サラリと言わないで欲しい




※ 諸事情により撤収した物を、修正の後に再UPしました。R15程度の性表現が含まれます。
  イメージを崩されたくない方や、微量でも嫌悪感を示される方は、Uターンでお願いします。




































珍しくすっきりと目覚めた休日の朝、特に約束はしていなかったのに、君に会える・・・そんな気がしていた。予想が確信となったのは、携帯電話に入ったメッセージ。短いけれども香穂子らしさの溢れる文章から声が聞こえてきそうで、知らぬ間に頬が緩んでいた自分に気付く。

暫くして借りたCDと楽譜を返しに俺の家へやってきた香穂子は、ヴァイオリンケースと焼きたてのクッキーが入った包みを持っていた。それだけではなくて、部屋に招き入れるとこっそり鞄から出したのは英語の課題だった。顔の前に掲げ持ちながら、教えて欲しいの・・・と真っ直ぐな瞳で見つめられれば嫌と言えるだろうか。君のために力になれる事があるのは、嬉しいと思う。それに普段は学院で机を並べることが無いから、同じ教室で授業を受ける・・・ささやかな夢が叶えられたようで幸せだ。


ヴァイオリンの練習と宿題と、どちらが本当の目的なのかと聞いたら、両方だと自信溢れる笑顔でそう言った。クッキーが美味しく焼けたから食べて欲しかったのだと、はにかみながら付け加えるのも忘れずに。

さぁ、君と過ごす楽しい休日の始まりだ。


ヴァイオリンの練習をして音色を重ねた後は、香穂子の手作りクッキーと入れ立ての紅茶でティータイム。
いつもならその後は二人だけの甘いひと時になるのだが、本を読む俺の隣で君は英語の課題と睨めっこ。袖を引っ張られて差し出された教科書を一緒に覗き込めば、触れる髪や顔の近さに鼓動がトクンと高鳴った。




「A・B・C・D・E・F・G・・・・♪」


本を読む俺の隣から聞こえるのは、かさかさと英語の辞書を捲る薄い紙の音。そしてきらきら星のメロディーに合わせてアルファベットを歌う、香穂子の楽しげな歌声だ・・・先程彼女がヴァイオリンで奏でていた、きらきら星変奏曲。分からない単語を調べているらしいが、頭文字のページをすぐ開けばいいのにAから順番に追いたくなるらしい。
ABC・・・と厚い辞書を指で辿りながら、呟く難しい囁き声はいつしか音楽へと変わっていった。


宿題はどうしたのだろうかと眉を寄せる俺に、一緒に歌いましょう?と。大きな瞳に俺を映す、無邪気で真っ直ぐな笑顔が誘いかけてくる。だが二人きりの部屋とはいえ、声に出して一緒に歌うのはさすがに照れ臭いんだ。
困ったサインは伝わっている筈なのに、なぜ愛らしく小首を傾げめげずに誘ってくるのだろう。

間近に顔を寄せながら、くすぐったい笑みを零す君に緩む頬が止められない。俺が困るのを知っていて、誘いかけて来るのだろうか・・・拗ねた君の可愛らしい顔が見たいと、俺が思うように。だから今は微笑みを返し、心を君の歌声に重ねよう。握り締めたシャーペンを指揮棒のように振りながら、温かい笑顔から零れる透明な歌声に心が弾んでゆく。リズムに乗って髪や肩を左右に揺らす君は、俺の心を奏でるマエストロだ。


ヴァイオリンで奏で合う二重奏のように溶け合う、甘く穏やかなひととき。
香穂子のシャーペンは指揮棒だったのに、いつの間にかヴァイオリンを弾く弓になったのは、楽しいリズムに身体が疼いたのだろうな。静かに弧を描いたシャーペンを机に置くと、弾けた満面の笑みを湛えての拍手が、俺たち二人の空間に響き渡った。自分へそして俺へ・・・共に奏でた俺たちへと。


「英語って楽しいね、蓮くん!」
「香穂子が楽しいのは、英語の勉強ではなく音楽だろう? 俺も楽しかった・・・君は何でも音楽にしてしまうんだな」
「英語の辞書で単語の意味を調べるときに、どれかなって順番に探しながらつい歌を口ずさんじゃうの。アルファベットの歌はきらきら星のメロディーだよね、私この曲大好き」


何をしても身体から自然と音楽が溢れてしまう・・・君も俺も。俺たちの中に音楽が溶けこんでいる証なのだろうな・・・そう思うと嬉しさが込み上げ、心の中に柔らかい色が溢れてくるようだ。優しく穏やかに空気を振るわせる、この心地良さが好きだと思う。ようやく単語を探し当てたらしく、ノートへさらさらとペンを走らせた香穂子は、机に肘をついて身を乗り出してくる。

ヴァイオリンの音色と君の歌声が、甘い余韻となって満ちる俺の部屋で、ふいに背伸びをしてコツンと額を触れ合わす君。鼻先を擦り合わせれば、どちらともなく引き寄せ合い唇がしっとり重なる・・・そうなることが自然であるかのように。


まだまだ楽しい余韻が収まらない香穂子は、鼻歌を口ずさみながらノートへシャーペンを走らせている。ちらりと覗き込めば、A・B・C・D・・・とアルファベットを順に書き写していた。だがH・I・J・K・L・・・そこまできた所で、ぴたりと手が止まり、楽しそうだった歌声もしゅんと悲しそうに萎んでしまう。じっとノートを見つめる表情は苦しそうで何かを思い詰めているようにも見える。一体どうしたのだろうか? 

