そういうトコも好きなんだけど
いつもの朝なら眠そうな目で眠りの海を半分漂う小日向が、菩提樹寮のラウンジで東金を待ちかまえ、朝日のように澄んだ真っ直ぐな眼差しで振り仰ぐ。予想通りだとニコニコ笑う嬉しそうなかなでに、何が予想通りなのかと尋ねれば、「この時間にはラウンジへ降りてくるだろうって思ったから、今日は少し早起きをして待っていたんです」と。照れてはにかみながらの、可愛い上目遣いは反則だぜ。
朝一番にお前に会えるとは、今日はいい一日になりそうだ。ラウンジで俺を待ちかまえるほど、そんなに俺に会いたかったのか? 自信溢れる笑みで見つめれば、真っ赤な火を噴くのがいつもの反応なのに、今朝ばかりは違っていた。コクンと素直に頷き「会いたかったんです・・・」と潤む瞳の囁き。予想外の反応に、俺の方がドキッとしちまうじゃねぇか。
「あの・・・千秋さん、今日の予定は空いてますか? もし空いていたら、お願いがあるんです」
「どうした、かなで。可愛いお前の願いなら、叶えてやっても良いぜ」
「本当ですか、ありがとうございます! 私、コーヒー淹れてきますね」
「おい、かなで・・・話がまだ途中だぞ」
まだお願いの詳しい内容も聞いていなってのに、ぱっと満面の笑顔を綻ばせると、嬉しそうにキッチンへと駆け出しちまう。まったく、しょうがねぇな・・・と想いながらも嬉しさは押さえきれず、頬が自然と緩んでいることに気付く。
足取り軽い音と共に背中が遠ざかるのを見送り、ラウンジの椅子に座りながら新聞を広げて待つと、暫くしてふわりと鼻腔をくすぐるのは、熱い湯気に漂うコーヒーの香り。テーブルに響くカップの音に呼ばれて紙面から意識を離せば、隠れん坊を見つけるように、「千秋さん?」と広げた新聞の端からちょこんと覗く笑顔。
折り畳んだ新聞をテーブルの上に置くと、「はいどうぞ」と笑顔で差し出されたカップを受け取り、優雅に脚を組み直す。一口飲めば豊かな香りと風味が広がり、身体の奥からほっと安らぐ吐息が生まれた「。美味いな」と素直に沸き上がる言葉へ、嬉しそうに喜ぶ笑顔を返してくれるから、余計に美味いと感じるのかも知れない。
「で、お前のお願いとやらを聞かせてもらおうか」
「あ、そうでした! 実はですね、今日一日、千秋さんを密着取材させて欲しいんです」
「は!? 密着取材?」
「全国大会のファイナルが終わた自分へのご褒美に、携帯電話を新しい機種に変えたんですよ。だから一番最初にこの携帯電話のカメラで、二人っきりのデートをしながら千秋さんの写真をたくさん撮りたかったんです。ベストショットは待ち受けにしたり、一人で寂しくなったらこっそり眺めようかなって・・・駄目ですか?」
手の平の中へしっかり握り締められていたのは、真っ赤なボディーの真新しい艶を帯びた携帯電話。赤い色にしたのは真っ赤でゴージャスな薔薇の花びらが舞うテレビのCMが、千秋さんのヴァイオリンみたいなイメージだったから・・・と。頬をピンク色に染める可愛らしさで羞恥心と戦いながらも、ひたむきに見つめる瞳が心へ想いを直接語りかけてくる。
「そういえば昨夜から携帯電話を握り締めて、こそこそシャッターチャンスを伺っていたな。正直に申し出てきたところをみると、昨夜の隠し撮りは、上手く撮れなかったようだな」
「え、千秋さん気付いてたんですか!?」
「お前、あれで俺から隠れているつもりだったのか? 知らぬ振りをしていたのは、ちょろちょろしているお前を眺めるのが、楽しかったからだ。他のヤツだったら、すぐに止めていたぜ」
「ごめんなさい・・・こっそり撮影するなんて良い気分はしませんよね。もう少ししたら、千秋さんたちが神戸に帰っちゃうから、急がなくちゃって焦ってたんです・・・」
かなでが俺のどんな写真を撮ったのか、興味はある・・・見たいような見たくないような。だが、隠し撮りにいい気はしないぜと眉根を寄せて諫めれば、泣きそうな瞳で謝りしゅんと肩を落としてしまう。
深く息を吸ってからカップを持ち、まだ温もりのある、かなでが淹れてくれたコーヒーを一口飲む。俯きながら耐えるように携帯電話を握り締め、小さく肩を丸める姿に心が軋み痛みを訴える。好きなヤツが求めてくれる、その気持ちは嬉しい。泣かせたい訳じゃない、笑顔でいて欲しい・・・いつもみたく、さ。
組んだ脚を降ろし、隣の椅子へ座るかなでへ身を乗り出しながら、甘く愛しさを込めて名前を呼んだ。恥ずかしさに俯いた顔をゆるゆると上げた瞳が、ちょうど真っ直ぐ捕らえる場所で微笑むと、そっと手を伸ばし頬を包み込む。
「後で思う存分好きなだけ俺を撮らせてやる、上手く撮れよ。その代わり、俺もお前を撮るぜ。それが密着取材の条件だ」
