線香花火


音楽や勉強、趣味、大切な君と過ごす時間など・・・・どんな小さな事だって構わない。
時が経つのも何かも忘れて、熱中するものに出会えた事は、とても幸せだと思う。
何かに夢中になってる俺たちは生き生きしていて、毎日を充実させてくれるから。



手持ちの花火にもいろいろあるけれども、俺たちの手にあるのは線香花火。今の俺が時を忘れて熱中しているとしたら、この線香花火と、隣にいる香穂子だろうか。こよりの先端にある小さなオレンジ色の火の玉が、パチパチと音を立てながら四方へ火花を散らし、陽も暮れて夜闇に包まれた庭先をほんのり照らしている。

夏のお盆を過ぎれば暑さの盛りを過ぎ、夜の空気も静けさと涼しさを肌に感じるようになった。月明かりが照らす庭先に、微かに聞こえる虫の音色。昼間に香穂子と交わした何気ない会話がきっかけで、俺の家で花火をする事になったのだが、庭先で花火をやるなんて子供の頃以来だな。


遠い記憶を脳裏に思い出せば、香穂子が笑顔で俺の顔をひょいと覗き込んでくる。吐息が触れるほど近く、ふいに視界へ入った君の顔に鼓動が飛び跳ね手元を揺らした。危うく揺れ動く火の玉を落とさないよう、慌てて息を潜める背中に汗が伝うのも気にせず、無邪気な笑顔を浮かべている。まったく君は、ひとときも目を離す事が出来ないな。だがそんな触れ合いも楽しいと思うようになった自分は、君色に染まってきたのだろう。


「蓮くん、楽しそうだね」
「そう言う香穂子も、楽しそうだな」
「うん! 楽しいよ。自分で持つのもいいけれど、ただ眺めるだけっていうのも素敵だね。持っている時は夢中だったから気づかなかったけど、いろんなものが見えてくるの」
「君と一緒だから、俺も楽しい。それに嬉しいんだ。帰る時間が遅くなる許可を貰えたお陰で、今日はいつもより長く君と一緒にいられるから・・・ありがとう」
「も、もう〜。それは、私が言おうと思ってた台詞なのに・・・」


瞳を緩めて微笑を向けると、手の中にある火の玉と同じように彼女の頬も赤く染まってゆく。照れくささからなのか僅かに俯いてしまうが、ふと視線を上げて「私からもありがとう」・・・そうはにかむと、しゃがみ込んだまま一歩距離を詰めてきた。
ほの暗さに浮かぶオレンジ色の花火も、更に鮮やかさが増したように見えるのは、俺たちの心が近付いた証。互いに絡む瞳とオレンジ色を映す横顔、寄り添う温かさに俺も君も、口元や頬だけでなく心までもが緩んでいる。


「蓮くん、落としちゃ駄目だよ。じーっと、じっとしててね」
「分かっている。香穂子もそんなに近づきながら喋ると、風圧で火の玉が落ちてしまうぞ」
「わっ・・・ご、ごめんね!」

俺が持つ線香花火を食べてしまうのではという近さで覗き込む香穂子は、無邪気な子供のように、楽しさを大きな瞳と声いっぱいに溢れさせていた。笑みを誘われながら優しくたしなめると、慌てて口を両手で押さえながら飛ぶように後ずさり、俺から少し離れてしゃがみ込む。

何もそんなに離れなくてもいいのだが・・・と口を押さえたまま息を詰めて見守っている彼女へ苦笑しつつ。
そう簡単には落ちないし、一人で線香花火をしている自分は少し寂しい。君が隣にいてこそなのにと思う。


「香穂子、こちらへこないか?俺の隣へ。離れていては、花火が見えないだろう? それに一人では俺も寂しいから」
「いいの?」
「あぁ。わざと俺を脅かしたり、揺らしたりしなければ」
「蓮くんってば酷〜い。私、そんな事しないもん」
「本当だろうか?」
「わ、わざとじゃないもん。さっきまでのは事故・・・そう、事故なんだよ!」


悪戯っぽく笑みを含めて問いかければ、離れた所にいる俺にも届くように、大きな声と必死な身振り手振りで伝えてくる。
分かっているよ・・・と言葉の代わりに心で返事をしたけれど、そんな君が可愛くて仕方が無いんだ。

話しかけるなと俺に言いつつも、我慢が出来なくなった君の方から先に話しかけてきたり、きょろきょろ、そわそわ身じろいでいたな。お陰で自分の花火と一緒に俺の手元も気にして覗き込もうとするから、すぐに体が揺れてしまうんだ。時にはそのまま体勢を崩して倒れこんでくるから、落ち着いて花火を持つどころではなかったな。確かに君はじっとしていなかったなと、思い返せばクスリと小さな笑いが込み上げる。

