素の君に惑わされ



白いふわふわなチュールレースに、小さな薔薇の花飾り、そしてパステルカラーの甘い菓子。寝室のベッドの上にぺたりと座りこんだ香穂子は、白いレースに包まれた五粒のアーモンドドラジェが入った子袋を、大切そうに握りしめていた。寝室に入ってから・・・いやその前から。片時も手放せないのは、彼女が好きな三拍子が揃っただけでなく、幸せが詰まっているからなのだろう。


もらった瞬間から目を輝かせていた香穂子は、寝る前だというのにベッドの中にまで持ち込み、飽きることなく微笑む眼差しを注いでいる。俺がその菓子なら、きっと君の瞳に溶かされているかもしれない。もう何度、君は甘い吐息と可愛いを連発しただろうか。そんな君が可愛らしくて食べたいと思いながら、彼女の興味を独占するドラジェが少し羨ましいのは秘密しておこう。


ドラジェは生のアーモンドを、パステルカラーのチョコレートでコーティングした菓子で、ヨーロッパでも婚約や結婚、出産や洗礼といった目出度い日に配られている。彼女が手にしている菓子も、俺たちが招待された友人の結婚式の最後に、幸せのお裾分けとして新郎新婦手ずから配られたものだった。レースの包みを束ねているのは、小さな白いバラの造花が清楚なワイヤーリボンで、パステルカラーをしたドラジェと優しい空気を醸し出していた。


香穂子を抱き寄せ腕の中へ閉じ込めるのは簡単だが、もし拗ねてしまったら、心は俺に向いてくれない。
一つベッドの上で寛ぐ、寝る前の大切なひと時なのに・・・そばに君を感じながら、何も出来ず見守っているのは正直辛い。そろそろ俺の元へ戻ってきてほしいのだが、ここは君という風が、俺に向くのを待つしかなさそうだ。


「ねっねっ、蓮も見て? この白いレースはね、新婦さんが着ていたウエディングドレスのヴェールなんだよ。もったいないけど素敵だよね、温かくて幸せになれそうな気がするの」
「香穂子、もう寝る時間なのだから、そろそろ菓子を手放したらどうだ?」
「え、もう寝る時間? もうちょっとこの子を眺めていたいな。私たちの結婚式は、二人で作った手焼きのクッキーと紅茶を、来てくれたみんなにお裾分けしたよね。もう終わっちゃった事だけど、このドラジェみたいに幸せのお裾分けをすれば良かったかなって思ったの」


シーツの上を膝立ちで歩み寄り、こつんと肩先に身体を預けながら、大切に持った宝物のドラジェと紙片を俺に披露してくれる。熱心に読み耽っていた紙片には、菓子と一緒に渡された、ドラジェの由来や説明が書かれているらしい。ドラジェをチュールレースで包むのは、新婦のヴェールで包んだのが始まりなのだと、頬を寄せる香穂子が説明してくれた。すぐにいろいろなものへ興味を移してしまう香穂子が、どうりで熱心に眺めていたわけだな。


気に入った玩具や人形を寝床にまで手放さない、子供のような無邪気さに似ているけれど。見つめながらつい頬が緩んでしまうのは、君が心の底から笑顔だと、俺も自然と同じ気持ちや表情になるから・・・確かに幸せのお裾わけなのかも知れないな。パーティーで幸せそうだった新郎新婦に、まだそれ程経っていない自分たちの結婚式を思い出し、重ねているのだろう。祝福の言葉をかけながらも、香穂子のウエディングドレス姿を思い出していたのは、俺も同じだけれど。


だが・・・と途中で言葉を切り瞳を真っ直ぐ見詰めると、気迫に何かを感じ取ったのか、怒られる時のようにいそいそと背筋を正した。身を硬くし、きゅっと手の中にドラジェの入った子袋を握りしめながら、上目使いに見つめてくる。


