Too many precious



ヴァレンタインの小さな宝石を見つけに行こう・・・と。旅雑誌の地図を握り締めて瞳を輝かせる香穂子に誘われ訪れたのは、暮らす街から300キロも離れた国境付近の小さな村だった。どこまでも広がる田園風景が続く真っ直中に現れるのは、その名もヴァレンタイン村。そんな名前があるのかと驚き眉を寄せて地図を見たが、どうやら中世の昔から存在する由緒ある場所らしい。


2月は冬の寒さが一番厳しいが、ヴァレンタイン村は花盛りだ。扉や窓にはハートの飾りで彩られ、葉が落ちた枝に、赤い布や紙で作った花やハートがたくさん咲いていた。落ち着いた色合いの家と、素朴で優しい人たちが住む平和な様子が溢れていて。名前にちなみどこもかしこも、祝福を語る赤いハートや花が溢れいる・・・村を愛する人々の想いが、寒さに凍える心を芯から温めてくれるようだ。


村のメインストリートである2月14日通りを散策しながら、ヴァレンタインデーに旅行なんて素敵だねと、嬉しそうに頬を綻ばせる君。コンサートツアーが終わって、久しぶりに長めの休暇が取れたこともある。大切な君に愛を誓い、再び確認し合う日なのだから、ゆっくり二人きりで過ごしたかった。旅の支度をしながら終始ご機嫌で家中を跳ね回る香穂子に、つられて俺も心が弾み・・・。カレンダーを一緒に眺めながら、俺も指折り数えてこの日を待っていた。


小さなヴァレンタイン村の最大の祭りは、もちろん2月14日。村役場では訪れたカップルに村長が祝福の言葉を述べ、愛の証明書を手渡してくれたり。教会での特別コンサートや村を練り歩く音楽隊の行進、愛やハートをモチーフにしたグッズの販売など豊富な催しがあるそうだ。


見るもの全てに可愛いと目を輝かせる香穂子の方が、何倍も可愛いと俺は思う。
だが油断すると目に付いた飾りや小物を目指して駆けだしてしまうから、無邪気な君から目が離せない。
いや・・・反らしたくない、ずっと見つめていたいと思うから。






「あっ! ねぇ蓮、あそこの家を見て!」


早速何かを見つけたらしく、大きな瞳がぱっと嬉しそうに輝いた。興奮気味に繋いだ手を揺さぶる君が示したのは、外壁一面をスカイブルーのペイントで塗り、伸びやかに舞うツバメとハートが描かれた一戸建て。現実とメルヘンの境目が無い街の中で、一際目を引いている。


「お店の名前も2月14日だなんて、ヴァレンタイン村らしい名前だよね。ツバメさんが愛を運んで青空を飛び回る絵なんて可愛いよね。私たちのところにも、飛んできてくれるかな?」
「ここは花屋だったのか、ずいぶん賑わっているな。日本では女性がチョコレートを送るが、ヨーロッパでは女性だけでなく男性からも恋人へ送るそうだ。例えば花やカードなど贈りものを。村役場には特設の祭典ホールがあって、いろいろなポストカードや君の好きそうな小物の店があるそうだ」
「本当!? 教会でのコンサートまでに時間があれば行ってみたいな・・・あっ!」
「今度は何を見つけたんだ?」
「もしかして、蓮の後ろに見えるのはその村役場じゃない? まるで結婚式場みたいに可愛いよね」
「・・・・!」


嬉しさを伝えるように、繋いだ手をきゅっと握り締めながら振り仰ぐ笑顔。愛しさと眩しさに瞳を細めていると、何かを見つけたのか俺の肩越しに視線を送っている。振り向いた通りの向こうにあったのは、ヴァレンタイン村のバレンタインデイに一際目立つ村役場。真っ白い壁にアーチ型をしたパステルブルーの窓枠。それぞれの窓には赤と白のチューリップが飾られ、正面入り口へ導くレッドカーペット。無数のバラを繋ぎ合わせた巨大なハートのアーチが祭典を盛り上げていた。全ての住人に幸せが届きそうだと思えてくる。


そうした中に身を置き、君と歩くだけでも幸せな気分になるのだが、君がこの村にに暮らしたいと言い出したら、俺は正直困ってしまう。世界中の役所がバレンタイン村のようならいいと君は言うけれど。もしも一人だったら・・・いや君と一緒でも、赤い絨毯を歩きハートのアーチを潜るのは、結婚式よりも照れ臭い。