俺に何かある時には、どんなに隠していても敏感に察知して、お節介なくらい一生懸命世話を焼くのに。ひたむきに頑張る君は、いざ自分の事となると心配をかけないように、いつも心の奥に隠し笑顔を絶やさない。しなやかな強さは惹き付けて止まない魅力の一つだが、たまには力を抜いて、俺に寄りかかって欲しいとも思う。
強さも弱さも、笑顔も涙も・・・君の全てを受け止めたいから。


「香穂子、どうしたんだ? 急に黙ってしまって。俺が力になれる事があったら教えてくれないだろうか?」
「蓮くん・・・。あのね、分からなくなっちゃったの・・・どっちが本当なんだろうって。蓮くんはどう思っているのかなって考えたら、どんどん深みにはまって抜けられなくなっちゃったの」


微かに俯く顔をヴェールのように隠す、さらりと流れた髪。どうかこちらを向いて欲しい・・・そう願いながらそっと手を伸ばし、髪を掻き上げ覗き込む。やがてゆっくりと振り仰いだ、潤みを湛える瞳に優しく語りかけた。元気を出して欲しい、そう願いながら。そっと腕の中に抱き締めると、最初は小さく固まっていたが、次第に柔らかさを取り戻しコツンと肩を預けてくる。髪を絡めればくすくすと笑みを零し、仔猫のように擦り寄る唇をあやすように何度も啄んでゆく。


「・・・んっ」
「何が分からなくなったんだ? 英語の課題か?」
「えっと、アルファベットの並び順。この間から始まった、TVの恋愛ドラマでやっていたの思い出したの。ほらここ見て、H・I・J・K・Lって並んでいるでしょう? 私はね、IやLよりもHの文字が先に来るのが納得できないの。蓮くんはどう思う? やっはりHはIやLの後が良いと思うよね」
「アルファベットの並び順に疑問を持った事は無かったが、香穂子だからこその視点なのだろう。なぜこの順番かと問われれば俺もすぐには答えられないが、何事にも疑問を持つのは大事だと思う」
「一緒に考えてくれるのは嬉しいな。恥ずかしいけど、これは私たちに凄く大切な事だもの」
「すまない、何が照れ臭いのかが良く分からないんだが・・・」


ぐっと拳を握りしめて力説しながら、真摯に見つめる大きな瞳は、少しでも突いたら零れてしまうくらい潤んでいる。
今のままで不都合無いと思うのだが、Hの文字はどこに入るのが一番良いかで、香穂子は悩んでいるらしい。


Hの文字・・・まさか、そんな。


意味深な一文字に鼓動が弾けて早鐘を打ち始め、顔に熱が集まりだした。落ち着くんだと自分に言い聞かせ、コホンと一つ小さく咳払いをする。他に誰もいない俺の部屋だと分かっていても、何故か内緒話をするように声が潜まってしまう。腕の中からちょこんと振り仰ぐ香穂子を更に引き寄せ、俺も身体と頬を近づけた。君だけにしか聞こえないように。


「香穂子、その・・・違っていたらすまない。君の言うHはその・・・やはり二人きりの時に君を抱く、あれの事だろうか」
「うん・・・そうなの、恋のアルファベットABCだよ。キスして抱き締め合いながら触れ合って・・・それからえっと。熱く一つに溶けちゃうでしょう? A・B・Cここまでは順序通りなのに、Hの後にI(愛)が生まれて、J(情)が沸くらしいの」
「なっ・・・・っ!」


目を見開き、思わず大きな声を出した俺の口を、慌てて身を乗り出した香穂子の柔らかな手が咄嗟に塞ぐ。何を突然言い出すんだろうか君は。無防備な心へ爆弾を投げ込まれ、熱くて顔から火が噴き出しそうだ。


驚かせる事を、さらりと言ったのは君なんだが・・・という言葉は喉元で飲み込んだ。澄んだ瞳で真っ直ぐ見つめる香穂子は、恥ずかしがるどころか真剣そのものだったから。唇に触れる手の平と間近に迫った顔に目眩を覚えていると、大人しくなったと思ったのか、安堵の溜息を吐きゆっくり手が離れていった。名残惜しさを感じ声を出そうとする俺に、立てた人差し指を唇に当ててシーッと声を潜める・・・そんなささやかな仕草も可愛らしい。


