聖夜のエチュード

「メリークリスマス。蓮くんと過ごすクリスマスに乾杯〜!」
「乾杯」


テーブルの上に伸ばされた互いの腕が視線と同じく触れ合うと、掲げたグラスがカチンと透き通った音を立てる。未成年だから琥珀色の液体は、シャンパンに見立てたマスカットの炭酸水。たまには何処へも出かけず、家でのんびりするのもいいよねと言う彼女の意見で、今日の昼食は彼女が腕によりをかけた手料理が並んでいた。大切な人と二人で過ごすクリスマス・・・まさか俺にもこんな日が来るとは思っても見なかった。

メニューはサラダとホワイトシチューにハンバーグ。本当はチキンが丸ごと一匹焼けたら良かったのに、難しかったの・・・と。残念そうに皿を見つめ溜息を吐く香穂子だが、俺にはどんな名シェフにも負けないご馳走だ。
心からの感謝の言葉と微笑を贈ると振り仰いだ瞳が輝きを取り戻し、雲が晴れたように笑顔の花が咲く。
俺にとっての一番のご馳走は、心を温めてくれる君の笑顔なのだと思う。

クリスマスのディスプレイやイルミネーションに彩られた街を、香穂子と二人で散策するのも楽しいが、この時期はどこへ出かけても混んでいる。あえて出かけずに、こうして二人だけで静かに過ごすのも良いものだな。
シャンパングラスに注いだ炭酸水のグラスを傾け口に含めば、爽やかで甘い果実の香りが広がった。


しかし・・・・・・先ほどからずっと、どこか違和感を覚えてならないのは何故だろう。
手に持ったシャンパングラスを見つめながら、ふとそんな事を思いついた。クリスマスイブは12月24日だが、部屋の壁に掛けられたカレンダーの日付を何度再度確認しても、二週間前の日曜日だ。香穂子は知っているのかいないのか、気に止めた様子も無く朝から楽しさを溢れさせていた。今もハンバーグにナイフを入れながら、焼き加減に満足しているようで、俺まで頬が緩んでしまう嬉しそうな笑みを浮かべている。


「香穂子、メーリークリスマスと言うけれど、クリスマスイブまでにはまだ二週間もある。晩餐には、少し早いんじゃないのか?」
「早いかなぁ〜。まだじゃなくて、もう二週間なんだよ」
「どういう事だ?」
「もうすぐクリスマス・イブでしょう? だからその為の予行練習なの。いっぱい料理を作った方が上手くなれるし、一緒に食事をしながら、意見も直接聞けるでしょう? 蓮くんが喜んでくれる、美味しい物が作りたいの」
「香穂子が作る料理は、いつどんな時でも美味しい」
「ありがとう蓮くん! 嬉しいからもっと頑張ろうって思っちゃう、当日は楽しみにしててね。それに・・・」


躊躇うように続く言葉を言い淀むと、みるみるうちに顔を赤く染めてゆく。どうしたのだろうかと黙って様子を見守っていると、もじもじと弄んでいた手元のフォークやナイフを皿に置き、落ち着くための深呼吸をする。恥ずかしそうにほんのり頬を染めたまま、振り仰いだ大きな瞳が真っ直ぐ見つめてきた。
強く願い訴かける光りを、奥に宿しながら。


「楽しいクリスマス・イブが、たった一日だけだなんてもったいないんだもん。練習だなんて言いながら、本当は大好きな人と一緒に過ごす特別な日が、もっとたくさん欲しいだけなの」
「俺にとっては香穂子と過ごす毎日が特別だが、そうだな・・・。互いの距離が縮まり、君を側で感じられるのは俺も嬉しい。いつに無く甘えてくれる君が愛しくて、ずっとクリスマスなら良いのにと思ってしまう」
「クリスマスのムードって素敵だと思わない? こう・・・気持が高まるって言うか、普段は照れ臭い事も平気で出来ちゃうよね」


ね?と小首を傾け浮かべる愛らしい笑みに鼓動が跳ね、込み上げた熱さが身体中に溢れ出した。熱さをもたらし俺を酔わせているのは君・・・ノンアルコールな炭酸水が本物のシャンパンに思えてしまう。酔いが回らないうちにと、ひとまずグラスを置いて料理を食べよう。

白いシチューの空に浮かず星や月の形にくり抜かれているにんじんが、彼女なりの遊び心だ。スプーンですくうと、中からハートの形をしたにんじんが一つだけ姿を現した。思わず手を止め視線を上げれば、仕掛けたサプライズが成功して嬉しそうな香穂子がいる。はにかみつつ指で作ったハートマークを、どうぞという仕草で差し出し、俺へと届けてくれた。


では、君が届けてくれた愛の形を頂こうか。緩めた頬のまま口元へ運ぶと、香穂子に似たほんのり優しい甘さがゆっくり蕩けて染み込んでゆく・・・心と身体を芯から温めながら。俺と君・・・恋をして二倍に膨らんだ世界。
二人一緒に過ごすクリスマスは、一人では決して感じる事の無かった浮き立つ楽しさや、蕩ける甘さがある。



