小春日和のように



放課後に練習を終えた、君といつもの帰り道。送り届ける香穂子の家の近くまで来ると、互いに離れがたくて。つい寄り道をしてしまう公園のベンチは、俺たちの指定席と言ってもいいだろう。吹き抜ける風の寒さに空を振り仰げば辺りは暗くなり、とっぷり暮れた星空に変わっていた。

君は身振り手振りで話に夢中になり、俺はくるくる変わる表情や仕草に魅入っていたから。
空の移り変わりに気を止める余裕が、無かったのかも知れないな。


さっきまでオレンジ色の夕陽が広がっていたのに、冬の日は短くあっという間に沈んでしまう。大好きな夕暮れの瞬間が見られずに残念だとしょげる香穂子の肩を抱き寄せながら、俺も夕焼けが好きだと耳元に囁いた。
赤い夕陽が少しずつ青色の夜に包まれてゆく・・・赤い太陽が君で月が輝く青色の夜が俺だとしたら、まるで君をこの腕の中へ抱き締めているようだから。すると腕の中に、ぽっと生まれた小さな夕陽。
頬に太陽の赤さを映したような君が、温かいねとはにかみながらコツンと肩を預けてくる。


「今日の古典の授業は枕草子だったんだけど、やっぱり秋は夕暮れが素敵だって言ってた。秋だけじゃなくてどの季節でも素敵だよね。春はあけぼの・・・朝焼けが綺麗だって言ってたの。早起きする機会が無いから分からないけど、朝焼けも綺麗なんだろうな〜。夕陽の逆で、青がゆっくり赤に染まっていくのかも知れないよね」
「ヨーロッパでも、朝焼けの美しさを暁の女神と例えているんだ。俺も朝が弱いから滅多に見たことは無いが、どこか神々しくて、心を奪われるほど綺麗だと思う。夜の青が朝の赤に染め上げられてゆく光景は、俺の心が香穂子の色に染まってゆく景色のようだ」
「じゃぁ夕焼けの次は朝焼けだね。せっかくだから星空から一緒に、いつか二人で見てみたいね」


ふふっと笑みを零し、じゃぁ次はと楽しそうに頬を綻ばせるけれど。朝焼けを共に見るというのは・・・つまり、夜を共にするという意味と同じだと君は気付いているのだろうか。俺も頬にも熱さが集まるのは、きっと夕陽のように赤く染まっているに違いない。だが、いつか二人で見たい・・・そう願ってしまう。どんなにか心穏やかな光景だろうかと、想いを馳せるだけで幸せで満ち足りた気分に包まれそうだ。

だが触れ合う温もりを奪うように冷たい夜風が吹き抜け、枝葉を揺らし足下の落ち葉をくるくると舞わせてゆく。


「日が暮れたら、だいぶ寒さが増してきたな」
「寒くなると温かい物が恋しくなるよね。おでんにお鍋、具のたっぷり入ったシチューとかも美味しそう。ほかほかの肉まんやあんまんは、冬には欠かせないよね。あっ・・・!」
「どうしたんだ?」
「金澤先生に同じ事を答えたら、『お前さん若いのに〜もうちょっと・・・こう他に欲しい物がないのか?』ってしみじみ言うの。だからね私、こたつが欲しいですって言ったの。こたつでお蜜柑たべたいって。そうしたら溜息吐いて、月森が悲しむぞ〜って言うんだよ。ねぇねぇ蓮くん、私が寒い日に温かい物が食べたくなると、蓮くんは寂しいの?」
「いや、そんな事はないが・・・そうだな。香穂子と一緒に分かち合えれば、温かさも二倍になるだろう」
「でしょう? 金澤先生だって、熱燗に焼き鳥が食べたいって言ってたんだから。でも他に何があるのかな?」
「・・・・・・・・・・・・」


顎に人差し指を当てながら愛らしく小首を傾げ、う〜んと考え込んでいたものの、結局思いつかなかったらしい。
温かい缶入り紅茶で暖を取っていた香穂子は、冷めないうちに食べなくちゃと嬉しそうにそう言って。寒さの中に白い湯気を漂わせる、コンビニで買った肉まんを半分に割り始めた。

君が寒さに求めたくなるのは食べ物か・・・香穂子らしいなと思わず頬が緩んでしまう。
俺も確かに食べたくなるが、それ以上に本当は君の温もりが恋しくなる・・・繋いだ手さえも離しがたくなくなるんだ。

「はい、この半分にした肉まんは蓮くんのだよ」
「俺が半分もらっていいのか? お腹が空いたと言ってた君が、さっきコンビニで買った大切な一つだろう?」
「一人で食べるよりも、蓮くんと一緒に分かち合った方が美味しいし温かいもの。だから寒い冬の料理は心の温まるように、みんなで分け合える料理が多いんだなって思うの」
「では、ありがたく頂こう」

