世界の色が変わった日



夏の終わりの夕焼けは、ことのほか印象的だね。日の神ヘリオスが一日の仕事を終えた空は、暮れゆくオレンジ色の夕焼けに溶けゆく、藍色のグラデーション。街の景色が黒一色のシルエットに変わり、一番星みたく小さく灯った家の明かりが恋しくなるんだ。香穂さんほら、僕たちの後を見て。大きな太陽を受け止め黄金色に輝く海は、まるで君が奏でる旋律のように輝いているよ。

黄金色に輝く夕日の海を背に、海の見える公園で君と一緒に音色を重ねる・・・君に出会あったこの場所で。
憧れが恋心となり胸を熱く焦がした心の色は、甘く優しく想いを重ねる愛の色へと変わった。同じ夕日なのに、心揺れる黄昏時に感じる色は、こんなにも違うんだね。きっと君が隣にいるからかな。

楽しそうにヴァイオリンを弾く君に微笑みかければ、満面の笑みと甘い音色で応えてくれる。夕暮れの太陽と夜闇の青が溶け合うように、二つの音色と心が一つになるこの感覚は、何て幸せなんだろう。


君の音は輝くさざ波と君が奏でる音楽が声となり、静かに心を震わせて僕の胸に真っ直ぐ届く。どこか懐かしく温かく、優しい声に包まれながら、僕の心の夕焼け空のように君色へと染まってゆくんだ。一緒に過ごす毎日と想いを重ねながら、次第に色濃く鮮やかになってゆく。この夕焼け空のように・・・例えば真っ白い布を何度も染料に浸して、淡い色から濃い色へと染め上げるようにね。 


「夏は遅くまで外で遊べるのが素敵だなって思ってたけど、いつの間にか夕暮れが早くなったなって思うの。もう秋が来たのかな、もっと弾いていたいけど、今日はもう帰らなくちゃ」
「楽しい時間は過ぎるのが早よね、そっか・・・秋。君に出会ってからもう一年が経つんだね」
「あ! ということは、加地くんが転校してからもうすぐ一年が経つんだね。出会って一年おめでとうの、お祝いしなくちゃ」
「ありがとう、香穂さん。こうして君と過ごせるだけじゃなく、香穂さんのヴァイオリンと僕のヴィオラの音を重ねられる・・・音楽と君を愛せる毎日が、僕には最高のプレゼントだよ」


もっとヴァイオリンを弾いていたい香穂さんは、迫り来る夕暮れを残念そうに見上げながら、楽器を片付けていたけれど。また明日があるよねと前向きな笑顔を浮かべながら真っ直ぐふり仰ぎ、今日の演奏も楽しかったね、金色の海が綺麗だねと、くるくる可愛らしい表情を変えながら身振り手振りで語る。太陽が海に映るのではなくて、君が・・・香穂さんの笑顔や奏でる音色が、このさざ波を輝かせているんだと僕は想うよ。


君の音は輝くさざ波と君が奏でる音楽が声となり、静かに心を震わせて僕の胸に真っ直ぐ届く。どこか懐かしく温かく、優しい声に包まれながら、僕の心の夕焼け空のように君色へと染まってゆくんだ。一緒に過ごす毎日と想いを重ねながら、次第に色濃く鮮やかになってゆく。この夕焼け空のように・・・例えば真っ白い布を何度も染料に浸して、淡い色から濃い色へと染め上げるようにね。 


遠く望む水平線に沈みかける大きな太陽へ、導かれるように駆け寄る香穂さんは、手すりに掴まりながら海へと身を乗り出し、気持ちいいねと笑顔を浮かべながら胸一杯に潮風を受け止めていた。あぁでもほらほら、海が綺麗だからってそんなに身を乗り出しては、危ないよ。


「香穂さん、寒くない? 日が暮れたら急に海風が冷たくなったらから、もっとこっちへおいでよ。風が通り抜けないくらいにね、二人でくっつけば温かいよ」
「へへっ、じゃぁお言葉に甘えてくっついちゃおうかな。ふふっ、加地くん温かい。日中は暑いけど朝や晩は涼しくなって、空気が澄んできたよね。最近空を見上げるとね、抜けるように高くて広いし、入道雲と一緒に秋の雲が見えるの。今もほら、鱗雲発見」
「夏の風と秋の涼風が同居する・・・夏の雲と遠くからやってきた秋の雲が語り合うような空を、昔の人はゆきあいの空と言ったそうだよ」


ゆきあいの空?とオウム返しに言葉を繰り返し、きょとんと不思議そうに小首を傾げた香穂さんに微笑みを重ねた。行き会うというのは出会いの意味なんだよ。夏から実りの秋へ移ろう季節を楽しむ、美しい出会いの季節。まだくっきりと爽やかでなく、暑さと涼しさが混ざる曖昧な季節感だけど、心に宿った君への想いが憧れでなく恋なんだと、気付かなかった自分に似ているよ。


「ん〜とつまり、夏の空が転校する前の加地くんで、秋が私と出会った後ってことかな。冬と春の境目も新しい何かが生まれる出会いの季節だけど、夏から秋へ映る今も、新しい出会いと豊かな実りが生まれる季節なんだね」
「そう、ちょうど一年前、僕はこの場所で君に出会ったんだ。天使の音色でヴァイオリンを弾く君に、僕は一瞬で心を奪われたよ。君に出会ってから僕の世界は変わった、瞳に映る全てのものが輝き始めたんだ。今目の前に広がる黄金色の海のようにね、金色の旋律が海も空も僕の心も染め上げたんだと思ったよ。心が深呼吸しているというか、きっとこれが、生きているっていう感じなんだね」
「夕暮れにキラキラする海は、加地くんの好きなメイプルシロップに似ているね。とっても甘くて美味しそうなの」
「ふふっ、そうだね。甘くて優しいメイプルシロップは、香穂さんのきらきらした笑顔や音色みたいだ。そっか、だから僕はあれが大好きなんだ。もちろん、シロップよりも、本物を毎日食べたいと思うけどね」


恥ずかしさにぷぅと頬を膨らます香穂さんの頬が、夕日を受けて赤く染まる。出会った夏、そして想いを深めた秋が再び巡り、これから僕たちに新しい季節が再びやってくるよね。逸る気持ちのように足早に迫る美しい季節は、今度はどんな色に空や緑を・・・僕の心を染めるんだろう。


目まぐるしく変わり、鮮やかに空を染める夕焼けは、僕の気持ちそのものかも知れないね。え? どうしてそう思うのかって? それはね、全ての紅が君への想いとなって、僕の心を染めてゆくから。黒いシルエットに変わりつつある、新しい季節の雲を空に見つけた香穂さんの指先が、無邪気に空を羽ばたく蝶になる。白い指先をそっと捕まえて胸の中へ引き寄せれば・・・ほら。見上げる空や目の前に広がる黄金色の海だけじゃない・・・香穂さんの頬も紅に染まっているよ。