記念に入り口で、一緒に写真を撮りたいという願いは真摯に断ったけれど。ちょっぴり頬を膨らませながら外観だけの写真を撮る香穂子に、すまないと謝りながら横顔へ心を届けた。


「今まで同じ国に暮らしていて知らなかった。確かにこの村は、大平原に光る赤い一粒の宝石だな。だがこの中で一番輝いている宝石は香穂子だと俺は思う」


感じたままにそう言うと、ふいに俺へと向けられたファインダーと、突然のフラッシュ。照れ隠しなのか、それとも悪戯なのか・・・。除けたデジカメの脇からこっそり覗く顔が、飾りのハートと同じように真っ赤に染まっていた。







レイモン・ペイネが描く恋人たちの絵が役場の中へ展示され、訪れる人々にも幸と愛の言葉に溢れている。恰幅の良い優しそうな笑みの村長から託されたのは、愛の証明書。祝福の言葉と共に、紅白の花で作られた小さなブーケを受け取った香穂子は、とても嬉しそうに頬を綻ばせていた。ほんのり赤く染まる頬は、まるで一足早い春を告げる花のように。

枯れることがないように生花でないところにも、永遠の愛を伝える願いが込められているように思えた。ならば俺も・・・永遠の誓いを交わした純白のブーケのように、改めて君に愛を誓おう。


恋人たちをモチーフにした小物や絵葉書を、一つ一つ手に取る香穂子と寄り添う吐息が触れ合えば、描かれるハートのように熱く震える心。想いのこもったハートが、なぜ赤い色をしている理由が分かる気がする・・・。


「うわ〜可愛い絵葉書がたくさんあるね、記念に一枚買おうかな」
「そうだ、香穂子。君と俺がそれぞれ選んだ絵葉書にメッセージを書き、互いに贈り合うのはどうだろうか? ちょうどスタンプを押してくれる郵便局もあるし、ここから送れば家に着いた頃には届いているだろう」
「バレンタイン村から、蓮へ愛のメッセージを届けられるなんて素敵だね。どんなことを書いたのかは、お家に着いて届いた時のお楽しみだなんてワクワクするよ。じゃぁ私はこの絵葉書にしようかな、お互いにハートを送る恋人同士を書いたペイネさんの絵が可愛いの。蓮は何にする?」
「では俺はこれで・・・」


興味深そうに覗き込む香穂子に見せたのは、「恋人たちの庭」というタイトルの絵葉書。光りと緑溢れる中でベンチに寄り添い並んで座る、紳士と貴婦人の絵がデザインされていた。ふわりと笑みを浮かべた君も絵葉書を隣に並べれば・・・互いに選んだ一枚は、俺たち二人の願いであり理想を映したものだと教えてくれる。


「ちょうど座れる席も空いて良かったな、ゆっくり落ち着いて君への手紙が書けそうだ」
「蓮にラブレター書くのは久しぶりだから、書きたいことがいっぱい溢れてくるの。どうしよう、小さい葉書には収まりきらないよ。ねぇ、蓮はどんな事かいてくれるの?」
「今見たら、帰宅した時の楽しみが無くなってしまう。ならば香穂子のも見るが、良いのか?」
「見ちゃ駄目っ! ラブレターを目の前で読まれるのは、とっても恥ずかしいの」


俺の手元を一生懸命覗いてくる君は、葉書を手で隠しながら、ぷぅっと頬を膨らませ威嚇してくる。これでは互いに書いた絵葉書が届いたときも、見ては駄目だと・・・誰がポストへ取りに行くかと一騒動起きそうだな。既に君の可愛らしさで頬も熱くなっているのだから、目の前で君に読まれる恥ずかしさに、俺も耐えられるかどうか。
だが心が浮き立ち描く光景に頬も緩み、早く君に届けたいと思うんだ。

ペンを走らせつつ目の前の君へ想いを馳せながら、時折顔を上げてちらりと互いを見ては、いつまでも色褪せない恋人同士の甘酸っぱい気持ちが蘇る。これもヴァレンタイン村の魔法だろう。


さぁ何を書こうか・・・君はどんな言葉を届けてくれるのだろうか。
日頃伝えきれない想いを言葉にするのは、自分の心へ向き合うのと同じだから少しの勇気が要るけれど。君が俺にくれるように、真っ直ぐな想いを届けたい。







