好き過ぎて簡単には言えない




放課後を一緒に過ごした帰り道で、身振り手振りを交えながら、いろいろな事を話してくれるのはいつも香穂子の方だ。もちろん俺からも話題を投げかけるが、どちらかといえば聞き役が多く、香穂子が黙ってしまえば自然と沈黙が多くなる。初めの頃は気の利いた会話が出来ない自分を責めたり、焦りや気まずさをどちらとも無く覚えたものだが、今ではお互いがそこにいる安心感を楽しめるようになった。


会話というのは声だけでなく、視線や握りしめる手の平だったり、触れ合う温もりや甘く奏でる心など・・・様々な方法で交わせるのだと気付いたから。一見ただ黙って手を繋ぎながら歩いているようでも、実は俺たちだけに聞こえるたくさんの言葉が溢れている。時には香穂子が頬を真っ赤に染めたり、俺が顔を熱くすることもあるけれど、どんな会話かは秘密だ。




「月森くん、送ってくれてありがとう」


いつものように香穂子の家まで送り届けると、玄関先で頬を綻ばせ満面に花を咲かせた。一緒に帰ってくれてありがとうと、そうお礼を言いたいのは俺の方だ。君と過ごすひとときは楽しいし、俺が離れたくないと望んだんだのだから。別れ際に香穂子の笑顔を見ると、例えその日にどんな辛いことがあったとしても、今日一日がとても幸せだったと・・・そう思える。漠然と浮かぶ自信のようなものが満ち溢れ、心の中で大きな温もりに変わった。


香穂子は何でも楽しいことに変えてしまう、不思議な力を持っているんだな。
いや俺が、君の前向きな楽天的な思考に似てきたのだろうか・・・悪くはない変化だ。


「明日はもっと素敵な一日になるよね、月森くんと一緒にいるとそう思えるの。だって一昨日よりも昨日の方が良かったし、昨日より今日の方が素敵だったもの」
「香穂子、見送りは良いから、早く家に入った方がいい」
「どうして? お別れするのが寂しいから、背中が消えるまで見送りたいの」
「それでは俺が、君を家に届けた意味が無くなってしまう。ずっと外にいては風邪を引いてしまうし、練習で疲れているだろう? 視線を感じて振り向いた時に君がいると、名残惜しくて足が止まってしまうんだ・・・引き返して背を浚いたくなるのを、堪えているのだから。本当は今だって、繋いだこの手を離したくは無い」
「月森くん・・・。私もね、もうちょっとだけ手を繋いでいたいな。夜に心が寒くなったら、手の平に閉じ込めたこの温もりで、自分を抱きしめようと思うの。そうすれば、あの・・・ね、月森くんに抱きしめられているのと同じでしょう?」


だが玄関先でなかなか家の中に入ってくれない香穂子と離れがたくて、つい話し込んでしまう。名残惜しさが募って帰れなくなってしまうから、早く家の中へ入って欲しいのに。繋いだ手にもう片手を添えた香穂子は、離したくないとばかりに俺の手を両手で包み込み、ひたむきにじっと見上げてくる。


握り締めた手の温もりで自分を抱きしめる・・・つまりは、夜になったら抱きしめて欲しいのだと。遠回しにそう愛を囁かれ、ほんのり染まってゆくピンク色が頬に集まる熱さとなって俺に移る。握り締めた手をもじもじと照れ臭そうに弄るから、君に包まれた手がくすぐったい。真っ直ぐなその瞳見つめられたら嫌とは言えないだろう? 本当は嬉しい心を小さな吐息で隠し、少しだけだぞと微笑めば、嬉しそうな笑顔を浮かべて、うん!と力一杯頷いた。



