7月7日・星の恋



夏セメスターが終わり、留学しているウイーンの音楽大学が長い夏期休暇に入っても、レッスンや演奏活動は変わることがなく、練習に明け暮れる日々が続く。だがヴァイオリンの師が休暇に入ったため、必然的に俺たち門下生も数週間のバカンスとなった。学生達はバカンスをどこで過ごすかの話題で盛り上がり、隣国のイタリアや南のスペインやギリシャなど・・・夏の太陽を求めて出かける者。そしてオーストリアの南にあるアルプスの湖水方面へ出かけ、涼を取る者など行き先は様々だ。


湖か・・・いつか香穂子にも見せたい景色だ。そういえばウイーンから近い湖でも、青く澄み渡った水の透明度は高く、豊かな自然に囲まれながら、落ち着いた時間を過ごすことも出来るな。会話に耳を傾けながら想いを馳せていると、同じヴァイオリン科の友人が、時には息抜きも必要だと俺の予定を訪ねてくる。太陽と湖はどちらが好きかと質問も添えられているのは、俺がずっと練習に籠もると心配した友人達が、バカンスの同行を誘ってくれたらしい。

確かに去年は休暇でも日本に帰らず、ずっと練習に明け暮れていたから、心配されるのも無理はない。
誘いはありがたいが俺には帰る場所がある・・・会いたい人がいるのだと、丁重に断った。だが誘いを断ったのに誰もが皆、きっと彼女も喜ぶぞと笑顔を浮かべているのが、何とも言えず照れ臭いが。







久しぶりの一時帰国となった日本行きの飛行機の中で、ずっと眺めていたのは、晴れ渡った青空よりも色濃く、凛とした透明感のある色の欠片。出発の数日前に香穂子から贈られてきた手紙と、和紙で作られた一枚の青い短冊だった。香穂子も自分用にピンク色の短冊を用意しているようで、一緒に笹へ飾りたいから願い事を書いてくれという事らしい。帰国の日が7月7日だと電話で伝えた時に、ちょうど七夕だねとはしゃいでいた香穂子が、さっそく国際郵便で送ってくれたものだ。

帰国してから二人でゆっくり短冊へ願いを書いても良いのに、思い立ったらすぐ行動するところが彼女らしい。嬉しさが溢れてしまい、我慢がしきれなかったのだろう。心遣いが嬉しくて温かさが心に灯れば、笑顔が鮮やかな映像となって脳裏に浮かんでくる。


ウイーンで暮らし始めて数年経ち、季節ごとに日本の祭りを祝う事も少なくなったが、七夕か・・・懐かしいな。俺にとっては大切な心のふるさとであり、一つ一つに香穂子と想い出が詰まっている。君に出会う以前はさほど興味もなかった行事が、心に残り大切に思えるのは、香穂子と出会った俺が変わったから。そして君と俺も、海を越えて逢瀬を重ねる同じ星となったからだろう。


短冊へ、どんな願い事を書こうか。君は、何を願うのだろう。


想いを馳せれば胸の中で大きく膨らみ、とても小さな一枚だけでは願いが収まりきらず、ペンが止まってしまう。さぁどうしたらいい? 迷ったときには、心の中にある星の煌めきを覗き、素直に感じた想いのままを言葉に託そう。ひときわ輝く光が教えてくれる・・・本当に願うのは、ささやかで小さな事なのだと。手に入れることが一番難しい、当たり前の幸せを。


着陸体制入り高度を下げた飛行機の窓から、地上に輝く満天の星が見渡せた。夕闇迫る茜空の中に浮かぶ、懐かしい街の明かりが、お帰りなさいと微笑んでくれている。その声に香穂子の声が重なったように思えて、自然と綻ぶ頬や瞳の俺が窓に映っていた。今頃は、迎えに来てくれる予定の香穂子が、到着ロビーで待っているに違いない。もうすぐ会いに行くから、君の元へ。


安全ベルトの着用サインとアナウンスが灯り、膝の上に置いたファイルの上で手早くペンを走らせた。
もうすぐ君に会える・・・それだけで願いは叶ったようなものだが、君がいつでも笑顔でいられるように。そして俺たちの道の先で寄り添い会えるようにと、自分への誓いを込めて。頬に触れるようにそっと書き終えた短冊を手の平でなぞり、皺にならないよう大切にクリアーファイルの中へ忍ばせた。


