休日は俺と香穂子の二人で過ごす。いつの間にかそれが、お互いにとって当たり前のような、自然な事になってきたように思う。外に出かける予定が無い時でも、休日になれば必ず君は俺の家に来てくれるから。
ヴァイオリンの音色に言葉を重ねたり、寄り添う身体の温もりを感じながら、絡む瞳で語り合ったり・・・。
ゆっくりと流れる時間と空気に浸る、寛ぎのひと時。

・・・その後に甘く熱い時を、俺の部屋で過ごす事もあるけれど。



君との予定を手帳に全て書き込むと、パズルのピースのように次々と空白が埋まってゆく。
一つ一つの予定に想いを馳せて、いろいろな場面を思い浮かべれば心が浮き立ち、笑顔になっていて。
今日という日が・・・明日が待ち遠しいのは、まるで遠足を楽しみにする子供のようだけれど、君に会う為に俺は一日を過ごしているんだと実感させてくれる。

だからもっといっぱいに、君との予定を、手帳の白い空白に埋めたくなってくるんだ。



ベッドに腰を下ろした月森が、今日の予定を確認する為に手帳を開いた。パラパラとページの捲れる軽い音が止まると、やがて漏れ聞こえてくるのは小さな溜息。そのまま身体を後ろに倒し、両腕を投げ出すように仰向けに横たわれば、ギチリと音を立ててスプリングが軋んだ。


今日の日付は、ぽっかりと心に空いた穴のように真っ白のままだった・・・つまりは君に会えないという事。
ぼんやりと映る天井が、まるで手帳の余白のように俺へと押し迫り、一人でいる事に押し潰されそうになる。
投げ出していた手をゆるゆると持ち上げると、視界から塞ぐように開いた手帳を頭上に掲げた。

どんなに眺めても空白に予定が浮かび上がる事は無く、浮かぶのは俺の溜息と香穂子の笑顔ばかり。
ただ事前に、君と約束をしていなかっただけなんだ。今日用事や約束があるとは、特に彼女から聞いてはいなかったから、会えないと・・・そう決まった訳ではない。

たった一日だけじゃないか。明日になれば学校で会えるんだ。
なのに、香穂子に会えない一日が酷く長いものに感じてしまう。


君は今、どうしているだろうか。何を見て、何を想っているだろうか。
その心の中に、俺はいるのだろうか・・・。
君に会いたい・・・側にいたいんだ。


不在の時間さえも互いの愛が育つように、愛しく想う相手に会えないと・・・離れていると、余計に募る想いがある。君に会えるかなと・・・少し期待しただけで気持が高まってしまい、止められなくて。すぐに行かなければ・・・今しかないのだと、心に灯る熱さが言葉無きメッセージを俺に伝え、何かを教えてくれる。

いてもたってもいられずにベッドから飛び起きると、眺めていた手帳を閉じてベッドに放る。代りに携帯電話を握り締め、導かれるままに部屋を飛び出した。


心に占めるのはただ香穂子に会いたい一心だけ・・・もしも君に会えなかったらという考えは無かった。きっと何とかなると思ったんだ。後先考えずに飛び出すなど今までの俺ならばありえない行動だが、良い意味で香穂子に似てきたのだと思う。もっと君に近づきたいと、嬉しい変化に頬の緩む自分がいる。


黒いアイアン製の門を開けて通りに駆け出ると、俺の視界の端に映った赤く長い髪の少女。もしや・・・と思う心が身体に急ブレーキをかけて立ち止まれば、ちょうど門柱のインターホンを押そうとしていた彼女も、俺を振り返った。ほぼ二人同時に、あっ!と驚きの声があがる。


「蓮くん!」
「・・・香穂子。どうして・・・君がここに?」
「良かった〜私の思ったとおりだ。ちゃんと蓮くんに会えたよ」
「・・・思ったとおり?」


会いたいと願っていた想いが見せる幻ではなく、確かに本物の香穂子が、まさに俺の目の前のにいた。
偶然に驚きと嬉しさが混ざり合い、目を見開いたまま立ち竦む俺に向かって、笑みを咲かせた君は嬉しそうに駆け寄ってくる。そのままの勢いで飛びついてくるのを、胸で受け止めしっかりと腕の中に閉じ込めた。

背にきゅっとしがみ付き、甘えるように胸にすり寄る香穂子から聞こえ感じるのは、早鐘を打つ鼓動と浅く早く弾む息。ほんのり汗ばむ額と染まる頬から、俺の家まで走ってきたのだという事が分かった。


俺の為に・・・息を切らして・・・。


溢れる愛しさが熱さとなって胸に込み上げるまま、彼女を求めて瀬がしなる程更に深く抱き締め閉じ込める。家の前、公衆の道路だという事も忘れて、柔らかな赤い髪に顔を埋めた。
苦しいよと、そう言って身を捩り出す声に僅かだけ力を緩め、ちょこんと顔だけ振り仰ぐ。
だが、せっかく会いに来たのに出かけようとしている俺を見て、香穂子の大きな瞳が不安そうに揺らめいた。