「蓮くんの食べてるハンバーグ、凄く美味しそう。ねぇ、一口ちょうだい?」
「どちらも香穂子が作ってくれたものだから、味は同じだと思うんだが・・・俺ので良ければ」
「ありがとう、いただきま〜す!」


一口食べたきり自分のには口をつけずに、じっと俺が食べている手元を追って身の乗り出す香穂子が、きらきらと瞳を輝かせていた。俺には分からないが、ひょっとして焼き加減など違うのだろうか。

食べやすいように一口大に切り分け、落ちないように手を添えつつ彼女の口元へ差し出すと、満面の笑みであーんと言いながら、雛鳥のように大きな口を開けた。ぱくりとフォークに食い付きしっかりフォークを鋏む、その唇さえも呼吸が止まり目を奪われずにはいられない。美味しいと頬を押さえる顔が幸せそうで、俺まで嬉しくなるんだ。


「もう一口いい?」
「俺のが食べたいのなら、食べ途中で申し訳ないが交換しようか」
「えっと・・・その、ちょっと違うの」


何が違うのかと理解が出来ずに眉を寄せると、上手く言えないんだけど・・・と呟きながら困ったように首を傾ける。しかしポンと手を叩いて何かを閃いたのか、フォークに刺したハンバーグの欠片を俺の口元へ運んできた。テーブルに身を乗り出し、あ〜んと一緒に口をあけながら、次第に迫ってくるフォークと君の顔。


「蓮くん、はいあ〜んして」
「・・・・・・・」
「どう? 美味しい?」


照れ臭さを覚えて鼓動が跳ねつつも、意識とは反対に考える間もなく、身体は正直に首を彼女へ差し出してしまう。ついでに添えられた片手も、しっかり握り締めるのを忘れずに口で捕らえた。


「美味しい。実は俺も、香穂子が食べている方が美味そうに見えたんだ。食べたらやはり、香穂子がくれた一口が美味しかったように思う。いや・・・その、もちろん俺の皿にある料理も美味しいんだが・・・。上手く理由を言えない気持が良く分かった。同じ料理な筈なのに、不思議だな」
「でしょう? ほら、他の人が食べている料理って、自分のより美味しそうに見えるでしょう? もらう一口が凄く美味しいの。直接あーんってしてくれると、もっと美味しいよね。私もね、蓮くんが食べさせてくれる一口が美味しくて大好きなんだよ。ハンバーグじゃなくて想いとか温かさとか、この一瞬ごと蓮くんを丸ごと食べたいの」
「なるほど、そういう事だったんだな。香穂子が食べさせてくれると美味しくて、もっと・・・と後を引くんだ。俺は君を食べていたんだな」
「蓮くんはお料理だけじゃなくて、ついでに指とか唇舐めたり・・・いつもその後、私ごと食べちゃうくせに」


思い出しているのか、瞬く間に茹蛸のように真っ赤になって頬を膨らます香穂子が、堪えきれなくなってフイと視線を反らしてしまう.。愛しそうに緩めた瞳を細めながらクスリと笑みを漏らす月森が、静かに椅子から立ち上がった。料理の皿を持ってテーブルを回り香穂子の隣へ席を移動し始め、それだけではなく、自分と香穂子の手元にある料理の皿を次々に交換し始める。全てを並べ終ると肩を並べて椅子に腰を下ろし、きょとんとテーブルを眺める香穂子に微笑みかけた。


「向かい合わせで離れたテーブルよりも、隣同志なら無理せず互いの口へと運び安い」
「えっと全部・・・じゃなくて、一口とか二口くらいで良かったんだけどな。自分で食べれるよ〜って言っても、もう蓮くん聞いてくれない・・・よね。どうしよう、さっきまでは平気だったのに、恥ずかしくて喉に通らないかも」
「クリスマス・イブの練習なんだろう? ならばたくさん練習を重ねて、当日に備えなくては。食事だけでなく、その後のひと時も含めて」
「え〜っ! そ、そんな〜」
「さぁ香穂子、口を開けて・・・」
「・・・・・・あ〜ん・・・」


サラダの入った小さなガラスボールを取り、フォークに刺したミニトマトを香穂子の口へ運ぶと、躊躇いながらも口を開けてぱくりと食い付いた。さっきよりも近くで見上げる潤んだ瞳と、トマトと同じくらいに赤く染めた頬のままで。料理の後に待っている飛び切り甘いデザート・・・早く君を食べたい。
想いの込められた君の手料理と君自身と・・・俺にとっては一体どちらがメインディッシュなのか。



手元にある料理は自分達で食べずに互いの口へと運んでゆけば、浮かぶ笑みがもっと食事を美味しくする。過ごす時間を特別なものへと輝かせ、心を熱くさせてくれるもの・・・それは恋と言う名の調味料。
二人の想いを積み重ねるほどに深さと甘さを増してゆくから、何度でも繰り返し、共にじっくり育てていこう。

最高の聖夜を過ごす為に----------。