐったくて瞼をゆっくり開けば、二度目のおはようがやってくるの。
身体中が重くて腕を持ち上げるのも一苦労な、ベッドに張り付いたままの私。でも隣の枕に寝ていた蓮の姿はなくて、いなくなる筈はないと分かっていながらも急に不安になってしまった。


ねぇ、どこにいいるの? さっきのキスは夢だったの?


きっと今の私は、置いていかれた子犬のような顔をしているのかも知れない。横になったまま動かない身体を叱咤して首を巡らせると、ベッドの脇に腰掛けながら心配そうに見つめる蓮がいた。良かった、ちゃんと隣にいてくれたんだね。目覚めた時に大好きなあなたの顔を、一番最初に見れないのは寂しいもの。

おはようという自分の声が熱い夜の余韻を残し、ちょっぴり掠れているのが恥ずかしい。シーツを丸ごと引き被りたい気持いっぱいの熱い頬が、ひんやりした手の平に包まれた。気持いいなってふんわり緩んだところへ、片肘で支えながら身体を傾ける蓮の唇がしっとり重なる。さっきまでの情熱的だったキスとは違う、優しい羽根のようなキスが。


「おはよう、香穂子。良く眠っていたな、目が覚めたか?」
「蓮・・・地球には本当に重力があるんだね。目に見えないけど、今ものすごく実感しているの」
「起き上がれないのか・・・すまない。ゆっくりできる休日だと思うとつい、抑えきれず君を求めてしまう。他にどこか辛いところはないか?」
「私は平気だよ、ありがとう。だって幸せでいっぱいなんだもの。そんなに悲しそうな顔しないで、ね?笑って?」 


動けないよって頬を膨らませようとしていた気持はあっという間に消えてしまい、あなた色のときめきに変わる。想いのこもったキスって、言葉よりも大きな力があるんだね。たった一つでも大きくたくさんの力になるんだよ。毎朝キスを貰うのに、こうして何度も恋しちゃうの。

シーツで胸元を押さえながら彼に支えられ、ゆっくり上半身を起こすとパジャマの上着を羽織らせてくれた。ボタンを留めてる間にふかふかのクッションを持ってきてくれて、背中にそっと当ててくれる。大切にされているんだな・・・そんな優しい彼の気遣いが嬉しいなって思う。


蓮が大好きだよ、ありがとうって心のままを伝えたら、重かった身体も心と一緒に羽が生えてふわふわ宙を漂っているみたい。心配のあまり、泣きそうに揺らめいていた琥珀の瞳も微笑みを深く刻んでゆく・・・。
良かった、やっと笑ってくれたね・・・。私の朝は、大好きな蓮の微笑みと優しいキスがないと始まらないんだから。


「香穂子が眠っていた間に、朝食を用意しておいたんだ。俺が出来るものだから、簡単なものですまないが」
「どうして謝るの? 素敵な旦那様が作ってくれる休日の朝ごはんは、私の大切な楽しみなんだからね」
「君にそう言ってもらえると、嬉しい。喉が渇いただろう、水と紅茶はどちらがいい?」
「じゃぁ紅茶がいいな。私ね、蓮が入れてくれた紅茶が大好きなの!」


手渡されたブルーのランチョマットを脚の上に広げると、真っ白い雲のシーツにポッカリ青空が切り取られたみたい。小さな青空だねって頬を綻ばす私へ、料理が乗った木のトレイをベッドサイドから手渡してくれた。膝のランチョマットにトレイを置いて眺めれば、真っ白いボウルにはシリアルが入っていて、小さめなガラスの器にはヨーグルト。時には焼きたてパンになることもあるけれど、大抵はこのメニューが多いみたい。出会った高校生の頃から変わらない・・・彼の馴染みな朝食メニュー。


スプーンにシリアルを盛って一口食べようとしたその時、静止の声がかかり、もう一皿が目の前に差し出された。
ありがとうと受け取れば、今日は時間があったからと照れ臭そうにはにかみ、フイと顔を反らしてしまう。