7月7日、今夜は晴れ。空に浮かぶ牽牛も、天の川を超えて織姫に会えるだろうか。
俺も海を超えて、君という星に会いに行こう。香穂子が言うには、例え雨が降ってもカササギが橋を架けてくれると言っていたが、カササギの翼を借りなくても二人きりで会えそうだ。




「蓮くーん!」
「・・・っ、香穂子か?」


預けた荷物をピックアップしてゲートをくぐると、溢れるざわめきの中から懐かしい声が耳に吸い込まれた。俺はどんな人混みの中でも香穂子の姿はすぐに見つけられるし、奏でるヴァイオリンも聞き分けることが出来る。それは君も同じなようで、北ウイングの到着ロビーで出迎えてくれた香穂子が、ここだと示すように飛び跳ね大きく手を振っているのが見えた。

俺の名前を呼びながら、子犬のように真っ直ぐ駆け寄る君を受け止めるべく、ヴァイオリンケースを足下に置いて腕を広げる。すると予想した通り、嬉しそうに弾ける笑顔のまま飛びついてきた身体を、懐深く抱きしめた。柔らかな髪に顔を埋めれば、優しい花の香りと温もりが俺を包み込む。


「蓮くん、お帰りなさい!」
「ただいま、香穂子。大学のテスト前なのに、わざわざ迎えに来てもらってすまない。だが一番最初に君に会えて嬉しい。暫く会わないうちに、綺麗になって見違えた」
「ふふっ・・・外国暮らしの長い蓮くんは、女性を褒めるのが上手くなったね」
「俺が嘘やお世辞が苦手なのは知っているだろう? 思ったままを言ったんだ」
「知ってるよ〜凄く嬉しいな。あのね、私が綺麗になったのなら蓮くんのお陰だと思うの。ほら、恋する女の子は綺麗になるっていうでしょう? 蓮くんもね、ますます大人っぽさが増して、格好良くなったからドキドキしているの」
「ならば俺も、香穂子のお陰に違いないな。ウイーンで君を想わない日は、一日たりとも無かったから」


もっと顔を良く見せて?と、愛らしくねだる君を愛しさを込めた微笑みで見つめれば、たちまち笑顔がくしゃりと歪み瞳に涙が溢れ出す。きゅっと胸にしがみつく胸の中で、会いたかったよとくぐもった声を零す背中をあやし、穏やかな呼吸を導くように髪を撫でてゆく。どうか笑って欲しい、俺にも君の顔をもっと良く見せてくれないか? 

そう優しく耳元へ囁くと、鼻をすすりながらちょこんと振り仰いだ香穂子が、赤く染まる目元のまま、はにかんだ微笑みを浮かべてくれた。涙は俺が吸い取ろう・・・目尻の滴へ唇を寄せ、吸い取った涙は甘い蜜の味がした。



湿度の少ないウイーンの生活に慣れたせいか、梅雨の真っただ中である日本の湿った空気は、まるで水に包まれているようだ。空調の効いたロビーを出て、強く照りつける日差しと溢れる湿気を吸い込めば、息苦しさに思わず息が詰まる。眉を寄せる俺と顰めた顔に気付き、心配そうに振り仰いだ香穂子が覗き込み、繋いだ手を軽く揺さぶっていた。


「蓮くん大丈夫? どこか痛いの?」
「すまない・・・日本の蒸し暑さが久しぶりだったから、すっかり身体が忘れていたらしい。だがもう慣れたから平気だ。まるで水の中にいるみたいだな」
「そっか、ウイーンは湿度が低いんだもんね、いいな〜羨ましい。確かに今日は蒸し暑いよね、お風呂場みたいにジメジメするの。水の中なら、蓮くんと私はお魚さんだね。あ!ねぇねぇ、今度久しぶりに水族館も行こうよ」


苦笑を浮かべる俺にハンカチを差し出した香穂子が、背伸びをして額の汗を丁寧に拭ってくれる・・・柔らかな感触は微かにくすぐったく心地が良い。以前は夏の高い湿度が苦手で、ヴァイオリンの為にも早くウイーンへと望んでいたのに。帰国した今は不快でなく、むしろ君と過ごした短い季節に懐かしさが巡り、これから重ねる季節に胸の高鳴りを覚えるんだ。

