White Day candys

先に起きて朝の身支度を整える香穂子を、俺はベッドの上で半身を起こしたまま見守っていた。
毎朝の光景だが、彼女は鼻歌でお気に入りの曲のメロディーを楽しそうに口ずさみながら、ベッドの側にある鏡の前で髪を整えたり肌を整えたりと、自分との睨めっこに
余念がないようだ。

そんな彼女の姿を、つい頬を緩ませて、微笑ましく見つめてしまう。


目覚めれば俺の腕の中に君がいて、触れ合うほどの近さで微笑みと共に、口付けで「おはよう」と朝の挨拶を交し合う。それは、君と過ごす新しい一日の始まり。


幸せだと、大好きだと。

腕の中から真っ直ぐ俺を見上げて、想いと言葉を伝える彼女の笑顔を見るたびに、温かさに触れるたびに、真っ直ぐなひたむきさを感じるごとに・・・。出会えた事を、この世の全てのものに感謝せずにはいられない。
朝の到来がこんなにも待ち遠しく、心躍り嬉しいものだと感じるのは、きっと誰よりも大切な君が側にいてくれるからなのだと思う。


強さ、優しさ、嬉しさ、喜び、幸せ・・・。
数え切れない沢山の想いをもらったから、俺も受け止めた想いを彼女に返したい。
同じ・・・では足りないな。2倍、3倍・・・いや、それ以上に。



香穂子に気付かれないように、鏡に映らないようにと気を配りながら、背もたれ用に使っている枕元の大きなクッションの隙間に手を伸ばし、昨夜のうちに枕元に忍ばせておいた物をそっと取り出した。

取り出したのはピンク色のラッピング紙に、赤いリボンが咲いた花のようにあしらわれている小さな包み。
両手の中に収まるそれは、一足早い春の訪れのようであり、彼女がもたらす温かさのようにも見える。


君の為に何かしたくて、何か出来る事がとても嬉しいと思う。
喜んでもらえるだろうか・・・と、僅かばかりの不安と、張り詰めた緊張感が心に過ぎるけれども。
でも、きっと彼女は喜んでくれる筈だ
と、俺はそう信じている。
大きな瞳を煌かせ、愛しさ溢れる笑顔を向けて・・・。


瞳を閉じて香穂子の笑顔を思い浮かべながら、俺の中の想いの全てを注ぎ込み、ピンク色の包みに優しく口付ける。気付かれただろかと、唇を離してちらりと横目で彼女を見れば、相変わらず鏡と睨めっこで。
そんな俺には気付く様子も無い様子にホッと胸を撫で下ろしつつ、渡すタイミングを掴むまでは・・・と、乱れたシーツの中に包みを埋めるように隠した。






鏡の前で身支度が終わった香穂子がパタパタと軽やかな足音を引き連れて、再びベットへ駆け寄ってきた。
駆け寄る勢いのまま俺の傍らにピョコンと腰を降ろすと、連れてきた弾む足音と同じようにベッドのスプリングも楽しそうに飛び跳ねる。

朝から元気が良く輝き眩しい彼女に微笑みかければ、シーツに手を付いて半身を捻るように身を乗り出し、ベッドの上で上半身を起こしたまま寛ぐ俺に視線を合わせるように見上げてきた。スプリングの揺れる振動が俺にまで伝わり、向けらる笑顔が更に大きく震わせて、身も心も一緒に弾んでしまいたくなるようだ。

伸ばした手が俺の頭を優しく包み込み、寝起きで少し乱れた髪を優しく撫でながら手串で整えてゆく。その心地良さに目を細めると香穂子の瞳も同じように細められ、寝癖ついてるよ〜と小さく笑いかけながら。


香穂子の髪を撫でると、彼女が気持ち良さそうにしているのが分かる気がする。
髪を梳かれる心地良さと行き交う手の安心感、それに何とも言えないくすぐったさが心に湧き上がり、出来る事ならこのままずっと・・・身を任せていたいとさえ思う。


「じゃぁ私、朝ごはんの支度してくるね。蓮は久しぶりの休みでしょう? 出来たら呼びに来るから、それまではまだゆっくり休んでて」
「あっ、香穂子・・・待ってくれ!」
「どうしたの?」


ハッと我に返り、立ち上がって部屋を出ようとする香穂子の腕を、とっさに掴んで引き止めた。
心地良さに浸っている場合ではないのだ。渡すのは今しかないと、そう思ったから。
浮かしかけた腰を再び降ろした彼女は、掴まれた腕と必死に焦っているであろう俺の顔を不思議そうに眺めている。


「・・・これを、君に受け取って欲しい」


掴んでいた腕を離すと、シーツの中から先程埋めて隠しておいた包みを取り出し、彼女の前に差し出した。
しかし差し出された包みを受け取るものの、一体何事かと、瞳を瞬かせながらきょとんと見つめるばかりで。



もしかして、今日が何の日か分かっていないのだろうか。
バレンタインの時は、あんなにもそわそわと・・・。
いや・・・秘密に隠していたと言う俺にも解るほど、朝から張り切っていたのに。