「突然ごめんね。約束してなかったけど、急に蓮くんに会いたくなったから、遊びに来たの。でも・・・あれ? 蓮くんこれから出かけちゃうの?」
「いや・・・その必要は、たった今無くなったんだ。俺も、君に会いに行こうとしてたから」
「本当!? 嬉しい〜。会いたいって思ったら今すぐに顔が見たくなって・・・声が聞きたくなって。どうしても我慢が出来なかったの。お互いの会いたい気持がピッタリ揃うと、約束して無くてもちゃんと会えるんだね」


俺も君に会いたかった・・・と。心ごと彼女に届けたくて真っ直ぐ見つめると、抱き締めた腕の中で小さく飛び跳ねながら、喜びを全身で現すようにはしゃぎ出した。しがみ付いてじゃれる香穂子に体勢を崩されそうになるのを、顔と身体に灯る熱さと一緒に堪えながら、俺もいつの間にか笑みを浮べていた。


どうか落ち着いて・・・背中をポンポンと叩いてあやせば、ごめんねと肩を竦めてはにかみながら、小さく舌を出す。そんな彼女を瞳で包むように微笑を向けると、見上げる額に手を伸ばした。走ってきた汗で額に張り付いた髪を優しく払いのけると、心地良さそうに目を細めて、もっと・・・とねだるように背伸びをしてくる。


「連絡もせず突然やってきて、もし俺が留守だったり用事があったら、どうするつもりだったんだ? 少し時間がずれていたら、行き違いになったかも知れないのに。あ・・・いや、すまない。突然君に会いに行こうとしてたのは、俺も同じだったな」
「大丈夫。私のここがね、蓮くんに会えるってちゃんと教えてくれたの!」


ここ・・・とそう言って香穂子は俺の手を取り、自らの胸の上に導いて押し付けるように手を重ねた。
突然の大胆な行動に、戸惑い慌てて手を引こうとする俺に、心配しないでと自信たっぷりな笑みを浮べる。
触れた手の平から伝わってくるのは、洋服越しに伝わる柔らかさと温もりの中にある、確かに脈打つ鼓動。
それは、もう一つの彼女の心の言葉。


「物語とかでお互いの持つ宝玉が近づいたり感応し合うと、熱くなったり光ったりして教えてくれるでしょう? それと同じでね、私の心が熱くなって語りかけて来るんだよ。蓮くんはきっと家にいる・・・私と同じように会いたいって思ってくれているって。だからね、きっと道の途中だったとしても絶対蓮くんに会えるって信じてた」
「そうだな・・・香穂子の言う通りだ。確かにこうして、俺たちは会えたのだから。君に会いたいと思いながら手帳を眺めていたら、俺にも声が聞こえてきた。だから会いに行こうと思ったんだ」
「私と蓮くんの心の中にある宝石・・・。半分こずつで分かち合った同じ想いの欠片が、会いたいって教えてくれたんだね」
「俺たちの心にある想いの宝玉か・・・香穂子らしいな。どんな伝説の宝玉よりも大切で、価値あるものだ」


今度は俺が香穂子の手を取り、握り締めたまま鼓動の上へと導いた。そして空いた片手は背に廻して、そっと引寄せ抱き締める・・・手だけでなく全てで、俺を感じて欲しいから。
君にも聞こえただろうか? もう一つの俺の声が。



「そろそろ、家の中へ入らないか? 家の前で君を抱き締めたまま立話も、なんだから」
「あっ・・・そ、そうだね・・・・。じゃぁ、さっそくお邪魔します!」
「走ってきたんだろう? 疲れてないか? すぐに冷たい飲み物を用意しよう」
「ありがとう蓮くん! 汗かいて、のど渇いちゃってたの。でも疲れてないし、それどころか元気いっぱいだよ」


汗をかいたならシャワーもあるが・・・と言いかけてぐっと飲み込み、咽元で堪えた。

急に顔を赤く染めて慌て出す香穂子に瞳を緩めて微笑むと、ゆっくりと腕を解いて香穂子を解放する。
空を漂った手は差し出された彼女の手と引寄せあい、しっかりと握り締める。お互いの会いたい気持と、向け合う瞳をも甘く絡め、共に願ったように一つに繋ぎ合わせて。



次の休日には・・・とあえて約束はせず手帳に書き込まなくとも、こうしてお互いが会いたい気持を持ち寄って過ごす事が出来る。それは君と過ごす時間と、寄り添う心が作り上げた、もう一つの心の手帳。
俺の手帳全てが、こんな幸せで満ち足りた時間で埋まったらいいと思う。






約束など無くても