To My Sweet Heart
熱い吐息と汗・・・濃縮された甘い空気の中で、心地良い疲労感が満ちる寝室。薄闇に浮かぶ白い小島のベッドには二人分のパジャマが脱ぎ散らかされ、はだけた毛布と波打ち乱れるシーツに埋もれかけている。
休日の前夜という事もあり、気がつけば窓の外がうっすらと白んでくる明け方まで深く愛し合っていた。
カーテンの隙間から漏れ差し込んだ光は、普通なら目覚めを促す筈なのに、こんな時ばかりは急に深い眠気をもたらしてくるようだ。
蕩ける眼差しと紅潮した頬で、ぐったりと疲れ果てた香穂子を腕の中に抱き締めれば、微かに残った力で仔猫のように擦り寄ってきた。まだ汗ばむ俺の素肌の胸へうっとり微笑みながら顔を埋め、触れるか触れないかのくすぐったさで腕を回してくる。抱き締め返す程の力が残っていなくても、指先にきゅっと込められた力だけで心は震え、一人では決して感じることの出来ない幸せを教えてくれるんだ。
俺を丸ごと包み込んでくれる、君の優しい温度が愛しくて大切だと想う。
互いに抱き締め合う肌に感じる熱さは、身の内にある想いが溢れたもの。
身体が溶け合った後は、温もりの余韻と微睡みの中で、ゆっくり心を溶け合わそう。
「窓の外が明るいな・・・すまない。少しだけとそう思っていたのに、また朝になってしまったな」
「どんなに私が駄目って言っても、夜は長いんだからって離してくれないのは蓮なのにね。ふふっ・・・いつもの事じゃない」
「香穂子、大丈夫か? どこか辛いところはないか?」
「ん、平気・・・。凄く熱くてふわふわしてるの・・・私が飛んでいかないように、しっかり抱き締めててね」
「あぁ、眠っていても君を離しはしないから」
窓の外に向けていた視線を戻してすまなそうに微笑めば、悪戯な瞳の香穂子が掠れた吐息で肌をくすぐる。鼻先が触れ合う近さで視線を絡め、二人だけの内緒話をするように声を潜め合いながら。
君の願いを叶えたいと思う・・・その想いに嘘偽りはない。だがどんなに駄目だと懇願されても、叶えることが難しい願いもある。香穂子と結婚してからも、恋人同士の時と変わることなく募る恋心。熱い吐息も甘い涙も媚薬に変わり、日々君を抱くほどに愛しさが火をつけるから止めることは出来ないんだ・・・この先もずっと。
頬を包んでいた手を髪に滑らせ指先に絡めると、ゆっくり穏やかな呼吸を誘うように撫で梳いてゆく。微笑みを浮かべながら瞳を閉じた香穂子に呼びかけると、開かれた大きな瞳に俺が映り、ちょこんと背伸びをした柔らかい唇が重なった。
「誕生日おめでとう、香穂子。日が変わって一番最初に伝えたかったが・・・その、少し遅くなってしまった」
「そんな事ないよ、まだ朝になったばかりだから今日は始まったばかりだもの。ありがとう、蓮からもらえるおめでとうが一番嬉しいな。それにお祝いの言葉よりも先に、大きなプレゼントもらっちゃったしね」
「・・・え?」
「目に見える物も見えない物もたくさん、蓮の気持は心と身体でしっかり受け取ったよ。だっていつも以上に温かくて、優しかったもの・・・」
「いや・・・その。 それは俺たちにとって、大切な日だったから」
今更という気もするが、熱で浮かされた濃密な時間を改めて思い返すのは照れ臭い。こんなに近い距離で君に見つめられているのに、顔に火を噴き出しそうな火照りを感じるから余計に。触れられる全てに想いを込めて唇を這わせながら身体を繋げ、確かにいつもより時間をかけて君を愛したと思う。
フイと顔を逸らした俺を楽しそうに小さな笑いを漏らす香穂子を、照れ隠しに深く閉じ込めた。すると悪戯な君はからかうように、じゃれるように額と鼻先をこすりつけてくる。
「一緒に過ごす毎日の中で、次々と新しい夢が生まれてくる。一つ一つを感じて叶えるたびに、大きな力が生まれてキラキラ輝くのが分かるの。特別な日だけじゃなく普段の日でも、蓮からたくさんの贈りものを貰っているんだよ。今日は特別に、ぎゅっと詰まった大きな想いが伝わってきて嬉しかった・・・今ね、とっても幸せだよ」
静かに寄せては返すさざ波のような穏やかさの中で、瞳を緩めながらゆっくり髪を撫で梳いてゆくと、ぼんやり見上げる重い瞼がゆっくり閉じられてゆく。赤くしなやかな髪に絡めていた指を解くと、力の抜けた頭がくてりと小さな重みとなって、腕の上にもたれ掛かった。
「香穂子?」
「・・・・・・・・・」
名前を呼びかけても軽く揺すっても目を開けず、ピクリとも動かない。艶やかな色香を漂わせ、浅く早くあえいでいた呼吸はすっかり落ち着きを取り戻し、あどけない寝顔を浮かべていた。もともと寝付きはすこぶる良い方だが、あっという間に深い寝息を立てて熟睡するほど疲れ果てていたのだろう。そうさせてしまったのは俺なのだが・・・。
汗で額に張り付いた前髪をそっと払い、額に唇を軽く押し当てると、そのまま鼻のラインを滑らせてゆく。薄く開かれた赤くぽってりと色づく唇へ辿り着くと、微かに顔を上げてもう一度見つめ、微笑みを浮かべたまましっとりとキスを重ねた。
