Duet on Ice



お洒落なショップが集まった、港沿いに立つノスタルジックな二棟の赤レンガ倉庫。休日に香穂さんとよく訪れるこの場所は、今ちょっと熱い話題のスポットになっているんだ。え、何が熱いのかって? ほら見て、二棟並ぶ煉瓦に囲まれた広場に、人がたくさん集まっているのが君にも見えるかな。いつもイベントやコンサートが行われる広場に、アイススケートのリンクが出来たんだよ。


広場へ駆け寄りフェンス越しに張り付りつく香穂さんは、瞳を輝かせながら真っ白いリンクを見つめている。同じ方向に絶えず回遊する人の流れを追って、あっちを見たりこっちをみたり。身を乗り出してきょろきょろする横顔が、とっても可愛いからつい魅入ってしまうんだ。真っ白い氷の上を、くるくると楽しそうに滑る君は、白銀のリンクに舞い降りた妖精みたいに綺麗なんだろうな。

ねぇ、香穂さん。僕たちもアイススケートをやってみない?

スケート靴を履いたらリンクの手すりにつかまって、氷の上に立ってみよう。
脚を踏み込めば・・・ほら。止まっていた世界が速いスピードで動き出すよ。自分の身体を使って緩やかに、そしてスピードを出してコントロールすると、こんな世界があったのかって思えてくる。君と僕で生み出す爽やかな風が、とっても気持ち良いって思うから。





スケート靴を履いた香穂さんと向かい合うように立ち、手を握り締めながら導くようにゆっくりと滑ってゆく。僕がどうして後ろ向きで滑れるのかと不思議そうな香穂さんは、真似したいけど前に進むのが精一杯だと困った微笑みを浮かべている。怪我をしたら大変だから、君のペースでゆっくりとね。滑るというよりも、まだ歩く方が近いけれど。もうこれだけで僕は、君とペアのフィギュアスケートをしている気分だよ。

慎重に慎重に一歩を踏み出す度に、きゅっとしがみつく指先の力が、僕の心をも掴むんだ・・・甘く痺れる熱さを生みながら。ずっと手を繋いでいられるのは嬉しいのに、このままでは氷のリンクごと熱さで溶けてしまう。


「香穂さん、とっても上手いよ、その調子。そろそろ僕の支えが無くても平気そうだね。試しにちょっと手を離してみようか?」
「きゃ〜っ加地くん、手ぇ離しちゃだめっ! 転んじゃう〜」
「大丈夫だよ、僕が支えるから。君はちゃんと一人で立っているし滑れているよ、さぁ自信を持って」


何があっても直ぐに手が届く距離を保ちながら、向かい合って繋ぐ両手を試しにぱっと手を離してみる。すると掴む物を求め慌てて腕をばたつかせ、僕の胸に飛び込んできた。飛び込む寸前で一歩すっと下がり、近づいたらまた下がってゆけば・・・わわっと声を上げて転びそうになる君に駆け寄って。滑れたじゃないかとそう言って、しがみつく身体を抱きとめ笑顔を注ぐと、潤んだ瞳でぷうと頬を膨らませる君が見上げてくる。


手を離したのは君の力を信じていたから。でも本当はそれだけじゃなく、求めて止まない心を落ち着かせるため。それなのに困ったな・・・スケートをエスコートしなくちゃいけないのに。意地悪する加地くんなんて嫌いと、泣きそうに拗ねる君も可愛くて、この腕を離せなくなってしまうよ。



「驚かせてごめんね。僕はもう、君の手を離さないから」
「本当!? もう意地悪しないって約束してくれる? 加地くんが手を繋いで引っ張ってくれたから滑れてるのに、手すりから離れたここで一人ぽっちになったら私・・・リンクの真ん中にしゃがみこんで動けないよ・・・。スケートの初心者は転んで滑り方を覚えるって言うけど、私は転びっぱなしだもの」
「外周はスピードに乗った上級者が多いからね、かえって危ないんだ。もしも手を突いた時に誰かとぶつかったら、ヴァイオリンを弾く大事な手を痛めてしまうかも知れない。誰もいない静かな真ん中の方が落ち着いて滑れるし、白銀の妖精となった君をのダンスを、みんなに見てもらえるしね」
「恥ずかしいよ〜今の私は優雅なフィギュアスケーターじゃなくてペンギンさんだもの。よちよち歩くのがやっとなの」