「この並びだとラブのLは、Hよりもそのずっと後に来るんだよ。ね、変でしょう? Kは何だろう、好きすぎて喧嘩しちゃうのかな・・・それって嫌だな。でも仲直りしたら、ラブのLがやって来るんだよ」
「変・・・と言われても・・・その、どう答えたら良いか困るんだが。喧嘩・・・ではないと思う。君しか見えない、可愛くて仕方がない・・・大切だから手放したくなくて、ずっと君を抱き締めていたい・・・俺はそう思うから」
「本当!? 蓮くんがそう言ってくれると安心する。確かに生まれる想いもあるし、更に深く相手が大切で好きになれるのは分かるの。蓮くんが教えてくれたから・・・でも私はね、Lの後にHが来るべきだって思うの。やっぱり大好きな想いや愛があるから、蓮くんと一つになりたいって思うもの」
「・・・・・・・・・・・」


想いが溢れすぎて心のままに君を抱くことはあるけれど、まさか君を不安にさせているのだろうか?
いや、それも愛があってのことだと言い聞かせながらも、考えを巡らせる事に深みにはまってゆく自分がいる。
大切に優しくしたいのに、でも押さえきれず手放せない・・・。甘い吐息を零しながら、真っ白シーツの海で蕩ける笑顔を浮かべる君に、負担をかけていると分かっていても。

浅く深く駆ける鼓動を宥めるように、深呼吸をする吐息が熱い。心へ直接届く君の想いが熱く震わせる。
瞳の奥で俺の答えを求めているのが分かるから、抱き締めて欲しいと言葉無く伝えているような気がしてならない。


「香穂子・・・」
「なぁに蓮くん」
「AからZまで、一つ一つに意味があって続いているのかも知れない。だからその・・・答えを確かめてみないか? H以降のアルファベットが君の言う通りなのかどうか。これから二人で、俺たちだけの並び順を探そう」
「へ? それってつまり・・・この蓮くんのお部屋で・・・だよね?」
「君を抱いても良いだろうか? いや少し違うな、君を抱きたいと思う・・・駄目だろうか?」
「A・B・Cって来てその後またH・I・J・K・・・あっ! だ、駄目だよ、私動けなくなって家に帰れ無くなっちゃう。もう、置いてかれた子犬みたいに悲しそうな顔しても駄目なの!」


ボンと音を立てて真っ赤に茹だった香穂子が、頭を激しく左右に振って髪を中に舞い踊らせた。首筋や耳まで染める、照れ臭さからくるものだと分かっていても、思いっきり否定されているようで悲しくなってしまうじゃないか。机の上にある手にそっと重ねて握り締めれば、諦めたように小さく俯きぷぅっと頬を膨らませる。

募る愛しさに想いを込めて・・・好きだよと握り締めた手から、見る間に伝わる熱は、君の声。互いに伝え愛、溶け合おう。今まではさらりと言う君に、俺の方が熱さで真っ赤になっていたが、恥ずかしがり屋の君も、ようやくいつもの姿を取り戻してくれたみたいだな。


香穂子が頭を悩ませていたように、アルファベットの順番は謎を秘めた恋のパズルとなって、俺たちを迷宮に誘い込む。窓からの柔らかい日差しを浴びながら。髪が絡む程ぴったりと額を寄せ合い、ノートを真剣に見つめて悩む俺と君。確かに香穂子の言うとおり、恋人たちには・・・俺たちには大切な事だと俺も想う。


「香穂子、君が好きだ」
「もう・・・降参だよ。真っ直ぐで熱い蓮くんに、私は敵わないって知ってるでしょう? 蓮くんは私が照れ臭くなる嬉しいこと、いつもさらっと平気で言えちゃうんだから」
「平気ではない、今この瞬間だって心臓が速く駆けているんだ。そう言う香穂子も、俺を熱くしてくれる・・・と気付いているだろうか」
「えっと・・・その、ね。触れ合う背中に感じるの、トクトクトクって早い鼓動を。でも・・・今すごく温かいな。蓮くんに包まれると幸せなの、ヴァイオリンの音色もこの柔らかい温もりもね」


背後からそっと抱き締めれば、腕の中へすっぽり包まれた香穂子が大人しく収まってくれている。抱き締めた腕に自分の腕を重ねて引き寄せながら、肩越しに振り仰いだ笑顔に、心が・・・身体が穏やかな温かさに包まれてゆく。
鼻先で優しい香りがする髪を辿り、ほんのり赤く染まる首筋へと顔を埋めて吸い付くと、鮮やかな花が一つ咲いた。


「香穂子、英語の課題は終わったのか?」
「うん! 蓮くんが教えてくれたお陰でばっちりだよ。これからは、二人で恋のお勉強の時間なの」


そう言うと腕の中からもぞもぞ身じろぎ、くるりと上半身を捻った君が、飛びつくように腕を絡めしがみついてきた。
いつだって俺の心に火を付るのは君だと、気付いているだろうか。
こうして悩んでいても仕方がないな・・・だから確かめよう。
一つに重なる心と身体が教えてくれる、いつだって答えは俺と君の中にあるのだから。