一人で食べれば丸ごと一つを食べられるのに、いつも当たり前のように、俺の分もと半分に分けてくれるんだ。
笑顔と共に手渡された温もりは、君の優しさと想いの固まりなのだと思う。
あつあつと声を漏らしながら、美味しそうに肉まんを頬張る横顔は、隣で見ているだけで幸せになる。
手の中にある温もりが、全身にじんわり広がり頬が緩むのを感じた。

美味しそうに食べるその笑顔があると、何でもご馳走に思えるから不思議だな。
だが一口囓ったところで、俺を振り仰ぎ興味いっぱいの好奇心を浮かべる瞳に、妙な不安を感じたのは日頃の積み重ねか。それとも勘というべきだろうか。

「ねぇ蓮くん。もしも肉まんになるのなら、ふかふかの白い皮と中身の具、どっちがいい?」
「は!? 肉まん・・・俺が?」
「うん! 肉まんになったつもりで考えてみてね」
「・・・・・・・・・・」

満面の笑みでうん!と頷く君を見つめる俺は、鳩が豆鉄砲を食らったように、目を見開いている事だろう。

肉まん、肉まん・・・と脳裏で繰り返し、手の中にある食べかけを眺めながら想いを馳せる。
香穂子が突拍子もない質問をするのはいつもの事だから、出会ってからだいぶ慣れたけれども。
今日もまた、理解と返答に苦しみそうだな・・・。
彼女の豊かな感性と想像力には驚かされてばかりだ。
だが違和感がなく、ストンと俺の心へと染み込んでくるのが心地良いと思う。


「私はね、ギュッと詰まった美味しい具になりたいな」
「具・・・?」
「やっぱり中華まんの個性と魅力は中身の具だなって思うの。それにね、ふかふかに包まれるのって、とっても気持良さそうなんだもの。ねぇ蓮くんはどっち?」

そうか、君は具になりたいのか・・・きっと温かくて幸せになれるのだろうな。
具になった君を、いや・・・そのままでもじゅうぶんに美味しいから、食べてしまいたいと思う。

身を乗り出す勢いで迫る香穂子の輝く瞳を微笑みで受け止め、白い皮に包まれた中身と具に視線を注いでみた。
どちらかと言われれば迷う。君に食べられるならば、俺はどちらでも構わないのだが。

「そうだな俺は、外の白い皮がいい。もし香穂子が具なら、全てを抱き包み閉じ込めたいと思う。皮が具の味を吸い込むように、俺も君の色に染まりたい」


頬をなぶる冷たい木枯らしが、音を立てて俺たちの間を強く吹き抜けた。
肩を竦めながらマフラーの中へ顔を埋めた香穂子へ、そっと座る距離を詰めて身体を寄せる。するとコート越しに触れ合った感触に気づき顔を上げた香穂子が、日だまりの笑みでふわりと微笑みながら両手を差し伸べてきた。俺の頬をぴっとり包む優しい手の平から伝わる温もりと柔らかさが、じんわり広がり毛布のように包み込んでゆく。


「蓮くん、寒くない?」
「ありがとう、香穂子。とても温かい」

君に包まれるならやはり俺も中身の具が良かっただろうか。一瞬そう思ったが、瞳を緩めながら肩を抱き寄せた。
最初は身を固くしていた香穂子も、やがてゆっくりもたれ掛かった身体が小さな重みとり、コツンと肩先へ頭を預けてくる。

「蓮くんも温かいね、このまま私を閉じ込めててね。美味しい具になったら、蓮くんに食べて欲しいな。な〜んてね」
「君は今でも、充分に美味しそうだ・・・食べてしまいたい。寒さが募るからこそ、君がここにいる事・・・温もりのありがたさを実感する。こうして一緒に分かち合えば、二倍に温かくなるんだな」


では、食べて良いと君からお許しが出たのなら、ありがたく頂くとしようか。
抱き寄せた肩を深く腕の中に閉じ込め、柔らかい唇へ覆い被さるようにキスをした・・・そっと触れて甘く啄んで。
唇から唇へ、ゆっくりと伝え合う互いの熱が心と身体を温め合う・・・もっと欲しいと求めながら。


夜闇に黒いシルエットを描き出す木の枝たちは寒さに震えているが、例え夜や寒さの中にいても、俺たちはこんなにも幸せで温かい。日を追う事に寒さが厳しくなる初冬の頃に訪れる、穏やかな春の気分に似ていると思う。
分け合う事の幸せ・・・俺たちの心にも想いの花が一つ、また一つと咲いてゆく。寒いからこそ咲く花のように。