書き終わった絵葉書を、役場のイベントスペースに設けられた郵便局へ一緒に出す・・・もちろんお互いに見られないよう裏返しで。後はハートのイラストの記念スタンプが押された葉書が、俺達が暮らす街へ届くのを待つのみだ。その後で訪れたのは、村役場と同じ広場にある小さな教会。この村に縁のある、世界で活躍するオルガニストとヴァイオリニスト二人によって催される、パイプオルガンとヴァイオリンのコンサートを聞くためだった。


11世紀に建てられたという、小さいけれども歴史のある村の教会は、祭りで浮き立つ喧噪とは無縁の静けさと落ち着きに包まれていた。外観は三角屋根を持つロマネスク様式で、内部は真っ直ぐに続くアーチ型の列柱と、大理石のタイルが敷き詰められたヴァージンロード。

奥には赤いビロードの布と白いバラの花で飾られた祭壇があり、見上げる天井には描かれた絵と、パイプオルガンの周囲を飾る彫像たち・・・。人々を見守ってきた中世からの名残が至るところに溢れ、清らかな光りが俺達に降り注いでいる。


ヨーロッパの人々にとって教会は、日々の生活に密着し、自分を見つめる大切な場所・・・そして音楽が生まれた場所でもある。留学中や香穂子と共に生活拠点をヨーロッパに置くようになってから、たびたび訪れるようになっていた。ミサ以外にも教会を使ったコンサートは日々行われており、手頃な値段で気軽に演奏を楽しめるから。クリスチャンでない外国人であっても、石造りのドームに反響する荘厳な響きは、きっと心の奥底へ木霊するだろう。


良い演奏だった・・・俺が奏でたらどんな響きになるのだろうか。
広い空間にどこまでも羽ばたくパイプオルガンとヴァイオリンの音色が、余韻となって満ちあふれているようだ。





パイプオルガンとヴァイオリンの演奏、司祭による説教が終わると、席を埋めていた人々が次々と立ち上がり扉の外へと向かってゆく。通路を挟み、ずらりと並べられた椅子の中で残ったのは俺たち二人だけ。黙ったまま、なかなか立ち上がらない香穂子が気になり様子を伺うと、聞こえてきたのは涙をすする音だった。


「・・・・・っ。ひっく・・・・っ・・・」
「香穂子、どうしたんだ?」


持っていたハンカチで鼻と口元を押さえながら、声を殺しつつ肩を震わせていた。彼女はなぜ泣いているのだろうか。全く予想していなかった事態と滅多に見せない香穂子の涙に、俺は只驚き、ただ慌てることしかできなかった。くすんと鼻をすすりながら震わせる華奢な肩を、そっと優しく抱き寄せながら落ち着くのを待つとしよう。


「香穂子・・・」
「あの、心配させちゃってごめんね。我慢してたんだけど、演奏聞いたら涙が溢れて来ちゃったの。教会って特別な場所だからかな、私の心に真っ直ぐ届いて熱く震えるの・・・どうしよう、涙が止まらないよ」
「良いコンサートだったと俺も思う。俺も君の心を震わせる演奏がしたいと、そう思った。落ち着くまでもう少しここにいようか」
「蓮、ありがとう・・・」


両手の中にピンク色のハンカチが、皺になるほどぎゅっと握り締められていた。彼女の純粋な心から溢れた透明な雫を吸い取り、うっすら色が変わるほど湿り気を帯びて。これ以上は吸い取れないだろうと思い、新しい俺のハンカチを差し出すと、大事そうに受け取り胸へと抱き締めた。

ほんのり赤く染めた頬と目元でありがとう・・・と、煌めく瞳と吐息で囁く彼女がとても愛しいと思う。心の底から音楽に触れ、感じる事の出来る彼女だからこそ、想いの全てを音色に変える事が出来るのだろう。惹き付けられて止まないのは、奏でる音色も君自身も、零れる雫のように透明で煌めいていると思うから。


肩を包み抱き寄せると小さく重みを預けて寄りかかり、微かにしゃくり上げながら真っ直ぐ振り仰いだ。赤く染まる頬と目元で恥ずかしそうにはにかんでいるけれど、戻った笑顔が嬉しくて安堵の吐息が零れてしまう。涙で煌めく瞳の雫を指先で拭い去れば、くすぐったそうに頬を緩め甘えるように擦り寄ってきた。


