リビングのテーブルで甘い香りを放つのは、直径10cmほどの小さな丸いケーキ。一人だと大きいが二人で食べるならちょうど良い大きさで、白い生クリームに大粒の苺があしらわれた典型的なバースデーケーキだ。
テーブルが遠くて作業がしにくいとソファーを降りた香穂子は、床へ直接膝を付いて座り、先ほどから熱心にケーキへ向かっていた。

18本のキャンドルは立てられないから、細く小さなもので8本だけを飾るのだという。それでもいかにして均等に、俺の新たな年の数だけ8本のキャンドルを立てるかが悩みどころなのだと、難しそうに眉を寄せている。


「香穂子、俺の事は心配要らない。難しいのなら無理をせずに、大きなキャンドルを1本だけでも良いから」
「キャンドルの数は重要なの! 上手い具合にさせそうなんだけど、ここの苺が・・・。もうちょっとだから頑張るね」


何事においても一生懸命で、一度決めたらテコでも動かぬ強い信念の持ち主だ。きっとやり遂げ、完成させてくれるに違いない。その向けられる情熱が他でもなく、俺の為にというのが愛しくて、たまらなく心を熱く疼かせる。

こちらを向いて欲しいと思いながらも、何かをしている背中を眺めるのは嫌いではなく、どこか目が離せずにくすぐったさを覚えるのは何故だろう。膝立ちをして制服のスカートから伸びる白い脚や、小首を傾げた拍子に肩からさらりと零れる赤い髪に鼓動が飛び跳ねる。手を伸ばせば届く距離なのにただ見守るだけがもどかしく、抱き寄せようと思わず伸ばした手を、肩に触れる寸前で我に返り握り締めた。

手を引き戻して深呼吸をしたのと、背後でソファーに座る俺を香穂子が肩越しに振り返ったのがほぼ同時。
気付かれたかと焦りを覚えたが、ケーキに乗ったチョコプレートを指差しながら真剣な瞳で俺に問いかけてきた。


「ねぇ蓮くん、本当にいいの? 後悔しない? これが最後の質問だよ、考え直すなら今だからね」
「・・・・・・」


これが最後だよと、もう何度同じ質問を問いかけられただろうか。
名残惜しそうに・・・切なげに訴え揺れる瞳が、心と意思までをも揺らめかす。

ケーキの直径ほどを締める細長いチョコプレートに白で書かれているのは、俺の目の前で香穂子が店員に依頼した「HPAPPY BIRTHBAY 蓮くん」のメッセージ。店員たちが俺に向けた視線や、自信たっぷりな笑顔で元気に伝える彼女に火を噴出しそうになったのは言うまでも無い。

改めて眺めるとその場を思い出して熱さが募るのに、自分で食べるには恥ずかしすぎる。


「おめでとうのメッセージが書いてあるチョコプレートは、誕生日の人だけが食べられる特権なのに・・・蓮くんいらないの? これを逃すと後一年も先になるんだから、よーく考えてね」
「いや、俺はいいから・・・チョコレートは君が食べるといい。一緒に祝ってくれる君にそうしてもらえると、俺が嬉しいんだ。メッセージと気持は、ちゃんと胸の奥に受け止めたから」
「やっぱり砂糖人形のウサギと猫もつけてもらえば良かったんだよ、せっかく誕生日のサービスだったんだから。そしたらちゃんと二人で半分こ出来たのにね」
「それはどうかと思うんだが・・・」


苦笑を浮かべてやんわり遠慮をすれば、だから言ったのにとぷうっと頬を脹らませてしまう。
ケーキよりの何よりも俺の誕生日を香穂子が一緒に祝ってくれる、その気持がとても嬉しかったから。
自分の事の様に喜んでくれる香穂子の方が、俺より真剣に取り組み祝ってくれているように思う。




甘いもが得意ではないからそれ程執着が無いのだが、どうやら彼女にとっては違うようだ。
誕生日には苺の乗った丸いケーキでお祝いするのだと・・・拳を握り締めて力説する彼女には無くてはならない重要なものらしい。放課後早めに練習を切り上げ、口を挟む間もなく押されるままにケーキショップへ立ち寄った。二人でお金を出し合い一緒に選んだものだから、俺にも責任はあるのだが。


宝石のようにショーケースへ並ぶケーキたちよりも、目を輝かせて魅入る香穂子を眺めるのが楽しくて。
あちこちの誘惑を断ち切りながら、必死にBDケーキだけを見ようとする健気な姿に自然と笑みが零れたものだ。
誕生日には特典があると店員に進められてガラスケース上の案内板を二人で見れば、チョコプレートのメッセージとキャンドルのサービス。香穂子が一番喜びを露にしてショーケースに張り付いたのは、ケーキに飾る動物の砂糖人形のプレゼントだった。

うさぎやリス、熊や猫など見た目の愛らしい彼らに夢中になる彼女は、可愛いを連発して動物選びに真剣で。自分はうさぎがいいのだとか、俺には熊と猫とどちらがいいだろうかと・・・進む話に背中へ伝う汗を感じながら。
このままでは君に押されて流されると、内心焦っていたのを君は知らないだろう。