「今日はホワイトデーだろう? バレンタインに、香穂子からもらったチョコレートのお返しだ。忙しい時間にすまないな。だが、朝一番に君に渡したくて」
「そっか3月14日だったよね、すっかり忘れてたよ。蓮にチョコあげる事に精一杯で、お返しなんてちっとも頭に無かったから。どうしよう・・・今ね、もの凄く嬉しい!」
「いつも俺の側にいてくれて、ありがとう。大好きな香穂子へ、日頃の感謝と俺の想いを込めて。君のように手作り・・・という訳にはいかなかったから、ささやかな物だけど」
「そんな事ないよ、ありがとう。ねぇ、さっそく開けてみていい!?」


俺が頷くと、喜びを身体全体で表す彼女の、ほんのり赤く染まった頬と口元が嬉しさいっぱいに緩められた。
しかし膝の上に包みを乗せて暫し眺めたまま固まる香穂子にどうしたのかと訪ねれば、花の形にアレンジされたリボンを解くのがもったいないと、眉根を寄せて困った瞳を向けてくる。

可愛らしい悩みに思わず小さく笑い、解かなければ中身が取り出せないだろう?と優しく言えば、せっかく可愛いのにな〜と頬を膨らませて、名残惜しそうに指先で赤いリボンを突付いていて。
でも蓮からのプレゼントの方が大事だからと微笑んで、しなやかな指先がそっと丁寧に、花の形に結ばれた赤いリボンを解きにかかる彼女に、愛しさが更に込み上げるのを感じた。


ワクワクを抑え切れないながらも真剣な表情が伺えるのは、ピンク色のラッピング紙を破かないようにと、いつも以上に慎重に包みを開けているからなのだろう。

何故だろうか。彼女の手によって少しずつ包みが解かれていくのは、まるで俺の心が一枚一枚ベールを剥がされて、心のうちを明かしていくような・・・そんな不思議な気持になってくる。

他ならぬ彼女だけに見せる、俺の秘めた熱い心の内を・・・。






「わ〜っ!  ガラスの小瓶に入ったキャンディーボトルだ、可愛い〜!」


それは両手の平にすっぽり収まる小さなキャンディーボトル。ガラス瓶には細かな細工が施されていて、瓶の中にはピンク、水色、黄色、オレンジ、緑など・・・。様々な色合いの小粒なキャンディーたちが寄り集まり、見た目にも愛らしいハーモニーを奏でていた。

感嘆の声を上げた香穂子が、包みから取り出したものを目の高さに掲げ上げ、角度を変えながら何度も魅入ったように眺めている。大きな瞳を、喜び溢れる程いっぱいに輝かせながら。


一つの小瓶の中にいろんな色の粒が詰まっていて、まるでくるくると違う表情を見せ続ける君のようだと思ったから、迷わずこれを手に取った。見ているだけでも楽しいけれど、味わえばもっと魅力的で手放せず、君の甘さの虜になってしまう・・・そんな所まで似ているようだと。



「クッキーとキャンディー、どちらにしようか迷ったんだが、こちらにしてみた。それに・・・あ、いや・・・何でもない。もしかして、クッキーの方が良かっただろうか?」
「私キャンディー大好きだよ。でも買うの大変だったでしょう? だって蓮が一人で可愛らしいお菓子売り場に行くところが、想像できないんだもの。それに、きっと混んでただろうし・・・」
「確かに行き慣れないから照れくさかったけれど。君の為にと、笑顔を見せてくれるだろうかと・・・そう心に想えば不思議と何でも出来てしまうんだ」
「もちろんキャンデーもだけれど、私は蓮の気持が一番嬉しい。これ以上のものは無い、最高のホワイトデーの贈り物だよ。ありがとう・・・蓮が大好きだよ」



キャンディーの入ったガラスの小瓶を大事そうに抱いて胸にギュッと押し付けながら、満面の笑顔を向けた。
ガラス瓶を窓からの光にかざして色とりどりの粒を眺めて見たり、耳元で軽く振って、瓶の中で踊るキャンデーィ達の音楽を楽しんでみたり。
無邪気に喜ぶ香穂子に、俺も緊張感が溶けて自然と頬が緩み、安堵感と嬉しさが込み上げてきた。



「私にはね、この色とりどりのキャンディーの一粒一粒が、蓮に見えるよ。ピンク色の飴、水色の飴・・・それぞれどんな想いなのかなって考えると、ワクワクしちゃう。蓮の想いがいっぱい詰まっているんだね」
「バレンタインの時に君からもらった想いが嬉しかったから、俺も同じものを贈ろうと思ったんだ」
「でもね、こんなにたくさん一人じゃ食べきれないかも。ねぇ、蓮も一緒に食べようよ」
「ありがとう、後で頂くよ。まずは君から先に食べてくれ」