「千秋さん、ありがとうございます! いっそ二人で撮るのも面白そうかも〜ほっぺくっつけあうのはちょっと照れ臭いですけど。ふふっ、楽しみだなぁ。私個人の希望としては、千秋さんの寝顔ショットが欲しいんです。でも千秋さんがお昼寝してる姿を、見たことがないんですよね」
「そんな顔撮影して、どうするんだ。寝顔にキスでもするのか?」
「えっ・・・ど、どうして分かるんですか!?」
「キスがしたくなったら連絡しろ、すぐにお前に会いに行ってやるぜ」
どうやら図星だったらしく、見る間に顔が赤く染まり、包んだ頬の熱さが増してゆく。携帯電話は、いつも手放さずに持ち歩く、自分の分身みたいなものだと、お前は言っていたな。例え離れていても、いつも傍に俺を感じていたい・・・ふいうちな恋の告白に、こっちが熱くなっちまうぜ。
「私たちこれからの事を、真剣に考えなくちゃいけないと思うんです」
「これからの事? ほう・・・かなで、ようやく神南に来る決心が付いたか。よし、じっくり考えようぜ。お前が神戸に永住する気になった今のうちに、式場と新居も見つけておくか?」
「もう〜千秋さん! 違います、今は携帯電話の話をしていたんですよ。どうしてすぐそうやって、私をからかうんですか。真っ赤になるのを知ってて、楽しんでるんでしょ」
「俺は本気だと、いつも言ってるだろ。お前が照れようが、言いたい事は我慢しない。すぐ近くの未来も大事だが、目指すべき遠くの未来も、同じくらい考えて欲しいんだがな」
「か・・・考えます」
こっちに来いよと手招けば、むくれながらも素直に駆け寄るかなでの腕を掴むと、座る椅子へ引き寄せた。前へ抱き締められるように座る小さな身体を、脚で挟み込み抱き締める身体の全てで閉じ込める。離して下さいと身動ぐ身体を片腕で難なく封じ込めながら、ポケットから取り出した俺の携帯を見せれば、あっ!と声を上げて大人しくなる。
前に抱き締めたかなでが両手で握り締めているものと、隣へ俺が並べたものは・・・色もデザインも同じ。
「可愛い顔でむくれると、キスしたくなるだろ。かなでが持っている携帯電話、俺と同じ電話会社の同機種だろ。昨夜電話会社を変えたから、メルアドが変わったと連絡してきたよな」
「・・・そうなんですよ、遠距離恋愛のカップルはたくさん話すから、携帯電話の料金がすごく需要だって、雑誌の特集に載っていたんです。新しくするなら、千秋さんと同じ方が良いかなって。そうすると通話料が割引になる恋人プランもあるし、夜は通話が安くなるんですよね。あ! 同じ機種だから、テレビ電話も使えるようになったんですよ」
電話の途中でもテレビ電話に変えられるみたいですから、見せたいものがあったり、お互いの顔がみたいときに便利ですよねと。肩越しに振り返りながら、覚えたばかりの機能を操作して見せる。着信を知らせるメロディーにディスプレイを開けば、通話ボタンを押せばディスプレイに映る笑顔。顔を見ながらお話し出来るんですよと、無邪気にくっつける頬から二重に響く、本物の声と笑顔が嬉しそうだ。
みんなの前では笑顔を絶やさずにいても、二人きりになれば抱き締める腕の中やキスの唇が、遠距離恋愛への不安と寂しさを隠せずにいたのに。目指すべき道を見つけたんだろう、いい目だ・・・ステージでヴァイオリンを奏でるときと、同じだな。
「少し前に俺の携帯電話について詳しく聞いていたのは、これだったのか。驚かせてくれるじゃねぇか」
「私たち、もうすぐ横浜と神戸に分かれてしまうけれど、寂しがってばかりじゃ前に進まないんですよね。自分に出来ることから始めようって決めました。まずはヴァイオリンをもっと頑張ること、この携帯電話もその一歩なんですよ」
「顔が見られない代わりに、毎日でも電話で声は聞きたい気持ちは俺も同じだ。だがお前にばかり負担をかけるわけにはいかないからな、俺も協力するぜ」
他には何を始めるんだ?と耳元に尋ねれば、旅行代金を貯めるために、おやつを控えて貯金するのだと、くすぐったそうに身をよじり、小さな笑いを零して肩越しに振り返る。でも神戸土産のお菓子なら大歓迎だと、照れた微笑みの上目遣い。
甘い吐息が触れ合う心地良さに気が緩んだ一瞬の隙に、腕から抜け出したかと思えば、悪戯な笑顔で俺を見つめて。驚くよりも早く、かなでが目の前に構えた携帯電話のシャッター音が響いた。
不意打ちに眉を寄せる俺へ、悪戯が見つかった子供みたく無邪気に笑うかなでが、見てみて?と楽しげに差し出したディスプレイ。そこには目を疑いたくなるくらいに穏やかな顔の俺がいた。見つめるカメラの先いるのは、この腕の中に抱き締めている、お前だ。