「今日のはいつもより上手く出来た・・・と思う。まだ改善点は多く残されているが・・・」
「目玉焼きだね〜ボイルしたハムも添えてある! ホテルのルームサービスみたいで嬉しいな、ありがとう」


満面の笑顔でお礼を伝えると反らしていた顔を戻し、小さく頬や口元を緩めてくれた。あ〜んしてくれないのかな?ってにこにこ見つめて待っていたけれど、緊張しているところをみるとそれどころじゃないみたい。疲れ果てた私に栄養がつくようにと気遣ってくれたのか、白いお皿に乗った目玉焼きとピンク色に湯だったハムが、温かい湯気を立てていた。きっと出来栄えが気になっているのかもしれないね。美味しいのは間違いないと思うのに・・・でも蓮らしいなって思う。


難しそうに眉を寄せながら、真剣な顔で卵を割っていたのかなって想像すると愛しさに頬が緩んでしまうの。
目玉焼きの黄身・・・目玉が潰れちゃって、白身もちょっぴり焦げたり形も崩れちゃっている。
ボイルした丸いスライスハムもお湯に晒しすぎたのか、クシュって縮みかけているんだけど・・・。
泣きたいほどに幸せで、胸の奥が熱く疼くのは何故だろう。

料理が苦手なのに・・・一人で包丁とか火を扱ってもしも手を怪我したら大変のなのに。
それでも私の為に頑張ってくれた、蓮の真っ直ぐな想いが嬉しくて、じわりと滲んだ視界を指先で拭った。小さく切れ込みを入れて目玉焼きを一口食べると、受け取った想いが、自分でも止められないくらいに笑顔になって溢れ出すの・・・これは幸せの味なんだね。


「凄く、美味しいよ」
「本当か? 正直な君の感想が聞きたい」


うっとりと浸りかけていた私を引き戻す、妥協の無い真摯な瞳。ベッドサイドに腰かけていた身体を前に乗り出すその光りは、ヴァイオリンを奏でる時と一緒だった。持っていたフォークを皿の上に置くと、真実と高みを求め射抜く強い輝きを正面から受け止めた。誰の為か・・・それが自分だと痛いほど心に直接伝わって、熱く疼かせるの。


「私、蓮には嘘吐かないもん。確かに形はほんのちょっぴり不器用だけど、個性があって楽しいと思うし。卵の味も生きてるし、柔らかさも私好みで好きだな。この目玉焼きは、蓮の想いがぎゅっと詰まった分身・・・私の宝物なんだよ。世界中の、どんな五星シェフでも敵わないんだから」
「それは、褒めすぎだ。確かに最初は真っ黒だったな、それでも君は美味しいと笑顔で食べてくれた。あの時は俺の方が驚いた」
「嘘じゃないよ! 蓮が作るものは何でも美味しいの。いつも言ってるじゃない、最大の調味料は私の愛情だって。
蓮も一緒だよ、自分の事・・・信じてないの?」
「俺は香穂子の手料理が一番好きだ。だが・・・自分の料理となると、音楽と一緒で分かりにくい」


真摯に見つめる瞳に、頬が熱さを増してくる。少し困った切ない微笑の彼に、どうしたら私だけの調味料の存在を伝えられるだろうか。反らせない視線を絡ませあったまま考えを巡らせていると、ある事を閃いたの。
そうだ!いつものアレを蓮の目の前でやればいいんだって。きっと、違いが分かってくれると思うから。

なるべく焦げ目の少ない部分をカットしてフォークに刺すと、手を添えて蓮の口元へと運んでゆく。


「蓮は、自分で作った目玉焼きが美味しくないって思うの? さっきは、上手く出来たって言ってたじゃない」
「そういう訳ではないが・・・」
「じゃぁ私が、魔法の調味料を証明してみせるね。まず一口、これを食べてみて? はい、あ〜ん・・・」
「・・・・・・・・・・・」


