さくらんぼキッス




「ねぇ蓮くん、さくらんぼキッスって知ってる?」
「さくらんぼキス? 何だ、それは」
「さくらんぼを食べるとキスがしたくなるって聞いたんだけど、どんなキスなのかなって思ったの。可愛い名前だから、ついばむみたいにチュッってくすぐったいのかな?」


小首を傾げる香穂子は眉を寄せて考え込むが、すぐ笑顔に戻り、手に持っていたさくらんぼをパクリと口に含む。彼女にとって今はキスな気分よりも、目の前に溢れたさくらんぼを食べることの方が大事らしい。
茎を咥たまま美味しいねと、じたばた脚を鳴らして悶える姿は、さくらんぼより愛らしくて魅力的に思える。
種を取り出した後は茎を口に放り込み、舌の動きに合わせ大きな瞳が上を見たり右を見たり。


ところで、君の言うさくらんぼキスの話しはもう終わりなのか? 
俺はいつでも君の唇が欲しいと思っているのに、嬉しいような寂しいような、ちょっと複雑な心境だ。


「う〜ん、上手く出来ないよ・・・」


困ったように溜息を吐き赤い舌を覗かせると、口に入れていた茎を取り出し顔の前に掲げた。
最初は真っ直ぐだったのに、摘んだ指先にある物はぐにゃりと湾曲していて、苦労の跡が伺える。
さくらんぼの茎を使い、口の中でやる事といったら、あれしかないだろう。
香穂子は舌でさくらんぼの茎を結ぼうとしているのだ。


だが失敗にもめげず、もう一度頑張ろうと拳を握り締め、新しい茎を口の中へと放り込んだ。
こうして香穂子の小皿には、食べ終わった種と歪んだ茎たちが増えてゆく。


一度決めたらやり遂げるまで諦めない信念だと分かっているが・・・なぜそんなにも必死なのか教えて欲しい。
単なる興味とチャレンジなら良いけれど、茎を舌で結べる意味は俺たちにとって深くて大きいから。


世間一般では『さくらんぼの茎を舌で結べる人は、キスが上手い』と、そう言われているらしい。

しかも軽いキスではなく、かなり深く交わるものを示している。
君だってそれを知らない訳じゃないだろう? ひょっとして気にしているのだろうか。
君は今のままでも充分に俺を熱くさせてくれるから、例えたどたどしくても良いと俺は思う。



小さく溜息を吐いて肩を落とした香穂子が、曲がったさくらんぼの茎を再び口の中から取り出した。


「やっぱり駄目だよ、どうしよう。私ってば不器用なのかな・・・才能無いのかな。でもいっぱい練習すれば、そのうち上手くなるよね」
「香穂子はその・・・何の才能を気にしているんだ?」
「えっと〜内緒! ねぇ蓮くんは、さくらんぼの茎を口の中で結べる?」
「・・・出来ない事はないが」
「本当!? ねっねっ、やってみて」


興味いっぱいに瞳を輝かせて身を乗り出し、あ〜んと言いながら差し出される茎を口に含んだ。
息を潜めてじっと見つめる視線を受け止めながら、動揺を抑えて口の中の舌を動かしてゆく。


動きを止めて舌に乗せていた物を摘めば、綺麗に結わえられたさくらんぼの茎が一つ。
コツは要るが難しくはないと言う俺に、目を丸くして俺に飛びつく君は、凄いねを連発しながらはしゃぎ出した。


「私なんて何度やっても全然結べないのに、蓮くんはたった数秒で結べたよ。指で結ぶのだって大変なのに、凄いねー! やっぱり蓮くんは舌が器用なんだね」
「やっぱり? その、違っていたらすまない。香穂子が知りたかったのはあの時の・・・いや、何でもないんだ」
「えっとね・・・うん、そうなの。さくらんぼの茎が結べる人は、キスが上手いって言うでしょう? 蓮くんとキスしているとね、舌がくるくる絡み取られて私のと蝶結びになりそうなの。だから試してみたかったんだけど、やっぱり私は上手く出来なかった。喜んで欲しいから私も頑張らなくちゃって思うのに・・・ごめんね」


やはりそうだったのか・・・上手く結べて良かった。
言葉には出さないが、安堵感と照れ臭さが今更のように込み上げてくる。


耳や首まで真っ赤に染めながら想いを伝えた香穂子は、恥しさからくる居た堪れなさで俯いてしまった。
皿に盛られたさくらんぼよりも赤く染まって艶めき、甘酸っぱい香りを放っている君は俺だけのさくらんぼ。
膝の上に置いた手をもじもじと弄り、こっそり上目遣いに俺を見上げる仕草が堪らなく愛しい。


「なぜ謝るんだ? 上手くなろうと焦らなくていい・・・ゆっくりで。君が想いのまま一生懸命応えてくれるのが、どんなに嬉しくて俺を熱くするか知らないだろうな。だから全てをかけて返したいと思うし、もっと求めたくなる」
「蓮くん、ありがとう・・・」


小さくはにかみ頬を綻ばせた香穂子に、俺の理性はぷつりと途切れた。
気づけば腕の中に深く抱き寄せ唇を重ねていて、絡めているのは茎ではなく熱く柔らかい君の舌。


さくらんぼを食べるとキスがしたくなるという、さくらんぼキッス。
なる程・・・確かにそうだな。では、君を食べてもいいだろうか?


君の手の中に握られたままの結んだ茎のように、互いの舌をも結んで見せよう・・・心を繋ぐ想いと共に。