求める指先




海岸通りにあるドーナツショップのカウンター席で、真っ赤なクランベリーのドーナツを握り締めたまま、香穂子はむぅっと眉を寄せたりふわりと微笑んだり。隣に座る衛藤がカウンターテーブルへ肘をつきながら、一人でくるくる表情を変える香穂子を、間近に覗き込んでも気付かない。

何か考え事をしているんだろうけれど、素直にそれが表へでるのが面白いんだよな。百面相も良いけれど、カウンターテーブルは窓際だから、あんたの可愛い顔が通りから筒抜けだぜ。

映る窓越しに視線を合わせ呼びかけても、気付く様子がないからどうしたもんかな。目の前にいる俺の声が聞こえないくらい、夢中になって考えることがあるって、ちょっと焼けるよな。


おい、そろそろ俺の方にも気付いてくれよ。それなら・・・と思いついた悪戯にくすりと頬を緩めて、気付かれないようにそっと顔を寄せると、香穂子が持ったままのドーナツへ一口かじり付く。何度呼びかけても上の空だったのに、あんたってば俺がドーナツ一口囓った途端に、我に返って驚くんだもんな。


「やっ・・・ちょっと桐也、酷いよ! 私のクランベリードーナツ食べた〜!」
「大きいんだし、まだ一口も食べていなかったんだからいいじゃん。ぼーっとしていたあんたが悪いんだ」
「む〜ん・・・」
「どうしたんだ香穂子。さっきからずっと、面白い顔して」
「やっ、やだ・・・みてたの? 恥ずかしいなもう。面白い顔は元々ですよ〜だ。ちょっと考え事をしてたの」
「俺と一緒にいるのに、気を逸らすほど考える他のことって、何だよ」


桐也ってば、やきもち?と悪戯な笑みでぐっと近くに迫る瞳に、悪いか・・・と唇を尖らせて。汗を掻いたグラスのコーラを無言で飲み干せば、こつんと甘えるように寄りかかりながら、拗ねないで?ね?と耳に囁くんだ。
それなのに、俺が食べてるキャラメルナッツと、チョコレートシナモンのドーナツ、二口ずつ食べさせてくれたら教えてあげるって・・・おい。一口じゃなくて、何で二倍に増えるんだ。


「だってどっちも食べたかったんだもん。このドーナツとっても美味しいけどアメリカンサイズだから大きいし、女の子には一つでお腹いっぱいになるんだよ。先に待ってた桐也が、その二つをチョイスしてたときにね、運命感じちゃった」
「だからあんた、俺を見た途端に嬉しそうな笑顔してたのか。お店の注目浴びるほど、すごくキラキラしてたぜ。嬉しさにはしゃぐほど、俺に会うのが待ちきれなかったのかと思っていたのに、あんたはドーナツしか見ていなかったんだな」
「えっと、あの・・・もちろん、私が嬉しかったのは桐也に会えたからだよ! 今日はカウンター席で良かったと思うの、正面に向かい合っていたら、格好良さに照れ臭くて、視線が合わせられなかったかも」」
「なっ、なんだよ・・・正直に言われると、俺の方が恥ずかしいじゃん」


あんたに可愛い笑顔で真っ直ぐふり仰がれたら、敵わない。まぁいいけどね、あんたの喜ぶ顔がみれたからさ。しかしドーナツくらいで運命感じるなよな、食べたかったらほら・・・やるよ。

白い皿に盛られたキャラメルナッツのドーナツを摘み持ち、ほらよと香穂子の口元まで運んでゆく。ひな鳥のように、満面の笑顔で素直に口をあけるあんたが可愛いと想いながらも、ふとした悪戯心が沸き上がるのはなんでだろうな。
ドーナツは唇に触れる寸前でひょいと突然の方向転換、香穂子ではなく俺の口へ。


あっと声を上げて驚きに目を見開き、泣きそうに潤ませる瞳に結局俺の方が慌てて、謝るのはいつものことだよな。悪かったよ、今度こそこのドーナツはあんたのものだから。そう言って差し出す俺の腕を、しっかり掴みながら胸元に引き寄せ、美味しそうに一口二口食べれば、あっという間にご機嫌な笑顔に変わる。

あんたって本当に子供だな、って拗ねるなよ。くるくる変わる素直な表情が、子供みたいに素直で可愛いって事。


「桐也ってば、ずるい・・・」
「おい、いきなりずるいはないだろ。俺、あんたに何かしたのか? まぁ、ドーナツ囓ったのは悪かったよ」
「違うよ、ドーナツはさっき桐也からも食べさせてもらったら、いいの。もっと、別なこと。でも桐也には秘密なの」
「・・・恋人同士に、秘密は無しなんじゃなかったのか?」
「えっと、その。恥ずかしくて言いたくない事は秘密なの、ちょっとミステリアスな所があっても、いいでしょ?」
「良くない、訳わかんないよ。いつものあんたらしくないじゃん、はっきりしろよな」


小さく溜息を吐きながら前髪を掻き上げると、そわそわと視線を泳がせていた香穂子の動きがぴたりと止んで、熱い眼差しに変わる。見つめる熱さを受け止める頬で感じるから、俺まで落ち着かなくなるじゃないか。

