白い妖精たち



君と過ごす、温かな冬がやって来る-----。


大学の冬休みを利用し、香穂子がヴァイオリンのレッスンも兼ねて俺の留学先へ渡欧してきた。高校を卒業してからは、日本で共に過ごすよりも、こうして海を越えた地で逢瀬を重ねる事が増えてきたな・・・と思う。初めてのクリスマスにドイツへ渡欧して以来、ゴールデンウイークの連休を利用し、俺の誕生日に前触れもなくやってきて驚かせたり。長い間共に過ごせるバカンスにと、俺が日本へ帰るよりも多く訪れていた。

渡欧を重ねるうちに彼女も、この国で少しずつ大切な人や場所が増えいったから、そうした人に会ったり懐かしい場所を再び訪れたい目的もあるのだろう。音楽を深く求めてくれるようになった・・・と言うのもある。嬉しそうに語ってくれるその繋がりが特別な意味を持つのは、互いに遠かった二つの国を近づけ、俺たちを結び付けてくれるからなんだ。


だが遠距離だから、どちらかだけに負担をかけるわけにはいかない。今年は俺が日本へ帰るから・・・そう言ったのに、ヨーロッパのクリスマスが好きだからとの願いで、今年もドイツで過ごす事になった。俺の暮らす街や生活がもっと知りたいと願う彼女の想いは、まだ告げてはいなが、ひょっとしたら薄々気づいているのかもしれない。留学先の音楽大学を卒業した後も、俺が生活や活動拠点をヨーロッパに置こうと考えている事を。


学業の傍らに音楽関係のアルバイトをしていると言っても、学生の身では限度がある。クリスマスを大切な人と過ごしたいのは俺の望みでもあるのに、君だけに多くの負担をかけていることは分かっていた。
だからせめてこの時期だけは俺の願いを叶えさせてくれと、自分の力で辿り着きたい香穂子を説き伏せて。
数年前からクリスマスカードと一緒に、二人で相談した日程の往復航空券も添えていた。

贈り物をする習慣のある12月5日の聖ニコラウスの日に、一年の感謝を込めたクリスマスプレゼントとして。





クリスマスの連休を前に控えた街は、暗い冬を明るく過ごすために楽しもうという、人々の活気で満ち溢れていた。週末になると店が閉まってしまう上に、今年は週末とそのクリスマスとも重なる大型連休だ。一週間近くも店が開かないから、蓄えが無いと大変な事になってしまう。食料を調達したり、二人の生活に必要な物を買い揃えたり・・・。どこにでもあるような日常の光景だが、俺たちにとっては貴重なデートに変わりはない。


「え〜っと、お部屋に飾るもみの木は、昨日のうちに花市で買ったでしょう? オーナメントもキャンドルも買ったし。食料もたっぷり買い込んだし・・・他に買い忘れは無いよね。ねぇ蓮くん、荷物重くない?」
「俺は大丈夫だ。それよりも両手が塞がっているから、君と手を繋げない事だけが心配なんだ。頼むから俺からはぐれないように、よそ見をしないで付いてきてくれ」


思い出しながら指折り数える香穂子は、両手いっぱいに大きな荷物を抱えた俺を、心配そうに振り仰ぐ。
この街の生活や地理にすっかり慣れたのか、今では香穂子の方が繋いだ俺の手を引くように、見つけたお気に入りの場所へと案内してくれる・・・といえば聞こえは良いけれど。目に映る物全てが楽しい香穂子は、きょろきょろよそ見をしては何か捕らえ、頬を綻ばせながら俺に教えてくれるから。ふいに気づくと隣にいなかったり、何度も心臓が止まりそうになる危なっかしさは相変わらずだ。


さっきだって、サンタの格好をしたテディベアが可愛いと、そう言って。呼び止める間もなく、突然に店のショーウィンドーへ駆け寄ってしまったのだから。人波に飲まれたら、追いつけなかっただろう。甘い顔ばかりしては、いつか本当に迷子になりかねない。俺は君の方が心配だと眉を寄せながら諫めるが、小さく舌を出して謝る愛らしさに緩みそうな頬を引き締めるのが必死。俺にとっても香穂子にとっても、どうやらあまり効果はないらしい。
なぜだろう・・・それがとても心地良く、胸が熱く震える程嬉しいと思う。


「手を繋がなくても、蓮くんが迷子にならない方法は・・・う〜ん、何かあるかなぁ」


俺じゃなくて、君なんだが・・・という突っ込みは、あえて喉元でぐっと飲み込んだ。もしもそうなった場合、見失ってしまった俺にも責任があるから、どちらが迷子だと言っている場合ではないだろう。

