その瞳でもっと

テーブルの上に散らばっていたCDを片付けようと拾い上げて、ソファーから立ち上がった。

すると俺の隣へ座っていた香穂子も一緒にソファーから立ち上がり、先回りをするように反対側からいそいそと駆け出して行く。リビングの隅にあるCD棚に向かって歩き出す俺の正面に立ち塞がった彼女は、後ろ手に組みながらじっと俺を見つめ、嬉しそうに頬を綻ばせていた。


・・・・・・・。


先程から・・・俺の家に来た時から、ずっとこんなこな調子が続いているんだ。
どんなに俺が移動しようと視線を反らそうとも、君は常に行く先々にぴったりついて来て、大きな瞳で俺を吸い込むように捕らえている。懐から真っ直ぐに振り仰ぐ、手を伸ばせば抱き締められる近さは変わることが無い。

行く手を阻んで邪魔しているのではなく、まるで甘えて足元にじゃれつく子犬のようにも思える。
どちらかといえば、追いかけっこに近いから、ひょっとしてこれは香穂子が考えた新しい遊びなのだろうか。


香穂子に見つめられるのは、とても嬉しい。俺だって君を見つめていたいと思うから。
だがにこにこと楽しそうな笑みを浮かべるだけで、言葉も無く瞬きも忘れてじっと俺だけを・・・というのはさすがに長く続くと照れ臭い。そんなにじっと見つめないでくれ・・・君があまりにも可愛らしいから、どうにかなってしまいそうだ。

何を伝えようとしているのか、煌く瞳を見つめ返しながら考えるのだが、どうにも思考がうまく働かず。
どうしたら良いんだと、俺は困った微笑を浮かべるしかなかった。
熱くなった顔を逸らせば、脇からひょいと覗いて俺を追ってきて。俺が一歩右に動けば同じ方向へ動き、再び正面に立ち塞がる。これでは前に進めないと左に踏み出せば、また一緒にぴょんと大きく横へ飛び跳ねた。


「香穂子。すまない、前に進めないんだが」
「あっ、ごめんね。蓮くん、はいどうぞ〜」


さっぱり意図が掴めず眉を潜めて、今日何度目かの言葉を彼女に言うけれど。
どうぞと腕を差し出し道を指し示す香穂子は、俺を気にした様子も無い。
一度は脇に避けて道を譲るのだが、すぐ後ろを楽しそうに歌を口ずさみながら、軽やかな足取りで着いてくる。


持っていたCDを棚に戻すと密かに予想していた通り、伸ばした腕と棚の隙間からひょいと彼女が顔を覗かせた。俺の隣へしゃがみ込み、棚と俺の合間に挟まるように下から見上げて。狭い隙間に突然現われた笑顔の君と、さらりと肩から流れる赤い髪に鼓動が大きく飛び跳ね、全身に熱さが溢れてくるのを感じる。



君はただそうして俺を追いかけ、微笑んでいるだけ・・・。
言葉にしてもらえないのがこんなに辛いとは、正直思いもしなかった。
教えてくれ、何がしたいんだ? 君の為に、俺はどうしたら良い?

余所見をしないで見つめてねと愛らしく語る言葉は、煌く瞳が伝えてくる君のものなのか、それとも俺の心が理性の限界で生み出したものなのか。受け止める言葉のままに、いっそこのまま抱き締めてしまおうか。


耐え切れずにくるりと踵を返すと前へ踏み出し、そのまま進む・・・と思いきや。
俺はふいに別の方向へと転換して、真っ直ぐに歩き出した。

先を読んでいたらしい香穂子は驚いたように目を見開き、慌てて俺の後を付いてくる。
予想外の行動で彼女を驚かせられた事が嬉しくて、戸惑う君の愛らしさについ頬が緩んでしまうんだ。
ちょっと蓮くん!とようやく言葉を発した彼女に脚を止め、ゆっくり振り返ると、ほんのり頬を染めて切れた息を整えていた。


「も、もう・・・蓮くんってば。突然違う方向へ行くからびっくりしたじゃない!」
「先程から戸惑っているのは俺の方だ。君に見つめられるのは嬉しいが・・・その、理由も知らずにずっと追いかけてというのはどうにも照れ臭くて。これは一体何の遊びなんだ?」
「蓮くん違うよ、楽しいけれど遊びじゃないもん。私は本気なんだよ!」
「・・・すまない、気分を害したのなら許してくれ。からかっているんじゃない、俺にはさっぱり話が見えないんだ」


真っ赤に染めた頬を脹らませて抗議し、むっと俺を睨んでくる香穂子も可愛いと思いながら、言葉はどこまでも穏やかに。瞳を緩めながら教えてくれと真摯な思いを伝えれば、拗ねた表情が次第に柔らかくなってくる。
やがて照れ臭そうなはにかみに変わると、両手をぎゅっと前で握り締め、時折上目遣いに様子を伺いながらポツポツと静かに語りだした。


「あの・・・ね。私、蓮くんに見つめて欲しかったの」
「俺に?」


きょとんと目を見開くと、瞬く間に湯気が出そうなくらいゆでだこになって俯いてしまう。それにしても・・・・・。
香穂子が俺の家に来てからの行動を振り返ると、俺に・・・というより君が見つめていたように思えるのだが。
心の声が聞こえたのか、もじもじと手をいじっていた彼女がゆっくり視線を上げて、大きな瞳の中に俺を映す。


