【rides on a wave 】 本文サンプル 実際は縦書き二段組みになります。
本文の一部を抜粋
じりじりと照りつける真夏の強い日差しも和らぎ、涼しい風を感じ始めた夕暮れに近い午後。衛藤と香穂子は電車を乗り継ぎ約50分ほどくらいの距離にある、海岸にきていた。少し遠出をしただけなのに、同じ海でも景色や風、肌で感じる潮の香りが違う。いつも暮らしている街の公園から眺める海は、大きな船が行き来する港として整えられ、夜景も綺麗なデートスポットに近い。対してこちらは自然に触れて海の大きさを知り、直接波と戯れることが出来る。
海水浴客が帰る人混みに逆らうように海に向かうが、 今回の目的は海水浴ではなくボディーボード。昼間は海水浴客で賑わう海も、波の荒くなる朝夕になれば、サーフィンやボディーボードを楽しむ人たちが、波乗りをリードする日本一のメッカだ。
衛藤に誘われた香穂子は何度か砂浜で見学したり、波に乗れた興奮を聞くうちに、見ているだけでなく自分もやってみたいと意欲を示したのがつい最近の出来事だった。普段見たことのない姿をもっと傍で見ていたい、好きな人の事をもっと知りたい・・・同じ感動を一緒に味わえたら、きっと心の距離がもっと近くなるに違いない。
たった一本のボードとの出会いが人生を変えた、そんな言葉を耳にしたこと無いか? コンテストで優勝したとか、大きな波のトンネルをくぐり抜けたとか特別な体験じゃなく、波に乗る体験をした人なら誰でも受け止める感動なんだ。香穂子も、ヴァイオリンとの出会いが人生を変えただろう? 俺もあんたに出会ってヴァイオリンの音色が・・・音楽の世界が変わった。人生を変える出会いってのは、いろんな所に秘められているんだぜ。俺の人生を変えたもう一つの世界を、あんたにも見せてやるよ。
「ねっねっ衛藤くん、私も格好いい女性ボディーボーダーに見えるかな?」
「まぁ形だけならな、似合ってるよ。でも海に入って、俺や周りをがっかりさせないようにしろよ」
「頑張るもん! 衛藤くんに選んでもらった、自分用のフィンとウエットスーツも買ったし、力が沸いて来るみたい。格好に恥ずかしくないように、良い波に乗ろうと思うの。今日はね、一人で沖まで出て波に乗るのが目標なんだよ」
「二回目で自分のウエアーやフィンを揃えるとは思わなかったよ。な? ボディーボードは見るよりも、自分でやるスポーツだって言った通りだろう?」
海岸を目の前に望むロッジ風のサーフショップサーフショップ、行きつけの店に荷物を預け、ウエットスーツに着替えさせてもらったら、そのまま徒歩で砂浜まで移動が出来る。今日でやっと二回目のボディーボードという、まだ若葉マークが取れない初心者の香穂子も、バイト代で買った自分用のウエットスーツに身を包みご機嫌だ。
日焼けと怪我を防ぐために長袖長ズボンのウエットスーツは、ボディーがパステルピンクで首や腕、足がビビットなピンク色。そして脚力が弱い香穂子でも確実に水を掻いて進めるように、小さめで大きくしなるフィンも可愛い鮮やかなピンク。金額の高いボードだけはレンタルで済ませているが、こちらはピュアなホワイトを小脇に抱えている。香穂子が言うには、ピンク色の人魚・・・だテーマそうだ。
ピンク色の人魚ねぇ・・・と隣の香穂子をちらりと見ながら呟く衛藤は、長袖に膝丈パンツのウエットスーツ、ボディーが黒で首周りや腕、脚の裾だけが赤く染まるデザイン。愛用の赤いフィンとボードを小脇にかかえ、どこから見ても海の景色に溶け込むボディーボーダー。
まだ熱さの残る砂浜を素足の裏で感じながら、柔らかい砂の上を二人で踊るように、息と足並みを揃えて歩く。楽しみだねと浮かべる香穂子の満面笑顔は、太陽よりも眩しく鼓動が弾む。はぐれないように一生懸命ないじらしさや、見よう見まねで同じようにボードやフィンを抱え持つ仕草が、くすぐったいほどに愛おしくて胸が甘い苦しさに疼く。
前回は初めての体験だったのに、貪欲に知識を吸収して上達する香穂子に、ついヴァイオリンのときみたく指導に熱が籠もってしまった。数日間は筋肉痛の為にぎこちない動きをしていたから、ほどほどにしておかないと、ヴァイオリンに影響したら大変だ。とはいえようやく独り立ちができたから、今日こそは一緒に波を楽しみたい。香穂子もそう思うだろ?