人差し指を顎に当てて暫く考えを巡らせていたが、何か閃いたらしく、ポンと手を叩いて瞳を輝かせた。肩にかけたポシェットから探り出したのは、さっき手芸店に立寄って購入した太い金色のリボン。ツリーの飾り付け用の筈だがどうするのだろうかと思い見守っていると、片方の端を自分の手首に巻き付け始める。もう片方の端を持って俺の腕を取ると、いそいそと肘の辺りに結び始めた。


金色のリボンで手首と肘を、しっかり繋がれた俺と君。
繋がったと嬉しさではしゃぎながら、香穂子は腕を軽く揺すり波打つリボンを楽しんでいる。
まさかこれは、俺たちがはぐれないように繋ぐものなんだろうか?

ある程度の長さがあるから、動きやすさには問題ない。
ぴったり寄り添ってしまえば分からないが、いくら何でも恥ずかしすぎる。


「・・・! 香穂子、これはどういう事だ」
「去年のクリスマスは、もみの木を買いに行った帰り道に、私がよそ見してはぐれちゃったでしょう? 手を繋ぐだけだと、ふいに離したその一瞬が、取り返しの付かない事になりかねないの。だからこうして繋いでいれば引っ張られるとすぐ分かるし、はぐれようもないって思うの。ね!素敵なアイディアでしょう?」
「恥ずかしいから外してくれ。俺が、君の手を離しはしないから」
「駄目だよ〜もう遅いの。硬くお団子結びしちゃったから、蓮くんのお家に帰るまでリボンが解けないの・・・。離れている時間が長かったから、たまにはぴったりくっついて一日過ごしたいな」
「・・・・・・・・・っ」


リボンが結ばれた手首を掲げて困ったように微笑む君に、脱力したくなるのを堪えれば、押さえきれない深い溜息が溢れてくる。それでも不快さは全く無く、むしろ愛しさが増すのは、惚れた弱みなのだろうな。
嫌だと言っても解けないのでは仕方がないし、はぐれずに済むのなら都合良い事には変わらない。


久しぶりの逢瀬に胸がときめき、一緒にいられる今が楽しくて幸せだと。
君も同じように感じてくれているのが、リボンを伝い熱さとなって伝わってくる。
それは、もう離れたくないのだと願う彼女の心の証。


「ごめんね、嫌なら近くのお店でハサミ借りてすぐに切るから」
「いや、このままで構わない」
「本当!? いいの?」
「あぁ・・・香穂子が大切な演奏の時に使う、金色の弦みたいだな。俺たちを結びつけた、ヴァイオリンのようだ」


不安そうにじっと見つめていた瞳が喜びに輝けば、やがて寒さを振り払う春がやってくる。頬をピンク色に染める、俺だけの花となって。俺たちの想いも、金色のリボンのように深く繋がり輝いて、決して解けはしないから。
願わくば、この身がずっと離れずに繋がっていたいと思う。







寄り添い並んで歩くときはわかりにくいが、あちらこちらで買い物をするときに、繋がれたリボンが結構目立つ。
店員たちが不思議そうにリボンを訪ねるたびに、俺は顔に熱さが込み上げ返答に詰まったが、香穂子は流暢なドイツ語でにこやかに返していた。「金色の天使が私たちを結び付けてくれたんです」と、クリスマスに贈り物を配るとされる金色の天使・・・人々に愛されるクリストキントに例えて。

笑われるかと思ったが、皆の反応は予想外に温かく祝福に満ちていた。
これもクリスマスの魔法なのか・・・いや、香穂子の力なのかも知れないな。そんな君が眩しい程に誇らしい。
振り仰ぐ微笑みと視線が溶け合えば、真っ白いパウダーシュガーとなって、甘く優しく心に溶けながら降り積もる。


「ヨーローッパのクリスマスって素敵。12月5日の聖ニコラウスの日と12月25日のクリスマス、そのお陰で蓮くんに2回もクリスマスプレゼントがもらえるんだもの。往復の飛行機チケットに見合うお返しを用意しなくちゃって思うんだけど、なかなか良いのが見つからなくて・・・いつも手ぶらでやって来てごめんね」
「笑顔の香穂子とこうして会える・・・君を抱き締められる事が、俺にとっては何よりものクリスマスプレゼントだ。香穂子にばかり負担をかけてしまって、すまないな」
「そんな事無いよ、だって会いたい気持は止められないんだもの。蓮くんだって帰ってきてくれるじゃない。たくさんのメールや電話も嬉しいけれど、こうして会えるひとときの時間には敵わないって思うの」