君の笑顔が和らげてくれるから、暑さなどは気にならない。緩めた瞳でそう返せば、握った手にきゅっと力が込められ、愛しい笑みが更に深いものへと変わっていった。きょろきょろと周囲を見渡し人目を伺って、内緒話の背伸びをする香穂子に合わせ、身を屈めつつ耳を寄せる。すると吹き込まれた甘い吐息が、身体の芯から熱い痺れをもたらした。


「蓮くんがウイーンに戻るまで、一緒にいるって決めたの。ずっとぴったりくっつくし、その・・・ね、これからもっと熱くなるんでしょう・・・?」


頬を赤く染めてはにかみ、繋いだ手からするりと抜け出すと、腕へと絡めしがみついてくる。ね?と振り仰ぎながら無邪気に小首を傾けて。半袖から覗く素肌が求め合うように吸い付けば、心地よさと温もりが、元から一つであったような安堵感を教えてくれる。俺の居場所である、大切な君の元へ帰ってきたのだと--------。



だがくるくると表情を変えながら、身振り手振りを交えて話に夢中になっていた香穂子の、生き生きとした笑顔が陰り始めたのは、駅前の交差点に着いた頃だった。隣に並んでいた筈なのに、俺の数歩後を腕を引かれながら歩く君の歩みは、止まってしまいそうなくらい遅い。俯いた顔を覆い隠す、さらりと零れ落ちた髪。例え言葉はなくても、表情が見えなくても・・・痛いほど君の想いが流れ込み、俺の胸を締め付ける。ここを曲がれば君の家、その境目まで来た時ついに脚は止まってしまった。


「・・・よ。」
「香穂子?」
「・・・帰りたく無く・・・ないの。明日も会えるって分かっても、繋いだこの手をもう離したくない・・・駄目、かな?」


空港まで迎えに来てくれた君を、家に送り届ける予定だったが、僅かな間でさえ別れが辛いのは俺だって同じだ。
小さく震える肩と唇で堪えながらも、ひたむきな瞳が真っ直ぐ俺を射貫く。聞こえた囁きが最後の理性を止めていた、心の引き金を引いた。指先の一本一本を絡めるようにしっかり手を繋ぎ合わせ、見つめ合う瞳から繋がる想いがある。二人きりになりたいと、互いが言葉無く求める心に急かされるまま、向かった先は俺の家。


久しぶりに過ごす日本の俺の部屋は、何一つ変わっていなかったが、いつもは冷えたこの空間が温もりを取り戻したのは、君がこの腕の中に戻ってきたからだろう。解くのはスーツケースや荷物でなく、柔らかに揺れる彼女のシフォンのワンピース。香穂子を腕に攫い閉じ込めれば、確かな存在の君が居る・・・ずっと堪えていた想いが熱いうねりとなって、二つを隔てていた堤を焼き壊す。



最初はそっと触れるだけ・・・だが始まりの合図のキスは、すぐに呼吸も奪う深い口づけに変わった。シーツに縫いつけた、白く柔らかな身体の隅々まで唇を這わせ、吸い付き赤い花を咲かせて。背に強くしがみつく君をしなるほどに強く抱きしめ返しながら、心と体の全てで俺の存在を伝え刻み込む。ずっと求め続けていた君に熱く溶かされながら、全てが止まった闇の中で、素肌に溺れた濃密な時間だけが駆け抜けてゆく。


久しぶりに重ねる身体と行為に、俺を受け止める香穂子は苦しげ眉を寄せ、浅く早い呼吸を繰り返していた。息もつけないきつい締め付けが、彼女の辛さを伝えてくる・・・それなのに。大きな瞳に涙をいっぱい溜めながらも、一生懸命笑顔を浮かべようと頬を綻ばせ、そっと手を伸ばした手は、見守る俺の頬を包み込んだ。優しくしたいが今は、俺も堪えるのが精一杯で、せめて苦しさが紛れるようにと愛撫をしたり、唇であやしながら涙を吸い取るしかできない自分がもどかしい。


