【fascinating cruise】 本文サンプル (実際は縦書き二段組みになります)



【fascinating cruise】冒頭の一部を抜粋


菩提樹寮のラウンジに満ち溢れるのは、淹れたての紅茶と美味しいケーキの香り。ソファーへ優雅に身を埋めた東金がティーカップを手に取り、「イイ香りだな」と満足そうな笑みを浮かべながら、口元へ運んだ琥珀色の水面に鼻先を寄せている。カップの縁に輝く黄金のリングは、ゴールデンルールで淹れた最高の美味しさを示す証。光の輝き・・・か、お前の音色みたいだな。一口飲んで身体全体に温もりが染み渡るのは、喜んでもらえて嬉しいと、素直に喜ぶ小日向が満面の笑顔で見つめるからだと思う。

白い丸皿に乗るのは、茶褐色で素朴な生地をしたイングリッシュケーキ。表面の褐色生地はクルミが入ったサクサクの食感が楽しく、トップにも砂糖漬けのプラムをトッピング。中のしっとり生地には、秋が旬の無花果と夏を惜しむかのようにプラムを混ぜ込み、二人が出会った夏の季節とこれから待つ秋・・・二つの季節に想いを馳せた自信作だ。


夏の暑さがようやく過ぎ去り秋めいた休日に、神戸で暮らす東金千秋が菩提樹にやってきた。神戸と横浜・・・離れて暮らす恋人と久しぶりの再会とあって、前日の夜から嬉しさに待ちきれなかったのは、東金だけでなく横浜で待つ小日向かなでも同じ。

今朝は嬉しすぎて、数時間も前にぱっちりと目が覚めてしまったのだと・・・ならば二度寝するよりも千秋さんが好きな紅茶に合うケーキ作りをしようと思いついたのだと。頬を桃色に染めた小日向が、気恥ずかしそうに告げる想いに、愛しさが込み上げる。二人の距離をテーブルが隔てていなければ、きっと今すぐに抱き締めて、ケーキの続きにかなでを食べていただろう。

向かい側で食事の手を止めてしまった千秋を意識して、照れ隠しにそわそわ肩を揺らす小日向が、慌てて立ち上がりカップを覗き込む。小走りに隣へ駆け寄り、丁寧な仕草で紅茶のおかわりを注ぐ・・・その沈黙さえも甘くくすぐったいものに感じるのは、耳まで真っ赤に染まるその熱さが移るからだろうか。


夏の全国コンクールの間は、この菩提樹寮で毎日顔を合わせていたが、今では月に数度会えば良い方だ。小日向が神南への転校を断り星奏学院へ残ることを希望したため、卒業までは横浜と神戸の遠距離恋愛が続く。卒業後はかなでが神戸に暮らす・・・一緒に生活することが決まっているから、その後の時間を考えると一年半の遠距離くらい我慢しなくてはと思う。


「千秋さん、あの・・・次はいつ会えますか?」
「なんだ、もう寂しくて我慢できなくなったのか? なら俺と一緒に最終の新幹線で神戸に来い、お前が住む部屋はいつでも用意できるぜ。もちろん、ベッドは俺と一緒でいいよな?」
「えっと・・・その。もうっ、千秋さん、からかわないで下さい」


新幹線で約3時間、会おうと思えばいつでも会いに行ける。不安になるなと小日向を励ますが、離れて暮らし始めてまだ一ヶ月が経ったばかり。切なげに揺れる瞳で見つめられたら、力づくでも神戸に連れて帰りたくなるじゃねぇか。そう甘く情熱的に告げると、真っ赤に茹だった顔を隠すようにフイと反らし、いそいそと席へ戻ってしまう。

羞恥で真っ赤に染まるのは、それだけ俺を意識しているから。そう分かるだけに、愛しさが溢れすぎて理性が壊れそうになる・・・だからついからかってしまうのだが、叶えたい望みには変わりなく、情熱を込めた言葉に嘘はない。頬を桃色に染めたままの小日向は、東金から土産に贈ったアンティークガラスの小瓶を、嬉しそうに抱き締め、何度も眺めては愛おしそうに撫でつけていた。神戸に来ればお前の好きな瓶がいくらでも集められるぜ、と誘う言葉にぴくりと肩を揺らし、瞳を輝かせて示す興味に心が躍る。


「かなで、10月1日の予定は空けておけよ」
「もうすぐじゃないですか! わぁっ、千秋さんにまたすぐ会えるんですね、嬉しいです。でも、どこへ行くんですか?」
「神戸に決まっているだろう。10月1日は俺の誕生日だ、恋人の記念日くらい覚えておけ。お前も俺の誕生日を祝ってくれるだろう? 前日に迎えに行くから、泊まり支度をして待っていろ」
「ご、ごめんなさいー! 私、知らなくて・・・」
「今まで伝えていなかったから、仕方ねぇか。これからは忘れるなよ、そういえばかなでの誕生日も聞いてなかったな。あとで教えろよ? これから少しずつ、お互いのことを知る必要があるな」
「音楽の事も、千秋さんが好きな趣味のことも、神戸の街や神南高校の話しも・・・たくさん聞きたいです」
「興味が沸いたら気が変わるかもしれないからな。良いぜ、何でも聞けよ。」


