そっと耳打ち



爽やかな朝日を受け止めるベッドの中で目覚めたら、白い輝きに包まれる窓辺を見てみてね。
耳を澄ませばほら、聞こえるでしょう? 「トントントン・・・」窓を叩く小さな音が。
窓を叩くこの可愛らしい音はね、幸せを呼ぶ小鳥と言われるオードリーのサインなの。


今日こそ会えるかな、幸せの青い小鳥さんに。


ベッドから飛び起きた私は、気づかれないように足音と高鳴る鼓動を忍ばせて、静かに窓辺へ近づいた。白く柔らかいシフォンレースのカーテンを手でかき分け、細く作った隙間からそっと覗いたけれど・・・でもね、小鳥の姿はどこにもいなかったの。合図を知らせたら、あっという間に飛び去ってしまったのかな。

オードリーは、なかなか姿を見せいないんだって、子供の頃に読んだ本に書いてあった。
そんな事無いよね、絶対にいるって信じているもの。きっと、見える人にはちゃんと分かるんだよ。
その証に感じるの・・・優しい波動と私を包む温もり、小鳥さんがまだ近くにいるのを。
今もほら、トントンって心を窓を叩きながら、私のほっぺを啄んでいるんだよ。



「・・・ほこ、香穂子」
「・・・・んっ」


頬や鼻先に触れる柔らかな温もりに啄まれる感触に、夢から引き戻される意識がふわりと浮かび上がって来る。耳に馴染む心地良い声に名前を呼ばれれば、眠りながらでも微笑みを返してしまうの。ねぇ、私を呼んだあなたはどこにいるの? 側にある温もりを求めてシーツに手を彷徨い這わせれば、最初はひんやりするけどだんだん温かくなる広い手にきゅっと握りしめられて。ここにいるよと、あなたの存在を教えてくれた。


半分眠ったままでも分かるあなたを求めてころりと寝返りを打てば、腰を攫われ引き締まった胸の中に閉じ込められる。温かいな、このまま眠っていたい。もうすっかり目は覚めているけど、まだ抱きしめていて欲しいから、暫く瞳を閉じて寝たふりをしようかな。

でもね、寝たふりってとっても難しいの。じっとしているとなぜか笑いが込み上げてくるし、鼻や唇がピクピク動いちゃうんだよ。私はいつも騙されちゃうのに、上手く成功した試しがないの。


ほら・・・青い小鳥さんが、何度もおはようとキスをしてくるでしょう? 
額、鼻先、頬、瞼・・・そして唇。だって我慢しきれずに、ぴくりと震えちゃったところばかりを追うように啄むのは、絶対に気づいているなって思うの。




「香穂子、起きているんだろう?」
「・・・・・・・」
「瞼や頬が震えているから、すぐに分かる。君は表情豊かで嘘をつけないから。このまま目を開けないのなら・・・そうだな。目覚めてくれるまで唇を塞ぎ、おはようのキスをしようと思うんだが」
「蓮、ごめんね! 嘘なの、私ちゃんと起きてる。だから・・・ね、蓮からのおはようのキスは、ちゅって軽く触れるだけでお腹いっぱいだよ。たくさんキスしてもらったから、今日は一日元気で頑張れそう」


せっかく夜中の熱や炎が静まったのに、火を点けたら大変。もしかしたら既に遅いかも、どうしよう。
ぱっと目を開けて振り仰ぐと最初に映ったのは、私に腕枕をしながらクスクスと楽しそうに微笑む琥珀の瞳。鼻先触れ合う近さで私を見つめる蓮が、おはようとそう言って優しいキスを唇へ降らせてきた。


「腕の中にいる君の寝顔を眺めるのも好きだが、やはり一人で起きているのは寂しい。君の声が聞きたい・・・笑顔が見たいと想いは募るばかりで、つい起こしてしまうんだ。昨夜はまた無理をさせてしまったから、本当はゆっくり休んで欲しいのだが・・・すまない」
「うぅん、休日の朝は私こそお寝坊さんでごめんね。気持ち良くて、もっと蓮に包まれていたかったの」
「いつもは俺が香穂子に起こされているから、何だか不思議な感じだな。目覚める君を待つのは、とても幸せだ。君の鼓動や寝息を聞きながら横になっていると、ほっと心が安らぐ」