「・・・・・」
「・・・ん? どうした、香穂子?」


唇を動かし何かを囁こうとする顔へ耳を寄せると、緩く髪に絡む両手に引き寄せられた。組み敷き覆い被さる耳朶へ吹き込まれる、確かな意志を持つ願いに、甘く痺れた脳裏は焼かれ・・・。最後の優しさを手放し深く貫くと、仰け反り身じろぐ身体を閉じ込めながら、君という蜜よりも甘いヴァイオリンを奏でてゆく。緩やかなメロディーはやがて情熱を孕む激しさに代わり、互いに呼び合う名前と水音と、熱く交わる吐息だけが静かな夜に満ちて星になる。


空に浮かぶ二つの星が、七夕の一夜だけに逢瀬を重ねているように、ここは白いシーツの天の川だ。
漆黒の闇が窓の外と室内を黒に染めて、余計なものが消えたここは、君と俺しかいない二人だけの世界。
開け放たれたままの遮光カーテンから差し込む、満天の星たちが淡い光でベッドを照らしていた。




* * * *



くすくす、くすくす・・・。

穏やかな闇の中で、白く浮かび上がるシーツにくるまった香穂子が、腕の中で楽しげな笑みをを浮かべている。シルクの素肌を抱きしめながら、しなやかな髪に絡める俺の指先が心地良いのだろうか。わくわくと好奇心に瞳を輝かせているから、何かとっておきの楽しい何かを見つけたのかも知れないな。こんなに近く寄り添っているのだから、秘密にされると気になるじゃないか。楽しみは一緒に分かち合えば、もっと楽しくなるんだろう? 俺にも教えてくれないか?


ころころと額をすり寄せ、子猫のように甘える君がぴったりくっつくから、素肌に擦れる髪がくすぐったい。枕をした腕を揺らさないように、小さな笑いを堪えるのに必死なのは俺の方だ。


離れていた時を埋めるように、果てては求めを飽くことなく繰り返した末に、疲れ果て気を失ってしまった彼女が目覚めてから、ずっとこんなやりとりが続いている。目覚めた朝の啄むキスを交わしながら、無邪気にじゃれる君は、収まった炎を無意識に煽ろうとする。いつだって火を付けるのは君だと、気付いているのだろうか。


「ずいぶんと無理をさせてしまったな、すまない。どこか辛いところはないか?」
「ん〜・・・。身体が重くてまだその・・・ね、蓮くんが中にいるような感覚なんだけど・・・今とっても幸せなの。私は大丈夫だよ、心も体もポカポカだもの。蓮くんだって帰ってきたばかりで疲れていたのに、帰りたくないって我が儘言ってごめんね」
「俺のことは心配いらない。こうして君と過ごすことが、何よりもの癒しなのだから。こんなに穏やかな夜は久しぶりだ。君を一晩泊めることになってしまったな。一応家に連絡をしたとはいえ、明日の朝送り届けたときに、俺からもご両親に謝ろう」
「蓮くんは悪くないの! 蓮くんの家なら大丈夫ねって、お母さん安心してたから」
「信用されているんだな、俺は・・・喜ぶべきなんだろうな。こんなにも君を手放せないのに、心が痛む。だが、そう甘えてばかりではけない・・・」
「うん・・・そうだね。ごめんね、気をつけなくちゃ」


額と吐息が触れ合う近さは同じでも、視線が変わる・・・つまり、一つのシーツにくるまりながら横たわるだけで、ぐっと君の存在が近くに感じるのは何故だろう。心も身体も隠すことなく、全てを晒しているからだろうか。汗で額に張り付く前髪をそっと手で払うと、すまなそうに潤む瞳が綻び、微笑みの花が咲いた。

頬をつつこうといたずらに伸ばされた人差し指を握りしめれば、捕まっちゃったと小さく舌を出して、握った手ごと揺さぶった。つられて笑みを浮かべる自分に気付き、愛しさをを緩めた眼差しに込めて微笑むと、握った手を解きほぐし、人差し指を唇に含んだ。


「まだ夜明けまで時間がある、もう少し眠ったどうだ?」
「うぅん、もう眠くないの。眠るなんてもったいないもの。蓮くんと話したいことがたくさんあるし、ほら見て、窓の外には星がとっても綺麗なの」