満面の笑顔で喜びと嬉しさを表していた小日向の顔が、突然火を噴き出し真っ赤に染まる。突然どうしたんだと尋ねればもじもじと手を弄りながら口籠もり、二人だけでお泊まりは初めてですよね・・・と。勇気を振り絞った一言と上目遣いは、なけなしの理性をいとも簡単に打ち崩してくれるんだ。だが・・・ここじゃまずいな、ここでの我慢は後でたっぷりと埋め合わせしてもうらうぜ。



(本文の一部を抜粋)


コツンと硬い靴音が甲板に響くと、夜風が馴染みのある香りをふわりと運んでくる。訪れ人よりも先に告げる香りと足音だけでも、嬉しい期待にトクンと大きく跳ねた胸の鼓動。振り返らなくても分かる確かな鼓動が、背後に佇むのは誰なのかを教えてくれた。

萎み駆けていた心も頬もぱっと笑顔の花が咲く。気持ちだけが先に飛んでしまうような浮遊感を追いかけながら、肩越しに振り返るよりも早く腕の中へ攫われてしまう。


「ここにいたのか。探したぞ、かなで。俺の傍を離れずにいろと、パーティーが始まる前に言っただろう」
「・・・っ、千秋さん!」
「この広い船の中をさんざん探させやがって・・・と言いたいが、どこへ隠れようが、香り高く咲き誇る薔薇のようなお前の居場所はすぐに分かる。昼間に目を輝かせていたからな、絶対にここだと思った」
「黙って抜け出してごめんなさい。その・・・千秋さん、挨拶で忙しそうだったから。ちょっとだけ外の空気を吸いたくなったんです、船からの夜景も眺めてみたくて・・・」
「お前をエスコートするのは俺だって忘れたのか? パーティーでは個人よりもカップルでどう振る舞うか、2人でいたときに素敵に見えるにはどうすればいいかを、相談して決めるものだ。個人プレイもほどほどにしておけよ」


酒の香りに酔ったのは嘘だろう?と耳元に囁かれ、吹き込まれる吐息に熱くなる。コクンと素直に頷き、謝るドレス姿の小日向をすっぽりと抱き包むのは、ずっと心の中で呼びかけていた東金千秋だった。漆黒の光沢あるスーツに、襟元を飾るアスコットタイとポケットチーフは、燃えるような深紅の薔薇色。

肩越しに背後を振り返ると、やっと捕まえたぜと甘く微笑みながら見下ろす瞳に射貫かれ、見つめ返したまま吐息を零コトしかできない。前に回された腕に自分の手を重ね、離したくない想いの代わり力を込めた。指先だけでなくて、絡みあう二つの吐息も頬も、心も身体も全てがあなたを求めて熱くなる。


「すぐに戻る・・・と蓬生に言い残した割には、随分とデッキへ長居じゃねぇか。俺が迎えに来なかったら、パーティーが終わるまで隠れているつもりだったな? あまり一人でうろちょろするな、万が一何か危険があったらどうする。この船は俺の庭だが、それでも悪さをするヤツがいないとは限らねぇ」
「万が一って、危ないって・・・そんなことないですよ」
「お前は本当に無自覚で無防備だな、こっちの心臓が縮むぜ。それだけ今日のお前が魅力的ってことだ、この俺を虜にするほど・・・。目の色が変わったのはパーティーでヴァイオリンを奏でてからだな・・・音色に魅せられたヤツらはお前に釘付けだ。あんまり俺を焦らすなよ?」


叱られて褒められて、この短い時間だけでもくるくる動く心は大忙しだ。真っ赤に火照る顔の前でぶんぶんと手を振り「私なんてとても・・・」と否定をしていた小日向は、真摯に見つめる東金の視線に射貫かれ、しゅんと肩を落としてしまう。自分の今年か考えていなかった、心配させちゃったんだと・・・強く唇を噛みしめる頬を、夜風が優しく凪いでゆく。

夜の港を駆ける海風ごと、ふわりと温かな手の平に頬を包まれ、大好きな感触にかなでがはっと振り仰いだ。そこには勝ち気で自身溢れる強さではなく、甘く奏でる音色のように緩む瞳と微笑みがあった。


「今夜は星が綺麗だな。船から眺める神戸の夜景も最高だろう? 神南にくればこの景色がお前のものだ。だが風が少し冷えるか・・・おい、身体が冷えきってるじゃねぇか。どれだけ外にいたんだ」
「大丈夫です。抱き締めてくれる千秋さんが温かいから、身体も心もポカポカです」
「誘い文句は嬉しいが、無理はするな。演奏家は身体が資本だぞ、もしも風邪を引いたらどうする」


