食べさせてあげようか?





「千秋さん〜探してたんですよ! 蓬生さんに聞いたら、お風呂に行ったって言うから、待ってたんです。あのですね・・・」
「俺の風呂上がりが待ちきれなかったのか、かなで? いいぜ、来いよ。抱き締めてやる。ほら、イイ香りだぜ?」
「へっ!?  ち、千秋さん・・・っ、きゃっ!」


眉を寄せて困ったように人を探していた小日向の顔も、首にかけたタオルで髪の滴を拭きながら、菩提樹寮のラウンジにやってきた東金千秋を見つけるなり、ぱっと嬉しそうに笑顔の花がほころんだ。懐へ真っ直ぐ駆け寄り、目の前で立ち止まると、紅潮した頬ときらきらした眼差しで俺を見上げてくる。

俺の風呂上がりに会えて、そんなに嬉しいのか? 自信たっぷりの笑みで腕を伸ばし、返事を聞くまでもなく当然のように攫った背を抱き寄せれば、真っ赤な茹で蛸に染まりながらも、上目遣いでちょこんと見上げてきた。


「相変わらず、すぐ真っ赤になるんだな。お前の方が、風呂上がりみたくのぼせてるぜ」
「もうっ、千秋さん。からかわないで下さい! 抱き締められる恥ずかしさと、千秋さんの身体がまだポカポカしてるから・・・二倍私が熱くなっちゃうんですっ・・・だから離して下さい」
「離せと言われて、そう簡単に離す訳がないだろう。可愛い顔でむくれるな、キスをしたくなるじゃねぇか」
「・・・んっ」


ぷぅと頬を膨らます顎を指先で捕らえると、潤む瞳に甘く微笑み、熱い吐息の囁きを重ねた唇で閉じ込めた。柔らかさ触れた瞬間、一つに溶け合うような心地良いキスが名残惜しげに離れると、ほうっと零れた吐息をもう一度キスで啄む。伸ばした人差し指でゆっくりと輪郭をなぞれば、もどかしげに小さく身動ぐ身体がきゅっとしがみついてくる。

風呂上がりには、最高のデザートだな。火照る身体が冷めるどころか、余計に熱くなっちまうが。


「もう〜恥ずかしいです。今は誰もいないですけど、ラウンジに誰か来たらどうするんですか・・・」
「かまわん、俺達の仲を見せつけてやろうぜ。と言いたいが、俺だって人目を気にしているんだぜ、一応はな」
「本当ですか? 千秋さんってば、したいときには所構わず、チュッとしてくる気がするんですけど」
「キスで蕩けるお前の可愛い顔を、他のヤツらに見せるのはもったいない。お前は俺だけのものだ。俺のキスが、かなでだけものであるように・・・な」
「千秋さん・・・」
「で、俺を探していたんだろう? どんな用事があったんだ?」


抱き締めていた腕を緩めて解放すると、ふわり蕩けた眼差しがゆっくりと焦点を結び出す。はっと思い出して手を叩くと、嬉しさを押さえきれない大きな眼差しが、懐から真っ直ぐ振り仰いだ。小さく背伸びをしながら内緒話のように、あのですね・・・と口元に手を添えながら、無邪気に囁く吐息に、鼓動が大きく飛び跳ねる。さりげない仕草一つで俺を揺さぶるのは、お前だけだぜ。こんな瞳で強い意志の光を灯すお前は、必ず何か楽しいことをしてくれるんだ。


「夏のお風呂上がりには、冷たいデザートが美味しいかなと思って、オレンジシャーベットを作ったんです。千秋さん、オレンジがお好きでしたよね?」
「ほぅ、気が利くじゃねぇか。いつもはお前がどこからか買って来てくれるが、今日は手作りか、それは楽しみだな」
「小日向かなで特製、オレンジシャーベットですよ。大好きな人が好きな食べ物は、心を込めてちゃんと手作りしたいなって思ったから・・・。お風呂上がりの絶妙なタイミングを、逃さないようにずっと待ってたんですからね」
「お前・・・可愛すぎて反則だろう。ぽやんとして恋には鈍いかと思えば、ふと情熱的に迫ってくる。俺を喜ばせることにかけては天才だな。いいぜ、今すぐ食べるから支度しろ」