午前中にボディーボードをやって、そのままサイクリングしていたから、髪はいつもみたくワックスかけず、サーフショップでシャワーをあびた洗い立てのまま。指を絡めた前髪から、撫でるように後ろ髪まで手串を流すと、隣から聞こえるのはほうっと甘く蕩けた吐息。

教えてくれないと、もう一つのチョコレートシナモンも食べさせてやらないぞ。そう言うと困ったように瞳を潤ませながら、俺とドーナツを交互に見比て。甘い誘惑には勝てなかったのか、上目遣いにふり仰ぎながらぽそぽそと語り始めた。


「特に今日はね、ボディーボードしてくるってメールをもらった時から、危険だなと思ってたんだよ」
「は、危険? つまり、俺に惚れたってこと? なら香穂子も一緒に海へ来れば良かったのに。俺の華麗なライディングテク、目の前でみたらもっと惚れてたぜ」
「うん、きっとそうかも。ワックスで固めているいつもと違って、髪の毛サラサラな髪型を見ているだけでも、違う雰囲気にドキドキしているんだよ。正直に白状すると・・・えっとね、桐也の髪の毛に触りたいな〜って。気持ち良いだろうな、どうしたら触れるかなって考えていたの」
「俺の、髪の毛に?」


小さく俯きながらコクンと頷く頬は、クランベリードーナツと同じくらい赤い・・・何て甘酸っぱいんだろう。ずるいなって思ったのは、いつも私の心をドキドキさせたり、ふいに見せる格好良さにキュンとなるんだものと。真っ直ぐ心に届く想いをそのまま言葉にされたら、俺の方が甘いクランベリーになりそうだ。

そっか、上の空になるほどあんたが考えていたのは、俺の事だったのか・・・自分に焼きもちやくなんて、みっともないな。恋すると周りが見えなくなるっていうか、余裕が無くなる、そんな気がする。


「じゃぁ、素直に髪に触りたいって言えば良かったのに。あんたが願うなら、ワックスで髪を整えずにそのまま来るぜ」
「いっ、言えないよ・・・だってすごく照れ臭いもん。髪の毛のワックスを落とした自然な桐也は、私だけが知る特別な存在みたいで・・・。そのさらさららな髪に触れるのは、何も着ていない素肌を抱き締めるのと同じくらい貴重だし、とっても勇気が要るの」
「なっ! 余計な気を回すから、俺まで意識しちまうだろ」
「いつも桐也が撫でてくれるのがすごく気持ちいいから、同じ心地良さを感じて欲しかった。でも撫でてる私が蕩けちゃうんだろうなって分かるから、ふにゃんとしてる私を見せるのも照れ臭いし。でも一緒になりたいというか、髪に触りたいって何だかちょとエッチだよね・・・」


自分の言葉にポンと弾けた熱は、たちまち顔を真っ赤に熟れた果実に変える。落ち着こうと思っても、熱がじんわり伝わり映るようにお互いを意識してしまい、くすぐったいような甘い沈黙が流れるだけ。

グラスのストローがくるくる回り、カラカラ躍る音が心をざわめかす。熱を冷まそうと一気に飲み干すのを、視線の片隅でじっと見つめながら、香穂子の長い髪を一房摘もうと伸ばした指先を、ふと留めてしまうんだ。

確かに、香穂子の髪を撫でることはあっても、その逆は無かったかもな。指先に髪を絡めてゆっくり撫で梳くと、あんたは日だまりの子猫みたく、気持ち良さそうに眼差しを蕩けさせるんだ。気持ち良いと感じてくれているのが嬉しくて、何度も何度も撫で梳くうちに、いつの間にか腕の中で眠っているんだよな。


「良いぜ、触っても」
「え!?」
「俺もあんたに髪・・・触って欲しい、俺にも教えてくれよ。幸せそうに蕩ける気持ち良さを・・・触れることの出来るのは、あんただけだ」


俺が香穂子の髪を撫で梳く度に、香穂子は魔法の指だねというけれど、あんただって髪型を変えるたびに幾つも顔を持っているから。好きなあんたが増える度に、俺の事を新鮮な驚きと恋に落としているんだぜ。凛々しく結んだアップもしっかり可愛いし、寝癖も少し愛しくて、どんな髪型をして雰囲気が違っても触れれば分かる・・・全部あんたなんだよな。


だから窓際のカウンターテーブルの上で重ねた手を、そっと握り締めたまま自分の髪へと導いてゆく。おずおずとぎこちなく指先に絡まる髪がゆっくりと撫で梳かれると、背筋を駆け上る甘い痺れに目眩がいそうだ。俺の髪を撫で梳くのは香穂子なのに、気持ちいいねと嬉しそうに頬を綻ばせている、その笑顔に俺の方がとろけちまう。

さあお互いに、新しい自分をもっともっと見せようか。


上の空になるほどあんたが考えていたのは、俺の事だったんだな・・・自分に焼きもちやくなんて、みっともないじゃん。恋すると周りが見えなくなるっていうか、余裕が無くなる、そんな気がする。だけどあんたになら、余裕無いところも、夢中な所も全部見せたいって思うんだ。

あんたもそうだろ? 他のこと考えられないくらい、俺に夢中にさせてやるから。