「蓮、怖い顔してどうしたの? 怒ってるの?」
「君の晴れ姿であるウエディングドレスを、ヴェールといえども切り分けることはできない。その話が式の前に出ていたら、断固として反対した筈だろう。香穂子は俺にとって大切な一部だから・・・。何よりも、君が身につけていたものが、他の男の手に渡るなら尚更だ」
「蓮ってばやきもち焼いてる〜。そういえば私のガータートスの時も、蓮が嫌だって焼きもち焼いたから、フロックコートの胸に着けたブートニアを投げたんだよね。だからクッキーも、お料理苦手な蓮が一緒に手伝ったんだよね」
「何とでも言ってくれ、俺は誰にも君を渡す気はない。自分がこんなに欲深いとは、想いもしなかったが・・・」
「ありがとう、蓮の気持ちが嬉しいな。でも心配しないでね。ドラジェは可愛いけど、その為に大切なヴェールを包みとして切り分けるなんて、私にもできないよ。だって私が着たウエディングドレスは、蓮のお母様から譲ってもらった宝物だもの」


そう言って頬笑みを浮かべると、俺の二の腕をきゅっと掴み、支えにしながら背伸びをしてくる。洗いたてのシャンプーの香りが鼻孔をくすぐったかと思えば、頬に触れる柔らかな温もり。一瞬止まった時が再び流れ始め、視線を向ければ、吐息が触れ合う近さに香穂子の瞳があった。

ふいうちに、俺の頬へキスをしたのだと・・・気づいた瞬間に溢れた熱さが一気に顔へ集まり、熱さは君へも伝わって。照れたように俯きながら身体を離すと、甘い吐息と共に手の中へ握ったレースの子袋を、うっとり眺め、幸せそうに胸の中へ抱きしめてしまう。拗ねないで?ね?と、語りかける声が心に直接響き、少しばかり照れくさい。






子供のような自分の独占欲に苦笑すると同時に、香穂子が注ぐ愛の深さが胸に染みる。読んでいた本を閉じ、這うように身を伸ばしてベッドサイドのテーブルに置くと、外した眼鏡も本の上へ重ねた。もう夜も遅い、寝室の電気を消せば諦めてくれるだろうか。小さく溜息を零しながらライトへ手を伸ばしかけたところへ、小さな重みと温もりがぽすんと背中へ抱きついてきた。


「・・・っ!」
「蓮ってば、隙アリ〜!」
「こらっ・・・香穂子! いきなり飛びついたら危ないじゃないか」
「ふふっ、無防備に背中を向けちゃ駄目だぞ〜。蓮の背中が大好きだから、抱きつきたくなっちゃうの」


気配を消して忍び寄った香穂子が、飛びついたのだと気づいた時には既に遅く。覆いかぶさる彼女に押し潰され、支えきれずにベッドへ埋もれてしまう。頬に押し付けられるのは白いシーツ、背中にはパジャマ越しに感じる柔らかな胸と温もり。慌てて身体を起こそうと身を捻るが、しがみ付く香穂子に押さえつけられ、思うように動けない。


ぴたりと俺の背中にくっつく君は、スプリングの揺れる波に漂いながら、楽しいね気持ち良いねとご機嫌だ。子供のようなのは俺だけではなく君もなのか・・・確かに心地良いけれど。諌める気持も溜息も、いつも間にかどこかへ消え去ってしまったのは、背中から直接振動になって伝わる笑顔のせいだろう。優しい波が音色のように、俺の中へ満ち広がってゆく。


ベッドの波が小さくなった頃に、腕を支えに背負った香穂子ごと身体を反転させ、腕の中へ閉じ込めながら寝返りを打った。視界がくるりと回り、組み敷かれる形で寝転ぶ君は、情況が飲み込めずにきょろきょろ周囲を見渡している。
だが頭の脇に両腕を付いて覆いかぶさり、瞳の奥を射抜く俺を見上げ、逃げられないと悟ったのだろう。無邪気な頬笑みで小さく赤い舌を出し、肩を竦める・・・そのささやかな仕草さえ、今は俺を煽るものでしかないのに。