肘を支えに上半身を起こした香穂子が、肩越しに振り返りながら窓の外に輝く星空を示した。窓枠のフレームに納められた一枚の写真みたいで、このまま景色を切り取れたらいいのにと思う。行為の後で疲れ果てて気を失い、僅かな眠りから覚めた後は、すっかり眠気が飛んでしまったらしい。

暫く会わないうちに、すっかり大人っぽくなったと見違えたが、あどけない寝顔は出会った頃と同じ、無邪気な少女のままだった。君の寝顔がみたいと言ったら、ずっと眺めていたんでしょうと、頬を染めて拗ねるだろうから黙っていようか。思い返してくすりと笑みを零す俺に、ぷうっと頬を膨らました香穂子が唇を尖らせ、ポスポス肩先を叩いてくる。


「あっ! 蓮くんってば思い出し笑いしてる。そういうのって、エッチだよ。ねぇ、何を思い出していたの?」
「いや、その・・・そうだ。香穂子、今日は何の日か知っているか?」
「上手く話を逸らされた気もするんだけど・・・もちろん知ってるよ。7月7日は七夕でしょう? 織姫と牽牛さんが天の川で、一年に一度会える日なの。ふふっ、偶然だよね。蓮くんが七夕に帰ってくるって気付いたら、どっても嬉しくて待ち遠しかったんだよ。だから短冊を贈ったの。七夕に私たちも久しぶりに会えるなんて、ロマンチックだよね」
「偶然じゃない。君に会う為に帰国するなら、この日にしようとずっと決めていた・・・」
「蓮くん・・・!?」


瞳の奥を見つめたまま笑みを綻ばせると、驚きに目を見開く香穂子がふわりと笑みを浮かべて。腕の中から身じろぐと、覆い被さるようにしがみついた胸を支えに、ちょこんと背伸びをした。頬へ柔らかく触れた温もりが、もっと欲しいと求める心のままに深く抱き寄せると、頭ごと抱えるように重ねた唇を返事に託す。

いつもは恥ずかしがる君が、いつになく甘え求めてくれるのは、香穂子の嬉しさが溢れる証だ。そう感じるほどに、胸の底から熱くなる・・・俺の心に宿る星が輝きを増すんだ。


「去年の夏は慌ただしくて、日本へ帰ることも出来なかったな・・・寂しい想いをさせてすまなかった。ちょうどウイーンの7月7日に届くように、香穂子が手紙をくれただろう? ウイーンの天気はどうか、今日は七夕だから晴れたらいいよねと。空の二人が会えるだけで、俺を想う勇気になれると・・・君がくれた言葉は、今でも俺の心へしっかり刻まれている」
「覚えていてくれたんだね、嬉しい・・・」
「香穂子に会いたいと、星に願いを託した夜は数え切れない。雲が月や星を隠しても、この空は君と繋がっていると信じて、会えない間も想いつづけた・・・今でもずっとだ」
「私もね、織姫と牽牛さんが天の川で会えるように、祈っていたの・・・蓮くんに会えますようにって、星に願いを重ねてた。やっと会えたね、私たち・・・空の星も会えたかな?」
「きっと今頃二人で星を眺めているんだろうな、俺たちと同じように。短冊を送ってくれたときに、香穂子が七夕について調べたことを書いてくれただろう? 俺も少し調べたんだ、七夕は星の恋、そして星の契りと言われているそうだ」


私たちと同じ?とオウム返しで問いを繰り返す香穂子が、不思議そうにきょとんと小首を傾げた。そう・・・一糸纏わぬ生まれたままの姿で、一つのシーツにくるまり愛を語る・・・。恋人達に大切な、星を生み出すこの営みだとそう囁けば、夜空の星よりも頬や耳を赤く染めて黙ってしまった。


漆黒に艶めく星に煌めく天の川は、織姫の作る錦に例えられているが、俺には香穂子が奏でるヴァイオリンの音色に思える。シュルリとシーツのすれる音も、また一つ・・・小さな星の音色になって響き渡った。


枕にした腕を支えにしたまま寝返り、真っ赤に火照る香穂子へ覆い被さる。拗ねた瞳に微笑むと、ゆっくり身体の重みを預け、まだ汗ばむ素肌を重ねて行く。空調のタイマーが切れた室内は熱気を帯びており、互いの体温で温め合うから、じっとしているだけでも汗が噴き出る。だが触れ合う熱さは心地良くて、もっとと求めてしまうんだ。


