ウサギになりたくて



新年最初のデートは初詣。だけど、一休みしようにも神社近くのカフェはどこも混み合っていて、だったらここから近いしと誘った俺の部屋。人混みと寒さから解放され、やっと訪れた休息に安堵の吐息を吐く俺とは対照的に、ホットココアのマグカップを手に持つ香穂子は、楽しかったと嬉しそうな笑みを絶やさない。

寒かったらぴったりくっついて温め合えるし、混んでいたらはぐれないようにぎゅっと手を繋げるでしょ? そう無防備な笑で嬉しいこと言うんだから、あんた本当に可愛いよな。でも、ぎゅっと手を繋いでいたのにはぐれたのは、どこの誰なんだか。でもまぁ、母親に着付けてもらった晴れ着を俺に見せたくて、朝一番に会いに来てくれたのが嬉しかったから、今日は多めにみてやるよ。


「寒いし混んでるし・・・あんたははぐれて迷子になるし。やっぱ出かけるなら、落ち着いた場所に限るよな」
「ごめんね桐也。屋台のりんご飴が美味しそうだなぁって余所見してたら、人混みに押されてはぐれちゃったの。心細くてどうしようかと思ったけど、見つけてもらえて良かった。桐也が来てくれたとき、すごく嬉しかった・・・ありがとう」
「べつに、礼を言われることじゃない。あんたがはぐれるのは、いつものことだし。どこにいたって、俺はすぐ見つけられるしね」


マグカップをテーブルに置くと、いそいそ擦り寄り、俺の手をそっと包んでくる。さっきまで飲んでいたホットココアの温もりに、あんたの優しさが加わって、じんわりと俺に染み込む心地良さ。肩が触れ合うくらいすぐ隣にいた香穂子が、にこにこと浮かべる笑顔が妙に照れ臭く、温もりが次第に身体の内側を焼く熱に変わった。

いつもはあんたの方がすぐ照れるのに、こんなときばかりは知っててわざと、「桐也、顔が赤いよ?」と、悪戯な瞳で見上げるんだ。可愛いじゃん、と素直な気持ちで賛辞を述べたときに、嬉しそうに綻んだ笑顔。あの瞬間と同じように鼓動が微かに早く鳴りだすのは、艶めく唇のグロスや、珍しくめかしこんだ晴れ着のせいだと、心に言い聞かせてみる。


「香穂子、神社でずいぶん熱心にお参りしてたよな。何をお願いしてたんだ?」
「えっとね、今年はウサギさんになろうと思うの。それを神様に誓っていたんだよ」
「は? うさぎ? あんた可愛いし癒されるし、元気だし・・・ウサギみたいだよな。いいんじゃない?」
「もう〜桐也ってば、茶化さないで。私は真剣なんだよ! 元気に飛び跳ねるうさぎさんのように、ヴァイオリンの演奏も勉強も、桐也との恋も大きく成長させる年にしたいの」


ぷぅと頬を膨らませながら、興奮気味に俺の膝をポスポス叩いてくる、こんなときのあんたは結構、力加減ってもんを知らないんだよな。あんたの話、ちゃんと聞いてるよ。だからほら痛いだろと、眉を寄せつつやんわり手を掴む。今度は俺があんたの手を包み握る番。さっきまで握ってくれていたあんたの温もりに、今度は俺の想いを乗せて返すよ。

あぁほら、今度は香穂子の頬が赤くなってきたぜ?


「この前、クラスの友達がウサギを飼い始めたって、すっげぇ嬉しそうにしてたよな。それと関係あるわけ?」
「うん! うさぎさん、とっても可愛いよね。まだ子供なんだけど、ちっちゃくてほわほわ温かくて、背中を撫でると毛並みがビロードみたいに心地良いの。でもね、ただ可愛いだけじゃなく強いの。とっても感情表現が豊かな子なんだよ」


こんなにちっちゃいのと、両手で作った丸を顔の前に掲げ、指先の一つ一つに刻んだ感覚を思い出そうと必死だ。部屋中をぴょこぴょこ走り回ったり、どてっと寝転がったり。ちょこんと座った前足で耳の手入れをしている姿は、メロメロになるほど可愛いのだと、瞳を輝かせながら身を乗り出す香穂子は、身振り手振りで熱心に語る。

会えない時間が愛を育てたのか、数日前よりも想いは募り、興奮ぶりはパワーアップしてるよな。でも俺は、そうやって夢中になるあんたの方が、何倍も可愛いと思うけどね。


「私もウサギを飼いたいなぁ。毎日眺めていたら、ウサギの気持ちが分かるかな」
「ウサギは基本的に縄張り意識が強い生き物だって言うよな。甘く見ると怪我するらしいぜ」
「へぇ〜桐也、詳しいね」
「子供の頃、弟が飼いたいって親にねだった時期があったんだ。でも、ウサギの毛で子供が喘息を起こすこともあるし、ヴァイオリンに影響するとマズイからって、渋々我慢したけどね」