そう?と不思議そうに首を傾けると、俺に差し出していたキャンディーの入った小瓶を引き戻した。
さっそく食べる為にと瓶の蓋を器用に開けて、何色の蓮を食べようかな〜と楽しげに呟きながら、ガラス瓶の中に指を入れて飴転がしながら選び始める。
しかしんでいた香穂子の動きが、何か思いついたのか突然ピタリと止まった。



どこか恐る恐る探るように俺を見つめる瞳は、勘の良い彼女の事だから、きっと気付いたのだろう。
俺があえてクッキーではなく、キャンディーをチョコレートのお返しに選んだ訳を。
そして君へ贈るホワイトデーの本当のお返しは、まだ別にあると言う事も・・・。
照れくささのせいなのか、心なしか目元と頬が薄っすら紅潮しているようにも見える。



「ねぇ、蓮・・・私と同じものをあげるって、言ったよね」
「あぁ、君からもらったのと、同じものを」
「クッキーかキャンディーか迷って、結局キャンディーにしたんでしょう? そういえば、さっきなにか言いかけてたよね。もしかしてバレンタインの時みたく、お菓子という意味だけじゃなくてその後の事も・・・・・?」
「クッキーだと、すぐに口の中で溶けて無くなってしまうだろう? キャンディーなら、クッキーやチョコレートよりもずっと口の中に長く残っていられる」
「・・・やっぱりっ!」


キャンディーの入った小瓶を両手にぎゅっと握り締めたまま、恥ずかしさで顔を真っ赤に染めた香穂子は、俺の視線に耐えられなくなったのか、フイと顔を逸らして俯いてしまう。きっと彼女の中で、バレンタインに二人で一緒に味わったチョコの甘さと感触が蘇っているのかも知れない。


彼女の髪にそっと手を伸ばし、頭から包み込むように優しく撫で下ろしていく・・・規則正しく、呼吸と同じように。
こちらを向いてと、恥ずかしからないでと心の中語りかけながら、想いを込めて微笑みかける。次第に身体の硬さが取れて落ち着きを取り戻したのを感じ取ると、髪を撫でつつ滑り下ろした手はそのまま頬を包み込み、指先は顎を捉えて俺の方をゆっくりと振り向かせた。


「香穂子は、何色の飴が食べたい?」
「・・・・・・」
「香穂子?」
「・・・み、水色・・・・・・」


水色は蓮の色だから、と。


暫く羞恥で口を噤んでいたものの、俺に顎を捕らえられている為顔を逸らす事も出来ず。火を噴出しそうなほど真っ赤になりながらも、彼女の気持を精一杯搾り出すように、ぽそりと呟いた。
聞き逃してしまいそうな位に小さな囁きだったけれども。

了承の返事に愛しさを込めて笑みを返し、顎を捉えていた指を離すと、胸元で硬く小瓶を握り締めて恥ずかしさを耐える両手に、俺の手を覆い包むように重ねた。


「香穂子を愛していると・・・君が欲しいという俺の想いは、とてもこの小さな一粒に収められるものではない。香穂子も、そうだったろう?」
「うん・・・・・・・」


吐息と共に熱く囁けば、外す事など出来ない視線を絡め合わせたまま、小さく・・・けれどもしっかりと頷いた。
だが、まだ・・・まだなのだ・・・逸っては駄目だと。
早鐘を打ち出す鼓動と熱く燃え出す心を、理性の限りで抑えながら己に言い聞かせる。


「今度は、このキャンディーたちに収め切れなかった俺の想いを、君に捧げよう。香穂子・・・愛してるよ」
「蓮・・・・・・」


温もりが満ち、硬さの取れた香穂子の手から、そっとキャンディーの入った小瓶を受け取ると、中に指を差し入れて一粒取り出す。彼女が望んだ、透明な水色のキャンディーを。
俺の色だと・・・俺が欲しいと、そう言ってくれたから。


腰をじっと俺の指先の行くへを追う彼女の瞳を見つめたまま、取り出したキャンディーを自分の唇に挟む。捕らえて引き寄せると腕の中で大人しく身を任せてきて、見上げる熱く潤んだ瞳が俺を捕らえた。
熱く絡み合う視線に心が焦がされて、息が止まってしまいそうだ。


やがて静かに瞳を閉じて小さく開けられた口から、愛らしい舌が春の芽吹きのようにちょこんと差し出され。
背をしなるほどに強く抱き締めると、唇に挟んだ水色のキャンディーを口移しで香穂子の舌に乗せ、そのまま唇を塞いで舌を絡め合わせていく。飲み込まないように・・・重なり合う舌から零れ落ちないようにと気を配りながら、時にはボールを操るように口腔内を転がして、いつもよりも深く深く。





言葉では伝えきれない愛しい想いを、君に伝えよう。
ゆっくり溶けるキャンディーの甘さに乗せて、時間をかけてたっぷりと。
バレンタインの時には4粒だったけど、今回はボトルの中に沢山入っているから。


そして溶け合わせよう・・・。
身も心も、互いの口の中で一つに甘く溶け合うように。





(ブラウザのバックでお戻り下さい)