本当に用意していた誕生日プレゼントは別にあるのだが、渡しそびれてしまったな。
日付が変わって一番最初・・・つまりは夜中におめでとうの言葉と一緒に渡す予定だったが、熱い渦に飲み込まれ。結局は香穂子が先に寝付いてしまい、すっかりタイミングを失ってしまった。
さてどうしたものかと思案に暮れるが、たまには君を驚かしてみようかと、ふとした悪戯心が沸き上がる。以前だったら想いもしなかったこんな事は、きっと君に似てきたのかも知れない。
俺の腕を枕にしている香穂子を起こさないように注意を払いながら、腕に乗った頭をそっと持ち上げ、シーツの上に横たえた。しかし身体が離れた瞬間に温もりを求めて手を伸ばし、ころりと寝返りを打った彼女に、動きも固まり大きく鼓動が飛び跳ねる。
愛しさと切なさで、甘い糸に締め付けられる俺の心。起きていないだろうかと暫く寝顔を見つめた後で、ホッと安堵の溜息を吐くと、身体を捻り背もたれ用のクッションの裏に隠してあった小箱を取り出した。
綺麗なラッピングとリボンが施された細長い小箱は、香穂子への誕生日プレゼントとして用意していた物だ。
赤いリボンを解き、丁寧に包みを開けて取り出したのは黒いビロードの細長いジュエリーケース。箱を開けた中から現れたのは、太陽と月をデザインしたアクセサリーが二つ仲良く繋がった、シルバーのペンダントだった。太陽には透明なピンクの石がはめ込まれ、月には凜と輝くブルーの石がそれぞれ一粒ずつ埋め込まれている。まるで心を照らす星のように、君を見つめる瞳のように。
先日、香穂子と街を散策していた時に、何気なくショーウィンドーへ視線をやった彼女が、可愛いねと目を輝かせてガラスに張り付いていたものだ。値札を見て驚きに目を見開き、誤魔化すようにへらりと笑うと、慌てて俺の手を引いて店を離れてしまったが。その後も店の前を通る度に、眺めるだけで楽しいのだとそう言って笑顔を綻ばせながら、他には目もくれずに太陽と月のペンダントだけを目に映していた。
我が儘やねだる事を決して言わない香穂子は、きっと欲しという想いを堪えていたのだろう。
いや・・・羨ましそうに見つめていたが、祈りを捧げるように真摯な輝きを宿していたのを思い出す。ペンダントの遠くにあるものへ何かを強く願い、想いを馳せているように見えたんだ。
輝きながら寄り添い、互いを照らし合う太陽と月。
君に似合うだろうなとそう言ったら、ガラス越しに視線が交わり嬉しそうに頬を綻ばせていた。シンプルだが細工にこだわったデザインの可愛らしさだけでなく、俺たちのようだと思ったから。これからもずっとそうありたいと願わずにいられなかったのは、香穂子も同じだったのだろう。
学生の頃なら手が届かなかったが、プロのヴァイオリニスとして君を支える今なら、自分の力で手に入れることが出来る。今年の誕生日に何を贈ろうかと、ずっとぎりぎりまで悩んでいたから、これを贈り物にしようとすぐに決まった。
箱から取り出した細いチェーンの留め金を外すと、寝ている香穂子の首へ手を回してペンダントを着けた。髪を手串で整えれば、むき出しの白い素肌の上・・・ちょうど鎖骨の間に光輝くシルバーの太陽と月が揺れている。瞳や頬が緩むのは、ピンクとブルーの星が心にも温かさを灯してくれるから。
今、君に伝えたい。どうか真っ直ぐ届きますように。
何度でも君に告げよう・・・そして誓おう、君を愛していると。
この太陽と月のようにありたい。そして俺が演奏活動で離れている時でも想いを伝え、大切な人を守って欲しい。誓いの指輪をはめる結婚式のような神聖さで覆い被さり、二つのペンダントヘッドへ唇を寄せた。
香穂子再び腕の中に抱き締めると、枕にした腕を動かさないように上半身を起こし、ベッドの隅へはだけた毛布へと手を伸ばした。めいいっぱい腕を伸ばして手繰り寄せた毛布を肩先まで引き上げ、二人分の身体を繋ぐように包み込んだ。
長い夜が明ければ、君と歩む新しい一日がまた始まる。夜の青を太陽の赤が染め上げ、清らかな朝日が満ちるように、腕の中の温もりが俺の心を温ため君の色に染まってゆく。それまでは疲れた身体と翼を、ほんの一時休めようか。
君がくれた喜びや幸せ感動を、俺も君に伝えたい。音に込められた想いだけでなく、俺たちの愛も伝え受け継ぐ事によって大きく育てていくものだと、君が教えてくれたんだ。
ハッピーバースデー。君が生まれたこの日と、出会えた奇跡に心から感謝しよう。傍にいてくれてありがとう。
「誕生日おめでとう、香穂子・・・愛しているよ」
返事のように微かに頬が緩んだように見えたのは、寝ている君の夢路へと届いたのだろうか。
閃いた内緒の企みごとが心を躍らせ、自然と頬が緩むのを感じる。俺を驚かすのが得意な香穂子も、きっと同じ気持ちをいつも味わっているのだろうな。どんな驚きや笑顔を見せてくれるのか・・・贈りものを気に入ってくれるだろうか、喜んでくれるだろうかと期待や不安を入り交じらせながら。
もう一度目覚めた朝に伝えよう、誕生日おめでとうの祝福を。
降り注ぐ朝日に負けない笑顔を浮かべる君へ、おはようのキスと共に。