Hotホットもっと



玄関に現れた君が持っていたのはヴァイオリンケースと、食材が詰まった重そうなスーパーの袋。額にうっすら汗を光らせる彼女から慌てて袋を奪うと、片手にずっしりと重みがのしかかったんだ。連絡をくれたら迎えに行ったのに、俺の家までこれを持つのは重かっただろう? 驚きに目を見開く俺に、これくらい何でもないのだと爽やかな笑顔で応えて、今日は蓮くんの為にポテトグラタンを作るのだと。嬉しそうに張り切る笑顔に、今日も鼓動が大きく飛び跳ねる。

休日デートで一緒に練習をした後は、香穂子の手料理でランチタイム。どこかへ出かけるのも良いけれど、たまには家で君と二人きり、ゆっくと過ごすのも良いものだな。家族が出かけている事に感謝しつつ、誰もいない月森家のキッチンには、香穂子が来る途中に買い入れた食材が所狭しと並んでいた。


「えっと、ジャガイモ・タマネギ・ベーコンでしょ? チーズにミルク、バターや小麦粉やパン粉・・・ホワイトシチューの固形ルー。あっいけない! 塩胡椒を買うの忘れちゃった」
「それならば、俺の家にあるのを使うといい。恐らくどこかにあるはずだから」
「ありがとう、蓮くん!」


買い忘れが無いかどうか、メモと照らし合わせながら袋から取り出す真剣な横顔は、いつもヴァイオリンを弾く姿とは少し違っていて、新鮮な驚きを覚えてしまう。どこかにあるはずだと自分から言ったものの、それがどこに潜んでいるかすぐに見つけられないのが、申し訳ないが・・・。


そういえば数日前に、昼休みに料理の本と向き合う君が、俺は何が好きかどんなものが食べたいかと・・・。メモ帳とペンを片手に、あれこれ真剣な眼差しで質問してきたのを思い出す。

君の手料理ならば何でも美味しいだろうな。熱く火照る顔のまま素直に告げる俺に、やはり顔を赤く染めた君が照れながら料理の本を胸に抱き締めて。とっておきの秘密を打ち明ける内緒話のように、ベンチに座る距離をいそいそ詰めると、並んだ膝の上に料理の本を広げてきたんだ。「簡単で美味しい・初めてのお料理」という、初々しい本のタイトルに胸が熱くなるのは、俺のためにという想いがそのまま伝わってくるから。


これ美味しそうだよね、蓮くんはこれ好きかな?と、ページをめ繰り説明しながら、あれこれと世話を焼く彼女にくすぐったい恋心を募らせたり。じゃぁこれをと指し示すものの、私にんじん苦手なの・・・椎茸もちょっと・・・と苦い顔をする子供のような香穂子に小さな笑いを零す、日だまりのようなひとときだったな。

手料理のポテトグラタンが食べたかったというよりも、彼女の気持ちが嬉しかったんだ。だから好き嫌いの多い香穂子が、美味しく俺と一緒に食べられるものを・・・料理の苦手な俺でも、君のために何か手伝えるものを選んだんだ。


「これから、どんな料理が出来るのだろう。楽しみだな」
「相談し合ったり準備をしたり、想いを膨らませる時間さえも、料理には欠かせない調味料なんだよ。じゃぁさっそく香穂子特製・ポテトグラタンを作るね。生クリームを使わないから簡単って、レシピには書いてあったんだよ」
「ホワイトソースの変わりに、シチューの固形ルーを使うのか?」
「うん! 今日はね、私たちでも出来るように簡単レシピにしてみたの。家で練習したんだけど、これがけっこう美味しいんだよ」


照れながらエプロンを取り出す香穂子に、この時間が毎日続けばいいのにと想わずにいられない。練習したのかと驚く俺に、ヴァイオリンだってコンサートの前に練習するでしょ?と、真剣な眼差しが嬉しいやら照れ臭いやら。家で練習した手料理を一体誰に振る舞うのか、家族に問い詰められたりしなかったのか? 


香穂子が鞄から取り出したエプロンは、自宅や調理実習でも使っている愛用の物らしい。赤い布地に大きなポケットが真ん中に縫いつけられていて、裾には愛くるしい熊のキャラクターががワンポイントでプリントされている。可愛いでしょ?と裾を摘み、ぴらりと披露する姿は本当に可愛いと想う・・・いや。可愛いのはお気に入りだというエプロンよりも、照れてはにかむ君なんだが。

だが笑顔がしゅんと萎んでしまい、小さく俯きながら裾をきゅっと握り締めてしまった。一体どうしたのだろうか?