「・・・んっ」


収まりかけた熱さが身体に熱を灯し、敏感に感じ取った香穂子が小さく身じろぎするけれど、ささやかな抵抗は深く抱き込まれ呼吸も奪うキスが重なる。呼吸も忘れた長い時間が終わり、ゆっくり離した唇が、銀糸と引いて名残惜しげに途切れた。蕩ける眼差しでぼんやり見つめる香穂子が、肩越しに窓を振り返る俺に気付いて僅かに視線を動かした。

夜闇は少しずつ白み始め、ほのかな明かりで星が少しづつ消えてゆく。
名残惜しそうに輝く姿が、手放せずに飽くことなく何度も求め抱きしめていた、俺のように思えてならない。


「星が消てゆくね・・・さみしいな、星空の夜にお別れを言わなくちゃ。夢の世界はもう終わりなの、目が覚めたら現実が待ってる。また蓮くんと離れなくちゃいけない日が、近付くんだもの。ずっと、このままでいられたらいいのに。そうだ、せっかく書いた短冊を飾れなかったね。朝が来たらもう七夕は終わりだもの・・・残念」
「俺も夜明けが寂しい・・・。一人の時は、夜が来ると寂しさと寒さに凍えそうになったから、早く朝が来て欲しかったが・・・。だが明けない夜はない、それは空だけでなく俺たちも同じだ。七夕の星のように海を隔てても、俺たちはいつでもまた会えるじゃないか。限られた逢瀬を重ねるのではなく春の夫婦星のように、ずっと寄り添い会える日がくると・・・俺はそう信じて短冊に願いを込めた。だが夢をこの手に掴む為に必要なのは、俺自身の力だと思う」
「そっか、そうだよね。私たちが頑張らなくちゃ。笹に飾れなくても、私たちの心に飾れたから良いよね。私のお願いはね、帰国した蓮くんと一緒に、花火大会に行くことなの。ほら、もうすぐに開港記念のお祭りがあるでしょう? ちょうど滞在中だから、どうかなって思って。浴衣を一人で着られるようになったんだよ」


短冊への願い事ではなく、俺へ言うべき事じゃないのかと思うがと眉を寄せる俺に、花火大会に雨が降ったらデートが出来ないと、真剣に訴え拳を握る君。確かに天候だけは自分の力でどうにも出来ないから、天に任せるしかないな。大きな事でなくてもいい、叶えたい夢は小さなもので充分だと微笑みを浮かべると、組み敷いた腕の中でもじもじ言いたそうに組んだ手を胸の上で弄り出す。一体どうしたのだろうか?


上目づかいで俺を見つめると、デートで浴衣を着る時に、一人で着られるのはとっても大切なことだと頬を染めて呟き、ふいと顔を逸らしてしまった。意味深な台詞は、確実に俺への忠告だったのだろう。高校生だった頃に浴衣の君を乱れさせてしまった想い出が蘇り、繋がった記憶に頬へ熱さが募るのを感じた。ならば今年は大丈夫だなと、そう思ったのは秘密だが。


再び深まる口づけに息苦しさに喘ぐ吐息が、収まりかけた炎を灯す。もう駄目・・・と潤んだ瞳で囁く吐息は、言葉にならないうちに俺の中へ吸い込まれていった。ささやかな抵抗さえも煽るものでしか無くて、しがみつく指先の力と素肌で感じる君の熱を、心地良く感じながら忙しなく身動きすれば、心も身体も繋がる全てを一つに重ねよう。

君と俺で一つのヴァイオリンとなり、夜空へ生まれた甘い音色が・・・ほら。星の輝きとなって俺たちを照らしてくれているだろう? 七夕の夜はまだもう少しあるから、二人だけの星祭りを・・・星の契りをもう一度交わそうか。




君に会うために、直接届けた短冊書いた願い事は、未来への誓い。
お互いが、暗闇に迷うときに照らしてくれる輝く星であるように・・・信じる想いはやがて力に変わるから。
この道の先がいつでも君とあるように祈ろう、地上に輝く星の俺たち二人で。
そして空に輝く恋人星がまた来年も、この晴れた夜空の元で会えるようにと。