サンドイッチを片手に

甘く気だるい夜の空気を残した寝室に、窓辺を覆う白いレースのカーテンの隙間から日の光りが差し込んでいる。ベッドの上で乱れたシーツと、その海に沈む寄り添う二人の身体を眩しく照らして。朝日が清める力なのだろうか・・・降り注ぐだけで激しい情熱の住処が、穏やかで優しい目覚めの場所に変わる。


休みの朝は月森が満足するまで離してもらえないと分かっているから、香穂子は観念したように月森の腕の中で大人しくしている。休日の朝の蓮はいつもと違って我がままなのだと、拗ねたように頬を膨らます香穂子を困った微笑を浮かべながら、あやすように頬や鼻先・・・唇を啄ばんで。
ベッドに降り注ぐ温かな日差し思わせる優しく穏やかな琥珀の瞳は、夜に見せた激しさを微塵も感じさせない。その差が余計に香穂子を拗ねさせ、捕らえているのがいるのが分かっているのかいないのか。


「もう〜私が怒ってても拗ねてても、すぐそうやってキスしてくるんだから。私が蓮に敵わないって・・・困るの知って我がまま言うのはイジワルだよ。蓮の甘えんぼ!」


唇を一つ受け止める毎に、香穂子の頬に赤みと甘さが少しずつ増してゆく。
そんな変化を楽しそうに感じているのが、きっと緩む唇から伝わってしまうのだろう。


そうだろうか・・・まぁ、確かに普段よりは我がままかも知れないな。
腕の中にある温もりを抱き締めながらいつまでも君を離さず、こうして一緒のシーツに包まれているから。
たいぶ高くなった太陽に、ベッドサイドの時計を見ると朝の9時を回ったところ。いつもなら寝坊もいい所だが、今日は休日だし寝付くのがお互い遅かったから仕方が無いだろう。

どんなに夜に深く愛し合っても、仕事がある日は朝早くから起きだし、寝起きの悪い俺をベッドから剥がすのに必死な香穂子。たまにはゆっくりしてくれという彼女への労りが、いつの間にか独占欲にすり替わっている。
恥ずかしがりながらも、結局は俺の願いを聞いてくれるのが嬉しくて愛しくて、つい甘えてしまうんだ。


君の優しさと内側から湧き上がる愛しさに、気持は雲のように空へと舞いあがる。
そう・・・俺が全てを委ねて甘える事が出来るのは、世界中でたった一人の君だけ。


「では今日は、君の願いを俺に叶えさせてくれないか? 安心してくれ、ちゃんとベットから起きるから」


本当?と眉を寄せて不審がる香穂子に、約束すると頬に口付けながら耳元に囁けば小さく吐息が零れて、触れ合った素肌から灯った熱が伝わる。そう言った側からキスをする俺に困っているのが分かるけれど、辞められなくて。空気を通す程度に腕を緩めればようやく安堵したのか、首を巡らせ光に溢れた窓の外の様子を伺い、そして俺をじっと見つめ・・・ほんのり染まった頬で暫し考え始めた。


「いいの? じゃぁね、蓮とお弁当持ってピクニックに行きたいな。窓の外に見える天気がとても良いから、外でランチをしたら、きっと美味しいよ。遠い森じゃなくて、近くの公園でもいいから・・・駄目?」
「では名残惜しいが、さっそく起きて出かける支度をしようか。もし良ければ、俺にも手伝わせてくれないか? 」


そう微笑を返すと嬉しさを抑え切れずに飛びついてきて、香穂子がくれるキスで俺たちの朝が始まる。
きっと今日も楽しい一日になるだろう、笑顔の君がいれば----------。





手早く身支度を整え朝食をとった後には、さっそく外で食べるランチ用のサンドイッチを作り始めよう。

蓮〜と大きく名前を呼ぶ声にキッチンへ迎えば、ずらりと並べられた食材や道具に用意は万端で、俺用のエプロンを両手で差し出していた。カフェやギャルソンが使うタイプの、黒いシンプルなそれをありがとうと受け取って着けると、香穂子はひらりと身を交わして足取り軽くキッチンを駆け回りだす。
彼女を追って隣に寄り添えば、見上げる頬と瞳にふわりと花が咲いた。