「青空の下で綺麗な砂浜と海の前に立つと、こう・・・自然に両手を広げたくなるよね。私ね、海と白い波を見た瞬間から興奮しちゃって、今すぐ海に入りたくてウズウズしているの」
「大きいものに素直に感動するとこ、あんたって子供だよな」
「む〜っ! 衛藤くん、また私のこと子供って言った! どうせ、海はしゃぐお子様ですよ〜だ」
「子供みたいに素直で可愛いって言ったんだぜ。感じた心のままが香穂子のヴァイオリンになる今日一日を終えたら、どんな音色を奏でるんだろうな。楽しみだ」
ぷうっと頬を膨らます香穂子の頬を、衛藤の指先が軽く突くと、ぷしゅっと抜けた空気が風船を萎ませる。そして今度は別な赤へと頬の果実が色を染めていった。赤い頬の果実の中に秘めるのは、とっておきの甘い恋の蜜。
「昼間は暑かったけど、夕方は急に涼しくなったから気持が良いよね。強い日差しが弱まったから、日焼けの心配は少なくなったかな」
「本当は、朝一番の波に乗るって約束してたんだよな。でも香穂子が寝坊して起きないから、夕方になったんだぞ」
「ご、ごめんね衛藤くん。模試の勉強した後に遅くまで譜読みをしていたら、つい寝過ごしちゃったの。目覚ましも、衛藤くんからも携帯電話も聞こえなくて・・・」
「いいよ、気にしてないから。疲れてるんだろ? たまには気分転換しようぜって誘ったのは、俺だったし。受験勉強にヴァイオリンのレッスン、それにバイト・・・あんた頑張るよな。サーフショップのオーナーの話だと、午前中までは風も波も無かったって話だぜ。午後になって良い風と波が来たらしいから、良しとするか」
「私が寝坊してなかったら、収穫なしだったかも知れないんだね。良かったね、衛藤くんも最高の波に乗れると良いよね」
「だからって、これで俺の機嫌が直ったと思うなよ」
(中略)
「うわ〜! 衛藤くん、身体柔らかいね!」
「そうか? 柔らかくないとスポーツは怪我するだろ」
「だって私、全然届かないもん。衛藤くんは両足を揃えて伸ばしても、膝を曲げないでちゃんと足の裏が掴めるし。大きく開いても砂浜にぺったり顔がつくんだもの、凄いなって思うの」
今はウエットスーツに包まれているが、脱いだ素肌の上半身はしなやかな筋肉に覆われ、引き締まっているのを香穂子は知っている。温かく熱いひとときを過ごした腕の中を思いだしてしまい、手の平でパタパタと頬を仰ぐように叩き、込み上げる火照りを冷ますのに必死。どうしたんだ?と不思議そうに問う衛藤に、何でもないと慌てて切り返したが、どうか気付かれてませんように。
その眼差しが驚きに丸くなるのは、予想もしていない柔軟性を秘めていたから。脚を開脚すると砂浜に鼻先が着くし、脚に自分の胸が着いてしまう。脚を揃えても、自分のつま先を掴めるなんて余裕だ。きょろきょろと周囲を見渡しても、男女問わず誰もが柔らかい・・・。スポーツに柔軟性が必要と分かっていても、しかし自分の堅さは致命的だと、香穂子が慌て始めるのを、もちろん衛藤が見逃すはずもない。
「おい香穂子、あんた身体堅いな。風呂上がりにストレッチしろって言っただろ?」
「毎日やってるもん! 痛くて、これが限界なんだよ・・・」
むぅっと難しそうに眉をよせながら、足の先を目差す指先は、まだまだ遠く届きそうもない。これじゃぁ、波に入る前が問題だな。暫く見ていようかと思ったがじれったさが勝ってしまい、砂浜から立ち上がった衛藤は苦戦する香穂子の背後に回り込み、膝を付いた。これから何が起きるのか、身体が知ってる香穂子はピクリを肩を震わせ、一人で出来るもんと必死な訴えも空しく、華奢な背中に両手が触れる。
「きゃっ! い、痛いよ衛藤くん」
「ほら、背中押してやるから、伸ばすときはゆっくり息を吐けよ」