良かった、だいぶ落ち着いてきたようだな・・・。
肩を包んでいた手を解き瞳を緩めると、腕に寄りかかっていた身体を起こした彼女も、姿勢を正し小さくコクンと頷いた。雪解けの中から現れた芽吹きのように、小さく煌めく笑顔が眩しい。


「涙が出ちゃったのは演奏が素敵だったのもあるんだけどね、司祭様の話を聞いたら切なくて悲しくて・・・。私、今の時代に生まれて良かったなって思ったの。大好きな蓮と一緒に結ばれることが出来たんだもの」
「キリスト教の司祭だったヴァレンティヌス司祭・・・聖ヴァレンタインデーの祭日に関する話だったな」
「今までは、チョコレートを大好きな人に渡す日だとばかり思ってた。蓮の事で頭一杯で、どうして愛の日なんだろうって考えもしなかったの。でも深い意味のある、とても大切な日だって分かったら、バレンタインデーに・・・蓮と一緒にいられる今に、ありがとうって思えたの。そうしたら涙が止まらなくて・・・」


肩を預けながらクスンと鼻をすすり、大きな瞳を見開きながら、止まりかけた涙を堪えている。青いハンカチで口元を押さえる香穂子の頭を包み、絡めた指先で優しく髪を撫で梳いいてゆく。ゆっくりと、穏やかな呼吸を導くように・・・聖堂内へ降り注ぐ、清らかな光りに包まれながら。


ヴァレンタインデーの由来となったヴァレンタイン司祭は、3世紀のローマに実在した人物だ。当時の皇帝は愛する人を故郷に残した兵士がいると、志気が下がるという理由で兵士の婚姻を禁止した。これに反対した司祭が秘密に多くの兵士たちを結婚させたが、皇帝の怒りを買い、捕らえられて処刑されたという。

殉教の日が2月14日。愛の守護神、聖ヴァレンタインとなった司祭の死を悼む祭日だったが、時を経て若い人たちが愛の告白をしたり。春の訪れと共に小鳥もさえずり始める、愛の告白に相応しい季節であることから、プロポーズの贈りものにする日になったそうだ。


本当に、演奏を聞いた感動だけの涙なのだろうかと思っていた。優しい彼女の心が、何かの痛みや悲しみを受けとめているのではと、震える肩が手の平を通して伝えていたから。見えない言葉と涙が俺の心も締め付けていたのは、感じた想いが俺と同じだったからだろう。バレンタインの逸話に、留学という別離を経験した自分たちを重ねていたから。

もしも結ばれることを許されずに離れていたら、俺達はどうなっていただろうか。それでも俺は君を忘れられず、想いを音色に乗せて届けていたと思う。こうして今、共に道を歩める事が幸せだと・・・そう思った。


俺が渡したハンカチを大切そうに膝の上で畳んでいた香穂子が、天井を振り仰いで聖堂内を見渡している。瞳を閉じているのは、清らかな場所と自分の心を溶け合わせているのだろうか。


「大好きな人と結ばれることが許されないって国の約束があったら、凄く悲しくて辛いだろうな。もしも私がバレンタインさんの立場でも、きっと同じように想い合う恋人たちを結婚させていただろうなって思うの。たとえ自分がどうなっても、信じる気持ちと愛は貫きたいって思うから」
「大切な人を残して旅立つ兵士たちの気持ちは、俺にも良く分かる・・・。後ろ髪を引かれたまま、志気が下がるという皇帝の意見も間違ってはいない」
「蓮・・・」
「だが守るべき大切な人がいるからこそ、どんな困難にも負けない強さでいられるし、人に優しくなれる。志を果たして必ず戻ろう・・・その時こそ二度と離れることがないように愛を誓おうと思えた。だから今の俺がいる」


天井を振り仰いでいた香穂子が視線を戻し、ひたむきな瞳で俺を見つめている。時に眼差しは音色のように言葉よりも多くを語るというが、今がまさにそうだ。真っ直ぐ交わる瞳から瞳へ流れてくる熱さに、鼓動がトクンと脈打ち身体中へ溢れ出す。


ありがとう・・・香穂子、そう言って膝の上に置かれた手を握り締め、愛しさを込めて微笑むと、再びくしゃりと香穂子の瞳が潤みだした。椅子から身を乗り出し、ぴょんと飛びつく身体を受けとめ、背がしなるほど腕の中へ閉じ込めた。背中にしがみつく手の力を心地良く感じながら、首筋に顔を埋めながら深く抱き締めた。