あ〜んと言いながらフォークを差し出す私と蓮の顔が、だんだん近付いてくる。私はベッドに座った脚にトレイを乗せて動けないから、蓮がよじ登って側に来てくれた。パクリと食い付き、飲み込んだところを見計らって感想を聞いたけど、別に普通だと神妙に返すだけ。おかしいな〜私にはもの凄く美味しいのに。


「じゃぁもっと美味しくなる魔法のかけてあげるね」
「魔法?」
「料理がもっと美味しくなる、私たちだけにしか使えないとっておきな秘密の調味料だよ。これは料理だけじゃなくて、ヴァイオリンとか普段の生活の中でも使える万能くんなんだから」


見ててね・・・そう言うと、両手で作ったハートマークを胸の前に掲げた。あなたの事が大好きだよって心で語りかけ、食べてくれた時の笑顔を閉じた瞳の裏で思い浮かべながら。そうするとほら、手の平で作ったハートの枠の中に、だんだん温かいものが生まれてくるでしょう? 卵の黄身みたいにプルンプルンに揺れる、ピンク色をした想いの塊が。

もういいかなって頃合を見計らって瞳を開けると、目玉焼きの上にハートを作った手をかざすの。ふわふわを浮かべるように、そっと静かに手を離せば固まったハートがポンと弾けて、キラキラした光りの粉がお皿に降り注いでゆくの。窓からの陽射しを浴びて輝くのは、幸せと希望のバウダーたち。

彼が作ってくれた同じ目玉焼きをもう一度口に運ぶと、信じられないと言うような驚きに見開かれた。


「美味しい・・・。さっきとは違う、本当に俺が作ったものなのか?」
「ね、私が言った通りでしょう? 蓮が作った料理は美味しいって。これが秘密の調味料だよ、最後の仕上げは愛情なの。蓮の事をいっぱい考えながら、好きだよって気持を込めたの」
「そうか・・・ようやく分かった。俺も香穂子の事を想っていたんだ・・・誰よりも君が好きだと。愛しい寝顔を守りたい、笑顔でいてほしいそう願いながら」
「愛を確認しあった朝に蓮が作ってくれたご飯を食べるとね、頑張ろうって強く思えるの。蓮が想いの調味料をたっぷり混ぜてくれたからだよ」
「ありがとう、香穂子。そうだ・・・その、先程のハートは、毎日やっているのだろうか?」
「もちろん毎日やっているよ、キッチンでこっそり。今度からは蓮がいる目の前、テーブルでやってあげるね」
「だから香穂子の料理は美味しいんだな、楽しみだ。出来立てなら、もっと美味しくなるだろうから」


そう言って甘く揺らめいた瞳に火照り出す頬を、手を当てピタピタ熱を覚ましていると、白磁のテーカップにポットから紅茶を注いでくれた。笑顔を交わしながら、受け取った紅茶のカップを互いにカチンと触れ合わせれば、二人で朝の乾杯だよ。濃い目の紅茶よりも温かいものがここにある・・・それは琥珀に輝くあなたの瞳だから。


ちょっぴり不器用な目玉焼きは、あなたの分身。最初は真っ黒で硬かったり、途中でスクランブルエッグに変化もしたけれど。だんだん柔らかく艶が出てきた目玉焼き。潰れて少しだけいびつだけど、休日の朝を迎えるたびに、ちゃんと目玉焼きが育っているのも嬉しいの。シンプルだからこそ、あなたの想いが真っ直ぐ伝わってくるんだよ。

ぷルンプルンの黄色いお月様が私を照らしてくれるのも、きっともうすぐだよね。



でも、もっと大きくて美味しい目玉焼きを見つけちゃった。
真っ白いシーツが広がるベッドにちょこんと座る私たちは・・・ほら。
シーツの卵から生まれた、目玉焼きの黄色い太陽とお月様みたいでしょう?


食べると温かくて幸せになれる、幸せの大きな目玉焼きを二人でつくろうね。
美味しくなる魔法の調味料を、いっぱいふりかけながら。