料理は得意ではないが、香穂子と肩を並べて語り合いながら作業が出来るこの空間が俺は好きだ。
味見をしてくれと手を添えて差し出すスプーンに顔を寄せてみたり・・・美味しいとの答えに返る笑みが嬉しかったり。君の音色と一つに重なった時と同じ心地良さが心と身体を流れ、視線が間近で絡むたびに温かな幸福感が込み上げるから。

キッチンに漂う甘く香ばしい匂いは、君が中に詰める具材を作る間に俺が近くのパン屋へ買い出しに行った、焼きたてパンが放つもの。香りに包まれただけで満ち足りた気持になる、この甘い香りに似ていると思う。


ランチポックスの中にはハムや卵やツナなど、香穂子と一緒に作ったサンドイッチの具材が、色とりどりな虹を描いていた。綺麗なものは香穂子が作ったもので、少々不恰好なものは俺が作ったものだと一目で分かる。
もっと上手く作れたらと自分の作品に眉を寄せる俺に、私よりも美味しそうだと・・・私は蓮のが食べたいと目を輝かせ、早く食べたいから出かけようと急かし出した。


ありがとう・・・と一瞬見開いた瞳を緩め、心の全てを込めた一言を告げれば。
真っ直ぐ振り仰ぐ君の優しさや存在が、俺にたくさんの力をくれる・・・太陽のように光となって。



携帯用の保温ポットの中に温かいコーヒーを注げば完成。
後はタオルやコップなど小物も一緒に鞄に詰めて・・・さぁ出かけようか。





「羊が一匹、羊が二匹、羊が三匹・・・えっと〜あっちにもいたから羊が四匹!」


柔らかい芝生の絨毯に座る香穂子が、一つ一つ指差しながら声に出して数えている。
もちろん実際に羊がいるわけでも、眠ろうとしている訳でもない。
遥か遠くを見上げた彼女の指先が指し示すのは、空に浮かぶ白いふわふわの雲たち。

俺の隣で楽しそうに弾ませる声は、爽やかな秋空にヴァイオリンの音色が心地良く響くのに似ていて、届く響きに自然に頬も緩み口角も上がる。羊が十匹・・・と増え続ける数字は止まる様子が無いが、このままでは本当に眠ってしまわないだろうか。だが次々に形を変えて流れていく雲は見飽きる事が無く、とても寝てはいられない。


「ここにもいる。君の手の中に、小さな羊が」
「え、どこに羊が?  あっ・・・!」


香穂子の手の中を指差せば、一瞬きょとんと目を丸くしたものの、すぐに意味を解して笑みを浮かべた。
握られたままだった食べかけのサンドイッチにパクリと噛り付き、青空に高く掲げれば、また一匹新たな羊が仲間入り。いや・・・二匹だな、俺の手にもあるから。

いつのまにか角が取れて丸みを帯びたサンドイッチを、香穂子の隣に並べて掲げると、二つの雲がくっついて一つになる。空に浮かぶ雲と同じように俺たちの手にある雲もほら、こうして次々に姿を変えていくんだ。


一つ食べ終わりまた一つ食べ終わり・・・新しいサンドイッチに手の伸ばした香穂子が選んだものは、やはり俺が作ったもの。そして俺が選ぶのはやはり、香穂子が作ったものだった。
だがたまには自分のも食べてみようか・・・どんな味がするだろうか?


「香穂子」
「なぁに? ・・・・・あっ〜、蓮ってば私のサンドイッチ食べた〜! も〜自分のが手にあるじゃない!」
「美味しいな」
「もちろんだよ、だってこのハムサンドは蓮が作ってくれたんだもの」
「ならば、香穂子も食べるか? 君が作ったツナのサンドイッチを、とても美味しいんだ」
「えっと・・・じゃぁちょっとだけ頂くね」


愛らしく口を開けてぱくりと、俺の手元にあるサンドイッチへ食い付いた香穂子にどうだと聞くと、美味しいよと。
頬を染めてはにかみながらも、答えてくれた。

このサンドイッチも普段食べているものと同じ筈なのに、とっておきのご馳走に感じるのは、太陽の光りとそよぐ風・・・自然のテーブルが演出いているからだろうか。それだけではなく君と一緒に作ったから・・・君が隣にいてくれるからなんだと思う。君の味・・・俺の味・・・二つが溶け合って俺たち二人だけの味になって。