「想い合う二つの存在は小さいけれど、重なる心は大きな力を生み出すのだと。留学をして海を離れた俺は、君に何度も救われた。俺達を見守ってくれた聖ヴレンタイン・・・たくさんの大切な人たちにも、感謝をしなくてはいけないな」
「蓮・・・私、ここに来て良かった。大好きな蓮のことも、蓮が大好きな自分も、見守ってくれる大切な人たちも・・・もっと大好きになれたらから」
「バレンタインは香穂子に出会うまで、興味もなかった。チョコレートを渡す日・・・としか認識が無かった。だが君に想いを寄せてから・・・想いの証である手作りのチョコレートを受け取ったあの日から、俺にとっては特別な日に変わったのだと思う。いつか一緒に歩きたいと願いを込めた君がくれたのは、ヨーロッパの石畳イメージした生チョコレートだったな。今は本当の石畳のある街を一緒に歩ける・・・描いていた夢を二人で叶えたから」
「覚えてくれていたんだね、嬉しい・・・私も覚えているよ。蓮ってば口に運んだチョコレートと一緒に、私の指までぱくっと食べちゃうんだもん。ふふっ、今とちっとも変わってないよね」


腕の中からちょこんと振り仰ぐ君が、クスクスと楽しげに笑う振動が触れ合う胸から振動となって伝わってくる。
君の全てが愛しくて欲しい気持ちは、あの頃も今も変わっていない。そんな自分が、誇らしいとさえ思う。
抱き締めていた腕を解き椅子から立ち上がる俺を、隣に座る香穂子はきょとんと不思議そうに振り仰いだ。


「蓮、どうしたの? もう行くの?」
「いや・・・その前に、俺達だけでもう一度結婚式をしないか?」
「え・・・だって私たちもう結婚してるじゃない」
「見渡す大聖堂内にいるのは、俺達だけだ。ならばせっかくだから、愛の日であるバレンタインデーに、君への愛をもう一度誓いたい・・・何度でも。」
「あっ、なるほど! さっき村役場で、証明書と一緒に村長さんからもらったブーケを使えばいいよね。花嫁さんなんて久しぶりだからドキドキする。まだそんなに昔じゃないけど、懐かしい結婚式を思い出すよね」


いそいそと鞄から取り出した赤と白い花のミニブーケを用意すると、俺が差し出した手を取り椅子から立ち上がった。本来の式では花嫁だけがバージンロードを歩くが、一緒に手を繋ぎながら祭壇に向かうのは、既に夫婦だから許して欲しい。勝手な理由を付けて教会の見えない主に詫びるけれど、単に君と離れたくないからだ。






神聖に厳粛に、一歩一歩胸の高まりを覚えながら祭壇前へと向かう。大理石へ静かに響く靴音を聞きながら、ちらりと隣を見れば、同じタイミングで俺を見る香穂子と視線が絡んだ。繋いだ手を強く握り締めながら、どちらともなく微笑みが浮かぶ。辿り着いた祭壇前で向かい合えば、両脇に飾られる大きな白い花たちの祝福が、優しい香りで俺達を包み込んでくれた。



留学して異国に触れてからは互いに愛する人へ、気持ちや愛の言葉と一緒に贈りものをする日だと知った。もっと早くに知っていればと異国の地で想いながらも、君へ毎年海を越えて届けた贈りものたち・・・。
ヴァイオリニストと君、二つの夢を手に入れ共に暮らし始めてからは、一緒に過ごせる事が何よりもの大切な贈りものなのだと気付いた。時を重ね想や絆が深まるごとに、単なるイベントではなく、想いを確認し合い愛を誓う大切な記念日になっていった。


何気ない日々の中に、たくさんの幸せが詰まっているんだ。
君がくれたチョコレートのように、甘く蕩ける優しさがずっと俺の力となっているから。




小さなブーケを両手で握り締める香穂子の頬を両手でそっと包み込み、身を屈めながら口づけた。
微笑みを浮かべた唇が触れ合う柔らかさと温かさは、どんなチョコレートよりも甘い、俺だけの恋の果実。


大切な日に愛の溢れる場所で、心を込めて君へ誓おう・・・愛していると。
そしてたくさんのありがとうを、君と・・・大切な人たちへ。
枯れない花で作られれた小さな赤いブーケが語る永遠のように、これからも色褪せない想いを紡いでいこう。