シャンプードルチェ



夜風が頬を引き締める凛と冷えた空気や、色づく木々の秋の色。身体を通り抜ける心地良い爽やかさが、いつの間にか涼しさを通り越して肌寒く感じるようになった。秋から冬へと、季節が少しずつ近付くに連れて、温かいものが恋しくなる・・・.。
日だまりで丸くなる猫のように、この腕の中へヴァイオリンの音色と君を求めずにはいられない。

湯船の中で柔らかなお湯に身を浸す香穂子は、合わせた両手の平にお湯をすくい遊びながら、ご機嫌な笑顔を浮かべていた。香穂子が持参した入浴剤は、ミルク色のお湯に光の加減で淡いブルーが浮かぶ不思議な色をしている。ミルク色のお湯が君の素肌なら、溶ける青は俺なのだろうな。抱き締めている俺の方が、優しく包み込まれ、熱さを募らせる・・・そんな想いを表しているから。君に溶けても、良いだろうか?


「寒くなってくると、温かいお風呂が恋しくなるよね。心も身体もポカポカになるの。ねぇ蓮は? 蓮は寒くなったら何が恋しくなるの?」
「君と一緒に寛ぐための日だまりも恋しいが、何よりも欲しいと願うのは香穂子が奏でるヴァイオリン。そして真っ直ぐ俺に向けられる笑顔と、君自身の温もりだ。俺は、寒さに君を求める」


瞳を見つめ真摯に答えれば、頬を紅葉のように真っ赤に染めた香穂子が、鼻先までお湯に沈み隠れてしまう。
そのまま抱き締めた腕を抜け出し、するすると湯船の中を泳ぎ・・・バスタブの反対側へ背を預けて丸くなってしまった。身を隠すようにお湯へ沈みながらも、俺に向かってぱしゃぱしゃとお湯をかけているのは、照れ隠しなのだと教えてくれるから、頬や瞳が自然に緩んでしまうんだ。


跳ねる水飛沫は香穂子の想いであり見えない言葉たちだから、しっかりと受け止めよう。微笑みのまま濡れた前髪を掻き上げると、先に洗い場へ出て彼女のためのシャンプーを用意しようか。泊まり用に携帯できる小さなボトルに詰め替え、持参していた彼女のシャンプーを手に取れば、君の髪からふわりと漂う同じ香りに包まれた。

優しい花の香りがする、これが君の香りなんだな。だがいつもなら俺の後を追って、いそいそと湯船から上がる君は、俺の前にちょこんと座りシャンプーをねだるのに。今日は何故か、いつまで経っても湯船に身を浸したままだ。そろそろ来るだろうかと待つ時間も楽しいが、落ち着きが無く少し様子がおかしい。


「香穂子、シャンプーをしないのか?」
「いつもは蓮がシャンプーしてくれるけど、もうこれからはシャンプーだけは自分でやろうって思うの。私、気付いちゃった・・・同じだなって。どうして蓮に髪の毛洗ってもらうと、気持良いのかも・・・」
「は!? すまない、俺には良く分からないんだが。いきなり一人で決められても、その・・・楽しみにしているから正直困ってしまう。理由を教えてくれないか?」
「・・・駄目っ! 恥ずかしすぎて教えられないよ」


シャワーのノズルを持ったまま君を待つ俺に、バスタブの縁に腕を乗せて顔を覗かせる香穂子は、拗ねたように頬を膨らませた。首筋まで赤く染まっているのは、長い間湯船に浸かっているだけでなく、恥ずかしさを堪えているからなのだろう。ふるふる首を振り、嫌だと駄々を捏ねる理由が分からない。

心の中では寂しいと、君の髪に触れられずに残念だと思う自分に気付き、顔へ熱さが募った。
同じとは一体何なのだろうか、気持ちが良いと言っていたから、本気で嫌がっている訳ではないのが救いだ。
ここは辛抱強く彼女の言葉を待つしかなさそうだな。だがいくら湯煙の満ちるバスルームとはいえ、お湯を浴びずに洗い場にいては寒さが募る。


俺の小さなくしゃみが響き渡ると、驚きに目を見開いた香穂子が慌てて立ち上がり、身を乗り出してシャワーの栓を捻った。ふいに吹き出した心地良い温度のお湯に、冷えたからだが解けてゆくと、背中にぴったり抱きつく柔らかさ。香穂子だ、そう気付いた瞬間に鼓動が大きく飛び跳ね、駆け巡る熱さに飲み込まれてしまいそうだ。


「蓮くんごめんね、寒かったよね・・・風邪引いたら大変! 意地悪するつもりじゃなかったの、ただ恥ずかしくて。蓮に髪の毛を洗ってもらうのは大好きだよ、でも思い出したらじっとしていられないって思ったの」
「香穂子・・・怒っていないから。どうか泣かないでくれ」


