Teddy Bear

ここはベルリンきっての繁華街、クーダム。
すっかり葉を落として針金のようになった並木道の両側には、老舗デパートや高級ブティック、専門店、カフェが延々と軒を連ねている。市内の中心地だけあって、車も人の往来も多い。

普段なら、大学の授業やレッスンの後はどこへも立ち寄らずに駅に寄り、真っ直ぐ家路に着くのだが、なんとなく街を歩いてみたい気分だった。人ごみは苦手なはずなのに、あえてその中に飛び込んでしまいたかったのかも知れない。
溢れる人の流れに呑まれて、いっそ酔ってしまえたら、どんなに楽だろうかと・・・。



戦火を受けたままの姿で残るカイザー・ヴィルヘルム記念教会を左手に望み、クーダム通りを西へと進む。当ても無く、街の景色をただ何気なく映しながら。

クリスマスを祝うアドヴェントの期間だけあって、ショーウィンドーにはリースやガーランドが華やかに装飾されている。赤・緑・白・ゴールド・・・街のいたる所に溢れるクリスマスカラー。
並木道の下には、12月6日の「聖ニコラウスの日」を目前に贈り物を買い求める人々で溢れていた。

恋人に贈る為に、化粧品や香水をあれこれ必死に選んでいる男性たちの姿。
部下や同僚に贈るのか、両手一杯に大きな紙袋を下げたスーツ姿のビジネスマン。


赤い服を着て白いひげを生やした「聖ニコラス」、いわゆるサンタクロースは12月6日にやってくる。
25日のクリスマスは家族で祝うので、仕事の同僚や友人、恋人に贈り物をするのは12月6なのだ。
子供だけでなく大人たちの間でもプレゼントを交し合う様子は、日本のクリスマスの雰囲気に近いかもしれない。


灰色の空から小雪がちらつき、刺すような寒さが頬をなぶる。表面に感じる寒さよりも、身体を突き抜けて心の隙間へと刺さる寒風に痛みを感じ、耐えるように眉をしかめた。


賑やかさも、クリスマスも何もかも・・・俺には関係ない。


そう思っていた、ドイツに渡ってから初めての冬。
楽しそうに振舞う人々や賑やかな街の様子を見るにつけ、やるせなさや切なさしか、この心には生まれなくて。暗く厳しい寒さが孤独を実感させ、心の中にまで影を落としていた。
大きく溜息をつけば白い吐息となって宙に漂い、淡雪のようにそっと静かに消えてゆく。





やはり戻ろう・・・。


このままでは心地良く酔うどころか、街の雰囲気と人の波に悪酔いしそうだ。コートのポケットに入れた手をぎゅっと強く握り締める。踵を返したその時、ふと一軒のショーウインドーに目が留まった。


ショーウィンドーに並べられたのは、可愛らしい熊のぬいぐるみたち。どうやらテディーベアの専門店らしい。看板の店名をみれば、俺でも名前だけは聞いたことのある、ドイツ発祥の有名だった。
一つ一つが手作りだという彼らは同じ顔が一つとしてなく、どれも表情が豊かで、つい見入ってしまう。笑っている顔、甘えた様子の顔、少しだけ元気がなさそうな顔から、真面目そうなものまで。


『うわ〜っ、可愛い〜!』

楽しげにはしゃぐ彼女の声が、一瞬聞こえたような気がした。


喜怒哀楽が様々な彼らを見ているうちに脳裏に浮かんだのは、懐かしい温かな面影。今は互いに遠く海を隔てて離れてしまったけれども、いつでも大切な存在を心に思う。気づけは自然と口元が緩み、あれほど硬かった心が柔らぐのが分かった。


香穂子・・・君と過ごせていたら、どんなに楽しかっただろうか。
今、何をしているだろう・・・。
愛しくてやまない春のような笑顔を記憶の中に追いかけて、気がついた。


あぁ・・・そうか。
「関係ない」のではなく、独りで寂しかったのだと。
俺だけではないんだ。きっと君にも、寂しい想いをさせてしまっているに違いない。



ショーウインドーの真ん中に置かれた台座に、ちょこんと座る小さな熊が、俺に向かって笑いかけてくる。クリスマスのオーナメント用らしく頭部に紐がついた彼は、高さは10cm程の体長で、肌触りの良さそうな白い毛に茶色が混じったまだら模様。首には金色のリボンが巻かれていた。

手には楽譜を持っていて、良く見れば丁寧にも歌詞が縫いこまれているのが分かる。細かい作業に関心しつつ歌詞を読めば、silent niguht〜で始まるクリスマス馴染みの曲、きよしこの夜だった。クリスマスの限定らしく、小さな左耳にはボタンと共に品質を証明する白いタグがつけられている。

手のひらサイズでどんなに小さくとも本物の証・・・まるで彼女の音楽のようだと思った。
先程からずっと眼が離せず気になっていたのは、大きな瞳で笑っている顔が、何となく香穂子に似ているからだと思う。小さいけれども、見るものに元気と温かさを与えてくれる・・・そんな姿さえも。

周りにある一般的なサイズの熊に付いてる値札を見て、桁数の多さに唖然としたが、オーナメント程の大きさなら、俺の懐でも手が届きそうだ。



遠く離れた君に、直接ヴァイオリンの音色を届けることは出来ないけれど。
俺の代わりにこの小さな熊に音色を託して、君に贈ろう。
気に入ってくれるだろうか?

クリスマスは誰にでもやってくる。今は一人ぼっちの俺にも・・・香穂子のところにも。
だから、君も悲しまないでくれ・・・・と、聖なる夜に願いを込めて。



少しの気恥ずかしさを残しつつ、香穂子の為だと勇気を振り絞って店のドアを開ける。いらっしゃいませ、と声をかけてくる店員に入り口のショーウィンドーを指差した。

『すみません・・・店頭に飾ってある、オーナメント用の縫いぐるみを見せて頂きたいのですが・・・』


どうか、俺の心に宿った温かさと笑顔を、大切な君も届けられますように・・・・・。