頬を引き締める風の冷たさに吐息の白さも濃さを増す。ふと呼びかけられたような気がして、厚い雲に覆われた灰色の空を見上げれば、街のどこからでも見渡せるゴシック建築の大聖堂。天を突き刺す大聖堂の塔から何かが目の前に降ってきた・・・眼を奪われ思わず手を差し伸べたそれは、真っ白い雪の妖精たち。ひらりはらりと舞い降り、中世の面影を残す石造りの建物や、どこまでも続く整然と調えられた石畳を白く染め上げてゆく。


降り出したな・・・と呟けば、隣に寄り添う香穂子が頭上に降り注ぐ雪を見上げ、目を輝かせて喜びを露わにはしゃぎだす。太陽のような君は天気が良いとご機嫌で、例え雨が降ってもキラキラだねとそう頬を綻ばせて。雨だれの音楽を聴きながら、濡れてしまうのも構わずに傘から手を差し出していたな。何度も一緒に通った登下校の道のりを懐かしく思い出しながら、いつまでも変わらない無邪気な笑顔を見つめていると、ピンク色の手袋をいそいそと外し始めた。


リボンで繋がれた俺の腕を引っ張らないよう気を配りながら、両手の平を天に差し伸べる。ぴょんと小さく飛び跳ねると、合わせた手の平の間に何かを捕らえ閉じ込めた。押さえきれない興奮を満面の笑みで現しながら真っ直ぐ振り仰ぎ、肩を寄せた隣で背伸びをする。


君は何を見つけたのだろう、どんなものを見せてくれるのだろうかと、期待に心が弾み自然と笑みが零れてしまうんだ。俺の気持ちが分かる君は、知っていてわざと焦らそうとするけれど。一緒に分かち合いたい嬉しさには敵わないらしい。身を屈めれば内緒話をするように・・・とっておきの宝物を披露するように、掲げた手の平をそっと開いてくれた。


「見てみて蓮くん、雪の妖精さんを捕まえたの。小さな粒が光って、宝石みたいに綺麗なんだよ」
「・・・? いなくなってしまったようだな」
「あ!本当だ、いつの間に。え〜せっかく捕まえたのに、もう消えちゃったの!?」


恐らく香穂子の手の平にあったのは、降り始めたばかりの雪の粒たちだったのだろう。捕らえた結晶を見せたくて頑張ってくれたのに、確かにいた名残は微かに濡れる雫が伝えてくれる。一瞬の後に消えてしまったのは、それだけ彼女の手が温かい証拠なのだろう。消えちゃった・・・と残念そうに肩を落としてしょげるものの、ぱっと顔を上げて再び駆け出そうとする。もっと捕らえようと瞳に輝きを灯す君は、雪よりも無邪気な妖精のようだ。


俺の為にという気持ちは、とても嬉しい。だが、大切な音色を生み出す手がこれ以上冷えては大変だ。
冷たさに耐えるように摺り合わせる手を、両手で包みながら懐に引き寄せ、俺だけの白い妖精を閉じ込める。
きょとんと見上げる大きな瞳に微笑みを注ぎながら、はぁっと吐息を吹きかけ温めれば、恥ずかしそうに頬がピンク色に染まってゆく。

手を伸ばせばすぐ近くに君がいて、話しかければ笑顔が返る幸せ。
久しぶりに感じる温かいこの手と微笑みを、愛しくて離したくはないから。


「ありがとう、香穂子。だが俺たちが捕まえてばかりでは、彼らが仲間の元へ行けずに困ってしまう。街や木々を白く染め上げ、雪景色を君に見せようとしてくれているのだから。それに、手が冷たくなっているじゃないか。寒さで赤くなっているから、手袋をした方が良い・・・大切にしてくれ」
「そうだよね、ごめんね。雪の妖精さんも、大好きな人と離ればなれになったら寂しいもんね。小さな結晶たちが、どんどんくっついて大きくなって・・・何かね、雪って私たちの想いみたい。雪でキラキラにお化粧した街や枝が、きっと綺麗なんだろうな。あ・・・手袋今すぐにはめるからね」


包んだ手を解き放つと、コートのポケットに入れてあった手袋をはめて、ほら?もう大丈夫と。開いた両手を目の前で掲げ、君の優しさのようなピンク色のふわふわが、今度は俺の頬を包んでくれた。
柔らかな手袋の毛並みと手の平の温もりが、冷えた頬だけでなく心までじんわり染みこんでゆく。