「蓮くんの綺麗な琥珀の瞳・・・大好きな瞳の中に私を閉じ込めて欲しかった。ずっと私だけを見ててもらうにはどうしたら良いのかなって考えたんだよ。そしたらね、私が蓮くんの瞳に映っていればいいんだって閃いたの」
「だからずっと正面に・・・視界の入る所に向かい合って俺を見つめていたのか」
「うん!」


香穂子が嬉しそうに満面の笑みを咲かせて大きく頷いたその瞬間。
俺の瞳は心の底から君に捕らわれたのだと、胸の奥底に感じる熱い疼きが苦しいほどに教えてくれる。


「だって恥ずかしかったんだもん。余所見をしないで私だけをずっと見てね・・・なんてお願いするのが。それに今更って思われたらどうしようって、不安だったの。言葉にしなくても私が頑張って、蓮くんに伝わればいいなって思ったんだよ」
「そういう事だったのか・・・気づくのが遅くなってすまない。だが心配は要らない、俺の瞳はいつでも君に捕らわれているんだ。どんなに駆け回ろうとも、嫌だと言っても決して反らしはしない。ずっと見つめているよ・・・今までもこれからも香穂子だけを」
「本当? 蓮くんも?」
「あぁ。俺だって香穂子の温かくて優しい瞳に、ずっと映っていたいと思う」


俺を真っ直ぐ見つめる瞳に宿る輝きと同じ想いを伝えてくれたり、時には心配そうに見守って、俺をほっとさせてくれたり。そのままでいいのだと言ってくれる、君の眼差し。

きっと今の俺が俺らしくいられるのは、君のお陰なんだ。
俺をまるごと包み込んでくれる温かい光り・・・“輝きの泉”を、いつまでも、ずっと大切にしたい。


瞳と頬を緩めて微笑むと、そっと背を抱き寄せ腕の中に閉じ込めた。
華奢な身体は力を込めたら折れてしまいそうだけれど、彼女の心のようにしなやかで強くて。想いのままどんなに強く掻き抱いても、決して折れる事は無いんだ。
触れ合う胸から感じる柔らかい感触と温もりが、注がれる眼差しと同じように心地良く温かい。


「こうすれば、ずっと見つめ合っていられる。互いに触れられる、すぐ近くの距離で君を感じながら」


腕の中へそう熱く囁くと、俺の胸に額をすり寄せてしがみ付いてしまい、顔を伏せている香穂子の耳が、恥ずかしさの為なのか真っ赤に染まっているのが見える。胸から胸へと直接伝わる鼓動の早さが、見えない彼女の表情を伝えてくれた。

背を優しく抱き締めながら頭を包み込み、穏やかな呼吸と同じ速さでゆっくりと。
髪を指に絡ませながらゆっくり撫でていくと、次第に落ち着きを取り戻したようで、ちょこんと腕の中から俺を振り仰いだ。見下ろす俺と見上げる君の視線が甘く絡み、どちらとも無く互いに頬を染めてはにかみながら。


「どうしよう・・・やっぱり照れ臭いね。あの・・・じっと見つめられるのって嬉しいけれど、吸い込まれちゃいそうで凄くドキドキするの。ひょっとして蓮くんも、ずっとこんな気分だった?」
「あぁ。君に見つめられて、鼓動がはち切れてしまいそうだった。今だって同じだ・・・」


熱く潤んだ大きな瞳に俺が映るように、君が見ている俺の瞳にも、君が映っているのだろう。
胸に宿る熱さを注ぎ込むように見つめ合う瞳から瞳へ・・・俺から君へ、君から俺へと。
そんな香穂子の顎を捉えて真っ直ぐ射抜くと、先を感じ取ったのかピクリと腕の中の身体が小さく飛び跳ねた。




嫌だと言っても、もう反らせはしない・・・引寄せられてしまったから。
もっと見つめて欲しいと思うから。

ならばこのまま互いの瞳に映った俺たちを、閉じ込めてしまおう。
瞳を閉じると、差し出されるように見上げる唇へそっとキスを降らし、ゆっくり味わうように重ねていく。


「んっ・・・・・・」


時折耳をかする彼女の吐息が更に口付けを深め、背に縋りつく指先に抱き締める腕の力も強まるばかり。
しかし・・・・・・。


息づきで唇を離した合間にふと目を開けると、腕の中の君はやはり俺をじっと見つめていた。
とろけそうな瞳は今にも閉じてしまいそうだけれども、かろうじて開くその視線が堪らなく艶めかしくて。
見られていたのかというどうしようもない恥ずかしさと、飲み込まれそうな熱さが込み上げてくる。


「その・・・瞳は閉じてもらえないだろうか。君に見つめて欲しいと思うが、その・・・どうか今だけは・・・」
「あっ・・・ご、ごめんね。えっと・・・私にキスしてくれる蓮くんの瞳ってどんなかなって思ったんだけど、そうだよね・・・いつも閉じるもんね。でも・・・熱くて壊れちゃうかと思ったよ・・・やっぱり閉じてた方がいい・・・かな?」


そわそわと身動ぎ出す香穂子は、今度は目を閉じるねとそう言って、ぎゅっと力強く両目を閉じた。
こらこら、そんなにきつく目を瞑っては、君の瞳の中にいる俺が潰れてしまうだろう?
可笑しさを堪えながら吐息で囁き、愛しさに頬と瞳を緩めると、硬く瞑られた瞼を指先で優しくなぞる。



瞼を開けて俺を見つめて欲しい・・・その瞳でもっと。
閉じられた両瞼へ音を乗せたキスを降らせてゆく・・・唇にある温もりを大切な瞳に伝えるように。





(Title By 恋したくなるお題)