ほら、形勢逆転だ。
俺に火をつけるのは、いつも君の無防備さなのだと、気づいているだろうか。



「香穂子・・・もう、悪戯の時間はおしまいだ」
「んっ・・・・やっ・・・蓮ちょっと、待って」


ゆっくりと身体の重みをかけながら首筋に甘く吸い付けば、肩先に強くしがみつく・・・そのしなやかな指先の感触さえも愛おしい。耳元に注がれる甘い吐息が更に熱さを注ぎ、理性も心も何もかもが焼き切れそうになる。
だが腕の中で必死に身をよじる香穂子が、握った拳でぽすぽす肩を叩き、俺を押しのけようと必死だ。なぜ拒むのかと微かに痛む胸の内を隠しながら、すまない・・・と、そう言って僅かに身体浮かせると、潤んだ瞳で睨んでくる。


拗ねて唇をとがらせてながら睨んでも、威嚇の効果は無く、愛しさが募るだけ。
腕の中にいる君は、結局何をしても俺を惹き付けてやまないなのだと、そう思えてくる。


「今キスしたら、きっとこのまま止まらなくなっちゃうって思うの。さっき飛びついてごめんね、素敵な事を思いついたから待ちきれなかったの。蓮のキスが嫌なんじゃないからね、それは後でって・・・恥ずかしいから言わせないで」
「その・・・すまなかった。素敵なこと・・・とは?」
「あのね、蓮と私でこれから、お花を咲かせる幸せの種まきをしようと思うの。どう?素敵でしょう?」
「・・・・・・は?」


幸せの、種まき? 君と俺が寝ている、このベッドの中でだろうか?
一体何をと問う前に、膨らんだ想像に飲み込まれ、内側から熱さに焼かれてしまいそうだ。次の言葉が紡げず驚きに目を見開いていると、これだよ・・・そう言って何かを出そうと身動ぎ始める。嬉しそうにちょこんと差し出したのは、ずっと香穂子が手の中に握っていた、ドラジェの入った白いレースの小袋だった。


なんだ、幸せの種とはドラジェの事だったのか。
まさか君と二人でいつものように、熱い時を過ごすことだと思っていたなんて。曇りのない真っ直ぐで、純粋な瞳に映る自分が恥ずかしい。それだけ俺の理性も、君が欲しいと限界を訴えているのだろうか。


「・・・ドラジェじゃないか。種蒔きとは、これの事なのか?」
「そうだよ、ドラジェは幸せの種って言われているの。中身がチョコレートもあるけど、やっぱり私はアーモンドのドラジェが大好き」
「どうしてなんだ? 香穂子は甘いチョコレートが大好きだろう?」
「お菓子に添えられていた紙にも書いてあったんだけど、アーモンドって不滅の愛とか、願いが叶う希望の象徴でもあるんだよ。それとね・・・えっと・・・」
「・・・?」


レースの袋を恥ずかしそうに両手でいじりながら、火を噴き出しそうなほど耳まで真っ赤に染めてしまう。ごにょごにょと恥ずかしそうに口籠もり、上目遣いで甘く困った視線を送るから・・・俺の方が困ってしまうじゃないか。焦らせずに辛抱強く理性と戦いながら香穂子の様子を見守っていると、内緒話のような囁きが耳へと吸い込まれてゆく。


「・・・なの」
「すまない、聞こえなかったんだ。もう一度言ってもらえるだろうか」
「やだもう〜恥ずかしいからこれで最後だよ。アーモンドが幸せの贈り物なのはね、その・・・子宝に恵まれるっていう意味もあるみたいなの。へへっ、何だか照れ臭いよね」
「香穂子・・・」


俺の理性はいつまで持つのだろうか。もう風前の灯火なのに、君がその火を吹き消そうとするから、俺は守るのが必死だというのに。いとも簡単に打ち崩してくれる無邪気な笑顔が、こんな時ばかりは恨めしい。落ち着かせるために深く呼吸をすれば、重なった身体からも彼女の鼓動の早さも伝わってきた。そうか・・・俺ばかりじゃないんだな。






言葉の代わりに軽く触れるだけのキスを、微笑みのまま唇へ届けよう。
覆い被さる身体を一度離し、香穂子の背中に手を添えて抱え起こすと、背もたれ用のクッションへ寄りかからせた。
くすぐったそうにはにかむ君が、チュールレースの袋を閉じる花飾りのワイヤーを解くと、指先でパステルピンクのドラジェを一粒摘み取る。