「雪は人の想いを育てる・・・か。雪を眺めていると、真っ白に・・・澄んだ清らかな気持ちに戻ったような、透明感に溢れるんだ。こちらに来た当初は、雪があまり好きでは無かった。静けさに、音だけでなく俺自身も飲み込まれてしまいそうだったから。だが今は違う、かまくらのように雪の中は温かいと・・・寒い冬の中にこそ本当の温もりがあるのだと、君が教えてくれたんだ」
「冬は寒いもの、夜は暗いものって・・・当たり前の事を、日本を離れて初めて分かったの。ほら、日本って24時間年中無休でお店が開いて明るいし、便利でしょう? だから大切な事を忘れていたなって。この街のクリスマスを見てるとね、手作りの中に冬を楽しく乗り切ろうとするパワーとか、太陽や春を望む祈りを感じて心が元気になれるの。だから春や太陽を望む願いや、ささやかな変化も敏感に感じ取れるんだよね」
「雪が溶ければ、春がやって来る・・・だろう?」
「そう!その通り。私たちにも来るよね、雪解けと温かい春が・・・。クリスマスに再生する太陽に、私も祈りを込めたいの」


もちろんやって来る・・・必ず、俺たちの春が。
だからもうちょっとだけ、冬を楽しみながら雪の下で春を育てよう。


じっと瞳の奥を見つめ返しながら告げれば、振り仰ぐ笑顔から白い吐息が生まれ、俺の瞳や頬も優しく緩んで微笑みが広がる。少しずつパウダーシュガーに覆われる石畳のように、俺も君の色に染まるんだ。舞い散る粉雪が髪やコートに積もるけれど、たまには雪の中を君と歩くのも良いかも知れないな。雪で濡れた石畳は滑るから歩くペースはゆっくりと落として、ふいに駆け出す君が転ばないように、ぴったり寄り添い腕を組もう。


「香穂子、雪が積もって真っ白だぞ」
「ふふっ、蓮くんも真っ白。二人して雪の妖精さんになちゃったね」
「雪だるま・・・ではないのか?」
「あ〜蓮くん酷いぞ。でも雪だるまさんも可愛いから許しちゃう」


抱えた荷物を片手に持ち直し瞳を緩めながら、香穂子・・・と優しく名前を呼んで。
開いた方の手でコートや髪の毛に積もった雪を、丁寧に払い落としていく。霧のように舞い散る粉雪の中でくすぐったそうに頬を綻ばせながら、心地良さそうに甘えてくる君が、抱き締めたい程に愛らしい。俺の肘と彼女の腕が金色のリボンで繋がれているから、少しだけ引っ張られ、動かし安いようにと胸の前で手を組み合わせているから余計に。


すると香穂子もちょこんと背伸びをして、コートの肩に積もった雪を払い除けてくれた。身を屈めて頭を差し出すと、髪を撫で梳きながら雪を払い落とす手袋越しの優しい感触が心地良い。俺が香穂子にやって自分が心地良いと感じた行為を、同じように返してくれたのだと、そう気づいた時の嬉しさが込み上げる熱さとなって全身を駆け巡った。

言葉にしなくても交わした瞳で伝え会えるから、微笑みが雪をも溶かす温もりを生み出すんだ。


「ねぇ蓮くん、お夕飯は何を食べたい? ドイツの家庭では夜ご飯に冷たい物が中心だって聞いたけど、私はやっぱり温かいお料理が作りたいなって思うの。ほら、温かいスープを飲むとほっとしたり、幸せな気分になるでしょう? 身体の中だけじゃなくて、心までポカポカだよ」
「そうだな・・・香穂子が食べたい」
「蓮くん、私じゃなくてお料理なの! 美味しいねって喜んでもらいたいから、ヴァイオリンだけじゃなくて、お料理も頑張って勉強したのに〜」
「すまない、香穂子の手料理が楽しみなのは本当なんだ。そうだな・・・じゃぁ食後のデザートで頂くとしようか」


ベッドの中でたっぷりと、俺だけの甘いデザートを。
そう言うと鼻先を触れ合わす近さまで身を屈め、真っ赤に火を噴いた君の唇に素早くキスを送った。



聖夜を待ち望む街に真っ白い雪が、静かに・・・しなやかな足音で降り積もってゆく。
耳を澄ませば雪の妖精たちが奏でる祝福の聖歌が、ほら・・・君にも聞こえるだろう?
そっと優しく、ほっと心温まる、二人で過ごすホワイトクリスマス。
真っ白な雪に包まれた心のアルバムに、思い出の一枚を共に刻み込もう。