手の平の未来地図



手の平をじっと見つめる香穂子は、難しそうにむぅっと眉をしかめたかと思えば、喜びを弾けさせながら頬を紅潮させ、幸せな笑みを浮かべている。なんて可愛いのだろう・・・好きなこと、楽しい事を考えているときの顔だな。指先で手の平に刻まれた皺を丁寧になぞりながら、一体何をしているのだろう。心の中を素直に伝える豊かな表情は、万華鏡のようにくるくると変わり、いつの間にか俺の心も鮮やかに染めているんだ。

昼休みに昼食を取っていた、屋上のベンチに並んで座る君の横顔に魅入っていると、大きな瞳を興奮気味に煌めかせながらじっと見つめてきた。駆け寄る子犬が、嬉しそうに尻尾をふってじゃれるような無邪気さに似ていて。身を乗り出されると、つい俺まで内緒話のように、吐息が触れ合う近さまで引き寄せられてしまう。


「ねぇ蓮くん。この世に自分の未来が分かる本があったら、読んでみたいと思う?」
「自分の未来? 面白いことを聞くんだな、君は。そうだな・・・興味はあるが、別に知りたいとは思わない。未来は俺の意志で決める。それが決められた定めだとしても、今の努力が目差す道の先へと続くと信じている」
「真っ直ぐで強い信念を持つ、蓮くんらしい答えだね。実はね、今朝夢を見たの。夢の中で自分一生を書き綴った本を読んでいたんだけど、リリが魔法をかけて本をどこかに消してしまったの。私は誰と結婚するか知りたかったのに、残念」
「・・・夢の中でもファータが悪戯をしたのか」
「ふふっ、そうなの。でも知らなくて良かったな気持ちと、知りたい想いが混ざって複雑な気持ちかな。大好きな蓮くんと歩む未来がどうなるのか、知りたかったのは・・・本当だよ」


真摯な光を帯びるひたむきな眼差しが、受け止める瞳を通して一途な想いを伝えてくる。海外留学目前に控えた今、を想いを交わした君と共に過ごす日は、残り少なく限られていて。これからは合いたくてもすぐには合えないし、ヴァイオリンの音色を聞くことさえ難しくなるだろう。音楽で結ばれた絆は、きっと再び君と俺を巡り合わせ、再び道が交わる時が来る・・・そう心に言い聞かせていても、沸き上がる不安や寂しさが、ふとした時に溢れてしまいそうになるんだ。

この手で掴みたい目差す夢は、プロのソリストになること、そしていつでも君が傍にいること・・・。
俺だって未来が知りたい、君と俺がどんな道を歩むのか。

見つめ返す瞳から全身に流れる熱さが炎に代わり、君が欲しいと心を切なく焼き焦がす。だが視線を絡ませ合い、吸い寄せられるまま唇を寄せかけたところで、何かを閃いたらしい香穂子が瞳を輝かせながらポンと手を叩く。その小さな音に我に返ったのは、君に秘密にしておこうか。


「蓮くん、手を見せて欲しいな?」
「俺の手を? 構わないが何をするんだ?」
「あのね、今日クラスの友達と手相占いの話で盛り上がったんだよ。昨夜テレビで有名人の手相を見る番組をやっていたの。手に刻まれた皺も、未来を知る小さな地図なんだよね」
「そういえば俺のクラスも、皆が手相占いの話題で盛り上がっていたな。お互いに手を見せ合っていたり、俺もクラスメイトに手を見せてくれと言われた。俺はちょうどヴァイオリンの練習をしていたから、その番組は見ていないが、君は見たのか?」


うん!と満面の笑みで頷く香穂子が、日だまりを集めた瞳を輝かせ、抱き締められる懐の近さから見上げてくる。いそいそと座る距離を詰めると、私にも手を見せて欲しいのだと、予想通りの願いに緩めた眼差しで差し出した。同じ頼みでも香穂子なら、不思議と楽しい気持ちになるのは何故だろう。ならば君の手も見せてくれないか?