愛らしいウサギや猫の砂糖人形を、高校生男子の誕生日祝いケーキに乗せるのはどうだろうか?
さすがにそれは・・・と宥めて思い留まらせたが、その代り君の誕生日の時には好きなだけ願いを叶えよう。
俺はケーキだけでも良かったが長い説得の末に、チョコプレートのメッセージとキャンドルは頑として譲らず今に至る。微笑ましく見守る店員達の視線が痛い程に照れ臭く、あのケーキ店には暫らく立ち寄れないな・・・と思う。




どうやらイメージが形になったようで、彼女の指に摘まれた青色の細いキャンドルは、次々に白いクリームのキャンバスへ飾られてゆく。時折ちらりと見える笑みを浮かべた横顔に頬も緩み、期待に胸が高鳴るのを感じた。


「チョコもいいけど、やっぱり理想は白い生クリームの丸いケーキかな。いろいろフルーツが乗っているのも素敵だけど、大きな苺は絶対に欠かせないの」
「同じケーキなら、カットしてある方が食べ安くないか?」
「今日は蓮くんの誕生日なんだよ!? 本人が妥協しちゃ駄目っ、この一年幸せになれないよ。蓮くんだけじゃなくて、私にとっても一年に一度の特別な日なんだからね」


何気無く発した疑問に鋭く食い付いた香穂子は、驚く速さで俺の元へ膝立ちのまま歩み寄ってきた。祈るように真摯な瞳が真っ直ぐ俺を見上げて射抜き、両手が強く脚を抑え握り締めてくる。ケーキ一つでここまで熱くなるのかと驚いたが彼女が、本当に言いたいのはそこでは無いのだ。身を屈めて手の平に重ね瞳を緩めて交し合えば、一つになる温もりから大切な事、見失ってはならないものが流れ込んでくる。


「そうか・・・その、すまなかった。あまり甘いものは、普段から食べないものだから・・・」
「丸いケーキを分け合って食べるのが大切なの。みんなでお祝いを分かち合うんだよ。ほら例えば結婚式とかで、新郎新婦さんがカットしたウエディングケーキを皆で食べるじゃない。幸せを分かち合いましょうって意味を込る、あれと一緒だと思うの。蓮くんが生まれた日を感謝したい・・・おめでとうの気持や幸せを、私も一緒に分かち合いたいの」
「香穂子と一緒に分かち合えば、幸せが二倍に大きく膨らむようだ。君の気持がとても嬉しい、ありがとう。今日というこの日があるからこそ、君と出会えたし今の俺がいる。この場にいられる事を、感謝しなくてはいけないな」
「蓮くんは私の一番大切な人だよ、いっぱい幸せをくれるの。だから蓮くんにも幸せになって欲しいって、いい事がありますようにっていつも祈ってる。蓮くんの喜びは私の喜びだもん、一人じゃ幸せって作れないんだよ」


溢れた想いがたくさんの言葉となり、重ねたままの手の平から心に届いた。
自分を大切にして欲しいと、真っ直ぐな光りを宿す瞳から本当の優しさが伝わってくる。
俺はいつも君からたくさんの贈り物をもらっているな・・・強さや優しさ、感謝の気持など。
こんなに本気で俺にぶつかり関わろうとするのは、他にはいないだろう。

気持を手の中に託すように強く握り締め、湧き上がった温かさのまま微笑を注ぐと、春をもたらす微笑返しの可憐な花がほのかに染まる頬に咲いた。そう・・・心も音楽も全てを高めてくれる、誰よりも大切な存在。


「ありがとう、香穂子」
「蓮くん、お誕生日おめでとう。これからもよろしくね!」


準備出来たよと嬉しそうに披露するケーキの上には、8本の青く細いキャンドルが等間隔でケーキの淵を囲んでいた。多少強引に詰め込んだ気がするが、障害だった大きな苺やクリームの花も綺麗に形を残したままで、悩んだ末の苦労の跡が伺える。彼女の頑張った時間を食べるのだから、これほど贅沢なものは無いだろう。
綺麗に飾れたなと微笑めば、はにかんで照れながらも、一仕事を終えた晴れやかな爽快感が溢れていた。




8本の青いキャンドルに、オレンジ色に揺れる炎が灯った。一つ一つに灯る炎は、君の想いが形になったもの。
だからこそ眺めていると穏やかな気分になれるし、消したくないと・・・いつまでも眺めていたいと思う。
愛しい・・・と込み上げる想いが炎となり、俺の心にも一つまた一つと灯してゆく。

全ての用意を整え終わった香穂子が隣に腰を下ろすのを待ち、視線を交わして合図をすると、身を屈めてテーブルに口元を寄せた。膝の上できゅっと手を握り合わせ、緊張気味に揺れる炎を見守る中・・・キャンドルの灯を一気に吹き消した。


消えた瞬間に聞こえのは、た誕生日おめでとうという祝福の言葉と、満面の笑みで贈られる拍手。照れ臭さを感じながらも透明に透き通る心の欠片が心地良く、純粋に嬉しいと思えて、返す言葉に詰まる自分がもどかしい。キャンドルの灯りは消えても、どこか温かいのは消えない灯がこの胸の中にあるからなんだな。
君がくれた温かさが、暗闇の中でも俺を導き照らしてくれるから。



