指先から愛を 



「ねぇ蓮くん、ダメかな?」
「・・・香穂子が何と言っても、それだけは駄目だ」
「どうして? ちょっとだけでいいの、コツンと一度だけ。ね?お願い!」
「・・・・・・」


両手を胸の前で祈るように組み合わせ、大きな瞳を潤ませる香穂子が、神様お願いします!の必死な祈りポーズで頼み込んでいた。腕を組みながら難しく眉を寄せる月森が小さく溜息を吐くと、触れ合いそうなくらい懐に駆け寄り、甘い上目遣いでじっとひたむきに見つめてくる。

困ったお願いごとには上目遣いが効果的だと・・・。
君のひたむきなその視線に弱いのだと、いつの間に知ったのだろう。
お願い聞いてくれたら何でもするからと、そう切なげに最後の手段を使われたら、心が動いてしまうじゃないか。


「君に見つめられるのは嫌いじゃないし、頼みは聞き届けたいと思う。だが力になりたいと思っても,、俺にだって出来ることと、出来ない事があるんだ」
「出来るか出来ないかは、やってみなくちゃ分からないじゃない。私、蓮くんを信じてるもん!」
「君の気持ちは嬉しい。その・・・出来ないというより苦手というか、出来れば別な方法だとありがたいんだが・・・」
「これはね、音楽で結ばれた恋人同士の、蓮くんとしか出来ない行為なの。蓮くんにはちょっとハードル高いと私も思うけど、でも・・・あこがれだったんだもん。大好きな人が出来たら、一度やってみたかったの」


なぜこんな展開になったのだろう。いつものように練習室で放課後の練習を二人で済ませ、楽器を片付けながら指先の話をしていたんだ。ヴァイオリンの弦を奏でる指先、手を繋いだり互いに触れ合う指先・・・気持と温もりを伝える方法を。
そう・・・その会話の流れで香穂子が、俺の指先で触れて欲しいところがあるのだと、はにかみながら相談してきたんだったな。


「こいつぅっ・・・って、ちょっぴりじゃれ合いながら、人差し指で、おでこを軽くツンしてくれるだけでいいの。ね?」
「・・・・・・」


言葉にすると簡単だし、すぐできそうに思えるが・・・。
実際には今まで経験した香穂子のおねだりの中で、三本指に入るくらい至難の業。

香穂子がやってほしかったのは、俺が恋人である君の額を人差し指で軽くつつくいう、昔見たような青春ドラマのワンシーン。どちらかというと、無邪気にじゃれる君がいつも俺にやっては、額から吹き出す熱に戸惑わせてくれるだろう?
柔らかな愛情表現だと自分に言い聞かすけれど、恥ずかし過ぎて俺には出来そうもない。

出来ないとはっきり告げるのは簡単だが、香穂子を悲しませたくないし、自分との葛藤もある。
一度決めたら滅多な事では意志を曲げないのが、彼女の良いところでもあり困ったところでもあるが。
だが真っ直ぐ射貫く瞳の輝きは真剣そのものだから、俺も君の想いに応えなくては。


「・・・言葉は俺が言いやすいように、アレンジさせてもらう。一度だけだぞ、それで良いだろうか?」
「うん! ありがとう、蓮くん大〜好き!」


もう何度目になるか分からない溜息を、途中で飲み込んだのは、小さな衝撃が襲ったから。溢れる嬉しさを押さえきれない香穂子に飛びつかれた反動で、倒れないように踏みとどまりながら、細い腰を抱き締め支えて。ちょこんと背伸びをした香穂子が届けたのは、頬を掠める柔らかなキス・・・言葉だけでなく行動で示す愛の言葉。

悪戯が見つかった子供のように、小さく赤い舌を覗かせていた無邪気さも、いつの間にか身も心も預ける穏やかさに変わっている。少し上を向くように瞳を閉じる君に、微笑みを浮かべているのは俺も同じ。


「全く、君は・・・」


しょうがないな、降参だ。そんな言葉を愛しい微笑みで包み込めば、人差し指をちゃんと用意できていた自分に気付く。
脳裏でイメージするのは、照れ臭さに耐えきれなくなりそうだから、ただ君だけを見つめ考えよう。

強く力を入れすぎないように気をつけながら、呼吸を止めた一瞬に、そっと香穂子の額をつついた。
初めて君が触れたときに感じた、温かいようなくすぐったいような、心から湧き出た不思議な力を、今度は俺の指先に込めて届けるから。額の中心に俺の指先が触れた瞬間、ぱっと瞳を開いた君と視線が絡み合う。


「蓮くん・・・」
「何だ?」
「ふふっ、何でもないの。ただね、嬉しくて幸せで、名前が呼びたくなっただけ!」


まだ少し緊張する人差し指で、照れる熱さと鼓動の高鳴りをを押さえながら、もう一度コツンとつついてみた愛しい額。
何だか初めて手を繋いだような、くすぐったさと嬉しさが混ざり合うような。
上手く言えない甘さが身体を駆け抜け、どちらとも無く照れたはにかみに変わった。


人差し指から想いを伝える一瞬の行為。
気持を受け止め、そして差し出し、帰ってきた想いを受け入れる。
二つが重なり合うその繰り返しが、やがて一つに気持を繋いでゆく。

指先から気持を伝える方法はたくさんあるが、伝えたい気持はたった一つ・・・君が好きだよ。
そうだ、君の願い事を叶えたら、俺の願いを何でも聞いてくれると言っていたな。
二人きりで、君の指先をもっと感じていたい。約束は果たしたから、では今度は俺の願いを聞いてくれる番だ.。