肩と手元を揺らさないようにはしていたのだが、声が聞こえたのか俺の顔が見えたのか、俺の笑みに気付いてしまったらしい。
私の事で思い出し笑いしたでしょう!?と、夜闇でも分かるほど、膨らませた頬を赤く染め唇を尖らせてしまう。いけない、君の機嫌を損ねてしまったようだ。すまないと真摯に謝る言葉と想いを、飛び散る火花に乗せて、離れた場所から拗ねる香穂子に飛ばそう。


「早くこちらへこないか、花火が終ってしまうから。これが最後の一本だから、君も一緒に見届けて欲しい」
「・・・やっ! 蓮くん笑ったから、そっち行かないもん。どうせお子様ですよ〜だ」
「香穂子・・・すまなかった。花火が見せる一つ一つに、無邪気に喜ぶ君が可愛いと想ったんだ。心のままを素直に表すことの出来る君が、羨ましくて愛しくて・・・緩む頬が止められなかった。君と過ごすひとときが楽しくて、俺も気持が押さえられない・・・香穂子と一緒にいると、俺も素直になれるんだ」


夜目にも分かるくらい真っ赤に頬を染めながら拗ねているけれど、きっと来てくれる筈。そう信じて微笑みを向けると、再び手元の線香花火へ意識を向けた。君の為にも、すぐ落とすわけにはいかないから。やがてふわりと甘い香りが漂い、布の擦れる音が聞こえてきて。手元を動かさないように視線だけを隣へ向ければ・・・ほら、俺が思ったとおり。
温もりが伝わるほど近くに寄り添う香穂子が、優しい微笑を向けていた。


「凄〜い! 火花が元気良く飛び跳ねてるね、私達に話しかけているみたい」
「今さっきまでは、それ程でもなかったんだ。きっと香穂子が俺の側に来てくれたからだろうな。線香花火も喜んでいるのだろう」
「私じっとしていられないから、すぐに火の玉を落としちゃうの・・・大きく育てたいのに。蓮くんは、さすがだね。私と話してても、離れたところから見守っていても、全然手元が動かないんだもの。何かね、気持が安心する」
「そう言ってもらえて、俺も嬉しい」
「ねぇっ! さっきよりもオレンジ色の玉が、ぐるぐる渦巻きながら大きくなってるよ。まだ落ちないよね、大丈夫かな?  私も応援するから、一緒に大きく育てようね」


笑みを湛えて振り仰ぐと、しゃがみ込んだ膝の上に頬杖をつき、楽しげに頬を綻ばせて眺め出した。
闇夜を照らすほの明るさに互いの顔を寄せ合い、見つめる一つの小さな花火は、俺たちの心をも溶け合わせ大きな温かさをもたらしてくれる。

抱き締める腕の代りに、緩めた瞳と頬で・・・俺の想いである心の手で、彼女を懐深く閉じ込めた。

君の笑顔から弾け飛ぶ想いが火花となり、俺の心にも、ポッと小さな火が灯る。
手の中にある線香花火のように静かだけれども、鮮やかで繊細に・・・けれども徐々に激しく想いの火花を散らせながら。君と一つに溶け合う熱い想いの玉が、渦を巻きながら大きくなっていくんだ。


「あっ・・・終っちゃう!」
「・・・・・!」

慌て驚く香穂子が一瞬身を前に乗り出し、待っていかないでと引き止める悲しそうな瞳に見守られて。
大きく熟した果実のように膨らんだ火の玉から、パチッと最後の力を振り絞った火花が弾け飛んだ。
こよりから離れた火の玉がスローモーションで地面に吸い込まれていくのは、静かに降り注ぐ雨雫のようでもあり、枝から落ちる枯れ葉のようにも思えた。

「・・・どうしよう。線香花火、終っちゃったね」
「・・・だが今までで一番長く咲き続けたし、綺麗だったと俺は思う。香穂子が一緒に見守ってくれたから」
「本当? 私もそう思うの。だからこそ残念だなって・・・寂しいなって・・・」
「花火は消えても、共に眺めた記憶や感じた温かさが、俺たちの中から消える訳じゃない。そうだろう? 形は残らないけれども心に残るという点では、音楽にも似ているな。交し合う心と心の繋がりにも・・・」
「うん・・・」