君と一緒にいると、まだ知らない新しい事に出会うのが楽しくなる。いや、好奇心に輝く香穂子の笑顔が好きなんだと想う。奏でる音色や交わす会話、向けられる瞳、ささやか仕草など・・・。心で感じるときめきは、君を好きになっても良いだろうかと、心のドアをノックするサインだ。扉が開けば俺の中に君という存在が入り込み、少しずつ大きくなって、いつしか君のことしか考えられないくらい、いっぱいになってしまった。


君を好きになってから、小さな事でも嬉しく思えるようになったし、他人に優しくなれた。だが君を想うと苦しくもなるし、焼け焦げそうなほど激しく燃えたり、時には無きそうなほど寂しさを抱えることもある。感じるまま振り子のように揺れ動く心は、まるで子供の頃にかえったようだな。困ったように悩みを打ち明け苦笑する俺に、真摯に耳を傾けていた君は真っ直ぐ振り仰ぎながら、優しく微笑みかけてくれた。


「嬉しくなったり、キュンと締め付けられて苦しくなったり・・・心がいっぱい動くんだよね。それはきっと、心が素直になったんだと思うの」
「心が素直に?」
「あっ・・・前の月森くんがひねくれているとか、そう言うのじゃ無いからね。だって私も同じだもの、月森くんに出会った私もキラキラ輝いているの。月森くんは私のことを魅力的だっていうけど、本当は違うんだよ。月森くんがとっても素敵で魅力的だから、知らない私をいっぱい引き出してくれるし、素直になれるんだよ」


涼やかな音色で鈴を鳴らすように、満天の夜空で星が輝くように。
また一つ、心の宝箱にときめきという星が生まれた。
大切な人に受け止めてもらい、初めて気付く愛しい想いがある。



いつでも伝えたいことはただ一つ、君が好きだということ。そして自分も好きになれた感謝の気持ち。
好き・・・それは語り尽くせない想いを込めたものであり、この世で一番短い愛の言葉。
だが心の中で呼ぶのは簡単なのに、これほど葛藤や苦悩を強いられる二文字も無いだろう。


想っている事を全て言葉にしたいが、形にして伝えるというのは難しい。どれくらい好きなのか、どんな風に好きなのか・・・込められた想いはその時その一瞬ごとで違う。例えば青色にも空の色や海の色などたくさんの色があるように、君を想うたくさんの「好き」も心模様が表せたら良いのにと想う。シャボン玉のようにデリケートだから、壊さないよう大切に心を込めて。


色鉛筆のように並べて、余すところ無くそのまま伝えたい。いや、二文字だけでは収まり切らなくて足りないんだ。
だから人には、言葉以外に表現をしたり、それを受け取る力があるという。例えば音楽を奏でたり、仕草で伝えるのも一つの方法だろう。どうしたら君に届けられるだろうか、胸に沸くこの想いを。


驚きに目を見開く香穂子の腰を攫い、そっと優しく腕の中へ閉じ込めれば、鼻先に埋めた髪から甘い花の香りがした。すっぽりと収まる華奢な身体は、しなやかで柔らかく、制服越しにも温もりと走る鼓動をしっかりと伝えてくれる。最初は心の中だけで何度も呪文のように語りかけていたが、いつしか確かな言葉となって、首元へ顔を埋める耳朶へ熱い吐息を吹き込んでいた。


「こうすれば、手の平で自分を抱きしめるよりも温かいだろう?」
「・・・っ、月森くん!?」
「香穂子、君が・・・好きだ」


熱さが高まるごとに君の香りも甘さを増し、抱きしめる腕の戒めも強くなる。
ゆっくりと俺の背に回されしがみつく手は、心を動かし合う物同士だけが感じ合える心の言葉。やがて小さく背伸びをした香穂子が俺だけに囁く確かな甘さが、二文字のラブレターを届けてくれた。


想いを切り取りそのまま伝える事が難しいのなら、俺の中に君を取り込み、心と身体の全てで伝えてしまおうか。心の中で唱える度に温かくなる、君が好きだという言葉を。
そして俺にも刻み込んで欲しい、閉じ込めた温もりと言葉が消えないように。