「香穂子、どうしたんだ?」
「やっぱり子供っぽいかな・・・ねぇ蓮くん、この熊さんのエプロン、嫌い?」
「は? 嫌いではないが。香穂子に似合っていると思う、気に入っているんだろう?」 
「教室で料理の本を見ていたら天羽ちゃんに見つかっちゃって、蓮くんにお料理作るんだ〜って話しちゃったの。そうしたら天羽ちゃんてば、新婚さんにフリフリレースの短いメイドエプロンは必須だよって力説するの。男のロマンだからって・・・蓮くんは、白いフリフリエプロンの方が・・・良かった?」
「・・・・・・!」


潤む涙目でじっと見つめられながら、そんな可愛らしい事を言われ、俺の理性は一体あとどれくらい持つのだろうか。第一に俺たちはまだ高校生だし、新婚さんではないだろう・・・と、香穂子を優しく宥めながら自分にも言い聞かせてみる。だが落ち着くどころか、白いエプロンを纏った君を想像が飛躍してしまい、余計に落ち着かなくなるから始末におけない。


「気に入っているエプロンで作ると、美味しい料理が作れる気がすると、以前話していたじゃないか。俺は今のままでも・・・その、良いと思う。香穂子と一緒に何かをする、そのひとときこそが大切だから」
「うん、そうだよね。蓮くんありがとう! お料理するのに白いエプロンだと汚れちゃうし、あんまり実用的じゃないもんね。どうして新婚さんだと、白いフリフリレースのエプロンなのかな?」
「いや・・・それは・・・・」
「蓮くん、どうしたの? 顔真っ赤だよ?」


心底不思議そうな香穂子にどう深く話したら良いだろう。キッチンで料理をするためよりも、君を食べるためにあるのだと。本当の使い道を納得したら間違いなく、恥ずかしがって拗ねてしまうだろうし、もうエプロン持参で料理を作ってくれないかもしれない。ロマンは魅力だがそれは困る。堰を切ってしまった情熱を押さえるべく、なけなしの理性を総動員しながら、まずは深呼吸で落ち着かなくては。


「さぁ蓮くん、お料理始めようね。まずは水で洗ったジャガイモの皮をむいて、カットする・・・と。蓮くんはこのジャガイモを、レンジでチンしてくれるかな、茹でる前に下ごしらえしたいの」
「あぁ、分かった・・・」


耐熱ガラスのボウルに盛られたジャガイモたちを、よろしくねと笑顔で渡され受け取ったけれど、レンジでチンとは? さっそく次の作業に鼻歌交じりで取りかかる香穂子に、詳しく聞くタイミングを逃したまま佇む月森は、とりあえずレンジで温めることだろうかと、素直にレンジの扉を開く。タイマーはどれくらいだろうか? 多すぎて失敗するよりは、少ない方が良いかもしれないな。

キッチンをくるくる動いていた香穂子の背中を思いだし、あてにはならない料理の勘でタイマーをセットする。レンジで入れたその直後にすぐ「チン」と軽やかに響いた音に、もう出来たのかと不思議そうにレンジからボウルを取り出す香穂子が、唇を尖らすのは、やはりというか予想通りというか・・・。すまない、そう先に謝る月森に溜息をつきながらも、微笑みを浮かべる香穂子が、小さな笑いを零した。


「レンジでチンっていうのは、食材を温めてねってお願いだったの。確かに“チン”って音を鳴らすけど、すぐ鳴らしちゃダメなの。レンジでチンは、蓮くんにも分かるかと思ったんだけどな・・・」
「すまない・・・」
「うぅん、蓮くんは悪くないの。私が詳しく説明しなかったのがいけなかったよね、ごめんね蓮くん。じゃぁ蓮くんは、私の隣で味見係をお願いね」
「・・・・・・・・・」


レンジの中で再び温め始めたポテトのボウルが、ターンテーブルの上でくるくると回転しながら踊り始める。彼女のために何かしたいのに、俺が他に出来る事はあるだろうか。料理本をちらりとのぞき見るが、簡単と名前が付いていても、俺には複雑なほど難しい。数分前まではエプロンに悩んでいたというのに、元気と自信を取り戻した彼女が、一回りも二回りも頼りになる大きな存在に思えてくる。

ホワイトソースが出来たよと差し出されるスプーンを、あ〜んと言われるまま条件反射で唇に含む。美味しい?と真剣に問う眼差しに緩めた眼差しで返すと、背伸びをした悪戯な舌がぺろりと唇を舐めてキスをくれた。厚く柔らかい舌が残っていた僅かの理性も、マシュマロのようにふわりと甘く溶かすんだ。


「・・・レンジで料理を温める加減は良く分からないが、一つだけ俺にも温められる物がある」
「お料理が苦手な蓮くんでも温められるものって、何だろう。お鍋で煮詰めるシチューとかかな?」
「いや、料理ではなくて・・・」
「・・・きゃっ、ちょっと蓮くん!?」


刃物を使っていない事を確かめると、背中から香穂子を抱き締め腕の中に閉じ込めた。腕の中へすっぽり収まる彼女が身動ぐほどに、深く抱き締め離さず熱さを伝え、自分の胸と身体へ押しつけるように。肩越しにふり仰ぐ唇に今度は俺からも、覆い被さるように啄むキスを贈ろう。

料理の温め方は良く分からないが、君を温める方法ならいくらでも知っている・・・。想いを届けながら奏でるヴァイオリンの音色と、見つめる眼差しと微笑み、そして抱き締めるこの身体で。やはり白いエプロンでなくて正解だったかもしれないな、きっと料理どころはなく、抱き締めたこの腕を離せなくなっていたと思うから。