「いたたたっ・・・そんなに強く押しちゃ・・・嫌っ。衛藤くんのイジワル、もっと優しくして・・・よ。もう駄目、これが限界・・・」
「・・・・・」
肩越しに振り返りながら、ふるふると首を振る香穂子が、辛そうに目の端に涙を滲ませた。色香さえ湛えるその眼差しに見つめられた瞬間、身体に熱さが吹き上げ思わず手が止まってしまう・・・。これ以上は無理だと悟った衛藤は背中を緩め、後は一人でやってみろと、短く言い捨てて立ち上がり、自分のボディーボードを取りに戻ってしまった。なぜ急に手が離れたのか理由が分からず、きょとんと見つめるばかりの香穂子は不思議そうに小首を傾げるが、開放感はやはり嬉しい。
そう・・・痛いと涙目ですがる眼差しと台詞が、ベッドの中で熱く肌を交わらせる時と同じだったから。まだ記憶に新しい、身体の奥底に潜む熱と呼び起こされたら、このままどこかへ攫い、抱き締めたくなってしまう。だが背を向けた衛藤が深く深呼吸して自分の理性と戦っていたのだと言えるわけが無く。黙ったままの衛藤を無邪気に呼びかける本人は気付いていない。
「衛藤くん、ほら見て! ボードは親指を開いて、先端のノーズの角に引っかけながら押さえて持つんだよね。両腕は脇からはみ出ないようにして、しがみつくとバランスが崩れるから、逸らした上半身はしっかりキープ。どう?こんな感じ?」
「あぁ、いいんじゃない。でも肩の力入りすぎ」
「衛藤くん、後ろ見たままよく分かるね」
「ちゃんとみてるよ、俺も・・・やることがあるんだ」
「そうなの? 方向を変えたい時には進行方向に体重を乗せて、反対サイドのれレールを押さえるんだよね。レギュラーの波で右に進むときは、右手を前に。グーフィーの波で左に進むときは、左手を前にしながら左に体重かける・・・こうかな?」
まぁいっかと、持ち前の前向きさでストレッチの続きを始めた香穂子は、伏せた身体を反らし、腕で支えながら背筋を伸ばすボディードの基本姿勢を取っていた。ヴァイオリンもこれも、姿勢が良いのは彼女の才能なのだろうか。そのままボード上に寝転び、ボディーボードの持ち方や波を漂う基本姿勢を練習しながら、しなやかな背中や丸みを帯びたヒップをくねらせている。
砂浜での練習は大事だから指導しなくてはと思うのに、一度に男としてのスイッチが入ってしまうと欲が押さえきれず、そう簡単に抜け出せない。このまま静まらなかったら、あんたに責任取ってもらうからな・・・覚悟しなよ
本文の一部を抜粋
夕暮れに染まる海には水平線に真っ赤な太陽が沈もうとしている。つい先程までは青一色だった海も空も、今はオレンジ色につつまれて、金色に染まるさざ波が静かに寄せては返していた。賑わっていた海も今は人の姿はほとんど無く、眠りにつく前の静けさのようだ。夕日に照らされる海を眩しそうに目を細めながら見つめる香穂子は、足元のビーチサンダルに戯れる波に気付くと、小さな笑い声を零して悪戯に引いた波を追いかけていた。
「おーい、香穂子。そろそろ戻って来いよ。クラゲに刺されても知らないぞ」
「は〜い、今行くね!」
砂浜から呼びかける衛藤の声に肩越しで振り向き返事をして、その場にしゃがみ込む。差し伸べた指先と素足のビーチサンダルを、さっと通り抜ける小さな波の感触を楽しみながら、またね・・・そう海に挨拶を告げ立ち上がる。少し離れた砂浜で待つ衛藤も遅いぞと声をかけてはいるが、海と無邪気に戯れる彼女にいつの間にか頬や眼差しを緩めていた。こんなに穏やかな気持は、久しぶりだ。そう感じるほど心地良さと爽快感に満ちた心を、面と向かって直接表情で現すのは照れ臭い。だけど、あんたを見つめているときくらいは良いだろう?