それに生まれたての子ウサギは確かに可愛いけど、僅かな環境の変化にも対応できないデリケートな生き物なんだ。命の危険を冒してまで、手元に得ようというのはエゴだって親に説得された。確かに俺も、そう思う。命を預かるんだから相応の覚悟が必要だ。それを一緒に乗り越えてようやく、癒しや励まされる大切な存在になるんだろうな。

瞳を潤ませながら真摯に話しへ聴き入る香穂子は、自分へも言い聞かせるように、うんうんと何度も頷いている。でも、今はそれで良かったって思えるよ。伸ばした手で傍にある頬を包めば、どうして?と不思議そうに瞬きする瞳が見つめ返す。

だってそうだろう? もしもウサギを飼っていたら、俺の家に遊びに来た香穂子は最初喜ぶと思うけど、そのうち絶対焼きもち焼くと思うんだ。俺の膝と抱き締める腕を争って、ウサギと香穂子が喧嘩するかも知れないじゃん。


「ウサギを飼うのが難しいのなら、やっぱり形から入ろうかな」
「形? なに? もしかしてウサギの格好とかすんの?」
「うん! ウサギのお耳がついた洋服着たいな。色は飛躍を誓う年らしく、大人っぽく黒がイイかなぁ」
「へぇ、あんた時々無茶するとは思ってたけど、意外と大胆なんだな。黒くてウサギの耳って・・・・だけど、その服いつ着るの? まさか外とは言わないよな」
「ウサギのお耳が付いているし、さすがに外は恥ずかしいかも。例えば桐也とこうして、お部屋で寛いでるときかな」


人差し指を顎にあてながら可愛らしく小首を傾げ、ん〜と考える香穂子は無謀な提案を突きつけてくる。しかも両手を頭に当てた、無邪気なウサギの真似までしてくれるから、余計に熱が集まるじゃん。単語から想像するのはただ一つ。喉元から零れそうになるバニーガールという単語と、脳内に浮かびかけた映像を、危ういところで飲み下した。

それとも誘ってるの? いや別に、二人きりなら・・・いいけど。
ただし、俺の理性が切れてもいいならっていう、条件付きでね。


「大胆かな? 結構可愛いと思うんだけど。ウサギになったら、桐也のお膝で抱き締めてもらうんだ〜」
「第一あぁいう服は、もっと大人の女が男を誘惑するときに着るもんだぜ。香穂子には必要ねぇじゃん。だって・・・その、俺はあんたに惚れてる訳だし。って・・・あぁもう、恥ずかしいこと言わせるなよな
「ふふっ、桐也ってば照れてる〜可愛い。初詣の帰り道に通りかかったお店で、冬物セールやってたんだよ。残念だけど、じゃぁ今回は買うの止めようかな。可愛いと思ったけど、ウサギの耳がついた黒のパーカー」
「は? ウサギの耳がついた黒のパーカー!? 何だ脅かすなよ、最初からそう言えば良かったじゃん」


そうだよな、あんたがそんな色気で俺に迫るはず無いよな。というのは言い過ぎだけど、正直ほっとしてるんだぜ。安堵の吐息がっくりと肩を落とし、身を丸くしたその反動で身体を後に反らし、フローリングの床へ思いっきり寝転んでみる。

仰向けに横たわった視界に映った天井に、ふと香穂子の顔が覆い被さった。桐也と呼びかけながら、晴れ着の帯が苦しくない程度に姿勢を低くし、俺の視線に近づけようとしてくれる。大きな瞳をきょとんと不思議そうに見開きながら、桐也は何の洋服だと思っていたのかと、しきりに問い正してくる。

言えるわけ無いじゃん、まさかバニーガールだって。あんた絶対、期限損ねるくらい拗ねるに決まってるからさ。


赤く染まった顔で照れ隠しに、少しぶっきらぼうな一言で「秘密」と答えて。恋人同士に秘密は良くないのと、寝ている肩を揺さぶる香穂子の肩へ、そっと腕を背後から回した。捕らえた肩を自分へ引き寄せたら、バランスを崩す香穂子が、小さな悲鳴を上げながら俺の胸へと倒れ込んできた。


しっかり受け止め抱き締めて、抗議の言葉は新年最初のキスで閉じ込めた。
俺をやきもきさせた、お返しだよ。可愛くて癒される存在なのに、それでいて強い。だけとちょっぴり寂しがり屋なあんたはずっと、俺だけのウサギでいてくれよな。