君ごと飲み込んでしまいそうな情熱を宥めてくれるのは、ごめんね・・・と、泣きそうな声で何度も謝る声。そして寒くないように、背中へしがみつく柔らかさがくれた温もり。溢れるシャワーの栓を閉じて肩越しに振り向けば、素直な心を届ける言葉のように、潤む瞳が真っ直ぐ見つめている。体を捻りつつ手を伸ばし、君が温もりをくれたように、そっと頬を包み込もう・・・今度は俺が。


「この前本屋さんで心理テストの本を読んだの。そしたらね、あなたはどんなふうに髪を洗いますか? 言葉を使って詳しく説明して下さい・・・という質問があったの。だから大好きな蓮の事がもっと知りたくて、シャンプーしてもらう時の気持ち良さを思いだしながら、答えてみたんだよ。あ、もちろん自分の心の中でね」
「俺も君に髪を洗ってもらうのは好きだ、とても心地良いんだ。君が俺を癒してくれるように、俺も君を優しく穏やかな気持を届けたいと思う。時には香穂子がじゃれて悪戯をするから、つい強引になってしまうが・・・」
「蓮がしてくれるのシャンプーは優しく丁寧で、でも指先の力は強いからしっかり頭皮をマッサージしてくれるよね。泡に包まれながら蕩けちゃいそう。お湯の温度や力加減とか、大丈夫かって常に気を遣ってくれるでしょう? 私の気持ち良さを、大切にしてくれる想いが嬉しいの」
「香穂子に喜んでもらえて、俺も嬉しい。だが心理テストの答えと、俺のシャンプーシャンプーを嫌がったことに、関係があるのか? 同じだと言っていたが、シャンプーと何が同じなんだ?」


肩越しに振り返ったまま心に宿る疑問を投げかけると、背後で膝立ちをする香穂子が身を乗り出してきた。背中越しに触れ合う素肌から、彼女の高鳴る鼓動が響いてくる。びっくりしないでね・・・と上目遣いで恥ずかしそうに囁き、俺の耳に手を添えて吹き込まれる甘い吐息は、二人だけの内緒話。


「・・・・・・・なっ!」
「・・・ね、似ているでしょう? どっちも気持ち良いの。思いだしてみたらそのときの蓮と、同じだなぁって。そうしたら急に恥ずかしくなちゃったの・・・」


両手で胸を押さえながら俯き、恥ずかしさにじっと耐える君を見守るだけで、身の内に熱さが沸き上がりそうだ。
先ほど香穂子が囁いた言葉が壊れたオーデォーのように、吐息の感触ごと、何度も繰り返し何度も再生してしまう。耳から聞こえる自分の心臓の音が、バスルームの中で反響しているように思えて仕方がない。

頭を洗う方法は、恋人とベッドの中で過ごす行為の態度らしい。誰が考えたんだ、全く。心理テストなんて当てにはならないだろう? だがこれは確かに照れ臭い・・・既に身体を重ねているのだから今更という気もするが、心の隅では少しだけ当たっているなと思う。どこがと言われると困ってしまうが、心地良さを分かち合いながらも、時には情熱的に。


「・・・っ、くしゅっ!」
「ほら香穂子、湯冷めをしてしまうぞ」


香穂子のくしゃみが俺の背中に響くと、緩んだ空気が吹き飛び、一気に緊張したものへと変わる。シャワーの栓を捻ってお湯を出し、脚の間に座らせた香穂子に注ぐが、髪を押さえてじたばたと身じろいでしまう。気持は分かるが、今は冷えた身体を温める方が重要だ。


「嫌〜っ! シャンプーは自分でやるって決めたの、やってもらうのは恥ずかしいんだもん。蓮も自分で洗うんだからね」
「一人で勝手に決めないでくれ。俺は君の髪に触れるのが好きだ、心地良さそうな笑顔を見るのも、君の指先が俺の髪に絡むのも。ヴァイオリンを奏でたりこうして一緒に過ごしたり、香穂子と心を溶け合わせる時間は、何にも変えられない幸せだから」
「蓮・・・あの、お願いします。恥ずかしいけど・・・でもやっぱり、蓮に髪を洗ってもらうシャンプーが大好きなの」
「ありがとう、香穂子。君がいて俺がいる、二人で過ごすから、きっと心地が良いんだと思う」


君に気持が伝わるように願いを込めて、大きな瞳の奥へ真摯に想いを届けよう。シャワーの音だけが満ちる僅かな後、大人しく背中を向けた香穂子がもう一度肩越しに振り返り、頬を染めたままはにかんだ。

心も身体も寛げるバスタイムは、君との時間を更に楽しく、心地良いものにしてくれる貴重な時間だ。二人の中をより親密に、そして心や身体がリフレッシュするように、君への想いも甘酸っぱく初々しい気持を沸き上がらせてくれる。夜を過ごす寝室と同じく、バスルームも愛を育む場所なのだろう。