周りを囲むキャンドルを全て取り去ると、差していた部分に穴が開いてクリームが大きく欠けてしまう。
ごめんねと、見栄えを気にしてすまなそうに謝る香穂子だが、隙間無く均等に並べていたのだからこればかりは仕方ない。君が並べてくれた努力の結晶だし、食べてしまえば同じだろう? そう言って用意してあった皿を二枚並べると、泣きそうに揺らいだ瞳が笑みを浮かべ、いそいそと嬉しそうにナイフを握り締めた。


「キャンドルを吹き消す瞬間も好きだけど、やっぱりケーキを食べるのが一番好きだなって思うの」
「俺は半分でも多いな、少し小さめに切ってもらえるとありがたい」
「私だったらこれくらい、一人でペロっと食べれちゃうけど・・・・あっ! 今のは聞かなかった事にしておいてね。それよりも蓮くんは、どれくらいの大きさがいいのかな?」
「45度よりも小さめな方がいい」
「細かすぎて分かんないよ。半分だけ切るから、食べられる角度をナイフで教えて欲しいな」


半径だけにナイフで切り込みを入れたまま、次を何処へ定めようかと、困ったように俺を見つめ眉を寄せている。
それならば・・・と暫し考えた末に身体を寄せ、上から手を重ねて包み込みながら一緒にナイフを持った。小さなこの1ホールなら全部食べられるというが、香穂子が負担にならないように、かつ自分が食べられる大きさを探し出すのは予想外に難しい。これくらいだろうか・・・と握り締めたままそう言ってナイフの切っ先を、決めた角度へ共にケーキの表面へ差し込んでゆく。


「・・・・・・・・・?」


形を崩さないように注意を配りながら、柔らかいスポンジを通り抜ける感触を確かめていると、握り締めていた手が熱を増した事に気が付いた。不思議に思って隣に寄り添う香穂子に視線を向けると、俺に手を握られたまま動く事も出来ずに、耳まで真っ赤に顔を染めている。茹蛸のような赤さから立ち上る湯気が見えるようで、見上げる瞳も潤み、側で触れる吐息も理性が焼き切れそうに熱い。一体なぜ恥ずかしがっているのだろうか?


「香穂子、どうしたんんだ?」
「えっとね、その・・・蓮くん気付かない?」
「・・・・・・? 何をだ?」


ナイフごと一緒に握ったままの手と俺を、交互に見てはそわそわと身動ぐばかりで。口を開きかけては閉じてを繰り返し、なかなか言葉に出てこない。焦らせないようにと辛抱強く待つしかなかったが、やがてその理由は直ぐに分かった。まさか自分がやった事が、こんなにも照れ臭いものだったと気付いた時には既に遅かったのだが・・・。


「ねぇ蓮くん、これって結婚式のケーキカットみたいだよ。新郎新婦さんが二人で一緒に、夫婦最初の共同作業ってウエディングケーキにナイフを入れるやつ」
「!! あっ、いや・・・別に深い意味は無かったんだ・・・俺はその・・・」
「私たちの共同作業だね。誕生日ケーキだけど・・・へへっ、何か嬉しいかも」


甘えるようにコツンと肩を寄せてくる小さな重みに一瞬時が時が止まり、抑えた熱が堰を切って一気に溢れ出す。

気付かなかったが確かに言われてみればそんなセレモニーがあったなと、焦る中で記憶の糸を探り始めるが、焦る時ほど上手く行かず途中で途切れてしまうばかり。今日は俺の誕生日でこれはバースデーケーキだろう?と心に言い聞かせるが、一度聞こえた言葉はなかなか消えてくれそうにないようだ。
手を重ねて一緒にナイフを持ち、ケーキをカットしようとしているこの状況は、まさに同じじゃないのか!?

どうやら握り締めたままの俺の手から、高鳴る鼓動や熱さが伝わってしまったらしい。
瞳を反らす事も出来ず、吐息が触れ合う近さで見つめ合う香穂子の頬も、更に赤みを募らせてゆくばかりだ。


「将来の予行練習・・・かな?」


小首を傾げて恥ずかしさをごまかしつつの一言が、どれ程俺を熱く震わせたか。
そんな君を見ているだけでも可愛らしいのに、ささやかな仕草や一言がいつも俺を捕らえて離さない。
言葉にならない想いを・・・この熱さをどやって伝えようか。益々俺は、君を手放せなくなってしまうだろう?


「じゃぁ二人で一緒に」
「うん!」


一つのものを大切な人と分かちあうのは、一緒に喜びや幸せを分かち合う事。
君の笑顔を見ていると俺まで嬉しくなり、いつの間に笑みを浮かべているように。
大きなものから小さなもの、目に見えるものから見えない物まで。
分かち合うのはケーキだけでなく、気持や笑顔、俺や君自身といった全てなんだ。


これからもいろいろな想いや出来事を、一緒に分かち合えたらいい。
俺も祈っている・・・君の幸せは俺の幸せだから。





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