抱きとめたままの腕の中でしゅんと悲しそうに肩を落とし、ふるふると首を振る。抱きとめた身体を離してもう一度向かいに立ち、ふらつかないのを確認してから両手を取った。ペンギンは好き?と尋ねる僕に、質問の意図が分からないながらも嬉しそうに頷いてくれる。僕もペンギンは好きだよとそう言って、交わる視線で合図をすると、ゆっくり風に乗って滑り出した。


「ペンギンって可愛いよね、私大好き。みんなで氷の上をよちよち歩く姿は、ほっぺが緩んじゃうの。赤ちゃんは丸くて小さくて、ほわほわした縫いぐるみみたいなんだよ」
「スケートの基本はペンギンだって言われているんだよ。片足で氷を蹴って、もう片方のエッジにのる。この時、つま先で蹴らないで、エッジの側面を蹴ってみて。縦に進むんじゃなくて、優雅なペンギンになったつもりでスーッとね。
片足で滑れるようになったら、また反対のエッジに乗り換えるんだ・・・その繰り返し」
「こ、こうかな・・・さっきよりもスピードが出てきた気がするの」
「そうそう香穂さん、上手い上手い。ペンギンよりも、ヴァイオリンでボウイングをするようなイメージの方が、君には分かりやすいかな?」
「あ、なるほど! スケートも音楽みたいに楽しめれば良いんだよね」


紅潮した頬を綻ばせる笑顔が、また新しい風を生む。
風に乗って流れる景色の中で、変わらないのは君と僕だけが止まった時間。

真っ直ぐ見つめる煌めく瞳に微笑みかければ、眩しい笑顔が白いリンクの光りを受けて輝いていた。後ろ向きに滑りながら手を引いていたのに、いつの間にか前へと進む君に押される勢いだ。すっかりコツを掴んだのか、右に左にと交互にエッジをきかせて楽しげに滑る君は、ヴァイオリンを奏でる時と同じに見える、きっと心で奏でながらリズムを感じているんだね。

向かい合って繋いだ両手のうち、まずは片手だけを離してみよう。くるりと方向を変えて隣に並ぶと、繋いだ手をしっかり握り直して、二人で一つの風になろう。心を重ね奏でるように・・・氷の上でペアのダンスを踊るように。


「香穂さん、少し休憩する?」
「うぅん、大丈夫。もっとこのまま滑っていたいの、氷に乗った時間が長いほど、楽しくなれるよね。加地くんとくるくる氷の上を踊れるくらい、上手く滑れるようになりたりたいな。でもね、滑れないままでいたい私もいるの・・・どうしよう」
「ふふっ、香穂さんは可愛いな。上手くスケートが滑れるようになったら、もう僕が手を繋がなくなるって、心配しているでしょう? もしも転びそうになったら、遠慮無く僕の胸に飛び込んできて欲しいな。いやその前に、僕が君を捕まえに行くから」 
「え、どうして分かったの!?」
「言ったでしょう、僕は君の手を離さないって。君と手を繋いでいたいし抱き締めたい、香穂さんと同じように・・・ね」


にこりと笑みを向けると、たちまち真っ赤に茹でだこになった香穂さんが、慌てて僕の手をすり抜け追い越し滑ってゆく。思わず頬が緩んでしまうのは、恥ずかしさを隠そうとしているのが分かるから、好きだよと告げる心の言葉が真っ直ぐに届くから。でもカーブを曲がりきれず、ふいに転びそうになる彼女へ僕が追いつき咄嗟に抱きかかえる方が早くて。どちらともなく生まれる安堵の吐息と微笑みが、心に温かさとなって広がる・・・。


この感覚を知っているよ・・・そうだ、フィギュアスケートは音楽に似ているよね。
技術や表現力を磨くところもそうだけど、二人の呼吸が重なるこの感じが特に。
だから二重奏と同じく、二人で滑る方が楽しいのかも知れないな。ねぇ香穂さんも、そう思わない?


ここにいる君は、もう氷の上を歩くペンギンなんかじゃない。
白銀の上を舞う、可憐な白い妖精だ・・・もちろん僕だけのね。ほら、誰もが素敵な君を見ているよ。
惹き付けられる煌めく笑顔が向けられる先はだた一人僕だけ、それがとっても幸せだよ。


心と心を重ね二人で手を繋ぎながら、心地良い早さで氷の上を滑ろう。
リンクの中央にポッカリ空いた白い氷の空間は、君と僕のステージだから。
氷の上を滑りながら想いの絵を描くよ・・・奏でる音色の代わりに、君が大好きだって。