まずは指先ごと唇に咥えながら、自分でぱくりと一口。美味しそうに頬を緩ませ、中から堅い音がこりこりと響く音も楽しげだ。こくんと飲み下した後に、今度はパステルブルーのドラジェを摘み、あ〜んと言いながら俺へと身を乗り出してくる。あ〜んと言いながら一緒に口を小さく開ける君の指先へ、頭で考えるよりも早く身体が求めて自然に動く自分がいた。


「さぁ蓮も、幸せの種を召し上がれ?」


口に入れたドラジェを噛むと、表面は薄くて堅いチョコレートで覆われていた。パステルカラーの殻が、パリンと割れる音がした先に辿り着くのが、愛の実であるアーモンドだ。チョコレートで覆われているが甘さは控えめで、アーモンドの香ばしさもあってか食べやすい。噛んだ食感かがほんのり柔らかいのは、煎って乾燥したものではなく生のものだな。


美味しい?と感想を訪ねる君に頬を緩めれば、綻び花咲く笑顔が心に花を咲かせてくれる。確かに君の言うように、笑顔をもたらす幸せの種かもしれないな。再びレースの中に指先を入れて、ブルーを取り出しかけたところでピンクに持ち替え、俺の手に託してくる。パステルブルーのドラジェが君の指先に摘まれて・・・なるほど、パステルブルーのドラジェは俺でピンクは君なのか。


俺は君を・・・君は俺を食べ合うようで照れくさいが、俺たちの想いが加われば、きっと美味しさが増すに違いない。


「ドラジェは五粒入りが多いんだけど、ちゃんと意味があるんだって初めて知ったの。それぞれに幸福。健康、富、子孫繁栄、長寿の意味があるって書いてあったの。蓮と暮らす毎日が、心豊かに健康で過ごせたらいいよね。可愛い愛の結晶に恵まれて、おじいちゃんおばあちゃんになっても私たちは仲良くヴァイオリンで二重奏をするの。ね?素敵でしょう?」
「煎ったものではなく生のアーモンドを使うのは、幸せの種として俺たちの中に芽が出るようにと、願いが込められているのだろう。ただの菓子だと思っていたが、夢や希望が詰まていたんだな。香穂子が熱心に眺めていた気持ちが、今なら俺にも分かる」
「二人で心に蒔いたこの幸せの種は、どんな花が咲くのかな? 凛とした清楚な花、可愛い花、優しい花・・・二人でたくさん心の花畑を作りたいよね」


互いの指先に摘んだ楕円形の小さなドラジェを触れ合わせたら、グラスで乾杯をするように微笑む瞳を交わし合う。口の中へ含めば、君にキスをしたときのような、ほのかな甘さと温もりが広がった。二人の想いは水となって注ぎ、支え合う栄養と手入れをしながら、やがて小さな芽を出すのだろう。

この幸せの種は心模様を表し、想いの数だけ花が咲く・・・。どんな花なのかは俺たち次第だ、楽しみだな。


五粒入っていたドラジェを二人で二個ずつ食べ合ったから、チュールレースの小袋にあるのは残りは1個。
香穂子の手に握られたままの袋から、白い一粒を取り出し唇に加えた。どうするのかと不思議そうに俺を見守る香穂子に、瞳で微笑みかけると華奢な肩を抱き寄せ、覆い被さるように唇を寄せた。

口移しした白いドラジェを、微かなキスと共に彼女が唇で受け取ったのを合図に、そのまま深く閉じ込めながらゆっくりと白いシーツの海へ沈んでゆく。こりこりとアーモンドを噛み下す音が口の中でやむのを待って、耳元に熱い想いのまま吐息を吹き込んだ。幸せの種を蒔くのだろう? 二人で一緒に。 


自分の言葉を記憶の中で反芻していた香穂子は、あっと驚きの声を上げると見る間に赤く頬を染め、恥ずかしさにきゅっと強く瞳を瞑ってしまった。重ねる身体に少しずつ重みをかけてゆき、優しいキスの雨を降らせながら・・・。
何者にも染まらない真っ白な幸せの種は花を咲かせるために、一つに重なった俺たちの中へ。