は〜い!と元気な笑顔で踵を返すと、足取り軽く駆け出してゆく。食堂へ続く入り口から「そこで待っていて下さいね」と肩越しに振り返る笑顔に、「待っててやるから行ってこい」と、自然と緩む頬のまま返して送り出した。まったくお前は、くるくると表情を変えるから、見ていて飽きないな。



   *




ラウンジの椅子に座って待つこと数分。木目のトレイに皿やグラスを乗せた持ったかなでが、小走りに戻ってきた。転ぶぞと、そういった傍から足元に躓きバランスを崩してしまうが、必死に堪えて何とか持ち直している。・・・まったく、目が離せないな。思わず反射的に立ち上がりかけた腰を、再び椅子に落ち着けて溜息を零せば、へへっと照れたように笑う小日向が、ガラスのテーブルへトレイを置いている。


「お待たせしましたー。すみません、支度に手間取っちゃって・・・ごめんなさい。今すぐに用意しますね」
「おい、慌てなくても良いんだぜ。そそっかしいお前のことだから、急いだら転んじまうだろ」
「なんだか私の方が、嬉しくて待ちきれなくて・・・。千秋さんと一緒に食べようと思って、自分の分も用意してきたんです。同じ物を一緒に食べると、もっと美味しくなりますよね」


コトンと響く小さな音に目を向ければ、ミントの葉が浮かぶアイスティーのグラス。そして、ガラスの小皿に乗ったオレンジがまるごと一個。いや違うな、オレンジの皮を器にしたシャーベットなのか。向かいではなく、より近い隣の椅子へ座ったかなでが、俺の手元へ身を屈めながら頷く瞳と、無邪気に近付く鼻先が掠める。伸ばした手で蓋を取った中から顔を覗かせる、きめ細かいシャーベットとミントの双葉。


「ほう、面白いじゃねぇか。オレンジが丸ごと一個と思いきや、オレンジの皮を器にしたシャーベットなのか」
「はい。せっかくだから、アイスティーもオレンジティーにしてみました。シャーベットも、ちょうど冷えて食べ頃ですよ」
「・・・うまい。お前、また料理の腕を上げたんじゃないか? 果肉としっかりした果実の風味を残しながら、たっぷりと空気を含ませた滑らかな舌触り。練習の合間だってのに、相当手間ひまをかけてるな」
「大丈夫ですよ、ちゃんとヴァイオリンの練習もしてます。お料理も、気分転換の一つなんですよ。それに・・・美味しいって千秋さんに言ってもらえるように、頑張りたいし。そうした結果もらえる一言が、私の元気の源ですから」


にっこりと笑って自分も銀のスプーンを取ると、太陽の色をしたシャーベットを一口救って口に運ぶ。「ん〜冷たくて美味しい」と、唇にスプーンを加えたままジタバタ身もだえている、お前の方が可愛くて美味しそうだぜ。爽やかな甘酸っぱさと、仄かな甘みと溢れる潤い・・・オレンジは俺の好きな果物だがそれ以上に。真夏の太陽の下で咲く花、お前の笑顔や音色みたいだと思えてくる。


スプーンに乗せたオレンジ色の小さな山を口に運べば、舌の熱に触れてあっという間に蕩けてゆく。デザートは冷たいはずなのに、もっとお前が欲しいと思うみたく、心の奥底から煽られ熱くなるのはなぜなんだ? あぁそうか・・・と気付いた視線の先には、じっと熱い眼差しで俺を見つめる、かなでがいる。


「おい、かなで。さっきからじっと俺を見つめているだろう、さては俺に見とれていたな。気付いたら慌てて視線を逸らしていたが、お前は嘘が付けないからすぐに分かる。ひょっとして、誘ってるのか?」
「ち、違いますっ! あの・・・美味しそうだなって思ったんです!」
「食べる口元ばかり見つめて、さてはキスが欲しくなったのか。もうちょっと待ってろ、食べ終わったらたっぷりしてやるから」
「・・・っ、千秋さん!」


美味しそう? 俺が? 照れるのを承知でそう悪戯に問い返せば、予想通りに耳まで真っ赤に染まった顔。可笑しさを堪えながらぐっと顔を近づければ、千切れんばかりに首をぶんぶんと振りながら、必死で違うと訴える。全力で否定されるのも複雑だが・・・お前の蕩ける甘い眼差しは、嘘を吐かないんだぜ?