「遅いぞ香穂子、いつまで俺に持たせるんだよ。ほら・・・ゴミ袋。海で遊んだのなら、あんたもちゃんと海岸のゴミ拾い、しろよな」
「はい、頑張りま〜す。ごめんね衛藤くん、海にお別れとお礼の挨拶をしていたの。楽しい一日をありがとう、また遊びに来るからねって」
衛藤の元に駆け戻る香穂子はキャミソールにタオル地の半袖パーカー、すらりとした脚に視線が引き寄せられてしまうデニムのショートパンツ。海岸近くにあるいつものサーフショップで、濡れたウエットスーツを着替えさせてもらい、シャワーも借りて潮を洗い流させてもらったから、洗い立ての髪からふわりと優しいシャンプーの香りが漂ってくる。脳の中が霞んでしまいそうな意識を引き戻すのを悟られないように、Tシャツにジーンズへと着替えた衛藤も、強さを増した夕闇の海風に髪を靡かせながら、懐から無邪気にふり仰ぐ恋人を悪戯な笑みで受け止た。
「ふ〜ん、俺には思いっきり波と戯れて遊んでいるように見えたけど」
「そ、そんな事ないもん!えっと、楽しかったのは本当だよ。まだ帰りたくないな・・・」
「えっ!?」
「もっと海で遊びたかったな、まだまだ遊び足りないよ。衛藤くんはどう? 今日は夕方から少しの間だったけど、ようやくボディーボードにも慣れてきたから、波に乗るのが楽しくなってきたの。海がもっともっと好きになったのは、衛藤くんのお陰だよ、ありがとう!」
「なんだ、そっちか・・・いや、何でもない。足元気をつけろよ。たまに瓶が落ちてたり釣り針つきの糸も落ちてるから、うっかり踏んづけて切ったら大変だからな」
熱くなった顔を引き締める照れ隠しだと気付かない香穂子は、急に黙り込みむっと唇を尖らす衛藤に少し戸惑いながら、どうしたの?どこか痛いの?と心配そうに覗き込んでくる。顔が近く迫ると、余計に困るんだけど・・・。
早く受け取れよと不器用に突き出された、香穂子の分の透明なゴミ袋を受け取るときにようやく染まった頬に気付き、自分の言葉を反芻してあっ!と驚きの声を上げた。確か、帰りたくないと言わなかったか? それはまるで甘い夜のひとときをねだっているようで、改めて気付くと恥ずかしさに逃げ出してしまいたくなる。小さく俯きじっと息を潜める香穂子に瞳を緩めた衛藤が、少しだけせっぱ詰まったような苦しさを奥に潜ませながら、甘く熱い吐息を零すように囁いた。
「俺もまだ、帰りたくない。あんたと一緒にいたい・・・」
「え、衛藤くん・・・」
「もっと一緒にいたい・・・離れたくないっていう、甘い願いかと思っていたのに。一瞬期待した俺がバカみたいじゃん、香穂子のヤツ、俺の気も知らないで」
「あ、そっか・・・えっと・・・うん。私もね、ずっと一緒にいたいよ」
「日が暮れるまで・・・このまま夜の海も一緒に眺めながら、あんたといつか同じ朝を迎えられたら、どんなに幸せだろうって思う。そうしたら日の出と共にたたき起こすから、朝からボディーボードできるしな。もう寝坊だなんて、言わせないぜ」
「まるでプロポーズみたいで、照れるね。へへっ・・・もう寝坊するなって言っているんだよね、うん」
火を噴き出しそうな気持を深呼吸で押さえながら、ショートパンツに挟んであった軍手をはめると、目の前の恋人はふいと顔を背け、少しだけ拗ねたように唇を尖らしていた。砂浜のゴミを拾い集めている最中に、愛の告白だなんて色気が無いじゃん、と。その頬が夕日に溶けてしまいそうなくらい赤いから、胸の鼓動は一人分でない・・・二人のハーモニーなのだと嬉しくなる。心から生まれる素直な愛しい気持が温かさとなり微笑みに変わる。この想いを、大切なあなたに届けたい。
精一杯の気持をこめた笑顔で告げた、大好きだよと確かな言葉に赤い恋のリボンをかけたら・・・あなたに。
微笑みながら見つめる香穂子の視線に気付いた衛藤の頬が、夕日の色が染み渡るように熱くなる。
「なんだよ、じっと俺の顔見つめて、気が散るだろ。ふ〜ん、さては俺に見とれていたな」
「ちっ、違うもん! せっかく伝えたい恋心を温めていたのに、もう知らない」
「あんたって、子供みたいだな・・・」
「あ〜また子供みたいって言った! 胸小さいし、色気無いのは認めるけど」
「バカにしたんじゃ無い、子供みたく素直で可愛いって褒めたんだぜ。どんな事にも心の全てで感動して、表情や全身で現すあんたを見ていると、俺まで楽しくなるんだ。素直な香穂子の笑顔、すごく可愛い・・・好きだ」
「あっ、えっとその・・・ありがとう」
ぷしゅっと見えない湯気を昇らせ茹で蛸になった香穂子は、もじもじと照れ臭そうに持ったビニール袋を弄っていた手を止め、はっとしたようにふり仰ぐ。ゴミ拾い頑張るねと拳を握り締めると、照れ隠しに背を向け一目散に駆けだし、せっせと砂浜に埋もれるペットボトルやゴミを拾い始める。ほら、そうやって恥ずかしがるところが、可愛いって言ってるんだぜ。
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