風邪なんか引きません、そう強気で言い返そうと振り返ったところで、鼻がむずむず疼き出す。あっ!と思った時には既に遅く、ドレスからむき出しの華奢な肩を震わせる、小さなくしゃみが零れてしまった。急激に襲う寒さから身を守るように自分を抱き締め、鼻をすすりながら上目遣いでそっと様子を伺う。どうしよう・・・怒っているだろうか。すると「ほら言わんこっちゃねぇ・・・」と。呆れた溜息をつく千秋がタキシードのジャケットを素早く脱いだ。

切り取られた漆黒の夜が、ふわりと羽ばたいたように見えた一瞬後、抱き締められるような温もり包まれる。目の前にいる千秋がドレスシャツにベストだけを着た姿を見て、トクンと跳ねる鼓動。お前が着るとまるでコートだなとからかわれて、着ていたジャケットを羽織らせてくれたのだと、初めて温もりの正体に気付く。


「これでも着てろ、少しは寒さを防いでくれるから、肩がむき出しのドレスよりはマシだろう」
「ありがとうございます。ふふっ・・・温かい、千秋さんの香りがします。でも今度は千秋さんが寒いですよね、どうしよう」
「いいから黙って着てろ。心配してくれるのなら、お前に冷えた身体ごと温めもらおうか・・・二人きりで。なんて冗談だ。ははっ、顔が真っ赤だぜ」
「もう〜千秋さん、からかわないでくださいっ!」
「嬉しそうな顔をあんまり無防備に晒すからだ。俺だって男なんだぜ、二人きりで可愛い姿を見せられたら、理性が持たなくなる。大きめな俺のジャケットを着ているお前は、たまらなく男のロマンを刺激するぜ」
「男の・・・ロマン?」


きょとんと不思議そうに小首を傾げるかなでに、そのうち教えてやるよと優しく微笑み、見つめる眼差しが一歩近づく。迫る影に先の展開を予想して後ずさるが、コツンと背にぶつかる船の欄干に行き場を失う。きょろきょろと周囲を見渡すその間に、背に回された腕に引き寄せられ、あっという間に正面から抱き締められてしまった。

シャツ越しに直接感じる、引き締まった広い胸の感触と温もりが心地良くて、ずっとこのまま浸っていたくなる。ふわり蕩けかけた意識に「目を閉じろ」と唐突に命令され、素直に瞳を閉じれば、唇にしっとり重なる柔らかな温もり。いつも最初のキスはふいうちなのに、あっという間に私の心を攫ってしまう。キスだと分かった途端に早く離れてしまう唇を、今度はちゃんと感じたくて。恥ずかしい気持ちを堪えながら、もう一度私からキスを求めると知っている瞳が、早く来いよと妖しく誘いかけている。


「今夜は俺の誕生日を祝うパーティだ。それを恋人であるお前が抜け出す理由を教えてもらおうか。華やかな場が苦手なのか? だがこの先を考えるなら、慣れてもらわなくちゃ困る」
「お料理は美味しいし、音楽は素敵だし・・・華やかなパーティも楽しいです。でも、千秋さんのお誕生日は私にとっても大切な記念日だから、本当は二人きりでお祝いしたかったんです。バースデーケーキも、作ったんですよ? せめてプレゼントだけでも渡したくて。早く二人きりになるには、どうしたいいかって・・・ずっと考えてました」
「かなで・・・。俺が探しに来ると信じて、わざとパーティー会場から抜け出したのか。ほう、珍しく積極的だな」
「エスコートされながら一緒に挨拶するうちに、千秋さんはみんなの千秋さんなんだなぁって思ったんです。それでも好きな気持ちは止まらない・・・大好きで、独り占めしたくて。溢れそうだった気持ちを、落ち着つかせたかったのもあります」
「そんなに可愛く焼きもちを焼かれたら、ますますお前を手放せなくなるじゃねぇか」


抱き寄せられていた腕から解放された隙間を、冷たい夜風が吹き抜け寒さを誘う。もっと抱き締めて欲しい・・・そう望んだ心を受け止める千秋が、ひたむきに見つめるかなでの頬を両手で包み込む。手の平ではなく、指先の一本一本で愛撫をするように、しっとり吸い付くシルクの肌の感触を確かめながら。鼻先を傾けるように覆い被さり、しっとり吸い付くキスを重ねた。初めは触れ合い啄むものが・・・だんだんと濃さを増し、呼吸と舌を深く絡めるキスを重ねて行く。

お前は俺の女だ、誰にも渡さない・・・俺に付いてこいと、触れ合う唇から伝わる熱さが炎となり、身体の中を駆け巡る。


(続きは本文でお楽しみ下さい)