なるほど、内側からの熱は俺自身のものだが、外側からじんわりと焼く熱さはこれだったのか。道理でシャーベットが早く溶けるわけだぜ。


「千秋さんが食べているシャーベットが、美味しそうだなって思ったんです。唇とかじゃありません。そりゃぁ色っぽいなとは、ちょっとだけ思いましたけど・・・とにかくオレンジシャーベットなんです」
「やっぱり瞳は正直だな。まぁそれは後にするとして、同じものをかなでも食べてるだろうが。レシピは同じなんだろう?」
「そうなんですけど、何て言うのかな。自分で作るから味は知ってるし、確かに美味しいんですけど・・・何かが足りない気がするんです。美味しそうに食べてくれる千秋さんのシャーベットが、何倍も甘くて美味しそうに見えたんですよ」
「じゃぁ俺のを食べてみるか? 同じスプーンでいいよな、食べさせてやるぜ」


驚きに目を見開いた小日向のの口元へ、シャーベットを乗せたスプーンを差し出した。最初は恥ずかしがり、自分のスプーンで一口すくっていたが、小首を傾げているところを見ると求める味とは違うらしい。隣り合う少し大きめな椅子の向こう側へ、精一杯身を乗り出しながら、ほら口を開けろよ・・・と瞳を見つめながら甘く囁けば、暫く迷った末に小さく開いた唇。これ以上染まらないくらい、真っ赤に湯立った顔から湯気が立ち上り、眼差しを羞恥が潤ませる。


恥ずかしさでぎゅっと瞳を閉じてはいるが、いずれ「美味しい」と可愛く微笑み、もっと欲しいとねだってくれるはず。
お前は俺に惚れているからな、恋する心が最高の調味料になることもある・・・そうだろう?

銀のスプーンが触れた唇から、チュッと音を立てて吸い込むと、ゆっくり染み渡る甘さが閉ざした瞳を開いてゆく。
ほらな・・・予想道理だろ。そう満足げな微笑みで二度目を差し出せば、恥ずかしそうに小さなひな鳥の唇が求めてくれた。


「どうだ、美味いか?」
「・・・はい。やっぱり同じオレンジシャーベットなのに、千秋さんの方が甘くて美味しいです。自分のスプーンで食べたときは、私のものと同じ味だったのになぁ」
「俺が食べさせてやるから、美味くなるに決まってるじゃねぇか。お前が森の広場で、俺に一口くれるようにな。同じ物を一緒に食べるから美味しくなると、いつも言ってるじゃねぇか」


困った顔がやがて、幸せそうな微笑みに変わったとき、溶かされるのは口の中にオレンジシャーベットではなく、俺の方。
やばいな、けしかけておきながら俺の方が病みつきになりそうだぜ。責任は取ってくれるんだろう?


「おい、唇の端にシャーベットが付いてるぜ。お子様だな、おい」
「お子様じゃないです、でも恥ずかしい〜」
「あぁ・・・そこじゃない。目を瞑れ、俺が取ってやるよ。もうちょっとこっち来い、そう・・・じっとしてろよな」
「すみません千秋さん、お願いします」


慌てて唇を指先でこすり始めた手を掴み止め、優しく引き寄せたらそっと腕の中へ閉じ込める。大人しく椅子から上半身を乗り出しながら、素直に唇を差し出すかなでに軽く驚き・・・やがて鼓動を走らす熱さに変わる。
こんな簡単な誘いに引っかかるとは、本当に素直だな。


食べさせたんだから、ちゃんと礼は頂くぜ。そう耳元に熱い吐息を囁き、覗かせた舌でぺろりと輪郭をなぞる。
ぴくりと身動ぐ身体が逃げないように、抱えた頭を引き寄せ自分も身を乗り出しながら。今度は唇を・・・甘く啄むキスをお前に食べさせてやるよ。もちろん俺も、後でたっぷり頂くけどな。