例えばで始まる無限夢想



楽しいものを見つけた子犬のように、繋いだ手を元気よく引っ張られた先は、可愛らしい雑貨やヨーロッパ風の家具が溢れるインテリアショップ。だが、買い物がしたいけど、お小遣い日前だから金欠なのだと・・・ぐっと我慢しなくちゃと。欲しい服や小物を眺めながら、肩を落としてしょげていた香穂子が思いついた遊びがウインドーショッピングだった。


手に取る小物や雑貨の一つ一つに視線を合わせ、可愛いねと話しかける香穂子が一番愛らしい。この白いカップに紅茶を入れて飲みたい・・・白いカーテンの揺れる出窓に、あのフォートフレームを飾ったら素敵だなどと、嬉しそうだな。もちろん俺たち二人の写真を入れるんだろう? 

眺めるだけの買い物には、あまり興味が無かったが、君と一緒なだけでこんなにも胸が躍る。ふいに意見を求められて我に返るが、どちらかというと俺は店に溢れる商品たちよりも、くるくる変わる君の顔ばかりを見つめていると思う。


「例えばね、蓮くんと私が結婚していると想定して・・・」
「は!? 結婚!」
「蓮くんはプロのヴァイオリニストだから、世界中でコンサートをするの。もちろん、私もヴァイオリン弾いているよ。でも旦那様の蓮くんが、お家で気持ち良く寛げるように、しっかり家を守って主婦したいな」
「香穂子・・・?」


いつの間にか、どうしてそんな展開に? いやその、泣きそうな顔をしないでくれ。君の話はくるくると良く変わるとは思っていたが、驚いているだけで、嫌という訳ではないんだ。むしろ君が、俺と同じ未来を描いてくれていた事を、嬉しく思う。
蓮くん、私の話ちゃんと聞いてなかったでしょう・・・と。潤む瞳で真っ直ぐふり仰ぎながら、頬を膨らます香穂子へ真摯な想いを届けると、羞恥に茹だって白い湯気を昇らせてしまった。


「だから、今はまだ例えばの話だって言ったでしょ。私まで恥ずかしくなるじゃない。これはただのウインドーショッピングじゃないんだよ。イマジネーションの世界なの」
「すまない、香穂子。真っ直ぐ届いた気持ちが嬉しかったから、俺の想いも届けたかったんだ」
「えっとね、つまり・・・二人で大人のままごと遊びをするの。蓮くんと私は、これから二人で一緒に暮らす新居に必要な家具や雑貨を選ぶ新婚さん。ただお店や商品を眺めるだけじゃつまらないから、想像力を膨らませながらなりきってみるのはどう? きっと新しい発見があると思うの、どう?素敵でしょ」


もちろん遊びだから手に取っても買わないけどねと、桃色に染まった頬ではにかむ香穂子に、いっそこれが現実になればいいのにと心の底から想う。お互いの趣味や好きな物も分かるし、君と過ごす時間は楽しい。心のメモ帳に書き留めた今日の事は、いつか本当に二人で暮らす日が来る未来に役に立つだろうから。


未来の予行練習なんだな、俺は今すぐにでも大歓迎だが。予行練習?とオウム返しに呟いた香穂子の頬に、ぽっと愛らしい花が咲くと、小さく頷き幸せそうな微笑みが浮かんだ。弾けた鼓動から熱が吹き出し駆け巡る・・・耳から聞こえる胸の音と顔に感じる火照りは、心から溢れてしまった愛しい気持ちなのだと思う。きっと今の俺は、自分でもどうしようもないくらい、頬も瞳も何もかもが緩んでいるのだろう。



「ねぇ蓮くん、見てみて! 赤いハート型とイルカさん、どっちが好き?」
「・・・香穂子、これは何だ?」
「えっとね、可愛い食器洗いスポンジを見つけたの。もしも蓮くんが使うとしたら、やっぱりイルカさんが好きかな。白い泡の中でイルカさんが泳いだら、洗い物も楽しくなるよね。私は、このハート型がいいなぁ。どっちか決められないよ」
「・・・いや、別に決めなくて良いんだが」
「蓮くん冷たい。例えばの話だって、さっきも言ったでしょ。このイルカさんスポンジがキッチンにある生活を、一緒に思い浮かべようようよ」
「・・・・・」


キッチンに君がいて俺がいる、二人並ぶ様子を思い浮かべるのは、簡単なようでいてけっこう難しい。夢と未来を馳せるから、隣にいる君を意識してしまって、どうしようもなく身体も顔も熱くなってしまうんだ。香穂子、君は平気なのか?