大きな窓から差し込む少し高く昇った太陽の光を受けたシーツの白さが眩しくて、小さな欠伸をかみ殺しながら目を細めた。目尻に浮かんだ涙を指先で拭うよりも早く、吸い付いた熱い唇が雫をすくい取ってくれた。
くすぐったさに笑い声を漏らしながら身動ぐと、ころりと身体が反転して、隣にいたあなたがいつの間にか私の上に覆い被さっていた。頭の両脇についた両腕で体重をかけないように支えながら、身体全体で閉じ込めるように。

ちょっぴり拗ねて甘えてくれる所が可愛いなって思うの。でも、可愛いって言ったら機嫌が悪くなるから内緒ね。


真上から私の瞳を覗き込む、あなたの澄んだ瞳に吸い寄せられる。私の髪に指先を絡め、穏やかな呼吸と同じ早さでゆっくり撫で梳く指先の感触に酔ってしまいそう。私を丸ごと包んでくれる優しい光、大好きなあなたの瞳。
時には凜と真っ直ぐ厳しかったりもするけれど、いろんな優しさを持っている。飾らない真っ直ぐに澄んだ心のままの言葉やさりげない仕草は、私の心を温かい日だまりに包んでくれるの。

ポカポカと広がる二つ分の温かさが、私の中で一つに溶け合い優しい幸せに変わる。
窓を叩く音や気配はあるのに姿が見えないと、毎日探していたけれど・・・やっと見つけたよ。
そうか・・・そうだったんだ。鳥の姿を探しても、見えない訳だよね。


「今朝の香穂子はいつになく楽しそうだな、良い夢でも見たのか? 眠っているときから、くるくる表情が変わっていた・・・眺める俺まで頬が緩んでしまうくらいに」
「夢・・・なのかな。うぅん、私は夢じゃないって思うの。ねぇ蓮はオードリーって知ってる? 見たことある?」
「オードリーとは、有名な映画の女優だろうか? 名前は知っているが会ったことはないが」
「それはオードリー・ヘプバンーン。違うの、幸せを運ぶ小鳥の事だよ。 窓辺にやって来るとね、トントンって窓を叩く合図の音がするんだよ。その小鳥が、おはようの挨拶をしてくれると幸せになれるんだって」
「・・・いや、見たことは無いな。香穂子はあるのか?」
「うん、今も私のすぐ目の前にいるの。幸せの青い色をした、私だけの素敵な鳥さんが」


どこにいるんだと不思議そうに眉を寄せた蓮が、身体を起こしてシーツに座る。私たちが横になる広いベッドや寝室内、目を細めて窓の外を見渡すけれど見つけられないみたい。シーツを胸に当てながら片手を支えにしながら昨夜の名残で重い身体をゆっくり起こし、膝建ちで彼の隣に寄り添うと、ぺたりとシーツに腰を下ろした。

私だけが知っている答えを必死で探す姿を見守るのは、宝探しのようでワクワクするの。
気づいてくれるかな、聞こえるかな? あなたにも幸せを運ぶ小鳥の姿が見えたらいいのに。
降参だ・・・そう言って困ったように微笑み、肩越しに振り返った。


「じゃぁ答えを教えてあげるね。ねぇ蓮、耳貸して?」
「あぁ・・・」


内緒話しをするように、少し屈んだ頭へ顔を寄せ、耳元に手を添えた。あのね・・・と小さく囁いた後で、ふぅっと吐息を吹き注げば、びくりと身体を揺らし慌てて耳を押さえてしまう。驚きに目を見開き、頬を赤く染めながら。


「香穂子っ!」
「へへっ、ごめんね。毛並みを逆立てた猫みたいに、そんな硬くなって警戒しないで?ね?」
「・・・・・・二度目をやったら、君も同じ事を味わってもらおう」
「それは困るの〜だって蓮の吐息は、とってもくすぐったいんだもん。今度は本当だよ、あのね・・・・・・」