一途に想う心、結婚・・・香穂子が見ようとしている手の平の線は、クラスメイトたちが興味津々に見ていたのと同じ。既に友人が休み時間に、じっくり見ていたから答えは知っているけれど、君と分かち合う時間はまた特別なもの。手に刻まれた運命を知りたいような、知りたくないような・・・・緊張と期待で高鳴る鼓動が、手の平から君に伝わらないように願うばかりだ。いや、香穂子がどんな表情をするのかが、一番楽しみなんだとおもう。


ひらり飛ぶ蝶を捕らえる素早さで、俺の手は君に掴まれ胸元へ引き寄せられた。じっと真剣に見つめる眼差しと、柔らかい手の平の温もりを一点に感じれば、甘い疼きから生まれる熱がじんわり身体中へ流れてゆく。その疼きが恋しく想う気持ちだと気付く頃には、悪戯な指先が手の平に刻まれた皺を丁寧になぞるから、くすぐったさに耐えるのが精一杯。

背中に駆け上る痺れが理性の壁を崩してゆく・・・波に攫われる砂の白のように。
ひょっとして焦らしているの、だろうか。いや香穂子は俺の手の平から、未来を見ようと真剣なんだ・・・二人で歩む俺たちの未来を。気恥ずかしさと、想われている嬉しさに頬が緩み、今すぐ君を抱き締めそうになってしまう。


「あった! あったよ蓮くんにも。ほら見てここのね、人差し指と中指の付け根から、真っ直ぐ線が伸びているでしょ? これは相手を一途に思う気持ちなの」
「それは当たりだな、俺は香穂子が好きだ。想いとヴァイオリンの音色は、君へと真っ直ぐ向かっているから]
「蓮くん・・・! こんなに近い距離で好きだと言われたらすごく照れ臭いけど、でも嬉しいな。私と同じ線が蓮くんにもあったんだもの。これは恥ずかしいけど・・・でも知りたいよね。小指の付け根、手の横側を見て? この太くて真っ直ぐな線が結婚の線なんだって。凄いねおめでとう、蓮くん結婚できるよ!」
「は!? いや・・・その、おめでとうと言われても困るんだが。そううか、君にも・・・あるんだな」
「・・・へへっ、何か嬉しいよね。蓮くんを想う気持が、私の手の平にもちゃんと刻まれていたの。手相は変わるっていうでしょ、この線確か昔には無かったんだよ。蓮くんとヴァイオリンの出会いが、私の運命も変えてくれたって事だよね」


ほら見て?と頬を桃色に染めて恥じらいながら、そっと差し出した香穂子の手の平を包み込み、目の前に引き寄せた。指先で同じ位置に好きな相手を一途に想う線と、俺と同じくらいはっきりと刻まれた、結婚を示すといわれる赤い線。
手の平に刻まれた線を指先でなぞると、くすぐったさを堪えながら小さく身をよじる彼女の可愛さに、胸の鼓動も高鳴り出す。

「あ! 蓮くん私ね、凄い大発見しちゃったの!」
「何を見つけたんだ?」
「蓮くんの手と私の手を重ねてくっつけると・・・ほら。小指の付け根にある、二人の結婚線がリボンみたく重なって、一本にくっつくの。これが赤い糸っていうのかな?」
「・・・っ!」


同じだね一つに重なるねと無邪気に喜ぶ、一回り小さい彼女の手を包み込み、想いのまま力を込めて握り締めながら、限界の熱さを湛えた眼差しで見つめる。ね?同じでしょう?と愛らしく小首を傾げられたら、俺はもう素直に降参し、頷くしか無くて。占いなどひと欠片も信じていなかったのに、いつの間にか叶えたい願いに変わっている自分がいる。

君と俺の未来が、ひとつに繋がっていると、そう自惚れても良いのだろうか? 手の平が示すものは演奏により生まれたひたむきに想う先が君であるように、一つに繋がる婚姻を示す赤い糸も・・・二つの体温がゆっくり溶けうように、握り締め合う手もいつしか一つになる。

ヴァイオリンを奏でる手の平は、ヴァイオリニストとしての未来を。そして手に刻まれた想いの線が、どうか俺たちの未来への地図でありますように。