ショッピングモール中にある日曜雑貨売り場にて、楽しそうに目を輝かせる香穂子が手に持っているのは、片手に赤いハートの形をしたスポンジと、もう片方には青いイルカの食器洗いスポンジ。別に色や形にこだわらなくても、普通に四角いのでは駄目なのだろうか。デザイン重視も良いが、やはり大切なのは飽きないシンプルさと機能性だと、俺は思うが。


「そう? 可愛いのになぁ」
「まさかと思うが・・・。可愛いという君の言葉に、俺がハートやイルカのスポンジを持って、キッチンで洗い物をしている姿までもが含まれるのか?」
「ふふっ、ナイショ!」


小首を傾げた香穂子は、残念そうに呟くけれど。確かめるのが怖いようなそうでないような。両方を交互に俺に向けながら、組み合わせや相性を確認している所をみると、悪い予感が当たりそうだ。

だが俺の返事を待たずに「豚さんのまな板も可愛い」などと、目ざとく見つけた可愛い小物にはしゃぎ始めてしまう。
こうしている間にも、さっきまで彼女が手に持っていたハートとイルカは、いつの間にか陳列棚へ戻されており、新たに子豚の顔をしたまな板が握られていた。君の買い物はまるで、釣った魚を海へ放つようなキャッチアンドリリースだな。


そもそも、俺が使う買い物でもなく、君が必要な買い物でもない。俺たちはまだ高校生だし、こんな会話を通り過ぎる人が聞いたら、一緒に暮らしてるように思われるだろうか。緊張と照れ臭さに鼓動を走らせながら、戒めのように心へ言いきかすんだ・・・俺たちがしているのは、ウインドーショッピングの最中なんだと。


「そういえば、香穂子。一つ質問しても良いだろうか」
「ん? なぁに?」
「君がさっきから胸に抱き締めている、白い羊は何なんだ? 今日は買い物をしないんだろう?」
「あ! これはね、さっき見つけた羊さんの縫いぐるみだよ。ふっわふわの、もこもこでとっても気持ちが良いんだよ。お昼寝の枕にもなるし、ソファーで休むクッションにもなるの。抱き締めたら手放せなくなっちゃた。この羊さんと私たちが座るソファなんかも、一緒に見てみようよ」


ね?と小首を傾げる微笑みの可愛らしさに心を射貫かれ、結局は何も言えなくなってしまうのは、君に惚れた弱み・・・だけれど。君は腕に抱えた羊の縫いぐるみの毛並みを、丹念に撫で回したり、頬を寄せては甘い吐息を零していた。甘く可愛らしい特別な君を独り占めする羊に、少しばかりの嫉妬を抱いても仕方がないだろう。


「香穂子、情が移らないうちに、その縫いぐるみを売り場へ戻してくるんだ」
「どうして? ほら、こんなにほわほわして可愛いんだよ。蓮くんも触ったら、手放せなくなると思うの」
「一度抱き締めた柔らかさと温もりを、手放せない辛さなら俺も知っている・・・恐らく君も。君が抱き締めるのは、その羊ではなく、俺だろう?」
「れ、蓮くん・・・あの、えっと・・・・・」
「未来の俺も、きっと同じ事を言うだろうな。君の視線を奪い夢中にさせるのは、俺でいたいと思うから」


触ってみて?と差し出された毛並みや中のスポンジは、確かに柔らかくて気持ち良い。普通のウインドーショッピングなら、気に入った物が見つかって良かったな・・・で終わらすのだろうが、これはイマジネーションの世界なんだろう? 例えば君と俺が数年後の未来で結婚した夫婦となり、買い物をする設定なのだから。

俺だけを見ていて欲しい、他の何も映さずに。例えずっと傍にいる事が叶った未来でも、君への想いと独占欲の深さは、変わらないだろうな。


火を噴いて真っ赤な林檎になった香穂子が、羊を抱き締めたまま小さく俯き、俺たちを包む甘い沈黙に自分の言葉が脳裏を掠めた。改めて反芻すると、君を抱き締めたいと言ったのと同じだと気付き、時間差で羞恥心が襲い焼き焦げそうになってしまう。このままではきっと、先にある寝具売り場のスペースは、二人で通り抜けられないかも知れないな。



君が思いついた遊びに、俺も付き合おう。二人で未来の家を想い描くのも、楽しいかも知れない。
君が奏でるヴァイオリンや、共に過ごすひとときは、俺に未来を描かせてくれるから。