難しそうに眉を寄せる顔へ微笑みながら、香穂子が耳に添えた手の平の中へ、紡いだ言葉をそっと注いでゆく。
二人だけの内緒話のように、月森だけに聞こえる囁きは、唇から零れる吐息の甘さ含み、消えかけた熱を灯す。だんだんと緩んでゆく月森の目元や頬が、赤みを纏ったはにかみに変わった。


「幸せを運ぶ青い小鳥、私だけのオードリーは蓮なの。優しくて時には悪戯な小鳥さんは、毎朝私の心の扉を叩いてくれるの。トントントン・・・って、それは私たちの幸せの合図なんだよ」
「・・・だから目の前にと言ったんだな。香穂子にそう感じてもらえる事が、共に暮らす今は何よりもの幸せだ。気づいているだろうか? 俺に幸せを運んでくれる小鳥は、君であるのだという事も」


お互いにまだ何も身に纏わないまま、シーツの上に座り見つめ合う。優しい琥珀の瞳に微笑まれながら香穂子と呼びかけられれば、甘い痺れが背筋を駆け巡った。呼吸も動きも全ての時が止まった一瞬に、あっという間に腰を攫われ、日だまりの腕の中に抱きしめられた。胸を隠す為に押さえていたシーツが、はらりと舞い落ちる。


額と鼻先を引き締まった胸に擦りつけると、くすぐったそうな声を小さく漏らして身動く。いつも私が翻弄されているから、戸惑いも嬉しいなと感じてしまうよね。くすぐったい?と悪戯っぽくちょこんと振り仰げば、抱きしめられる力が強まり、言葉無くじっと瞳を見つめてくる・・・。

どうしよう、私の方が熱くて火を噴いてしまいそうだよ。


「香穂子からの、おはようのキスをもらっていない」
「あっ、そういえばまだだったね! 私は先に蓮からたくさんもらっていたから、幸せでお腹いっぱいになってたのに。すっかり待たせちゃってごめんね」
「香穂子からのキスが無いと、俺の朝が始まらない、一日の力の源だ」
「どんな時も挨拶は大事だけど、その中でも朝は一番大事だと思うの。朝ご飯でしっかり栄養を取るのは、健康にも良いって言うでしょう? 私たちの心の栄養も、きっと一緒だよね」


綺麗な鎖骨が浮き出た肩に手を添え、背伸びをながら唇を寄せかけた所でふと動きを止めた。
規則正しく脈打つ熱い鼓動の上に人差し指を当てて、小鳥が嘴で窓を叩くように軽くノックをした。


「トントントン・・・トントントン・・・」
「俺にも聞こえた、窓を叩く幸せの音が」
「良かった、聞こえたんだね。小鳥の姿も見えたかな?」
「あぁ・・・とても元気で愛らしい。君は青色だというが、俺の所へやってきた小鳥は赤い色のようだな。俺の腕の中で、楽しそうに歌い囀っている」


私の事だと分かるから嬉しさと照れ臭さで、飛び跳ねたいほど心が弾み、頬が熱くなってしまう。
今度こそ背伸びをして、微笑みを刻んだままの唇を触れ合わせた。
軽く音を立てながら、チュッと何度か唇や頬を啄むと小鳥になった気持ちになる。
二人でこのまま、心も大空へ羽ばたけたら良いよね。




幸せを運ぶ青い小鳥さん、あなたはここにいたんだね。いつも私のすぐ側に、大切な人へ姿を変えて。
うぅん、ちょっと違うよね。一番大好きで大切なあなたがこそが、私に幸せを運ぶ小鳥、オードリーだったの。
私もあなただけの小鳥でいるように。


幸せを呼ぶ小鳥オードリーは、緑の森の奥深くに住んでいる。
トントン・・・窓ガラスを叩く音が聞こえたら、オードリーが来た合図だよ。
心の窓をそっと開けて、奥にある大切なものを見てみてね。誰の窓にも、きっといる筈だから。


トントントン・・・トントントン・・・。
あなただけに聞こえるように、手を添えながら内緒話で、そっと耳元に囁くの。
幸せを運ぶという窓を叩く音色を届け、小鳥の私を見つけてもらえるように。
小鳥のオードリーを見つけたら、二人で紡ぐ幸せな物語が始まりだよ。