再び訪れる暗闇と静寂。地面を悲しそうに見つめて、しゅんと項垂れる香穂子は、しゃがみ込んだまま自分を抱き締めるように丸くなっている。空に大輪の花を描く艶やかな花火でも、ひっそりと楽しむ小さなものでも、なぜ花火は終わった後に物悲しい気持になるのだろうか。

いや、感じるのは物悲しさだけではない。それは時間と共に消え去り、感じた温かさと鮮やかさだけが、消える事無く永遠に留まるのだ。一瞬の芸術・・・けども僅かな間に全てを出し切り花を咲かせるからこそ、人の心に深く想いを刻むのだと思う。


君が愛しいと・・・何が君の花を大切に思わせているかといえば、それは君が花に費やした時間なんだ。
そして想いの花を咲かせる為に、俺と君が二人で育んだ時間。
見守り育てる時間があるからこそ、道端に咲く可憐な花のような線香花火を、愛しく感じるように。


終ってしまった線香花火を水の入ったバケツに入れると、膝を折って香穂子の前にしゃがみ込み、優しく呼びかけた。
花火と共に消えた君の笑顔の花が、もう一度咲いて欲しいと願うから。


「香穂子・・・どうか、顔を上げてくれないか?」
「・・・・・・蓮くん・・・」
「まだ、終ってはいない。消えてはいないんだ」
「え!? でも花火はさっきの一本で最後だったでしょう?」
「確かに線香花火は終ってしまったけれども、もう一つの花火があるのを、君は気が付いているだろうか?」
「もう一つの・・・花火?」


薄っすら潤む瞳を真っ直ぐ見つめながら、そっと頬に手を伸ばし包み込むと、俺の心にある線香花火は、言葉に出来ない想いを弾け飛ぶ火花へ乗せて、香穂子へと向かう。彼女が飛ばした火の花が俺の心に飛び火すれば、炎の玉が渦を巻きながら大きく膨らんで、瞳の奥に、言葉や吐息に・・・体の熱さとなって滲み出した。


頬を包んでいた手を滑らせ顎を捕らえると、じっと見上げる瞳と交わり一瞬に花火が生まれる。何度キスを重ねるようになっても、触れる瞬間はいつも僅かな躊躇いを感じてしまう。それは俺を繋ぎ止める最後の理性なのかも知れない。熱さに飲まれれば、この先はどうなるのかさえ分からない不安と、一つに重なる期待がせめぎ合うもどかしさに、身の内が焦がされる熱さに目眩がしそうだ。

生まれる炎を解き放ちたくて、君に好きだと伝えたくて・・・覆い被さるように唇を重ねた。
さあ俺たちも、熱く花火を咲かそう。


心臓が唇にあるのではと思うほどに疼き、そこに全ての熱が集中しているように思う。俺の熱が香穂子へ流れ、彼女の熱が俺へと流れ・・・二つの想いが重なった唇で一つに溶け合い、熱い火の玉となるのだろう。言葉の数だけ火の花を弾けさせ咲かせながら、腕の中に閉じ込めた身体を強く抱き締めた。


「・・・んっ! ・・・れ・・んく・・・」


俺の背にしがみ付いていた腕が、力尽きたように剥がれ落ちるのを合図に、深く重なった唇がゆっくりと離れてゆく。
はらりと零れ落ちた火の雫のように、名残惜しさを漂わせる甘い吐息をも求めたくて。うっとり潤んだ瞳を向ける香穂子へ、もう一度、軽く触れるだけのキスを送った。


「香穂子にも見えただろうか? 俺たちの花火が」
「うん・・・もう一つの線香花火、私にも見えたよ。心の中に熱い大きな火の玉があったの、花びら見たいな火花が綺麗に咲いてた。蓮くんの瞳から・・・触れた柔らかい唇から・・・ちゃんと感じたよ。ふふっ、触れたらキスみたいに熱かった」
「香穂子の中にも見えた、太陽のように優しく照らし俺を包む光りを。君の笑顔のように、心の中の温もりは優しく穏やかな気持になれる。線香花火みたいに香穂子から弾け飛んでくる火花で、俺の心が熱く焦げてしまいそうだ」
「私もね、熱くて蕩けちゃいそうだよ。絶対に振り落とさないように、想いの玉を一緒に大きく育てようね」
「あぁ・・・決して離しはしない」


こよりから零れ落ちた火の雫の行き先は地面ではなく、俺と君の心の中なんだ。
それは心に刻まれる永遠の花火のように、決して消えず・・・零れ落ちない熱い想いの火の玉となるのだから。

だから静かに・・・けれども熱く恋の火花を燃やし続けよう。
溶け合わせた俺たちの想いがある限り、これからもずっと。